2022/06/01 『月刊OUT』の思ひで

文字数 1,462文字

大昔にスキャンした『月刊OUT』の画像です。
『月刊OUT』ってだんだんアニメ誌っぽくなっていきましたが、初期の頃はサブカルチャー雑誌みたいな感じでした。判形も小っちゃかったし、本屋に一冊ぐらいしか置いてなかったような。

最初に手に取ったのは『宇宙戦艦ヤマト』の特集号でした。ヤマトの絵が表紙に載っていたから手に取ったんだと思います。中を読んでみて驚きました。それまではアニメ(当時はテレビまんがって呼称)の記事は、小学生や幼児が読むような雑誌にしか載っていなかった時代に、大人向けの雑誌に大人向けの記事が載っているなんて画期的な事でした。こういうのが読みたかったんだよなーって感動しました。

結局その時は買わずに立ち読みで済ましてしまいましたけど。(ヤマト以外の記事がわけの分かんないサブカル情報だったから)
その後本格的なアニメ誌の『アニメージュ』が創刊されるわけですが、『月刊OUT』の存在がなかったら、各種のアニメ誌の誕生はなかったのかも知れません。




※昭和54年(1979年)6月号。ガンダムの絵は、今だったらもっとカッコイイ絵を使うでしょうけどね。ダイターンとザンボットも載っています。ダイターンが終わって次の番組がガンダムだって、小っちゃく画像が載っていた時は衝撃でした。ほぼ真っ白なロボット! しかもふくらはぎのあるデザインってスゲーって思いました。
そういや別の号で、セイラさんのヌードピンナップなんてのが掲載されていたなー。同人誌かよっ! 今の商業誌じゃ絶対にできないだろうな。





※昭和53年(1978年)6月号。「夢と希望とときめきのダイナミックマガジン」って煽り文句がいいですね~。
『月刊OUT』は『超人ロック』推しっ! 作者の聖悠紀先生はボルテスとダイモス、忍者キャプターのキャラデザも手掛けていらっしゃいました。アニメに少女漫画風の絵柄を持ち込んだのは、後のアニメや漫画作品にかなりの影響を与えたんじゃないかな。
ハーロック! 「ザ・男!」ってアニメ。この頃の零士先生は、絶大なる人気を誇ってらっしゃいましたよね。





※昭和53年(1978年)4月号。『スターシマック』特集号。裏表紙が超人ロック。「東のロック、西のシマック」とか言われてました。二人共エスパー、超能力者です。ロック本人は常にシリアスムードですけど、シマックはけっこうコメディっぽい事をやってました。シマックの作者と同じ関西の漫研にいた、岡崎つぐおの『ジャスティ』(これも主人公はエスパー)のコミックスの表紙が、先に発売されていた『スターシマック』の表紙とまったく同じ構図になっていて、遊び心が感じられて面白かったです。
『ペイルココーン』はちょっとアメコミ調の画風の漫画で、不思議な感じがして嫌いじゃなかったなあ。





※昭和53年(1978年)8月号。故・あずまひでお先生の全盛期の頃ですかね。その後失踪されたり復活されたりしていましたけれど。先生の漫画は好きでした~。絵も好きだし、話も面白かったです。テレマガに先生が描いた『星の子チョビン』の第一話を大爆笑して読んだんだけど、次の号からは別の漫画家に変わっちゃいました。きっと内容的に関係者(石森プロ?)からクレームが入ったんじゃないかと予想。めっちゃ面白かったんだけど、下品すぎたのかな~?
先生が失踪していた時の事を描いた『失踪日記』も読みました。とても面白い内容でした。
『ひでおと素子の愛の交換日記』ってのもあったなー。知人があずまひでおと新井素子って夫婦? とか勘違いしていたな。

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