第13話:口蹄疫と異常気象と父の死

文字数 1,677文字

 宮崎県で家畜伝染病の口蹄疫「こうていえき」が、国内で10年ぶりに発生、猛威を振るった。4月20日に感染牛が初めて確認され、ウイルスを大量に排出する豚にも感染、県東部の川南町を中心に急拡大した。国は家畜への初のワクチン接種でウイルスを抑制、ブランド牛の種牛を含む牛豚約29万頭が殺処分。東国原英夫知事は非常事態を宣言。

 イベントの自粛や立ち入り制限は大分など隣県にも広がり、宮崎の子牛をブランド牛に育てている全国の畜産農家にも影響が出た。宮崎県が口蹄疫の終息宣言を出したのは、発生から約4カ月後の8月27日。政府は10月、日本の「清浄国」復帰を国際機関に申請。この年の夏は、近年、まれに見る猛暑の年だった。日本列島は梅雨明け以降、広い範囲で猛暑に襲われた。

 7月22日に岐阜県多治見市で最高気温となる39.4度を観測し、8月の平均気温はほぼ全国で戦後最高を記録。6~8月の平均気温も平年より1.64度高く、統計を始めた1898年以降で最高。熱中症により高齢者ら多数が死亡した。総務省消防庁によると、7~9月の3カ月間に熱中症のために救急車で病院に運ばれた人は5万3843人と前年の4.2倍。

 気象庁の異常気象分析検討会は「30年に1回の異常気象」と指摘。北半球中緯度の気温がエルニーニョ現象に続くラニーニャ現象で上昇したところに、勢力の強い太平洋高気圧の影響を受けたのが主因と発表した。そのため、両親は、外に出ないで、家の中でエアコンを聞かせて涼しく過ごしてんもらった。政治の世界でも大きな変革のきっかけ年となった。

 民主、社民、国民新3党連立の鳩山内閣は、米軍普天間飛行場「沖縄県宜野湾市」を同県名護市辺野古に移設するとした自民党政権時代の計画の見直しを検討。野党時代に「最低でも県外へ」と表明した鳩山由紀夫首相は、鹿児島県徳之島などへの移設を模索。しかし、米国は辺野古移設を譲らず、首相は「県外」断念に追い込まれた。

 そして、日米両政府は5月28日に辺野古移設を明記した共同声明を発表した。県外・国外移設を訴えた社民党党首の福島瑞穂消費者担当相が閣議で署名を拒否したため首相は福島氏を罷免し、社民党は連立を離脱。地元は頭越しの日米合意に反発。11月に再選された仲井真弘多知事は県外移設を求めている。これ以降、非自民の連立政権の足並みが乱れ始めた。

 やがて、政権を失う道をひた走ることになって行く。2010年6月13日、父の敦夫が心臓の具合が悪くなり、近くの病院に入院。主治医の先生の話によると、高齢で心臓はかなり弱っていて、もしかしたら、厳しいかも知れないと言われた。そして7日後、病状が悪化してCCU「冠疾患集中治療室」に入り24時間体制で心電図など経過観察を続ける事になった。

 そして2月23日、電話が入って行くと父の意識がなくなっていて、その日の17時半、ご臨終ですと告げられた。その後、八王子郊外の斎場で、親戚など43人が出席して葬儀が行われ、荼毘にふされて、柳生家の菩提寺に葬られた。父の死後、母も気力を失い沈みがちになった。しかし、近くの集会場で、お茶のみ友達に、励まされて、次第に元気を取り戻し始めた。

 そして女友達達と日帰りのバス旅行に出かけるようになり、年末には、昔の様な元気な母に戻ってくれた。やがて2011年となった。アラブの春の嵐、チュニジアのジャスミン革命、23年以上にわたったチュニジアのベンアリ政権の崩壊で、専門家からは、反アラブ運動や中東諸国の長期政権に対する市民の反発につながる可能性を指摘する声も聞かれた。

 エジプト騒乱、29年間の長きにわたり大統領職にあり独裁政権を維持したムバーラクに対する反発が表面化し退陣を要求するデモが繰り返された。この騒乱で、ムバーラクは退陣し政権の長期独裁が終了。リビアのリビア騒乱、41年間というアフリカ諸国最長の政権を維持する、カッダフィー大佐に対する退陣要求が高まった。一連の反政府運動は、チュニジアでのジャスミン革命が他のアラブ諸国に波及した騒乱のうちの一つとして数えられる。
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