1章―2
文字数 4,421文字
『ふーん……きみ、アースって名前なんだね』
少年、アースの心の奥で誰かが呟いた。もちろん自分の声ではない。慌てて周りを見回すが、声の主らしき人は見つからない。
「だ、誰っ?」
『声を出しちゃだめだよ。『心』で答えて。『思う』だけでいいから』
「(……こう?)」
『うん、そうそう』
子供らしき無邪気な声が頭の中に反響する。舞台上ではノレインが何やら喋っているようだが、その声は全く聞こえてこない。夢でも見ているのか、と錯覚したが、頬をつねっても痛いだけだった。アースは慌てて『心』に問う。
「(なんで僕の名前を知ってるの?)」
『ふふふ。僕の相棒が、きみの『過去』を見たんだ』
過去、と聞き、アースは無意識に腕を押さえる。
「(見たって、本当に僕の過去を?)」
『そう、だから名前も分かるってわけ。きみがオレスト家の一人息子で、政治家のお父さんがすごく厳しいってことも、我慢できなくて家出したことも全部知ってるよ』
思わず息を飲む。心の声が言ったことはまさしく、事実だった。
信じられないことが立て続けに起こり、目の前が霞む。アースは訳が分からぬまま質問を重ねた。
「(いったい、どうやって?)」
『それが相棒の[潜在能力]なんだ。僕がきみに話しかけてるのも同じで……って、その説明は後でいいや』
[潜在能力]。聞いたことのない言葉だった。その言葉の意味を考える前に、声の主は続ける。
『ずばり言おう。僕たち[家族]は、きみを助けに来た』
「([家族]? も、もしかして、きみは……)」
アースは舞台に目を戻す。暗がりの中、互いに良く似た双子の少年が、こちらを真っ直ぐ見つめていた。
『僕たちと一緒に行こう、アース』
スポットライトが向けられた感覚を味わい、アースは心臓が止まりそうになる。助けなど来ない、と思っていただけに、嬉しい気持ちが溢れ出した。
しかし、本当に本当なのだろうか。戸惑いを隠し切れず、刷りこまれた言葉が無意識に零れ出た。
「(僕は、『いらない子』だから……)」
『そんなことないッ!』
頭の中に力強い声が響き渡る。少年達は互いに手を繋ぎ、もう片方の手を胸で握りしめた。
『僕たちのパパとママは、元々居場所がない人だったんだ。きみと同じ苦しみを味わった人は何人もいて、僕たちはその『過去』をたくさん見てきた。だから、つらい気持ちはよく分かってるつもりだよ。この世界で『いらない人』なんていない。[家族]も絶対に、きみを見捨てたりしないよ』
「(本当に?)」
『本当だよ。僕たち[家族]が、きみの居場所になってみせる!』
アースは辛い日々を振り返る。毎日続く体罰と、増えてゆく体の痣。しつけは日を追う毎に厳しくなり、父からは『お前はいらない子だ』と繰り返し言われ続けた。
だが、自分を気にかけ、救いの手を差し延べてくれる人がいる。[家族]からの無償の『愛』は『希望』となり、傷ついた心に深く染み渡った。
「(お願い。僕を……僕を、[家族]にして!)」
アースが叫んだ瞬間、舞台上に光が戻った。
ノレインの周囲には色とりどりの花々と、おびただしい量の毛が散乱している。遠のいていた聴覚も次第に戻り、観客の大歓声が四方八方飛び交っていた。しかしアースの目には、笑顔で自分を見つめる双子の少年だけが映っていた。
『さて、そろそろ終わりの時間だね。お客さんがいなくなるまで待ってて。必ず迎えに行くから』
彼らは無邪気に微笑み、静かに後退する。そして舞台奥の幕を捲り、ひっそりと姿を消した。
「皆さん、これで本当にお開きです! 機会があればまた、どこかでお会いしましょうッ!」
ノレインはシルクハットを取り、優雅にお辞儀する。観客の誰もが立ち上がり、拍手の音は地面を揺るがしていた。舞台上から人が消えても鳴り止まない。
しばらくすると、拍手の音がようやく止んだ。それと同時に、観客は一斉に出口へと動き出した。
アースは慌ててテントの端に引っこむ。流れ行く人混みを眺めながら、この信じられない出来事をぼんやりと思い返した。
シンセサイザーのようなオウム。二足歩行するライオン。人間離れした技。過去を見る少年。心に語りかける少年。そして、愛と希望を運ぶサーカス。居場所のない人々を『癒して救う』、という言葉は本当だったのだ。
気がつくと観客の姿はなく、熱気に満ちていたはずの空気はすっかり冷めきっていた。アースは舞台から少し離れた席に座る。物音はない。緊張感は次第に高まり、本当に[家族]が迎えに来てくれるのか、と不安を募らせた。
「ぬおお、君がアースかッ!」
突然、朗々とした低い声が響き渡った。目線を舞台に移すと、髪の薄い男性がこちらを見て涙を流している。彼は全速力で駆け寄り、アースを抱きしめた。
「うおあああぁ会いたかったぞおおおぉ!」
「ちょっと、ルイン!」
オレンジ色の髪の女性が追いつく。男性は彼女の注意も聞かず泣き喚いており、アースは息苦しくなってきた。彼の背越しには兄妹だろうか、栗色の髪の少年と少女の姿が見えた。
「聞いてるの? いい加減離してやんなさいよ!」
髪の薄い男性は、女性に無理やり引き剥がされた。彼は勢い余って床に引っくり返る。兄らしき少年は腹を抱えて笑い出し、妹らしき少女は迷惑そうに兄を睨んだ。
その騒々しい様子はどこか見覚えがある。アースは彼らをまじまじと観察した。焦げ茶色の薄い癖っ毛と、特徴的な口髭の男性。くるくるとカールしたオレンジ色のポニーテールの女性。アースに向かってウインクする兄。赤面しながら俯く妹。同一人物のような二人の少年も、舞台から駆け降りてきた。
「あなたたちは、もしかして……」
「あぁ。その通りだ」
薄毛の男性は打撲した尻を摩りつつアースの目の前に立つ。そして大きく腕を広げ、笑顔で歓迎した。
「ようこそ! 我が[家族]、そして[オリヂナル]へ‼」
――
アースは[家族]に連れられ、テント脇に佇む銀色のキャンピングカーに乗る。入口の先にはダイニングテーブルと六つの椅子、小さなキッチンがあった。
車内左側には運転席と助手席、右側には二つの部屋へと続く廊下が見える。キャンピングカーというより、移動する『家』のようだ。とアースは思った。
「改めて自己紹介するぞ。私は[家族]の頼れるリーダー、ノレイン・バックランドだッ!」
[オリヂナル]団長ノレインは「ぬはははは」と笑う。白いワイシャツに黒地のネクタイという普通の格好だ。窓から入る日光が薄い頭に反射し、アースは思わず目を細めた。
そういえば、[家族]は皆煌びやかな衣装姿ではない。舞台の上では超人のように見えたが、私服姿の彼らは、どう見ても普通の『人間』だった。
「あたしはメイラ・バックランドよ。あら、椅子が一つ足りないわね。ちょっと待ってて」
壁に折り畳まれた座席を用意する、オレンジ色の髪の女性。舞台上ではツインテールだったが、今はポニーテールに丈の長いワンピース姿だ。
夫婦に引き続き、栗色の髪の少年も自己紹介を始める。
「俺はモレノ・ラガーだぜ! こいつは妹のミックだ」
モレノはアースの手を取り、腕を振って握手する。洒落た帽子と奇抜なTシャツ、破けたジーンズという派手な格好だが、不思議と近寄り難い雰囲気はない。
モレノの妹ミックは不機嫌そうに兄を睨むが、アースと目が合った瞬間恥ずかしげに顔を背けてしまう。質素なピンク色のワンピースに、綺麗な青いネックレス。彼女の姿は可憐なお嬢様そのもので、アースもまたくすぐったいように目を逸らした。
「そして僕、兄のデラと」
「弟のドリだよ! これからよろしくね♪」
明るい茶髪の双子もアースの両腕をそれぞれ取る。今気づいたが、彼らの癖っ毛は(毛量以外は)ノレインとそっくりだった。二人は夫婦の実息子なのだろう。
こちらの緊張が伝わったのか、ノレインは腰を下ろし、アースの頭を優しく撫でた。
「君もこれからは[家族]の一員だ。自由に振舞っていいんだぞ」
[家族]も皆笑顔で頷いている。温かい歓迎に嬉しくなったが、アースの表情はぴくりとも動かない。笑いたいのに、笑えないのだ。
「ノレインさん……」
「いや、『ルイン』でいい。何だ?」
アースは顔を上げる。[家族]と共に旅立つなら、『過去』の自分に別れを告げなければ。
「僕の話を、聞いてくれませんか?」
――――
僕は、ごく普通の家に生まれました。お父さんは小さな町の議員で、お母さんは家庭を支えていて。
二人とも、優しかった。お父さんが国会議員になるまでは。
お父さんは僕に厳しくなりました。お父さんは昔先生だったから、お仕事から帰ってきたら寝るまでずっと、学校が休みの時は一日中、勉強を教えてくれました。でも、難しくてついていけなかった。
ある時から、体を叩かれるようになりました。それでも、勉強は厳しくなるばかり。体からは、あざが消えなくなりました。お母さんに相談しても、『お父さんの言うことをちゃんと聞きなさい』って言われるだけ。
学校の友達には、本当のことを言えませんでした。友達にぐちを言ってることがばれたら、また叩かれるから。だから、ひとりで悩むしかなかった。
朝、鏡を見ると、『表情』が抜けているのに気づきました。笑った顔、怒った顔、うれしい顔……どれも全部できなくて、泣きたくなりました。
そんな生活が続いて、ついに食べ物をもらえなくなりました。このままだと死んでしまう。だから、僕は逃げ出した。
その後僕は、遠くまで歩きました。もしかしたら、誰かが助けてくれるかもって思ったこともありました。でも、分かったんです。助けなんか来ないって。
横になりたくて公園に行った時、ショックを受けました。そこには僕のようにぼろぼろになった人がたくさんいて、通りかかった『普通』の人は、僕たちのことが見えてなかったんです。
もう、誰も助けてくれない。だから、命を絶とうと思いました。
ちょうど公園の向こうに川があったから、何の迷いもなく飛びこみました。僕は水泳が好きだったから、どうせなら水中で死にたかった。
底まで潜って残りの空気を出して、おもいっきり鼻で吸って。すぐ意識がなくなると思ったけど、息苦しくならなかった。悩んでいるうちに、なぜか『水中で息が出来る』ことに気づきました。
どうしたらいいか分からなくて、そのまま泳いでみました。息継ぎもしてないはずなのに、それでも、僕は生きている……
頭の中は分からないことだらけでした。とりあえず川から上がると、赤と黄色のテントが見えました。僕はサーカスを見たことがなかったから、思わずテントの中に入りました。
言うまでもなく、それは[オリヂナル]で。僕は、そこで愛と希望を見つけました。
(ログインが必要です)