お友達になりましょう

文字数 4,539文字

さわさわと心地の良い響きが耳を通る。視界の端々にまで広がる青色と、足元には隙間の空いた影。胸いっぱいに爽やかな空気を吸い込んで、赤いリボンは揺れ歩く。フロイヴナイト・クーナイズナ。風に合わせて光の角度を変える鮮やかな金髪を見る者はいない。たいらに均された砂利道を外れて奥へ奥へと進むと、しゃがみこんでいるフードの影が見えた。こんな場所に人がいるのは珍しい──と、一歩。クーナは瞳を極限まで開き、間髪入れずに地面を蹴る。再び足を地につけるまでの一瞬、腰に付けた青色のポーチから体長の何倍もある紐を取り出す。思考を別に、身体に馴染んだ動きそのままに人影を──本来居てはいけないはずの魔族を、縛り上げる。
思わず、ほ、と息をつくと、魔族の男性はフードの闇の奥から眼鏡越しに暗く光る瞳でクーナを見上げる。そして、地を這うような声で語りかけた。
「───殺せ」
クーナはその言葉を聞いて再び目を見開いた。続けて慌てたように言う。
「こっ、殺さない…!…です」
変な汗を落としながら泳いだ目で手をいじる。
対して男はげんなりしたように答えた。
「...どうせギルドかどこかに突き出される。いずれ殺されることには変わらん...。情けをかけているつもりならさっさと殺せ...」
「つ、突き出さない、です!ただ、ちょっと、びっくりしちゃっただけです…悪いことしないなら、何もしない…です」
元々人と話すことが得意ではないクーナは、それでも最大限に緊張を抑えた声色で必死に語る。逆に、不自然さを生み出してしまってはいるものの。
「...私は人間領に棲息するモンスターの研究のためにここに来ただけだ。人間に危害は加えない」
男性は面倒くさそうに息をつく。
「…じゃあ、殺しなんてしません…出来ません」
苦いものを含んだように顔をしかめるクーナに、男性はそっぽを向いてため息をつく。
「…だったら早くこいつを解いてくれ。もう用は済んだろう」
「あっはい…えっと…うぅ…」
思った以上に固く結んでしまったらしく、懸命に解こうとするものの全く外れそうにない。
わたわたと慌てるクーナに呆れたように男性は言う。
「自分で縛り付けておいて解き方も分からんのか…そのナイフで切ればいい…」
「あ、ご、ごめんなさい…」
ざくりと小気味のいい音と共に縄が落ち、男性はおもむろに立ち上がる。
頭一つ分以上の高さから見下ろされ、クーナはたじろいだように金髪を揺らす。
眼鏡越しに男性は目を鋭くし、睨むように眼下の頭を見る。
「…私は帰る。いいか人間、もしこのことを口外しようものならば、貴様のギルドにモンスターを放る。覚えておけ」
自分の大切なギルドの事を持ち出され、クーナの視線が厳しいものになる。
「そっ、それは…困ります。口外なんて、しません」
目をしっかりと合わせ、キッパリと言い切るクーナ。それもつかの間、すぐに視線を逸らし目を泳がせながら口を動かす。
「あの………えっと、その……………」
うーん、と頭を悩ませる姿を上から赤毛が見下ろす。
「…………お、お茶でもどうですか?」
「…はぁ…?」
その反応に、クーナはああ、間違えたとでも言うように顔を顰める。だが、毒を食らわば!と再び気合を入れた。
対して男性はその突拍子も無い誘いに唖然としている。 が、悪い可能性を考えたのか途端に顔つきを険しくする。
「貴様…何を企んでいる…」
「え、えっと、その………あ!あっと、えっと、お、お友達になりたいなー…って…」
はぁあ?と男性は心底驚いた風な顔をする。何を言ってんだこいつは、というように。
「…それを本気で言っているのだとしたら、貴様は正気の沙汰ではない…大方、私から何か聞き出そうとしているのだろうが。そう簡単には吐かんぞ」
えっそんなにびっくりすることなのかな!?また変なこと言っちゃった!?と必死に取り繕うクーナ。
「そっ!?そんなんじゃない…です!なにも聞き出そうなんて、そんなこと思ってない!です!ホントです!」
…なんてわかりやすいんだ、と男性は無意識に気を緩ませる。
「…はぁ…聞くだけ聞いてやる…」
その言葉を聞いて、クーナはパァ…!と目を輝かせる。
「あっ、ありがとうございます!」
辺りを見回すと、離れた場所に可愛らしい様相のカフェが見えた。
「えっと…そこの飲食店にでも…入りません…か…」
先程の自分の発言があまりにも筋が通ってないと今更自覚し、顔を赤くするクーナ。
──と、友達になりたいって…初対面でそれはないだろ…うぅ…。
「…長居はしないからな」
先までの恥ずかしさなど吹き飛んだように、嬉しそうに跳ね歩くクーナ。それを呆れたように後ろからついて行く男性。

辿り着いたのは森の中くまさんに出会いそうなカフェ。はちみつの香り漂う店内の端、切り株型の可愛らしい机を挟み二人で向かい合う。奥にくまの着ぐるみが動いているのが見えるが、あれが恐らく店員なのだろう。前は見えているのだろうか、とクーナは変なところを疑問に思う。
男性は外套を脱がずフードも被ったままで薄茶色のくまにコーヒーを頼む。クーナも慌てて同じようにコーヒーを頼む。飲めもしないのに。
目の前に置かれてから後悔したのか、クーナは砂糖を大量に入れる。しかし緊張からか入れているのは塩。ザリザリと音のしそうなそれを平然と飲む。塩味には気づいていない。
「…それで、一体何の要件だ。まだ私の行動が怪しく見えるか」
──鈍臭いにも程がある。
男性はそっと机に置かれていた『SUGAR』の瓶を差し出す。
「えっいや、その、仲良く、なりたいなー…って…」
自分の前に置かれた砂糖の瓶を見て、手に持つカップを口に運び、しょっぱ、と小さく声を落とす。
「だから、そうなってどうするんだと聞いているんだ…貴様は何がしたい…」
「……さ、探している場所があって…色んなとこに行きたいから、その……」
どことなくしょんぼりした様子のクーナ。男性は察したように言う。
「色んなところ?……なるほど、魔族領に行くつもりか。生きて帰れる保証は無いぞ」
「か、覚悟の上!………です…多分…でも、その、ちょっと……」
「何の策も無さそうだな…異種族の領土で無残に屍を晒すか…?お前はまだ若い。死に急ぐような真似は愚かだ」
研究の為に異族領に来てまんまと縛り上げられた自分を棚に上げて、男性はクーナに説く。
男性の言葉に、クーナは手に持っていた塩コーヒーを一気に飲み干す。さもありなん、涙目になりながら懸命に咳込むのを堪える。やっとの事飲み下して、喉に残る不快さに顔をギュッと顰める。
一部始終を見ていた男性はおもむろに片手を上げ、何やら奥でゴソゴソしていたくまを呼ぶ。薄茶の着ぐるみは光のような速さで机に寄ってきた。
「店で一番甘いものを頼む」
くまはもこもこした手で小さなペンを持ち、その手では掴めない大きさの紙の束にメモを取り、また奥へと消えていった。
…程なくして、はちみつの沢山かかったぶ厚いパンケーキが運ばれてきた。くまは小脇に抱えていたプラカードをこちらに向ける。『はちみつたっぷり!ミツバチさんのパンケーキ』くまに威圧されながらも、クーナは軽く会釈をする。くまの着ぐるみは満足げに頷き、着ぐるみらしからぬ速さで戻っていった。
クーナは、前に置かれたクローバーの乗っている可愛らしいパンケーキと、前にいるフードの男性を交互に見る。
「…いつまでもそんな渋い顔でいられたら困る」
男性は素っ気なく言ってそっぽを向く。
もそもそと目を輝かせながらパンケーキを食べる。しばらくして、はた、と気づいたように男性の顔を伺うクーナ。
「えっと…ひ、一口いりますか…?」
「…いや、いい」
「そ、そうですか…」
またもそもそと食べる。
半分程が消えた時、からりとフォークとナイフを置き、クーナは深呼吸をして切り出した。
「…うちは絶対に行かなきゃいけないんです…絶対に…」
俯いて、ぼそぼそと言葉を紡ぐ。男性はそんなクーナに言葉厳しく言い放つ。
「そこに命を投げ打ってまでたどり着きたい場所があるのか」
ぐ、と何かが胸に支えたようなクーナ。
「………はい。それがどこかは、分からないんです、けど」
「……だが、何の策も無しに突っ込むのはあまり賢明とは思えんな……他の奴ならともかく、私のような怪しい魔族に『友達になりたい』などと宣う奴じゃ…」
クーナはそれを聞いて心底驚く。
「えっ、そ、そんなに変でしたか…?…お話し出来そう…と思ったのです…けど…」
「だから…!そんなに簡単に人を信用するようでは、あっという間に利用されて殺されてしまうと言っている…!」
柄にもなく声を荒らげた事を恥じたのか、男性は一呼吸置いて、平静を装った声で話を続ける。
「…人魔の溝は深い……私だって、今もお前の命を狙っているかもしれないんだぞ…」
真っ向から諭され、少し怖気付くクーナ。
「うっ……うぅ……それは、分かってますよ…でも、優しい魔族だっていると、思います…あ、あなただって、うちを殺そうと思ってるなら、とっくに殺してる、と思う…です……」
それでも、自分の想いは決して曲げない。自分を形成してるその信念が前を向かせてくれる。
クーナは口元をきつく結び、真摯に男性と目を合わせる。
対して男性も折れず、クーナの視線を真っ向から受け止める。
両者無言の、言いようのない空間が広がる。
先に折れたのは男性だった。
「…はあ…話にならん…何を言っても聞かない」
諦めたように、けれどどこか清々しいように肩を竦める。
「…私の家は魔族領王都地区にある、モンスター研究所だ。そこまで生きて辿り着けたなら、まあ、どうにかしてやらないこともない」
そう言うと男性は机の上にお代を置いて席を立つ。パンケーキも込みで。
ドアの前に立った時、男性は振り返りクーナに問うた。
「…名前はなんだ」
「ふっ、フロイヴナイト・クーナイズナ、です…!」
「…そうか」
フードを深く被り直し、ドアに付けられたベルの音が止み、店内にはまた静寂が戻った。
厨房の奥で険悪な雰囲気にハラハラしていたくまの着ぐるみが、お盆を持ってのそのそと出てくる。乗っているのはとびきり甘いはちみつたっぷりレモンティー。
「魔族領王都地区、モンスター研究所…」
ブツブツと顎に手を当て考え込むクーナに、くまは静かにカップを置いた。


かくして研究者と旅人は出会った。二度目の再開が叶うのは、僅か一週間後。研究所の前のこと。
「…えへへ、来ちゃいました」
全身が傷だらけ、痣だらけで、はにかむように笑う金髪に、唖然としている男性。
「まさか、本当に来るとは…」
うわっ、と疲労か怪我か膝をつくクーナ。
思わず手を差し伸べる赤毛の男性。
「そう言えば」
クーナはその手を取ろうとし、寸前で動きを止め、口を開く。
「お名前、なんですか?」
答えを聞く前に意識を失った金髪の人間の手首を、ピョニーは咄嗟に掴んで引いた。


数時間後、助手の少女に介抱されたクーナが、研究所のベッドの上で目を覚ますのは、また別の話。
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