第12話 それは大塚愛作品なのか無名の新人作品なのか
文字数 2,557文字
今回もまた箸休め的な話にはなるが、どうしても「書かざるを得ない」と思ったことがあるのでお付き合い願いたい。
先日シンガーソングライターの大塚愛が小説現代に「開けちゃいけないんだよ」、と、言うホラー作品を寄稿すると芸能ニュースで報道されていた。
大塚愛の作品なら自分も読んでみたいと思ったのだが、否、ちょっと待てよ、と、天邪鬼な私は或る思いが脳裏を過ぎった。
これってシンガーソングライターとして有名な「大塚愛」が書いたホラー作品として掲載するのではなく、「大塚愛」をまったく連想出来ないペンネームで無名の新人の作品として掲載し、読者に高評価を得た上で実はこの無名の新人は「大塚愛」だった、と。
そう言う企画は小説現代では通らないのだろうかと閃いたのである。
そのインパクトたるや現在のシンガーソングライターの「大塚愛」がホラー作品を寄稿、の、数十倍、否、数百倍あると思うのだが読者諸兄は如何か。
ここ迄書いておいてその企画の採用の是非を自ら口にするのは憚られるところだが、敢えてその答えを言おう。
簡単な話である。
その答えは「否」だ。
何故ならそれでは何の販売促進にもならないからで、「大塚愛」の書いたものだから読もうと言う読者を取り込めないし、第一その「大塚愛」の書いたホラーが既存の読者の高評価を得られるかどうかは分からないからである。
無論既存の読者とは私も含む。
悲しいかな現在の出版業界は新しい才能を育てるよりも、今売れる即戦力を望んでいる。
それには昨今の紙としての書籍を襲う「コロナ禍」、「ペーパーレス」、「活字離れ」等様々な世の中の流れがある。
今の出版業界は追い込まれているのだ。
無論営利団体である出版社には、紙としての「本」を売らないといけない使命がある。
そしてその為には手段を選んでいられない。
だからこそ海のものとも山のものとも分からない、どこの馬の骨とも分からない新人を育てている余裕など版元たる出版社にはないのだ。
しかし良く良く考えれば、それ等の行動が自身の首を締めることに繋がっていく。
以前水嶋ヒロが「kagerou」と言う作品でポプラ小説大賞を受賞、そしてその賞金の2000万円を放棄したことがあったことを、読者諸兄は覚えているだろうか。
以後出来レースであったと批判されポプラ社はその文学賞を取り止めることになり、当の水嶋ヒロも批判に晒され散々な目にあった。
また一般には余り知られていないが、水嶋ヒ
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ロは本名の「斎藤智裕」として活動している。
斯く言う私は水嶋ヒロのことは好きではないが「斎藤智裕」のファンではある。
泣かず飛ばずではあるが水嶋ヒロの名前を捨て無名の「斎藤智裕」として、諦めずに演出や作家活動を通して頑張っているからである。
同様に大塚愛も何時の日か、無名のホラー作家「○○○○」として、ホラー作品を書いてくれないだろうか。
しかしそれだと作品の評価が総てになり、「斎藤智裕」のように泣かず飛ばずになってしまう可能性もある。
その「斎藤智裕」には絢香と言う稼いでくれる妻がいるが、大塚愛は離婚してシングルマザーとなった。
今彼女が頼れるものは自分だけなのだ。
私は何とかして大塚愛を応援したい。
しかし大塚愛のシンガーソングライターとしてのネームバリューを利用した、そんな不純な出版社の販売促進方法には同意出来ない。
そこで思い付いたのだが、小説現代の9月号は買おう。
買うのだが買って私の読者としての意見を葉書きで投稿することにした。
内容はこうだ。
「こんな週刊誌のような真似を文芸誌の御誌がするのはお止め戴きたい。
私は御誌とまた大塚愛のファンであります。
よって彼女大塚愛の原稿料と出版業界の窮状を鑑み今回御誌を購入しましたが、大塚愛のホラー作品だけは読むことを拒否させて戴いた。
何故なら私は御誌のファンであると共に大塚愛のファンでもあるからです。
今後彼女を一人のホラー作家として尊重し、ペンネームでの掲載をお願いしたい。
そのときは彼女の作品を読ませて戴く」
うん。これだ。
そうしよう。
読者諸兄も私に付き合って戴きたい。
と、そこ迄書いて漸く分かったのだ。
そんなことを考えて、そんなことをしているから、私は小説現代の新人賞に5回も落ちたのだと言うことを。
もう大昔のことで何を書いて何を投稿したのかさえ忘れてしまったが、5回、否、6回、兎に角数回落ちたことだけは確かだ。
しかもどれも見事に一次落ちしている。
読者諸兄はどうかこんな阿呆な試みに付き合うのはお止め戴きたい。
私の二の舞いになる。
それと今思い出したのであるが、そう言えば吉本興業所属の又吉直樹氏もまた、作家より先に芸人としてその名を馳せていた。
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何でも原稿料や印税の多くを吉本興業に持っていかれるらしい。
しかし例えば又吉直樹氏がまったく彼と分からないようにして、ペンネームで「○○○○」の作品として出版すればどうなるのだろうか。
私は又吉直樹氏の作品は読んだことがないし、これからも読む予定はない。
従って私には彼の作品がどういうものかを知りたいと言う気持ちはない。
しかし彼と分からないようペンネームで出版した場合でも、吉本興業が彼の収入の多くを持っていくのかは知ってみたいところだ。
もしペンネームでの出版の場合、吉本興業がその収入に対して感知しないのであれば、それは又吉直樹と言う名前で作品が売れているのであり、彼の描いた作品には価値がないと吉本興業が思っていると言うことに他ならない。
仮にそうであるならば、是非又吉直樹氏にはペンネームでの出版をお願いしたい。
他の人がどうあれその「○○○○」の書いた作品を、きっと私は買うだろう。
そんなことを言い出すと彼等有名人の書いた作品の出版や掲載の場合、彼等の芸名での出版や掲載が誤りなのか、それとも彼等とは分からないペンネームでの出版や掲載が誤りなのか、いったいどちらが誤りなのか真相は藪の中、と、言うことになる。
私ならその藪の中から彼等とは分からないペンネームでの作品を探し出すだろうが、読者諸兄は如何であろうか。
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先日シンガーソングライターの大塚愛が小説現代に「開けちゃいけないんだよ」、と、言うホラー作品を寄稿すると芸能ニュースで報道されていた。
大塚愛の作品なら自分も読んでみたいと思ったのだが、否、ちょっと待てよ、と、天邪鬼な私は或る思いが脳裏を過ぎった。
これってシンガーソングライターとして有名な「大塚愛」が書いたホラー作品として掲載するのではなく、「大塚愛」をまったく連想出来ないペンネームで無名の新人の作品として掲載し、読者に高評価を得た上で実はこの無名の新人は「大塚愛」だった、と。
そう言う企画は小説現代では通らないのだろうかと閃いたのである。
そのインパクトたるや現在のシンガーソングライターの「大塚愛」がホラー作品を寄稿、の、数十倍、否、数百倍あると思うのだが読者諸兄は如何か。
ここ迄書いておいてその企画の採用の是非を自ら口にするのは憚られるところだが、敢えてその答えを言おう。
簡単な話である。
その答えは「否」だ。
何故ならそれでは何の販売促進にもならないからで、「大塚愛」の書いたものだから読もうと言う読者を取り込めないし、第一その「大塚愛」の書いたホラーが既存の読者の高評価を得られるかどうかは分からないからである。
無論既存の読者とは私も含む。
悲しいかな現在の出版業界は新しい才能を育てるよりも、今売れる即戦力を望んでいる。
それには昨今の紙としての書籍を襲う「コロナ禍」、「ペーパーレス」、「活字離れ」等様々な世の中の流れがある。
今の出版業界は追い込まれているのだ。
無論営利団体である出版社には、紙としての「本」を売らないといけない使命がある。
そしてその為には手段を選んでいられない。
だからこそ海のものとも山のものとも分からない、どこの馬の骨とも分からない新人を育てている余裕など版元たる出版社にはないのだ。
しかし良く良く考えれば、それ等の行動が自身の首を締めることに繋がっていく。
以前水嶋ヒロが「kagerou」と言う作品でポプラ小説大賞を受賞、そしてその賞金の2000万円を放棄したことがあったことを、読者諸兄は覚えているだろうか。
以後出来レースであったと批判されポプラ社はその文学賞を取り止めることになり、当の水嶋ヒロも批判に晒され散々な目にあった。
また一般には余り知られていないが、水嶋ヒ
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ロは本名の「斎藤智裕」として活動している。
斯く言う私は水嶋ヒロのことは好きではないが「斎藤智裕」のファンではある。
泣かず飛ばずではあるが水嶋ヒロの名前を捨て無名の「斎藤智裕」として、諦めずに演出や作家活動を通して頑張っているからである。
同様に大塚愛も何時の日か、無名のホラー作家「○○○○」として、ホラー作品を書いてくれないだろうか。
しかしそれだと作品の評価が総てになり、「斎藤智裕」のように泣かず飛ばずになってしまう可能性もある。
その「斎藤智裕」には絢香と言う稼いでくれる妻がいるが、大塚愛は離婚してシングルマザーとなった。
今彼女が頼れるものは自分だけなのだ。
私は何とかして大塚愛を応援したい。
しかし大塚愛のシンガーソングライターとしてのネームバリューを利用した、そんな不純な出版社の販売促進方法には同意出来ない。
そこで思い付いたのだが、小説現代の9月号は買おう。
買うのだが買って私の読者としての意見を葉書きで投稿することにした。
内容はこうだ。
「こんな週刊誌のような真似を文芸誌の御誌がするのはお止め戴きたい。
私は御誌とまた大塚愛のファンであります。
よって彼女大塚愛の原稿料と出版業界の窮状を鑑み今回御誌を購入しましたが、大塚愛のホラー作品だけは読むことを拒否させて戴いた。
何故なら私は御誌のファンであると共に大塚愛のファンでもあるからです。
今後彼女を一人のホラー作家として尊重し、ペンネームでの掲載をお願いしたい。
そのときは彼女の作品を読ませて戴く」
うん。これだ。
そうしよう。
読者諸兄も私に付き合って戴きたい。
と、そこ迄書いて漸く分かったのだ。
そんなことを考えて、そんなことをしているから、私は小説現代の新人賞に5回も落ちたのだと言うことを。
もう大昔のことで何を書いて何を投稿したのかさえ忘れてしまったが、5回、否、6回、兎に角数回落ちたことだけは確かだ。
しかもどれも見事に一次落ちしている。
読者諸兄はどうかこんな阿呆な試みに付き合うのはお止め戴きたい。
私の二の舞いになる。
それと今思い出したのであるが、そう言えば吉本興業所属の又吉直樹氏もまた、作家より先に芸人としてその名を馳せていた。
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何でも原稿料や印税の多くを吉本興業に持っていかれるらしい。
しかし例えば又吉直樹氏がまったく彼と分からないようにして、ペンネームで「○○○○」の作品として出版すればどうなるのだろうか。
私は又吉直樹氏の作品は読んだことがないし、これからも読む予定はない。
従って私には彼の作品がどういうものかを知りたいと言う気持ちはない。
しかし彼と分からないようペンネームで出版した場合でも、吉本興業が彼の収入の多くを持っていくのかは知ってみたいところだ。
もしペンネームでの出版の場合、吉本興業がその収入に対して感知しないのであれば、それは又吉直樹と言う名前で作品が売れているのであり、彼の描いた作品には価値がないと吉本興業が思っていると言うことに他ならない。
仮にそうであるならば、是非又吉直樹氏にはペンネームでの出版をお願いしたい。
他の人がどうあれその「○○○○」の書いた作品を、きっと私は買うだろう。
そんなことを言い出すと彼等有名人の書いた作品の出版や掲載の場合、彼等の芸名での出版や掲載が誤りなのか、それとも彼等とは分からないペンネームでの出版や掲載が誤りなのか、いったいどちらが誤りなのか真相は藪の中、と、言うことになる。
私ならその藪の中から彼等とは分からないペンネームでの作品を探し出すだろうが、読者諸兄は如何であろうか。
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