言葉による伝達

文字数 7,626文字

 言葉だけのコミュニケーションに委ねていると、時折、お客様が何を言っているのか理解出来ないことがあります。単語の意味やイントネーションの問題ではありません。知っている単語で構成された正しい文章を明確に聞き取れているのに、理解出来ないのです。
 でも、「分かりません」で済ませられる問題ではありません。お客様が伝えたい内容を可能な限り共有出来るように、あの手この手で模索し、想像し、理解に努めないといけないのです。さもないと、技術サービスを提供しようがないのです。
 最悪の場合、「あの人は話が通じない」と見做され、客離れを招くことになりかねません。



 小説を読んでいると、情景が脳裏に思い浮かぶような文章に出会うことも珍しくありません。プロアマ問わず、巧みな書き手による描写は、情景だけに留まらず、「音」や「香り」や「味」や「肌触り」などの五感、風や息づかいや熱や光、若しくは喜怒哀楽の「感情」や、痛・痒・擽などの「感覚」まで、全て文章から伝わってくるのです。
 しかし、これはとても高度な文章力とセンスを要しますし、容易に習得出来る技術ではありません。風景や人物の外観などの視覚情報ならまだしも、それ以外の感覚や感情を言語で表現することは、なかなか至難の業なのです。

 私達ピアノ調律師は、「音」と「タッチ感」という目に見えないものを最適な状態に整える技術サービス業です。最低限のセットアップは、ほぼ物理で解決出来る範疇にあるのですが、物理を超えた感覚に委ねる領域の要望になると、「ちょっと、何を言ってるのか分からない」という、人気漫才師の常套句を使いたくなることが頻繁にあるのです。
 そもそも、音やタッチの特徴を表現する形容詞には、どんなものがあるでしょう?
「明るい音」「華やかな音」「籠った音」「湿った音」「よく通る音」……など、普段から音のことばかり考えている調律師でも、パッと思い付く音の形容表現はせいぜい五十種程度だと思います。タッチ感の形容だと、その半分ぐらいになるのではないでしょうか。決して多いとは言えないであろう語彙により、あらゆる状態を表現するのですから、そもそもがかなり無理のある話なのでしょう。

 問題はそれだけではありません。音もタッチもその表現の為には、主観的な感情を無視出来ない為、物理的な客観性は保証されないのです。要するに、同じ音でも人によって感じ方は異なるのです。
 例えば、「硬質な音」を聞いたとしても、それが好みの人は「キラキラした音」「クリスタルな感じ」「ブリリアントな響き」など、ポジティブな表現をするのですが、「柔らかい音」が好きな人は「金属的な音」「キンキンうるさい」「耳障りな響き」など、否定的な表現になるのです。全く同じ音を聞いても、受信者の好みで表現は変わるのです。
 タッチ感も同じです。「重たいタッチ」を「弾き応えのあるタッチ」と言う人もいます。「軽いタッチ」を「腰抜け」と評する人もいます。「固いタッチ」は「引っかかる」、「スムーズに動く鍵盤」を「滑る」と感じる人など、全く違う印象になることも珍しくありません。微かな抵抗感を好む人もいれば、そうじゃない人もいますし、強い跳ね返りを求める人もいれば、それを嫌う人もいます。物理的に全く同じ状態でも、奏者の嗜好により表現は全く違ってくるのです。

 更にややこしいのは、タッチと音は必ずしも切り離して感じるものとは限らないことです。例えば、実際に体験した話ですが、あるピアニストに「音の鳴りが悪い」と言われたことがあります。その場合、普通は音量や音圧の問題と考えます。しかし、客観的に見ても良く鳴る個体ですし、むしろ、それ以上は鳴らさない方が良いと思ったのです。
 もちろん、どんなケースでもお客様のご要望が最優先ですので、鳴らせと言われれば、その方向で最善を尽くすことが大前提です。しかし、その時は直感的に「何か違う!」と感じた為、もっと詳しく話を伺ってみることにしたのです。
 結論を先に述べますと、決して「音の鳴り」が悪いわけではなく、「イメージ通りの音が出ない」という意味だったようです。このタッチならこういう音になるはず、というピアニストのイメージと実際に出てくる音の間に、少し「物足りなさ」を感じていたようです。つまり、「思うように鳴らない」……イコール、「音の鳴りが悪い」という表現になったのでした。
 言うまでもなく、この場合の原因は「音」ではなく「タッチ」です。力の伝達にロスがある為、イメージより弱くしか鳴らせない状態なのでして、結果的に「音のトラブル」として現れているように見えますが、実際はアクション(打弦機構)のトラブルなのです。
 こういったケースでは、言葉の表現だけだと、なかなか真意は伝わらないでしょう。お客様に、言葉による確実な表現を求めるわけにもいきません。だからこそ、限られた情報の中でお客様の意を最大限に汲み取ることも、我々調律師の大切な技術の一つなのだと思っています。

 切り離せないのは、音とタッチだけではないのです。心理的なストレスなどに起因する「思い込み」も、「音がおかしい」という表現になることもあるのです。そういったケースでも、調律師は本質を見抜かないといけないのです。
 若い頃の私は、何よりもこのスキルが圧倒的に欠けていて、言葉をそのままに受け止めていた為、お客様に不信感を持たれたこともあります。
 これも実体験になりますが、ある日のこと、新規のお客様の調律後、翌日ぐらいに「音がおかしい」とクレームが入ったことがあります。しかし、すぐに再訪したものの何も異常を見つけられなかったのです。何度確認しても「この音がおかしいの」と言われ続け、結局、何も手直し出来ずに帰社したことがあります。
 しかし、その翌日に上司が訪問すると、すんなりと解決したのです。とは言え、やっぱり何も問題はなかったのですが、お客様は「音がおかしい」の一点張りだったそうで、私が訪問した時と同じ状況だったのです。でも、上司は私と違い、「そうですね」と肯定することから入ったそうです。
「確かにこの音だけ強く聞こえる気がしますね」
「ピアノには何も問題はないのですけど、ピアノから音が出て、耳に届くまでの間に、この音の周波数だけたまたま何かが干渉しているのかもしれないですね」
「しかし、この違いに気付くって、ものすごく耳がいいですね!」
「何も直しようはないのですが、試しにほんの少しだけ、音をずらしてみましょうか。違って聞こえるかもしれません」
 などと言って、ほぼ何も触らずに対応したのです。すると、お客様は直ったと満足されたのです。
 要するに、当時の私——二十代のチビのいかにも頼りなさそうな女性調律師ってだけである種の偏見があり、こんなヤツに任せても大丈夫なのか? という技術的な不安を感じたのでしょう。そして、心理的に「音がおかしい」気がしてしまうと、もうその感覚は拭えなくなるのです。しかも、再訪した私に「何もおかしくない」と全否定され、ますます不満が膨らんだのです。
 私の上司は、少し話をしただけで、問題はお客様のメンタルだろうと気付いたそうです。だからこそ、お客様の意見に寄り添いながら上手く対応したのです。結局、特に音もタッチも変えずに満足させたのですから、それが正解だったのでしょう。
 
 言葉の真意を汲み取ることは、視認出来ないものを取り扱っている以上、ものすごく大切なスキルなのです。しかし、これがなかなかどうして厄介な問題でもあります。中でも一番大変なことは、「独特の表現」を使われた時です。良く言えば、オリジナリティ溢れる独創的な表現ですが、実際のところは「何が言いたいのか分からない」表現です。
 過去の実体験ですと、「もうちょっとこの辺がコリッとしたタッチになりませんか?」と言われたことがあります。
 また、「この辺のグニュって音がサワーって感じになると嬉しいのですけど」と言われたこともあります。
「トリルでコロコロコロッて弾いた時、クルクルクルッてなるのですけど、こんなものですか?」と聞かれたこともあります。
「君の描く円はいかにもフリーハンドっぽいんだな。コンパスで描けとは言わないけど、もう少し正円に近付けられないか?」と言われたこともあります。(※調律の話です)

 こういった、一般的に音やタッチの形容に使われていない表現は、なかなか共有することは困難なのです。つまり、「ちょっと何を言ってるのか分からない」のです。
 一つ目の「コリッとしたタッチ」は、まだ何となく分からなくもないです。音もタッチも演奏も、時々「歯応え」という表現は使われているのですが、「コリッ」とした歯応えだと考えると、歯切れの良いタッチを求めているのかな、と想像出来ます。
 しかし、二つ目の「サワーッ」という感じの音は分かりません。しかも、現在はどうやら「グニュ」って感じらしいのです。現状と要望、どちらも全く把握出来ないのです。何をどうして良いのか分からず、結局は「ニュワーッ」って感じにしました……というのは冗談ですが、実はこのご要望からでも、一つだけ確実な情報があるのです。分かりますでしょうか?
 それは、このお客様は現状の音に満足していないということです。ただ、その説明のニュアンスは理解出来ません。なので、ご要望は無視して、少し音色を良かれと思う方向に変えてみるとご納得いただけたのでした。現状は不満……という情報しかなかったので、とにかく変えてみるしかなかったのです。「サワーッ」という感じになったのかは分かりませんが、たまたま上手くハマったようです。でも、目的地を共有して辿り着いたわけではなく、他にやりようがなかっただけなのも事実です。
 三つ目の「コロコロとクルクル」は……その違いも分からないし、私としてはどちらも同じような形容に思えます。ピアノには、機能上の問題は特に見当たりませんでした。それに、この話に関しては、どうこうしてくれ、というご要望ではなく、「クルクルクルッ」ってなるものでしょうか? というご質問なので、「えぇ、そんなものですよ」とよく分からないままですけど、そう言い切って事なきをえました。

 さて、問題は最後の円の話。もう、これは何の話なのかさっぱり分かりませんでした。音かタッチかさえ分かりません。ひょっとしたら、私の性格のことかもしれないし、仕事の取組みのことかもしれません。若しくは、生活習慣のことかもしれませんし、もし、見た目やメイクの話なら許しません。
 いや、多分「音」の話なのでしょうけど、だとしても音律なのか音色なのかユニゾンなのかハーモニーなのか、それすらも分からないのです。まだ私も若かった頃の話なので、適当にアハハと愛想笑いをしながら、「もっと勉強します!」と答えた記憶があります。今でしたら、「何のご指摘ですか?」と聞き返すでしょうけど。

 ここまで読んでくださった方の中には、では、適切な表現で伝えないと奏者の要望は調律師に届かないのか? と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
 残念ながら、ある意味ではその通りなのです。もちろん、私達調律師は、何とかお客様の真意を汲み取ろうと努力はしますが、最後まで何をご要望されているのか分からないケースもあります。そうなると、こちらの予想通りで対処するしかないのです。
 おそらく過去のお客様の中にも、伝えたいことが上手く伝わらず……つまり、私が理解出来ず、欲求不満を抱えたまま諦めた方もいらっしゃるかもしれません。しかし、そういうお客様とは、おそらくご縁がなかったのだ、と割り切るしかありません。意思疎通が上手く出来ないと、どの道、関係性は破綻した可能性が高いのです。
 私の能力不足と言えばそれまでですが、もっと相性の良い調律師もいらっしゃると思うのです。そういう調律師と信頼関係を築く方が、お客様にとっても良い選択だと思います。それに、そういう人の方が要望は汲んでもらいやすいでしょうし、実際のところ、ほとんどの場合は、何よりも信頼関係が解決してくれます。
 ご要望を本当に理解出来たのか、そして、ご要望通りの状態に仕上がったのか……正直なところ、今でも自信が持てないこともあります。きっと、お客様も大目に見てくださることもあるのだと思います。ただ、それが許されるのは、そこまでに築いた信頼関係によるところが大きいのです。
 また、お客様の好みを熟知していると、ピアノのコンディションを見るだけで、今何が必要なのか理解出来ます。何も言われなくても、絶対にこうした方が良いと判断したことはそうします。すると、確実にピアニストには伝わります。その繰り返しが、信頼関係を更に強固なものにします。お互い、わざわざ何も言わないし、何も聞きません。ピアノだけを介在した関係で、十分にコミュニケーションが取れるのです。言葉による表現より、ずっと確実な伝達手段なのです。



 数ヶ月前のことですが、某楽器店からのご依頼で、とある大学の一斉調律に参加させていただきました。何十台とピアノを所有している大学でして、スケジュールの都合上、五日ぐらいの間に全部済まさないといけない為、とにかく人手が必要なのでした。
 私に割り当てらたピアノは十二台。でも、既に予定も入っていた為、参加出来る日は三日しかありません。つまり、毎日四台やらないといけないのです。
 しかし、そのうちの一台は先生が使用しているピアノでして、タッチを軽くして欲しいというご要望もあったので、単純に四台×三日では無理だろうなと思いました。なので、三台+四台+五台で予定を組んだのですが、先生のピアノが予想以上に大変な作業となってしまい、初日は二台しか終えられませんでした。
 さて、残り二日で十台です。単純計算で五台ずつ。一日五台というのは、なかなか大変は量ではありますが、学校調律なので移動がほぼなく、手抜きとまでは言わないにしろ、一般家庭ほどのキッチリとした仕事は求められていない為、十分に可能な台数ではあります。
 なのに、二日目の四台目をやっている時に、左手に違和感を覚えたのです。親指が痛いような突っ張ってるような、経験したことのない不快感と違和感……手を広げているのが辛く、そこまで痛みはないものの、打鍵の度に骨が折れそうな錯覚になると言うのか……兎に角、何かがおかしいと思ったのです。
 私の中で警告ランプが灯り、その日は四台でやめました。直感的に、続けるとヤバイと思ったのです。

 さて、翌日はどうしたものか……六台も残ってしまいました。同業者でもある旦那に泣きつこうかなとも思いましたが、何だかんだネチネチと文句言われるのも癪なので、とにかく自力でやれるだけやろうと決めました。
 一日六台となると、流石に同じ大学内とは言え、ちょっと辛い台数です。しかも、指の不具合も心配です……が、幸いなことに、昨日の違和感はなんだったの? というぐらい、その日は何ともなかったのです。でも、なるべく負担が掛からないようにテーピングで固定して挑みました。他の指で代用出来る打鍵はなるべく親指を使わないようにし、普段より打鍵の力を抑え、叩く回数も減らすように意識しました。
 それでも、最後の一台に突入すると、昨日と同じ症状が少し出てきました。痛みとも張りとも違う、妙な間隔……痛いのかどうかさえ分からないのです。そして、手を広げていられなくなり、打鍵の感覚も失い……それでもコレが最後の一台です。そのまま無心で(我慢して)走り抜きました。
 何とかノルマは達成し、事なきを得たのですが……この指は診察を受けないといけないでしょう。

 それから一週間近く経って、ようやく整形外科に行きました。しかし、いつも診ていただいてる病院は休診日だったので、最近すぐご近所に出来た整形外科に行ってみることにしたのです。
 大学の一斉調律からこの日まで、ほぼ連日調律が二台ずつ入っていたのですが、「妙な違和感」は調律中に何度も発症しました。何とか庇いながら持ち堪えておりましたので、待ちに待った受診なのです。

 整形外科は非常に混んでおり、一時間以上待たされました。ようやく診察の順番が訪れ、診察室に入りました。少しボテっとした感じの若い先生に「どうしたの?」と聞かれ、調律中に違和感が起きた話をしました。

「違和感ってどんな感じ?」
「えぇと、痛みはないこともないけど、突っ張ってるような感じのようで、なんか気持ち悪い感じです」
「う〜ん……それはどこら辺か分かる?」
「多分この辺なんですけど、この辺のような気もするんです」
「今はどう?」
「今は何ともないです」
「曲げたり伸ばしたりすると、痛む感じですか?」
「どうなのでしょう。痛いというより、曲げたら伸ばしたりすると、変な感じなんです」
「……ちょっと手を触りますね。ここをこうすると痛みますか?」
「いえ、大丈夫です」
「こっちに曲げるとどうですか?」
「何ともないです」
「じゃあ、ここを押さえておくので、ギュッと握ってみてください。どうですか、痛みますか?」
「大丈夫です」
「う〜ん、違和感ってどんな感じなのか、もう一度お話いただけますか?」
「はい、何処か特定は出来ないのですけど、親指がピーンとなるような、ギュッと出来ないというのか、開いてられなくなるんです」
「とりあえず、レントゲン撮りましょうか」

 終始、そんな感じのやり取りで、医者には私の違和感が全く伝わらなかったのです。しかも、レントゲンの結果、骨には何も異常がなく、エコーでも検査しましたが、腱や筋肉にも異常は見つかりませんでした。
 気のせいじゃないの? と口にこそ出しませんでしたが、徐々にそんな感じの穿った目付きになりました。おそらく、疲労の蓄積で一時的に筋肉を傷めてしまったのでしょうね、というあやふやな診断になりました。その後リハビリを勧められましたが、診断に納得していないのでお断りしました。その後、庇いながら仕事をしているからか、今のところは再発もしておりません。
 でも、何となく違和感はずっと残っているんです。大学で感じた時ほどの極端な症状はありませんし、仕事に全く支障のないレベルではありますが、ずっと何か変なのです。コレって、どう説明したらいいのでしょう? とりあえず、この病院の先生には話が通じないので、いつもの病院で再度診てもらおうと考えております、
 でも、この指の違和感は、言葉でどう説明したらいいのでしょう? 適切な表現が思い付かず、病院を変えたところで、状態がキチンと伝わる保証なんて何もありません。
 言葉だけのコミュニケーションって、本当に難しい……まだまだ巧みな書き手には、なれそうにないってことですね。
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