第35話

文字数 717文字

 二人はグラスに残っていたワインを飲み干すと絵と釣り、それぞれの持ち場へと向かい従者のトーマスはアルベルトをちらり一瞥してワインとチーズの残りを片付け始める。鳥がどこかでけたたましい鳴き声をあげ、頭上の木々が風にゆられザワザワザワと音を立てる。 

 アルベルトは湖面に釣り糸を垂らすと、自分だけの世界へと飛び立っていく。圧倒的な静けさとまるで鏡のように穏やかな湖面が、アルベルトの心をよりいっそう内面へと向かわせ瞑想へといざなう。兄とここに来るのは久しぶりのことであった。最近は従者のトーマスだけを伴い「釣り」を楽しむことが増えていたから。でも目の端に兄の姿を認めながらこうしているのもいいものだな。改めて思うアルベルトなのである。

 兄のウィリアムもまた無心で筆を走らせる。油絵具を少しずつ細い筆につけながらキャンバスの上に再現していく静かな森の風景は、柔らかく繊細なタッチで描かれなんとも幻想的な雰囲気を醸し出している。絵には作者の内面が反映されるものだが、ウィリアムの場合もそのデリケートな性質が見て取れるような、彼そのものを表すような優美な印象を与える絵であった。

「兄さんはあいかわらず上手いなあ」

 あまりにも没入していたウィリアムはいつのまにか背後に立っていた弟の声に、ハッとして現実に戻された。

「アルベルト、もうずいぶん時間が経ったのかな、魚はどう?」

「うん、いまいちかな。小さなマスが四匹ぽっちさ。そろそろ日暮れのようだ、暗くなる前に引き上げよう」

「ああもうそんな。そうだなそうしよう」

 従者のトーマスを呼び片付けを手伝わせ絵と魚を馬に積み込むと、三頭の馬で屋敷に向かう。何事もなく美しい日常が今日もまた暮れていくのだった。
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