頭狂ファナティックス

大室銀太VS須磨楓子②

エピソードの総文字数=2,875文字

 コンプレックスにはスペクトルがある。スペクトルとは元々は物理学で用いられる用語で、日本語に訳せば「連続帯」となる。コンプレックスの影響における距離や時間は変動する。それはその日の体調だったり、そのときの精神状態だったり、様々な要因が重なっている。コンプレックスの能力が変動する範囲をスペクトルと呼び、その変動は上昇、下降と表現される。今、楓子は戦闘による興奮状態のためにスペクトルが上昇しており、コンプレックスの能力の継続時間が伸びていた。
 銀太は自分が隠れている大木に楓子が近づいてきた瞬間、五体満足で飛び出すつもりだったが、身体の消滅現象は依然として続いていた。そしていよいよ楓子は銀太のいる大木を探るつもりで近づいていった。
 楓子が大木の陰をのぞき込んだ瞬間、左手に鋏を握り、銀太は飛び出した。しかし左足首を失っている状態では踏ん張りが利かず、楓子がカウンターを決めるのは容易だった。楓子の放った拳は銀太の喉に入った。態勢を崩した銀太はそのまま斜面を転がり落ちていった。
喉に拳が入ったわ! 大室くんはもう呼吸ができない。私の勝ちよ!
 紅月が楓子に近づいた。
それは楓子が決めることじゃねえな。銀太が負けを認めるところをきっちりと確認しないと。声が出せないだろうから、シンボルを解除した上で両腕を上げれば、負けを認めたことにする。
 楓子は斜面を下りた。しかしそこに銀太はいなかった。
まだかくれんぼを続けるつもり?
 楓子は呟いた。そのあとに声を張り上げた。
大室くん? 聞こえているんでしょ? あなたは今、呼吸ができない。今の私のスペクトルなら、能力は二百秒以上続くわ。訓練していない人間ならばそんなに長い時間、呼吸を止めることはできない。激しい運動をしたあとならなおさらだわ。負けを認めなさい。能力を解除してあげるから。さもなければ気絶するわよ。声を出せないだろうから、シンボルを解除して、両腕を上げて出てきなさい。それで負けを認めたことにするわ。
 斜面のふもとを楓子は歩き回ったが、不思議なことに銀太を見つけることができなかった。満足に歩けない上に、呼吸もできないとなれば、楓子を撒けるほど遠くにいけるはずもない。楓子は不可解に思いながらも、近くの木々の陰を一つひとつ確認していった。木に登っている可能性も考慮したが、右手と左足が使えない状態で木登りができるわけがなかった。
もはや意地を張っている場合じゃないわよ! 酸欠が続けば、脳に後遺症が残る可能性もあるのよ!
 楓子は焦りを感じ始めながら、大声を出した。そのとき足元に違和感を感じた。何か柔らかいものを踏んだのだ。その場所の落葉を掘り返すと、切断された右腕が出てきた。楓子は銀太が全身を分解したあと、落葉に潜って隠れているのだと悟った。そこまでして負けを認めない相手の執念に驚きながらも、楓子は銀太の右腕の脈を測った。正常な脈拍であり、まだ気を失ってはいないようだった。楓子は銀太の腕を持ったまま、落葉を掘り返しながら他の部位を探した。そのために余計に時間がかかった。そして三分ほどが経ったと思われたが、右腕以外の部位は発見できなかった。腕の脈をもう一回測ると、拍動が弱くなっていた。
ちょっと紅月! 彼、本当に気を失っているかもしれない! もう私の勝ちでいいわよね? あなたも一緒に探して!
 楓子は叫んだが、紅月は斜面の上から眺めているだけで、下りてくる気配もなかった。
 苛立ちから歩みが早くなり、楓子が動き回っていると、大木の陰から銀太の後頭部が覗いているのを見つけた。
彼、いたわ! 倒れている!
 楓子は大木に駆け寄った。そのふもとに来たと同時に、頭上の茂った黄色い葉の中から、鋏を握った左腕が落ちてくるのに気が付いたのはあまりにも遅かった。それが腕だと理解するよりも前に、左腕は自由落下の勢いを加えて鋏を振るった。
 楓子の首が刎ねた。
 楓子は自分の視界が一回転しながら地面に落ちるのを感じていた。そして頭部を失った自分の身体が佇立しているのを見た。大木の陰から銀太が起き上がった。両足はすでに落葉の中を潜行して、胴体に戻ってきていた。『茹でた隠元豆のある柔らかい構造(内乱の予感)』の能力はすでに解除されていた。銀太はゆっくりと両腕を回収して、元のところに接合してから、楓子の頭を自分の目線と同じ場所まで持ち上げた。楓子は相手の胸元を見た。そして相手の喉が不能になっているにも関わらず、気絶しなかった理由を理解した。銀太の胸元は大きく裂けて、切り開かれた肺が覗いていた。銀太は喉を通さず、直接肺から呼吸していた。
あなたのコンプレックス、『緑の家』と言ったっけ? そんな使い方もできるのね。
そうだ。僕も喉をやられたときは負けたと思ったよ。しかし気を失いそうになる寸前にこの方法を思いついた。負けを認めるか? 頭部のない身体じゃ、いくらきみの身体能力が高いとは言っても、僕にだって勝てないぜ。一瞬で身体を分解してやる。
私は認めないわ! この私が、あなたなんかに負けるはずがない!
頑迷な奴だな。負けを認めないというのなら、力ずくの手に出るしかないな。
できるならやってみなさいよ! 私は負けを認めないわ!
 銀太は楓子にさらに顔を近づけた。お互いの顔が髪の毛一本も入る余地のないほどに接近して、楓子は何よ、と強張った声色で呟いた。銀太は舌を出すと、楓子の右の眼球を舐め回し始めた。ぺちゃぺちゃという下品な水音があたりに響く。銀太は一心不乱に舌を這わせて、楓子は嫌悪の叫び声を上げる。
ああ、ああ! わかったわ! わかった! 私の負けでいいわ! だから目の玉を舐めるのはやめて!
 銀太は楓子が負けを認めてからもしばらく眼球を舐め回していたが、満足するとようやく顔を離した。
あなた、可愛い顔してとんでもないことを仕出かすわね! 前々から思っていたけど、本当に敵に回すのが嫌だわ……。紅月もよくこんなのとつるんでいるわね。あの子に変態が移らないか心配だわ……。
きみ、自分の頭部が切断されてるのわかってる? その口をつぐまないと、左目も舐めるよ?
やめて! わかったわ! もうあなたのことでとやかく言いはしないわ! ただ、一つだけ聞きたいことがあるの。勝負の途中で腕の脈拍が弱くなったけど、あれはどういうトリック?
手頃な大きさの石を腋に挟んで、血管を圧迫し続ければ、腕の脈拍は弱くなる。
なるほどね。そんなチープなトリックに騙されるなんて、私もまだまだ未熟ね。
 二人のところに紅月が近づいてきた。
勝負はついたか?
ええ、私の負けよ。早く頭と身体をくっつけてくれないかしら? この有様は居心地が悪いの。
 銀太は楓子の頭と身体を接合した。また自分の胸に開いた切り口を閉じた。
そういうことで、勝負は銀太の勝ちだな。敗者は勝者の言うことを何でも聞かなくてはならない。何か希望はあるか?
 紅月が聞くと、銀太はそうだな、と言ってあれこれ悩んだ。しばらく考え込んだあと、その要求を口にした。
そうだな。全裸で土下座してもらおうか。

TOP