08

文字数 896文字

 とにかく、そういう意味があることが分かった上で、俺自身はできるだけ「安積辰哉」で在ることを意識し、且つできる限りで神崎玲を観察してみることにした。しかし、これがまた簡単なことではない。
 今まで、どんな人でも出し抜いていくくらいでいかないと生きていけないような環境に身を置いていたことも大きく、その面では辰哉の生活は本当に拍子抜けしてしまう。だが、その分今まで意識もしたことがなかった「仲間」、つまり友達の存在の扱いには慣れそうになかった。他人を馬鹿にしない、蔑みもしないことがこんなにも難しいとは。一日だけでこんなに気疲れするとは思っていなかった。
 そして、神崎玲の観察もそうだ。今日一日ずっと見ていて思ったことだが、彼女にはまるで隙がない。俺の前ではあんなに不気味で、強気で、とにかく人から好かれはしないような雰囲気を出しまくっていたというのに、他の人には全く、そんな素振りすら見せないのだ。ひたすら穏やかで、愛想が良くて、口調もあんな高圧的な要素は一切ない。しかしどちらが「本物」であるかは分かっているので、教室での彼女はまるで体内に別人格を飼っているかのような豹変ぶりだ。彼女が「殺してくれ」とわざわざ言ってくる程死にたい理由が、全く見えない。
 ただ単に死にたいと思っているだけでなく、わざわざ「殺して」と言う程にそうなりたいなら、そこにこじつけてさっさと殺してしまえばいい。そう思う一方で、それで単純に殺してしまっても何も分からないまま終わるだけだ、とも感じていた。こんなに好都合な条件が目の前に提示されているのに、どうしてこんなにもわけが分からなくなるんだ? 今まで何も考えずに実行してきた分、尚更考えてしまう。
 もしかして、これって本当に大変な試験になるんでは……?
 そう思うなり、急に頭が重くなるような感覚が襲ってきた。舐めてかかっていたことを今更ながら後悔する。片腕を両目の上に乗せると、目元に重みが来ると同時に部屋の照明が遮られた。時間がそこまでないことは分かっているが、もう今は何も考えたくなかった。
 ふぅ……と溜息を吐くと、そのまま自室の空気に溶け込んで消えていった。
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