第59話 萌ちゃん。ゴリちゃん
エピソード文字数 5,850文字
そんな声を上げながら目を開ける。
視界から得られる情報は、薄暗い自分の部屋だった。
無意識にスマホのある方向に手を伸ばし、すぐに時刻を確認していた。
朝四時過ぎ。
こんな時間に目が覚めるとは……
いくら規則正しく生活してても、こういう時もある。
あまりにも早いので、もう一度寝てしまおうかと思ったが、妙に目が冴えてしまった俺は、ベッドからむくっと起き上がる。
そういえば小説でも書こうかな。早く更新せねば白竹さんも待っていると言うし……
ふらふらとパソコンの前まで来ると、窓のカーテンを捲る。まだ薄暗いじゃないか。
まてよ。どうせなら……
引っ越してから、筋トレやってねーし。身体が鈍っちまってる気がする。
この前の体力テストでも染谷くんや魔樹と互角だったのが、自分自身でも許せないし。
というわけで、小説はまた今度にしよう。
もう一度スマホの電源を入れると、入れ替わりサイクルのテキストを確認。
昨日は……午後四時十分に楓蓮に入れ替わった。
そんで、十時二十分にはベッドで寝たと記録されている。
つまり。楓蓮で過ごした時間は六時間十分。
ざっくり計算すると、あと五十分で最初のリミットが来る。
それプラス。寝るまでの意識のある時間だな。これを考慮しないといけない。
これを三十分と過程すれば、あと二十分ほどか。
リミットが来ても、最初の一時間は頭痛も殆ど気にならない。
ぶっちゃけ俺としては、最初の一時間は割とセーフティな時間だと思っている。
中学時代は楓蓮の時間が短かったので、授業中にリミット一時間経過なんてザラだったしな。
それに、ただの走りこみだし。
やばくなったらすぐに家に帰ってこれるので全然心配ない。
と言う訳で、パジャマを脱いで、タンスからジャージとサラシを取り出した。
俺は胸にサラシを巻く。結構ガチガチに。
じゃないと、走るときにコレが邪魔で鬱陶しいんだよ。ほんと。
※

華凛を起こさないように静かに玄関を閉めると、まだ薄暗い景色に自然と笑顔になる。
昔から、夜中や朝方という時間は結構好きなのだ。
周りを見ても人がいないのは、何故か心が落ち着くんだよな。
たまに見かける人間をじーっと見たり、あいつこんな時間に何やってんだろーとか思ったり、俺はわりと一人で楽しめるタイプなのである。
さて。走る場所なのだが、学校の連中から聞いた話によると、ここから歩いて十五分ほどの場所に、結構大きい川があるらしく、サイクリングロードもあるらしい。
その方向へ向かい走り出すと、日中よりも少し低い気温が心地よくて、やたらテンションが上がってくる。
すぐにトップスピードになると、坂が見える。
ここを登れば川にたどり着くと、全力で走り出した。

川の幅はざっと二十メートルくらいありそうなでかい川だ。その周りはちゃんとコンクリ舗装されており、結構な道幅が川沿いに北まで伸びている。
やばい。何だか妙に興奮してきた。
まるで玩具売り場に来たように目を輝かせ、階段を下りていくのであった。
上流まで何キロあるんだろうか。
俺はそんな事を思いつつ、まずは北へと向かおうとした。
すると、後ろから来た人間が物凄いスピードで俺を追い越していくのだ。
おおっ。早いぞ。
でかいのに結構早いなあいつ。
その後姿はアスリートみたいに筋肉質で、マラソンで走るような本格的な格好だった。
よし。あいつを追い越すか。
などと勝手に照準を決めると、そいつの後を追うように走り出した。
※
でかい男を追いかけてから十分ほど。勝負にも集中していたが、初めてのコースなので余所見しながら、付かず離れず走っていた。
綺麗な川だなこりゃ。魚とかいるのかな?
都会って、川とか汚いというイメージがあったのだが、全然そんな事はないぞ。
夏になったら凛と一緒に魚とりとか、泳ぎてーな。などと思っていると、景色が都会の町並みから、次第に緑が多くなってくる。かなり上流まで来たようだな。
更に走ること十分ほどか。前を走る男が折り返してくるので、あそこで終わりだなと思った。
そして、その男と今まさにすれ違っ――
え?
俺はその男……じゃなかった。
女? 女だよな? 僅かに胸があった気がする。
ごつい顔だが、女だよな? 短い髪の毛括ってたし。
などと動揺していると、その女は俺を一目見て更にペースを上げやがった。
マジか。あんなに筋肉モリモリで女だったのかよ。しかも俺がビビった顔をお見舞いしたから、無視されたのかもしれん。
ってか……早いぞ!
あっという間に巨大な身体が小さくなっていく。
こりゃ負けてられん。
男だろうが女だろうが……俺より早い奴は許せない。
さっさと折り返し地点を回ると、ここから怒涛の追い上げを見せる。
すぐに視界に捉える大女に照準を合わせ、ひたすらに走りまくると、それに気が付いたのか、後ろを向きやがる。そしてペースを上げやがった。
おいおい。まだ本気じゃねーって事かよ。
待ちやがれ大女。
とりあえずお前を追い越さねーと帰れねぇぞ!
※
本気走りを見せる俺に、ようやく追いついてきた。
横にピタっと張り付くと、大女は観念したのかそこからは同じペースで走り始めた。
息を切らしながらそいつに言ったつもりだが、俺の顔を見るものの何も言わない。
思いっきり無視かよ。と思ったタイミングで、
え? 俺?
ま、待て待て。お、男?
いや、早まるな。声はなんとなく女の子っぽいんだが。
しかし、でかいなこの人。身長190くらいありそうだ。
思わず質問したのはいいのだが、俺今……すっげー失礼な事を言っちまったか?
やべぇ。女だったら……なんつー事を!
すぐに謝ろうとしたら、彼女は思い出したように「あっ」と漏らしてから「すんません」と謝罪した。
あぁ。それ分かる。
俺だって、楓蓮の姿でたまに「俺」って言っちゃいますからね。
そんな会話をしている内に、どうやらサイクリングコースの下流まで来てしまったらしい。
ちょっと付き合ってもいいよな。悪そうな人じゃないし。
というのも。こいつは……
女とは思えないごつい顔だけど口調は妙に優しいし、なんとなく真面目な感じがしたからだ。
楓蓮は女の子だと、ある程度付き合ってもいい。
男なら容赦なく「じゃあまたねー」でオシマイだが。
楓蓮で男に愛想良くしてしまうと、後々面倒な事になるのが嫌だからだ。
サイクリングロードを上がると、自販機の群れがある場所へと連れて行ってくれた。何せ俺は始めてなので、こういったベテランランナーがいると助かる。
二人ともスポーツ飲料を一気飲みすると、彼女と傍にある公園のベンチで喋っていた。
ちょ! 思わず噴出してしまった。
面白いなこいつ。固い表情はそのままだが、喋ってみると普通に良い奴っぽい。
う~ん。こんな風に気さくに喋れるのって、なんとなく龍子さんに通じるものがあるな。
もしかして、女なのに、男っぽい喋りがそう思わせるのかもしれない。
そこから萌さんと色々と会話していると、自虐ギャグが多すぎて、笑いたくないのに笑ってしまうスパイラルに陥ってしまう。
流石にゴリなんて呼べないけど、ここで気を使って「めちゃくちゃ可愛い」とも言うのもきっと失礼かと思った。
それほど彼女の顔はゴリっぽいのだ。
なんつーか王二朗くんに似てる気がする
まぁ本人がゴリって呼んでも良いというので、彼女の意見を尊重するのが正しいのかもしれないが……流石に失礼だろ。
こんな調子だ。
だけど本人は笑顔になったので、それで良いと思った。
直感がそう思わせる。
別にお世辞でも何でもない。本心からの気持ち。
その気持ちを分かってもらうべく、俺は微笑を浮かべていた。
しかもちょっと顔が赤いので、俺は噴出してしまうのであった。
一休憩終えると、萌さんはストレッチをし始めた。
俺も横で一緒に参加してると、仲良く身体を動かし始める。
しかし……その筋肉も去ることながら、マジでタフだな。
ストレッチでも手を抜く事はしないし、集中している時は、ゴリな顔が更に険しくなる。
隣に俺がいるなんて忘れてるように、没頭する姿はやたら好感が持てる。
そんな真剣に取り組まれると、俺だって集中して身体を動かさねば。
今度はシャドーボクシングを始める萌さん。既に汗だくである。
ローからミドル。そしてハイキック。
回し蹴りやソバットを披露すると、萌さんもマジ顔で「すごい」と言ってくれた。
そう言われるともっと見せたいところだが……
やべぇ……サラシがズレてきたかも。
胸から落ちて来るのが分かった。
こりゃダメだと思ったので、一時中断してベンチに座った。
シャツを捲くり上げると「ほら。これ」と言いながら、一旦サラシを解いた。すると……
あの巨漢である萌さんの目が真っ白になると、ゆっくりと後ろに崩れ落ちるのだった。
大の字で倒れる萌さんに駆け寄ると、既に意識が朦朧としていた。
しかも何で鼻血出てるんだよ!
謝り倒す萌さんだったが、俺の顔よりも更に下。シャツの中に視線を動かすと、更に鮮血が飛び出した。
なんだ? 俺の乳見たくらいで、何で鼻血出してるんだよ。
萌さんは女性だろ?
伝家の宝刀って……
完全に取り乱す萌さんの言う通り、ささっとサラシを戻そうとするが、これが上手く直せなくてな……
胸が見えなければいいんだろ。そう思った結果。シャツが捲れないように、腰に巻きつけるという方法を取った。
しかし……
さっきから萌さんのテンションがおかしい。
ずっと白目だし、顔がプルプルしてやがる。
そんなに俺の胸がおかしいのか?
一応自分でも見てみると……こりゃダメな奴だ。
あれ? それを指摘してるんじゃなかったのか?
そう思っていると、萌さんの視線が胸に行った瞬間「だはっ!」っと声を出し、殴られたわけでもないのに、後ろに大きく仰け反ってしまったのだ。
なんだか。このノリ。龍子さんに似てるなぁ。
しょうがないのでサラシを服の上から巻くことで手を打った。これなら大丈夫だろう?
一々面白い萌さんだった。
さぁ。そろそろ帰るか。結構な時間だしな。
そして丁度リミットを告げる頭痛がすると、ベストタイミングだと思った。
そんな時、公園の外から男の声で「おーい」と聞こえてくる。
その声を聞くなり萌さんは「げっ」と漏らす。
そう呟く萌さんに質問しようとする前に、その男が目の前にまでやってきた。
おおっ。こりゃその辺の男とは比べもんにならねーイケメンじゃないか。
水色という奇抜な色をしたイケメンは俺を見るなり、軽く「ども」と言いながら笑顔を見せてくれた。