第15話 モーツァルトの対話

文字数 809文字

 モーツァルトは、その曲の中で、楽器どうしの対話を楽しんでいる。バイオリンとビオラ、フルートとハープ。2台のピアノを対面させて奏でる協奏曲もある。
 交響曲にしても、ひとりひとりの音が、こう言っている。
「はい、どうぞ」「了解」
「おれ、こう思うんだが」「そう。わたしはこうだわ」
「そうか…」「じゃ、もうちょっと」

 音楽は、いい。自分の中で眠っていたリズムが、そのメロディーに呼び覚まされ、喜び、踊り出す。

 ぼくは、モーツァルトは、「わかる」気がする。
 しかし「わかる」という言葉はあやふやだ。自分が、一体何を「わかる」というのか。「その気持ち、わかる」などと誰かに言いたい時、自分はほんとうにわかっているのかと思う。それでいつも、「わかる気がする」と、「気」を付け加えて言う。

 だが、先日、ベートーベンがわかった気がした。それまで、あの音楽にはムリがある、人を盛り立てようとしてムリに作った不自然さがある、と感じていたけれど、ああ、そうか、こうなって~こうなるのか、と、その曲調がどうしてそうなるのか、「わかった」気がしたのだ。

 モーツァルトの曲は、その点で、もうわかっていた。そしてあの音楽は人間技ではないことも。音楽の神様が、モーツァルトという人間を介して、曲を書いたのだ── そう信じるぼくには、ベートーベンはあまりにも人間的過ぎた。

 けれど、人間はあっちの世界に行けるのだ。
 あっちの方からこっちに来なくても、こっちからあっちへ行けるのだ。そういうことも、わかった気がした。ベートーベンによって。

「モーツァルト、ベートーベン、素晴らしい音楽は、もう、いっぱいある。われわれはもう、創作する必要はないのではないか。すでにある素晴らしい音楽を、吟味することしかできないのではないか」
 ある音楽家は言った。
 それでも、その音楽家は音を創って、世に出している。正体不明の彼自身のために、それは出され、出され、出されて行く。
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