拝啓 愛する貴方へ

文字数 2,782文字

拝啓 愛する貴方へ

 台風の神人たるあなたが、レイテ湾沖で化身となってから早2年が過ぎますね。
 あの頃、戦況の悪化に大いに苦しんでいた我々にとって、あなたが命を賭して作ってくれた文字通りの神風は、どんなものにも代え難い祝福でした。
 突然発生した特大の台風に成すすべもなく沈んでいった敵艦隊を、僕は大粒の涙を流しながら笑って見ていました。本当の神々しさとはああいったもののことを言うのでしょう。悲しくはありましたが、不思議と寂しくはありませんでした。
 あなたは戦死したのではなく、風の一部になったのだと信じていたのかもしれません。あるいは、そのまま本土まで逃げ延びたのではないかと、心のどこかで都合良く考えていたのかもしれません。
 いずれにせよ、僕はすぐにあなたに続いて化身となって散るつもりでした。それがまさか、大本営が神人の有用性に気付いたことにより、二年も遅れてしまうだなんて。あなたが戦況にもたらした一撃は、それ程画期的かつ重大だったのです。
 それでも、この二年間で神人学校で勉学を共にした仲間は、僕を除くほぼ全員が化身となって、太平洋に消えました。なんとあの、体重を数倍に増すだけの富山京太まで引っ張り出される始末でした。あいつは自分が選ばれたことにいたく感激しており、実際によく働きました。連中も艦隊の真上から直角に落ちてくる戦闘機を、防ぐことはできなかったようです。
 しかし、彼の命を賭した攻撃も、米びつの中の米粒ひとつを叩いたに過ぎません。戦況は再び悪化しており、この戦争の勝敗がどちらに転ぶのか、臣民の誰もが感づいている様子です。

 さて、僕がこの手紙を書いているのは、ついに直接あなたに手紙を届ける機会に恵まれたからに他なりません。
 今僕は、帝都の1万メートル上空でこれを書いています。この超高高度を飛んでいる理由は、残念ながら我が国の兵器開発が更なる高みに登ったからではなく、半年前に不時着していたB29を鹵獲し、その修繕作業に成功したからです。

 現在、風は強く、外の景色は雲で見えません。
 しかし、僕にはあなたが我々を守ってくれているように思えてなりません。目的地はもう目の前です。横浜から飛んだ時点で、帝都の方面が燃えているのが空の赤さで分かりました。
 今はただ、はやる気持ちと悔しさで身が震えています。
 この悔しさは、今すぐあの空の下へと駆けつけられないもどかしさもありますが、実のところ、あなただけに告白すると、僕達神人学校の生徒が誇りとしていた能力を、連中に盗まれたという事実に対する、身の内から湧き出る憤怒によるものなのです。

 人が超常的な何かに変わる現象を、いつまでも連中が黙って見ているはずもないことは分かっていました。今、こうして僕をあの空の下へ運んでいるB29だって、連中から奪い取ったものであるように、最盛期には何百人も居た神人達の中に、数名あるいは数十名の者が捕虜として今も生きているかもしれないことは想像がつきます。
 
 ですが、きっとあなたも、あのおぞましい神人の姿を見れば。
 いや、人でないものに能力だけを与えたあれを、連中は神獣と呼んでいるのですが。文字通り獣のような姿をしたあの姿を見れば、僕と同じように怒りを覚えてくれることでしょう。

 僕があいつを、神獣を初めてこの目で見たのは一年前。
 フィリピンから本土に帰る帰還船の中でした。輸送タンカーと、民間人も乗った貨物船を含めて五隻の船を守るため、駆逐艦が二隻護衛にあたってくれていました。
 夜間の穏やかな海でした。
 もう本土は目の前。久しぶりの帰国を楽しみにしていた人々が、敵の影もない穏やかな海の上に突然投げ出されたのです。
 大半の人間は訳も分からないまま亡くなったことでしょう。わずか数分間もしない間に船は全て沈み、僕はやっとの思いで目の前の木片にしがみついて一命をとりとめました。タンカーから流れ出た石油に火がつき、夜の闇に浮き上がった敵の姿は、まさしく異形の化け物でした。
 神人学校であらゆる超常を目の当たりにしてきた僕ですら、目の前に見える光景には目を疑いました。そいつは蛸や烏賊のような不気味な手指を持ち、顔は黒い山羊のようにぬらぬらと光っていました。
 何よりも僕が驚いたのはその大きさです。タンカーを軽々と片腕で持ち上げていることから、神人としての力格はあなたと同じハ級かそれ以上であることは間違いありません。しかしそこに神々しさなど欠片もなく、敵味方の区別すらついていないだろう理不尽な殺戮者の姿がありました。

 僕はそこでついに、化身となりました。
 今思えば敵軍が戦況を監視しているのは当然のことだったでしょうが、なりふり構ってはいられません。たとえ僕の能力が連中に知られようとも、目の前の数百人の命を助けることが優先されると考えました。なにより、止める人は周りにはいませんでした。

 『大いに役立つ可能性はあれど、特殊状況下以外での使用を禁ずる』
 力格は最上のイ級と判定を受けながらも、この日まで発揮されなかった僕の能力は、神獣相手に大いに役立ちました。ついさっきまで理不尽な殺戮者だった、神獣の表情が、明らかに僕を見て怯えていることにも気づきました。木片にしがみついていた僕の視界は、全てを俯瞰する神の視界になっていました。

 犬ころのようなサイズになった神獣の首根っこを掴み、僕は力一杯空に向かって放り投げました。数分のち、小さな波が遠く西の海からこちらに届きました。あの高度から叩きつけられれば、間違いなく生きてはいないでしょう。

 僕は、比較的形をとどめている輸送船を海中から拾い上げ、生存者を細心の注意を払ってそこに載せました。出来るだけ、遺体となった同胞も一緒に。
 肩にも頭にも彼らを載せ、両手に輸送船を持ってゆっくりと東京湾へと着岸しました。のちに上官より、「全身をずぶ濡れにした彼らは、朝日の後光を受けるお前の姿をいつまでも拝んでいたのだぞ」と聞かされました。

 さあ、いよいよこの手紙をあなたに届ける時間が目前に迫った様子です。
 まだまだ話したいことは山積していますが、続きはそちらで話したいと思います。

 敵は三、いや四体でしょうか。ああ、我々の護衛をしてくれた零戦が今一機落ちた。
 三体は例のタコ足の獣によく似ており、中に一際大きいのが一体。下手をすれば僕より大きいかもしれません。まるで真っ黒なトカゲのような姿。背びれに巨大な尾っぽ。
 元は何の生物か知らないが、なんと残酷な姿か。
 奴も好きで化身となったわけでもあるまい。
 
 では、いってまいります。

 昭和四十五年四月十五日

 元イ級神人 神原 清十郎 手記「神人回顧録」より
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