第10話

文字数 5,360文字

第八節 プエブロ先住民の蜂起
プエブロ先住民の村落は、アメリカ中西部ニューメキシコ州と西隣のアリゾナ州にかけて、大河リオ・グランデ沿いに十九村ある。一五二○年にメキシコからこの地域に最初に足を踏み入れたスペイン人がやって来るまでは、現在のニューメキシコ州だけでも百を越える村落があったという。
プエブロは、スペイン語で「村落」という意味だ。リオ・グランデは「大河」の意味だが、北のコロラド州に源を発し、ニューメキシコ州を貫流してアメリカとメキシコの国境を越え、メキシコ湾に注いでいる。
 リオ・グランデの流域には、有史以前から先住民が暮らしていた。彼らは大河の豊富な水を利用し、周辺の移動部族とは異なり、定住して農耕を営んだ。家屋は熱波の砂漠地帯でも、夏は涼しく冬暖かい煉瓦造りで、赤褐色ないしは桃色をしており、アドビーと呼ばれる。
プエブロ先住民の祖先は「アナサジ」と呼ばれた。現在ユタ州とアリゾナ州にまたがって暮らす先住民ナバホの言葉で「古代の人々」という意味だ。
ユタ、アリゾナ、それにニューメキシコ、コロラドの四州が境を接するフォー・コーナーズはアナサジの居住区域の中心だった所で、伝統儀式の場である「キバ」の跡が集中して発見されている。
 キバは先住民ホピの言葉で「部屋」という意味で、村落単位にひとつ、あるいは複数あった。地下に設けられ、地上から梯子で降りる構造である。儀式は男性の担当で、女性はキバに入ることはない。
 スペインは、アナサジの伝統を引き継いだプエブロ先住民の村にカトリック使節団を送り込み、布教を行った。
先住民らは一応彼らの布教活動を受け入れはしたものの、伝統的な儀式を捨てようとはしなかった。スペインの使節はキバの使用を制限しようとしたが、徹底しなかったのである。
中でも先住民サント・ドミンゴは、スペインの布教攻勢に立ち向かった。村でのカトリック文献の配布を拒否し、説教も受け入れなかった。キリストは「白人のための神」かも知れないが、サント・ドミンゴをはじめプエブロ先住民にとっては、自然の恵みを与えたまう創造主が既に存在したのだ。
 プエブロ先住民は、一五三○年代から本格的にスペイン勢力と遭遇することとなった。それから百年の間に、カトリック教団の出先が村々に設けられ、スペインによる支配が進んでいった。先住民はキバを密かに守りながら、侵略者と対峙する。
*異文化が溶け合う町サンタフェ
ニューメキシコ州中部の町、アルバカーキから州都サンタフェに向かって北東に一本の道が伸びる。青緑色のターコイス(トルコ石)を産するターコイス・トレイルだ。
 太陽が西の空に傾く頃、砦のようにそそり立つメサ(テーブル状の台地)が夕陽に赤く染まっている。フリーウェイには行き交う車もない。周囲にはサボテン類の植物群が赤褐色の砂漠にしっかりと根を張っている。まるで異星にでも迷い込んだような錯覚にとらわれる。
 太陽はその年の最後の輝きを放ち、地平線に沈んだ。ハイウェイの彼方に、徐々に光が見え始めた。サンタフェの町が近い。街道沿いのレストランから、音楽や人のざわめきが流れて来る。
 サンタフェの町に入った。スペイン統治時代のカトリック聖堂の直ぐ前が中央広場になっており、先住民プエブロの文化がスペインとアングロ・サクソンの文化と溶け合った南西部独特の雰囲気を醸し出している。中央広場にはターコイス・トレイルと同じく、サンタフェに通じている古(いにしえ)の街道サンタフェ・トレイルの起点を示す記念碑があった。
周りには置き灯篭がともり、新年を迎える雰囲気が漂う。広場沿いに軒を連ねる店は閉店しているが、ショーウィンドウには照明が入り、クラフト製品が並ぶ。赤褐色の本体に、白抜きに黒鳥のイメージを描いた大壷。青い大粒のトルコ石を銀細工にちりばめたネックレス。部族アーティストが作った太鼓。
 太鼓と言えば、翌日新年早々、先住民サント・ドミンゴの村落で、コーン・ダンスが行われるという。
コーン・ダンスはとうもろこしの豊作を創造主に感謝する踊りである。
 一九九四年秋、コネチカットの州都ハートフォードにある体育館で開かれた北米先住民のパウワウ(地域住民と先住民の交流集会)で、コーン・ダンスを見たことがあった。
参加した各部族の出身地を見れば、サスケチャワンやオンタリオなどカナダの州、アメリカ国内のノースダコタ、ニューヨーク、カリフォルニアと様々で、館内は異様な熱気に包まれていた。カラフルな色彩の羽飾りで頭や胴体を覆い、腹の底を突き抜けるような太鼓のリズムに合わせて踊りまくる先住民が醸し出す熱気である。
 その時はグリーンコーン・ダンスという、最初の若いとうもろこしが収穫される時期に合わせて行われるダンスであった。
 とうもろこしはスクワッシュ(ウリ)、それに豆と並んで、「三姉妹」と呼ばれる。先住民とは切り離すことが出来ない三つの代表的な作物のひとつだ。
 とうもろこしの最も古い野生種の化石は、メキシコシティの地層から発見された。八万年前のものと推定されている。しかし、人間が栽培を始めたのは意外と新しく、四千七百年から四千五百年前という。
 先住民の食糧として揺るぎのない地位を得たとうもろこしは、ずっと後になって先住民の聖地にやって来た白人移民の救世主ともなった。白人の中には先住民の手ほどきで栽培法を学ぶ者もいたが、見知らぬ土地での生存に欠かせないとうもろこしを先住民から略奪したり、抗争の結果焼き払ったりしたケースもあった。
 「とうもろこしは先住民にとって、神的な起源を持つ。それは大地を創造した神々から、見返りを求めない純粋贈与された食糧だから」
 先住民伝説の中の言葉である。
*サント・ドミンゴ豊作感謝のダンス
明けて元日。コーン・ダンスを見ようと、サント・ドミンゴの村落を訪ねた。すると、部族の男性が車を制止した。「これから村で葬儀があるんだ。ダンスを見に来たのなら、後二時間してからおいで」
 正月早々葬式か、と思ったが、三箇日を新年の特別の日として祝う日本の感覚でモノを言っても始まらない。
 サント・ドミンゴの村落から車で約二十分のところに、先住民コシチの村があった。村の入り口に大きな看板が立っている。
(村落の中では、カメラによる撮影、ビデオの録画、録音は禁じられています。村は生活の場であり、村内に立ち入る際にはその点を忘れずに行動して下さい)
 村落の広場に車を止め、歩く。白人の観光客らしいグループが居た。葬儀で待ちぼうけを食わされて、同じようにコシチの村にやって来たらしい。
広場の正面に、屋根に十字架が立つ教会のような建物があった。建物は塀に囲まれ、敷地の両側には白い十字架が地面にいくつも埋められている。土に還ったコシチが眠っているのであろう。
辺りの家屋はバラック状で貧しさが露(あらわ)であったが、各戸の外に置かれてある生活用具類はきちんとしまわれている感があった。
観光客と同じ方向に歩いていたら、一軒の家屋の戸が突然開き、中年男性が大きな声で叫んだ。言葉がわからず、一同困惑していると、戸が乱暴に閉められて、男性は中に引っ込んでしまった。「見世物じゃないぞ。とっとと帰れ!」と、言ったのかも知れない。われわれの前を少年と少女が通りかかったが、われわれに一瞥(いちべつ)を投げようともしなかった。
 二時間が過ぎて、サント・ドミンゴの村に入る。家々から人の気配がし、生活臭が漂ってくる。祭典の広場までは直ぐだった。
「アーアーヤー、ドンドコドン、アーアーアー、デュンデュンデュン」
 太鼓に合わせて、歌声が元日の澄み切った空の下に響き渡る。
「ダンダンダン、ダンダン」
 数十人のサント・ドミンゴが、部族衣装を身にまとい、踊っている。男性のダンサーは、太陽が輝く空を象徴する青いバンダナを頭に巻き、バンダナからは鷲の羽根が垂れている。雨を呼ぶ雲のシンボルだという。とうもろこしの成長を促すための雨乞いと豊作を祈願するのだ。足にはモカシン(鹿皮)の靴を履き、大地を跳ねる。腕を見ると、バンドに樅(もみ)の木のような常緑樹の小枝がはさんである。腰には跳ね回る度に鳴る小さな楽器と装飾品をぶら下げ、背中にはアライグマの毛皮が垂れ下がっている。
 女性は黒と青のコントラストが鮮やかな衣装を身に付け、女性が二人ずつひとりの男性とトリオを組んで踊る。囃し方のリズムに合わせて、踊りの輪が広場一杯に広がっていく。
「ダンダンダン、アーアーヤーヤー」
 ひとりの観光客が他の観客に紛れて写真を撮った。目撃したサント・ドミンゴがすかさず叫んだ。
「写真は禁止と言っただろう!」
 カメラが取り上げられ、フィルムが没収された。その観光客はバツが悪そうに、後ろに引っ込んでしまった。
 サント・ドミンゴは古くからターコイス(トルコ石)の採掘に取り組み、ネックレスなどを作って、他部族との交易品としてきた。スペインは銀や銅、それに錫などをサント・ドミンゴにもたらした。器用な彼らは、目新しい金属を青いターコイスと組み合わせて、独特の宝飾品を作り上げた。
 陶器も彼らの得意分野だ。昔サンタフェの政庁があった広場では、村から出張して露店を開くサント・ドミンゴの姿がある。全米各地の都市では、彼らのクラフト作品を展示・即売する専門ショップが生まれている。
*「走る先住民」蜂起す!
一六八○年の晩春、最北のプエブロに暮らす先住民タオスのもとに、各プエブロの代表が密かに集まった。南西部に居座る侵略者スペインの支配を覆す策を練るためであった。
 伝令がモカシン(鹿皮)に絵文字で記され、走者に渡された。当時七十余りあった村落に向けて、駅伝走が開始された。蜂起の日はとうもろこしが熟す八月の新月の夜。伝令は約四百キロも離れたホピの村にも届けられた。ある走者がスペイン兵士に捕らえられ、処刑された。決起計画の一部が漏洩する。蜂起の日が変更された。再び伝令が走る。各プエブロには、蜂起の日までの日数を示す結び目があり、その結び目が毎日ひとつずつ解かれていった。結び目によるカウントダウンである。今度は蜂起の日が訪れた。一斉決起により、カトリック教会が襲撃され、二十人余りの聖職者が殺害された。火が放たれ、教会の文献が焼かれた。スペイン人ら三百八十人に上る犠牲者が出た。スペイン側の拠点があったサンタフェプラザは壊滅し、その跡地に新しいキバが築かれる。キバの建設はスペインに対する先住民の完全な勝利を意味する象徴的な出来事であった。
*タオス・プエブロにて
先住民タオスの村に向かった。村落に近づくにつれて次第に標高が増していく。リオ・グランデに沿い、道は曲がりくねって続いて行く。この辺の川幅は狭く、急流で水面が泡立っている感じだが、綺麗な群青色をしているのが印象的だった。周囲に連山が聳えた谷合に村落が見え始めていた。車の数が増えている。タオス・プエブロ内の歴史的建造物が一九九二年、世界文化遺産に登録されてから、観光客が格段に増加した。
世界遺産は、赤褐色のアドビー煉瓦で造られた階層建築で、一○○○年頃から一四五○年頃の間に建設されたという。これまで千年以上も住居として使用され、一階沿いでは工芸品が販売されている。
連山が見渡せる場所に立つと、山際に白雲がかかっていた。山奥にはブルー・レイクという聖なる湖がある。水晶のように澄み切った豊富な水を蓄えており、タオス住民の飲料水や灌漑用水に使われているそうだ。
露店で販売されている壺などの陶器類は、雲母が多量に含まれている粘土で製作され、初めは生活用具だったが、創意工夫が重ねられて、次第に芸術的な工芸品を生み出すようになったと、先住民アーティストは話していた。
 露店で先住民を相手に、女性観光客が値切ってもらおうと挑んでいた。
「このリングすてきだわ。おいくらなの?」
「四十ドルだ」
「もう少しまけてよ」
「もうひとつ買ってくれたら、ふたつで七十ドルってのは、どうだい?」
「高すぎるわ。あきらめたーっと」
「よし、そのリングひとつで三十ドルだ」
「もう一声!」
 羽飾りのついたテンガロンのつばに手をやって、先住民は少し考え込むようなポーズ。
「ええい、二十五ドルにする。これで最後だ」
「OK! 頂戴」
先住民は根負けしたように首を振りながら、女性にリングを手渡した。
アメリカがテキサスを併合した一八四五年以降から四八年にかけてメキシコ戦争が起こる。その結果カリフォルニアに加えて、ニューメキシコとアリゾナがアメリカの版図に組み込まれた。メキシコとスペインは追放され、プエブロはアメリカの支配下に入る。
スペインの影響を跳ね除けたプエブロでは、その後も伝統文化が維持され、今日に至る。プエブロは主権を持つ自治国家として認められ、州は先住民の土地に対して法的な権力は持っていない。
合衆国の先住民の殆どは、ヨーロッパの白人勢力の流入により先祖伝来の地を追われ、失ったが、プエブロ先住民は先祖の地に住み続けている数少ない存在である。土地と切り離されなかったことから維持されている強靭な精神が、ヨーロッパの攻勢を跳ね除けた背景に潜んでいるのかも知れない。
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