第1話
文字数 1,871文字
穏やかな日差し、というのは、大げさな言い回しだ。
午後三時半の真冬の日差しは、それよりも明らかに弱く、フラフラとやっとの思いで辿り着いた、といった方が適切だ。
僕は教室の窓ガラスに寄り掛かり、その貴重な温もりを背中で受け止めていた。
掃除も終わり、教室の風景は放課後へと切り替わっていく。
足早に帰宅する者、部活の準備をする者。補修でもあるのか、教科書とノートを取り出して席を立つ者。はたまた下校する気もないのか、小説を読んでいる者。机を集めて何やらお喋りに花を咲かせている者……。高校二年ともなれば、学校生活にも十分に慣れ、それぞれが、それぞれの放課後を思い思いに過ごすようになるものだ。
僕はというと、駅へと向かうバスの時間を調整するため、だいたい毎日、この放課後のトワイライトな瞬間を窓辺で過ごしている。
時間にすれば、せいぜい十分程度なので、何をするわけでもなく、ぼんやりと教室を見渡しながら、スマホでSNSのチェックをするくらいだ。
「また、こんなとこで光合成ですか? 相変わらず、やる気がないね」
スマホに意識を取られていて気付かなかったが、目の前に川上由紀子が立っていた。
彼女とは一年のときからクラスが一緒で、どういうわけか、席替えをする度に席が隣同士になった。さらに、不思議な事に、並び順なのか偶然なのか良く分らないが、移動教室の際も隣になることが多かった。そのためか、よく話すようになり、自然と仲も良くなっていった。いや、本当の所は、どう言えば正確なのか、少し難しいところだが、仲が良いとは違うのかもしれない……。
「立ってるだけで、やる気がないって? それはさすがに酷いね」
僕はスマホから顔を上げた。
「しょうがないじゃん、だって、そう見えるんだもん。相田君の日ごろのやる気の無さが、立ち居振る舞いにも現れてるんじゃない?」
そう言うと、彼女はケラケラと笑いながら、僕の隣に並び、背中を窓ガラスに預けた。
彼女の小さな右肩が、僕の左腕に当たる。
「ねえ、聞いたよ! 日曜のこと」
秘密の話だとでも言うのか、少し小声になった。
「日帰りで横須賀に行ったんだって?」
驚いた! 耳が早い! さては井坂の奴だな!
「どうして急に海軍カレーなの?」
「いや……、理由は……」
声にならない声で呟くと、僕は彼女の横顔を見た。
美しい黒髪が、フラフラな真冬の光線に輝いている。
「教えない、秘密」
何が悔しいのか自分でも良く分からず、僕は子供みたいなことを言っていた。
「そっか、秘密か……、私にも言えないのか……」
彼女は一度寂しそうに俯くと、今度は急に顔を上げ、僕の顔を覗き込んできた。
「じゃあさ、明日、私も連れてってよ」
「はっ? どこに?」
「海軍カレー」
「えっ? 明日? なんで?」
「食べたいから」
「学校は? 明日は木曜だよ」
「いいじゃん、休めば」
「マジで?」
「マジで」
そう言うと、彼女はスマホを取り出し、何かを調べ始めた。
「そっか、品川から行けるんだね……、日帰りだと……、ずいぶん早いのになるね」
呆気に取られる僕をよそ目に、彼女は楽しそうにダイヤを調べている。
止めてくれ! その笑顔! どうしていつも……、キミは……、ずるいよ。
「いやいや、無理だよ! 電車賃高いんだぜ! 日曜ので今月のバイト代使い果たしちゃったから、もう金ないよ。無理、マジで無理だから!」
僕はなんだかんだ弁解するように、もしくは言い訳をするように、いや、本当にお金がないと装うような演技で……。
すると、彼女は。スマホから顔を上げて、また少し寂しそうな顔をすると、
「そっか、残念」とだけ言った。
僕らは並んで、背中に光合成の光を浴びている。
柔らかな温もりが、僕の胸を切り裂いていく。
僕らは並んで、教室の入り口を見つめている。
放課後のトワイライトな瞬間が、いつまでも続けと願いながら……。
もうすぐ、あの入り口から井坂の奴が現れるだろう。
僕の親友としての井坂ではなく、彼女の……、川上由紀子の彼氏としての井坂が……。
ねえ、川上由紀子、僕らはただの仲良しだよね?
ねえ、川上由紀子、キミには素敵な彼氏がいるんだよね?
ねえ、川上由紀子、僕の殺したはずの心がゾンビのように生き返るよ。
ねえ、今日もまた、帰りのバスで初恋ゾンビにヘッドショットを叩き込むよ。
ねえ、川上由紀子……、それでも……、それでも……、どうしても……。
午後三時半の真冬の日差しは、それよりも明らかに弱く、フラフラとやっとの思いで辿り着いた、といった方が適切だ。
僕は教室の窓ガラスに寄り掛かり、その貴重な温もりを背中で受け止めていた。
掃除も終わり、教室の風景は放課後へと切り替わっていく。
足早に帰宅する者、部活の準備をする者。補修でもあるのか、教科書とノートを取り出して席を立つ者。はたまた下校する気もないのか、小説を読んでいる者。机を集めて何やらお喋りに花を咲かせている者……。高校二年ともなれば、学校生活にも十分に慣れ、それぞれが、それぞれの放課後を思い思いに過ごすようになるものだ。
僕はというと、駅へと向かうバスの時間を調整するため、だいたい毎日、この放課後のトワイライトな瞬間を窓辺で過ごしている。
時間にすれば、せいぜい十分程度なので、何をするわけでもなく、ぼんやりと教室を見渡しながら、スマホでSNSのチェックをするくらいだ。
「また、こんなとこで光合成ですか? 相変わらず、やる気がないね」
スマホに意識を取られていて気付かなかったが、目の前に川上由紀子が立っていた。
彼女とは一年のときからクラスが一緒で、どういうわけか、席替えをする度に席が隣同士になった。さらに、不思議な事に、並び順なのか偶然なのか良く分らないが、移動教室の際も隣になることが多かった。そのためか、よく話すようになり、自然と仲も良くなっていった。いや、本当の所は、どう言えば正確なのか、少し難しいところだが、仲が良いとは違うのかもしれない……。
「立ってるだけで、やる気がないって? それはさすがに酷いね」
僕はスマホから顔を上げた。
「しょうがないじゃん、だって、そう見えるんだもん。相田君の日ごろのやる気の無さが、立ち居振る舞いにも現れてるんじゃない?」
そう言うと、彼女はケラケラと笑いながら、僕の隣に並び、背中を窓ガラスに預けた。
彼女の小さな右肩が、僕の左腕に当たる。
「ねえ、聞いたよ! 日曜のこと」
秘密の話だとでも言うのか、少し小声になった。
「日帰りで横須賀に行ったんだって?」
驚いた! 耳が早い! さては井坂の奴だな!
「どうして急に海軍カレーなの?」
「いや……、理由は……」
声にならない声で呟くと、僕は彼女の横顔を見た。
美しい黒髪が、フラフラな真冬の光線に輝いている。
「教えない、秘密」
何が悔しいのか自分でも良く分からず、僕は子供みたいなことを言っていた。
「そっか、秘密か……、私にも言えないのか……」
彼女は一度寂しそうに俯くと、今度は急に顔を上げ、僕の顔を覗き込んできた。
「じゃあさ、明日、私も連れてってよ」
「はっ? どこに?」
「海軍カレー」
「えっ? 明日? なんで?」
「食べたいから」
「学校は? 明日は木曜だよ」
「いいじゃん、休めば」
「マジで?」
「マジで」
そう言うと、彼女はスマホを取り出し、何かを調べ始めた。
「そっか、品川から行けるんだね……、日帰りだと……、ずいぶん早いのになるね」
呆気に取られる僕をよそ目に、彼女は楽しそうにダイヤを調べている。
止めてくれ! その笑顔! どうしていつも……、キミは……、ずるいよ。
「いやいや、無理だよ! 電車賃高いんだぜ! 日曜ので今月のバイト代使い果たしちゃったから、もう金ないよ。無理、マジで無理だから!」
僕はなんだかんだ弁解するように、もしくは言い訳をするように、いや、本当にお金がないと装うような演技で……。
すると、彼女は。スマホから顔を上げて、また少し寂しそうな顔をすると、
「そっか、残念」とだけ言った。
僕らは並んで、背中に光合成の光を浴びている。
柔らかな温もりが、僕の胸を切り裂いていく。
僕らは並んで、教室の入り口を見つめている。
放課後のトワイライトな瞬間が、いつまでも続けと願いながら……。
もうすぐ、あの入り口から井坂の奴が現れるだろう。
僕の親友としての井坂ではなく、彼女の……、川上由紀子の彼氏としての井坂が……。
ねえ、川上由紀子、僕らはただの仲良しだよね?
ねえ、川上由紀子、キミには素敵な彼氏がいるんだよね?
ねえ、川上由紀子、僕の殺したはずの心がゾンビのように生き返るよ。
ねえ、今日もまた、帰りのバスで初恋ゾンビにヘッドショットを叩き込むよ。
ねえ、川上由紀子……、それでも……、それでも……、どうしても……。