第8話 ビスケットは恋の甘さ

文字数 3,224文字





今日はお父さんとお母さんが帰ってくる日。飛行機では10時間以上もかかる旅で、サンフランシスコを朝の10時に出ると、羽田空港には翌日の12時頃に着くらしい。

お父さんは電話で、「日付変更線が間にあるから、私たちはそれを超えて一日多くかかってしまうんだ。変な話だけどね」と言っていた。

なるほど。私たちは今日が何日なのかわからなかったら決められないことも多いから、とにかく時刻だけは決めておくために、きっと研究したのよ。

でも人類は飛行機を生み出したから、ついにそれを凌駕してしまったんだ!

「すごい…すごいなあ…」

私は目が覚めてからベッドを出ないうちに、そんな考え事をしてから、ぶつぶつ言っていた。

「どうしたの?」

「きゃあっ!?」

急に聴こえてきた声に私が叫び声を上げる。見ると、時彦さんはまた床にあぐらをかいて、布団の上に座り込んだままの私を見上げている。私のベッドに肘をついて。

「ごめん、驚かせたかな。おはよう」

ごめんじゃない!もう!私、寝起きで髪だってぼさぼさのままで、まだパジャマなのに!

私はそんなふうに言いたかったけど、朝一番の「おはよう」をもらえるならと、すぐにすねた気分は直ってしまう。

ずるいな。

「…おはようございます」

でも、やっぱりちょっとすねた顔をわざわざしてみせて、最後の意地を張ったつもり。


「じゃあ、僕は少しの間姿を見せない方がいいかな?」


それを聞いて私はまた振り返り、時彦さんの顔を見た。もしかしたら、彼が悲しそうな顔をしているような気がして。

でも時彦さんは、いたずらが見つかった子供のように笑っているだけだった。


私と時彦さんは、昨日の晩に、「明日は時彦さんはどこかに隠れていて、お父さんとお母さんが帰ったら出てきていいことにしよう」と、話し合って決めた。

その時は、私は内緒話で友だちと秘密基地のルールを作るような気分だったけど。


でも、本当ならそんなこと、言いたいはずない。やって欲しくもない。今さらにそんなふうに思った。

だって、好きな人にそんなこと、言えない。言えるわけない。だから。

私の喉は、急な緊張感に震えて詰まった。


「…時彦さんは、出ていたかったら隠れなくて大丈夫です。でも、できればずっと、私の部屋から出ないで」


「えっ…?」

私はその瞬間、まるで自分が大きな意思決定をしてしまったような気がして、顔が熱くなった。でもそのままもう一度喋りだす。

「お父さんとお母さんは、中学生になってからは私の部屋にはほとんど入らなくなりました。だから、ここなら見つからないと思う。えっと…もし、どっちかが、それかもしくは、ありえないことだけど、二人ともが、「みえる人」でも…」

思い切ってそう言いはした。でも私は、途中から自分が一体なんのことについて喋っているのかわからなくなって、しまいにはやっぱりうつむいてしまった。

「えっと…だから、それで、お願いします…」

私は何を言ってるの?でも、好きな人に向かって、「出てこないで」なんて、言えるわけないじゃない!

時彦さんは、私がわけのわからないことを言ったのに、いつものように頭を撫でて、「わかったよ」と言ってくれた。






おやつ時が近くなってきた。昼の住宅街の静けさの中に、トラックが通る音や、どこかの飼い犬が吠えている声が響く。その中に、ふいに聞き覚えのある音が混じった。

カツカツカツ。それはお母さんがハイヒールを履いた時の高い靴音だった。

私は急いで部屋を出ようとして、それから一度ベッドの方に振り返り、私に手を振る時彦さんになんとなくガッツポーズをしてから、玄関に走っていった。





お父さんが鍵を取り出そうと手こずっている音を聞きつけて、しめたと思って、私は先にドアを開ける。

「お父さん、お母さん、おかえり!」

「わ!びっくりした。待ってたのか、雪乃。ただいま」

「うん!」

びっくりして身を引いたお父さんは、すぐに嬉しそうに笑ってくれて、今時には珍しい口髭を、ちょっと指先で撫でた。

「ただいま、雪乃。よく顔を見せてちょうだい。うん、元気そうね」

お母さんはまじまじと私を見つめて、それから親子三人で居間まで荷物を運んだ。






私はお母さんがくれたお土産を窓辺で差し上げて、日の光でよく見てみようとしたけど、パッケージの英語が読めなかった。お土産のお菓子は二つ。

「ねーえ。こっちはなんて書いてあるの?」

「ギラデリ、よ。ギラデリはチョコレート」

お母さんはアメリカから持ち帰った荷物をほどきながら答えた。

「ふーん。ありがとう。ごはんのあとに食べてみるね」


「どうする母さん。今日はもう疲れたから、三人で食事に出たら」

お父さんはお母さんの横で、荷物を次々に受け取りながらそう言った。それを聞いてお母さんはほっとしたようにため息を吐く。

「そうね、その方が楽だわ。それでいい?雪乃」

「うん!」

お父さんって、いつでもお母さんに優しいんだよね。疲れてたらすぐにわかってくれるし。

私は久しぶりにそんなことを実感して、それが一番嬉しかったかもしれない。






私たち家族は三人で近所にある和食のお店に行った。お父さんとお母さんは、久しぶりの本格的な和食に満足したみたいだった。

「向こうでも和食の調味料は手に入るようになったけど、帰ってきたらここの料理を食べないとね」

「そうね、ほんとに美味しいわ」

私たちは板前さんが一人で作った料理を囲んで、いろいろと話をした。

楽しかったことは何か、不安なことはないか、そんなことを聞かれて、舞依と遊びに行った話、テストで少しいい点が取れたことなんかを話した。


時彦さんのことを黙っているのはやっぱりちょっと気がとがめたけど、私は何も言わなかった。

久しぶりにお父さんとお母さんに会えて、私は嬉しさのあまり、ちょっと冗談を言いすぎちゃったかも。お父さんはおなかを抱えて笑っていた。






「おやすみ、雪乃。また明日の朝もゆっくり話せる時間を取りたいから、早く休んでね。お母さんたちはあなたと一緒に出るから」

「うん。おやすみお母さん」

「おやすみ雪乃」

「おやすみお父さん」







部屋に戻ってドアを開けると、なんと私のベッドに、向こうを向いて時彦さんが横になっていた。

嘘…時彦さん!そこ私のベッド!え!?どうしよう!

驚いてあたふたしていると、ぐるりと時彦さんの首が回って、彼は私を見る。

「びっくりした?」

した。すごくびっくりしたけど…。


「自分のベッドにいたのが好きな人だったから」なんて、言えないじゃない!


「う、うん…」

私は恥ずかしくなって、目を逸らしてしまった。

「もらったお菓子、食べないの?」

ふと目を戻すと、時彦さんは起き上がって両手を空中に差し上げ、くるくるとお菓子の箱を回していた。アメリカのお菓子は今、日本でくるりくるりと宙を回っている。

まさかこうなるなんて、お菓子も思わなかっただろうなあ。





さくさく。さくさく。う~ん美味しい。アメリカのお菓子ってすごく甘くて困るほどだって聞いてたけど、全然そんなことないじゃん。

「おいし」

私はベッドに寝転んで、スマートフォンを覗き見ながら、お菓子を食べていた。

「おいしい?」

「うん!」

「ふふ、かわいい」

えっ…え!?

私は思わず、急いで時彦さんの顔を見ようとした。

すると、彼がすごく驚いた顔と目が合って、時彦さんは、腕を掛けていたベッドにすぐに顔を伏せてしまった。

ど…どうしよう。時彦さんに「かわいい」って言われちゃった…!

私は一気に混乱とときめきの嵐に突き落とされて、とにかく叫んだ。

「め、めっそうもない!わたしなんて、そ、そんなことないでござる!」

あー変なこと言った!すっごい変なこと言った!なんでこんな時に急に侍言葉になるのよ!?

私がさらに混乱したまま、自分の頭をぽかぽかと叩いていると、こんな声が聴こえてきた。

「ごめん、今のはちょっとおもしろかった」

おなかを抱えて、時彦さんはくすくす笑っている。その時彦さんの顔も私はなんだか可愛らしく見えちゃったけど、それは言えなかった。






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