第9話『おっさん、実家に帰る』前編

文字数 4,537文字

「転移系のスキル、覚えた方がいいかもなぁ」

 この日、洞穴(ほらあな)から数キロメートル離れた場所まで足を伸ばし、十数回の戦闘を繰り返した敏樹は、日が沈む前に帰還すべく森を歩いていた。
 〈無病息災〉を持つ敏樹にとって、長時間の移動に対する疲労は特にない。
 しかし、同じような景色が延々と続く森の中を長時間歩くという行為は、気分的に疲れるのであった。
 幸いポイントはまだ百数十億あり、億単位を要するスキルの中に転移系以外にどうしても欲しいスキルはなかった。

「よっこらせっと」

 日暮れ前に洞穴へと戻った敏樹は、靴を脱いで寝袋の上にあぐらをかくと、タブレットPCを立ち上げた。

「ふたつあるんだけど……やっぱり〈拠点転移〉のほうかねぇ」

〈拠点転移〉
 設定した拠点へ瞬時に移動するスキル。1日に1度、いかなる状況下にあっても使用可能。距離や状況に応じた魔力を消費することで使用することもできる。拠点は十箇所設定でき、拠点として追加できるのは現在地のみ。一度追加した拠点は随時設定可能。追加・変更が出来るのはそれぞれ1日に1度のみ。

 つまり、行ったことのない場所へは転移できず、行ったことがある場所であっても拠点として追加しなければやはり転移できないというものである。
 もうひとつ〈座標転移〉というスキルもあったが、こちらは座標を指定することで行ったことがない場所であっても転移が可能である。
 経度・緯度・標高で正確に座標を指定しないと、それこそ『いしのなかにいる!』よろしく壁の中に実体化してしまったり、はるか上空や海の底に転移してしまうこともある。
 そのあたりの危険も考慮し、敏樹は〈拠点転移〉のほうを選択したのだった。

「えーっと、拠点の追加は……、例のごとく念じればいいのかな?」

《現在地を拠点2に追加しました》

「拠点……2?」

 敏樹が〈拠点転移〉を発動するのはこれが初めてである。
 となれば、拠点1として追加されるはずだが、アナウンスは拠点2と告げた。

「もしかして、スタート地点が既に設定されてたのかな?」

 そう思いつつ拠点一覧を確認してみた。

〈拠点転移〉
拠点一覧
拠点01:大下家
拠点02:水精の森
拠点03:未設定
拠点04:未設定
拠点05:未設定
拠点06:未設定
拠点07:未設定
拠点08:未設定
拠点09:未設定
拠点10:未設定

「……はぁ?」

 敏樹は思わず間抜けな声を漏らしてしまった。

「大下家って……俺んちだよなぁ?」

 誰に訊くともなくつぶやきながら、敏樹は首をかしげた。
 そしてしばらく腕を組んでうなっていたが、意を決したように顔を上げると、ポンと膝をたたいた。

「よし、案ずるより産むが易しだ」

 敏樹は靴を履き、ブルーシートや寝袋、念のための護身用に置いてあった斧とトンガ戟を〈格納庫(ハンガー)〉にしまったあと、洞窟を出た。

「ふぅ…………」

 生い茂る木々の間からわずかにみえる夕暮れの空を見ながら、敏樹は高鳴る鼓動を抑えるように大きく息を吐いた。

「よしっ‼︎」

 パンと両手で頬をたたいた敏樹は、誰もいない空間に向かって宣言した。

「実家に帰らせていただきます!! …………うおっ!?」

 辺りの景色が色を失い、やがてすべてが真っ白に塗りつぶされる。
 そしてふたたび視界に色彩が戻ったとき、目の前には花が咲き誇る桜の木があった。

「そういや、春だったな……」

 ここは敏樹の実家である大下家の庭であり、その一角に植えられた桜の木の目の前に敏樹はうまく転移できたようである。
 この桜の木は敏樹が物心ついたときにはすでにあり、毎年当たり前のように咲き当たり前のように散っていた。
 そんな見慣れたというよりも見飽きた景色を前に、敏樹はおもわず泣きそうになるのをぐっとこらえた。

「帰ってこれた……のか……?」

 見覚えのあるその桜の木は大下家の庭に植えられた物で間違いなく、敏樹は腰が抜けたようにその場へと膝をついたのだった。

**********

 家の中から、なにやら賑やかな声が聞こえてくるのに、敏樹は気付いた。
 その談笑は突然始まったのではなく、敏樹が帰ってきたときから――あるいはその前から続いているものと思われる。
 異世界から帰ってこられたことの衝撃と感動のせいで気付けなかっただけであろう。

「母ちゃんに来客かな?」

 そう思いながら、敏樹は庭を抜けて玄関へと向かう。

「ただいまー」

 玄関の戸を開けて家に入った敏樹は、話し声の発生源であろうダイニングルームへ一直線に向かい、部屋のドアを開けた。

「あら敏樹。おかえり」
「あ、うん、ただいま」

 敏樹のほうを向いている母親と向かい合うように、敏樹に背を向けるように座っているのはビジネススーツに身を包んだ女性であるらしく――、

「おや大下さん、随分遅いお帰りで」

 笑みを浮かべながら振り返り、敏樹にそう告げるのであった。

「ちょ、町田さん!?

 母親と話しているのが町田であると気付いた敏樹はまず驚き、すぐ呆れたように息を吐きながら彼女の方へと歩いて行った。

「あんたいきなりなんちゅうことしてくれんだよ」

 そんな不平をこぼしながら、敏樹は町田の隣の椅子を引き、どっかりと座った。

「あはは。実際見てもらったほうが早いかなと思いましてー。で、どうでした?」
「いろいろ大変でしたよ、ほんと……」

 心底疲れた様子の敏樹に対し、申し訳なさそうな愛想笑いを浮かべていた町田だったが、
ふと真顔になって首をかしげる。

「にしても、帰ってくるのちょっと遅くないです?」
「え……?」
「そうだよ敏樹」

 そこで母親も会話に加わってきた。

「町田さん、あんたがすぐに帰ってくるはずからって、毎日様子を見に来てくれてたんだよ?」
「え?」
「いきなりいなくなってちょっと心配してたんだからね?」
「ホントですよー。私としては半日ぐらいで帰ってこられるものと思ってましたから」
「えぇっ!? いやいや、おかしいでしょ! あんなとこにいきなり送っといてすぐに帰ってこいだなんて……」
「でも大下さん。お渡ししたタブレットPCが情報端末ということぐらいはわかってましたよね?」
「そりゃ、まぁ……」
「あれで帰る方法を検索すれば、すぐにでも方法はわかったはずなんですけど?」
「え……?」
 そう。なぜか敏樹はあの森へ送られたあと、頑なに“ここで生き延びなければ”と思ってしまっていた。
 そして、あのタブレットPCが思うだけで大抵の答えを出してくれることも、結構早い段階で理解していたはずだ。
 にもかかわらず、敏樹は一度も『帰る方法』について検索することはなかった。

「私としては異世界の雰囲気を軽―く味わっていただいたらすぐに帰ってきていただくつもりだったのですが……、もしかして帰りたくなかったとか?」
「まさか! そんな……」

 冗談ぽくほほ笑む町田の言葉を、敏樹は完全に否定できずにいた。

「はいはい。そういうのは部屋に戻ってからやんな」
「「はぁっ?」」

 パンパンと手を叩きなが呆れたように言った母親の言葉に対し、敏樹と町田は同じタイミングで、同じような声を上げた。

「敏樹が帰ってきたんだからこんなところにいないで部屋にいきゃいいと思ったんだけど……、あんたたち付き合ってんじゃないのかい?」
「違うに決まってんだろ!」
「あははー。お母さん冗談きついですよー」

 そうやって否定するふたりの姿に、敏樹の母親は力なく肩を落とした。
 そして深く息を吐いたあと、顔を上げ、真剣なまなざしで敏樹を見据える。

「敏樹……。父ちゃんが死んでもう15年だよ? いいかげん跡取りの顔を拝ませとくれよ」
「いやいや、孫なら兄貴のとこに二人も――」
「よそに婿入りした馬鹿じゃなくて大下家の跡取りが見たいんだよ!!」

 カッと目を見開いて怒鳴った母親の顔から、再び力が抜ける。

「敏樹、アンタもう四十だろ? いいかげん身を固めたらどうだい?」
「いや、まぁ……相手が、ほら……」

 母親はあきれたようにため息をつくと、今度は町田のほうを見た。
 その視線を受けた町田が、一瞬ビクッと震えたように見えた。

「町田さん、アンタ見たところ敏樹と変わらないくらいだね?」
「あー、いや、どうでしょう……」
「結婚はしてるのかい?」
「えー、結婚とかは、別に……、あはは」

 すると、敏樹の母親の口角がわずかに上がる。

「だったら、うちの子なんてどうだい?」
「ちょ、母ちゃ――」

 口を挟もうとした敏樹を、母親は黙って手を掲げて制した。

「なんならしばらくウチに住みなよ。部屋ならいくらでも余ってるしさ」
「いや、お母さん……?」
「付き合うだけじゃ分からないこともあるからね。一緒にひと月でもふた月でもくらしてみればいいんだよ。そうすりゃ一緒にやってけるかどうかわかるからね。それで習慣があわないってんならしょうがないけどさ。でも最初から諦めることなんてないのさ。四十過ぎたからって全然遅くないしね。そりゃ子供は難しいかもしれないけど、夫婦なんてのは子供がすべてじゃないし。いやでも欲しけりゃ諦めることなんてないんだよ? 最近じゃ四十過ぎの出産なんていくらでも例があるわけだしね。もちろんリスクはあるだろうけどそれが何だってんだい? どんな子だって産まれちまえば可愛いもんさ」
「あ、あはは……」

 いろいろとまくし立ててくる敏樹の母親を尻目に、乾いた笑いを漏らしつつ町田が敏樹のほうを見ると、彼は頭を押さえてやれやれとばかりに頭を振っていた。

 ――ピンポン

「はーい」

 いつまでも終わらないのではないかと思われた母親のマシンガントークは、ドアチャイムの音でぷつりと中断された。

「じゃあ、ご近所さんと晩ご飯食べに行くから、留守番よろしくね」

 言われてみれば敏樹の母親はよそ行きの格好である。
 敏樹と町田はほぼ同時に安堵の息を吐き、肩を落とした。

「町田さん?」
「は、はひっ?」

 ダイニングの部屋を出ようとした母親に突然声をかけられ、町田がうわずった声で返事をした。

「アンタさえよければ、ウチはいつでも大歓迎だからね」
「あはは……、はは……」

 町田は乾いた笑いを漏らしながら、救いを求めるように敏樹のほうを見たが、彼は無表情のままただ虚空を見つめているだけだった。
 最後に余計な一言を残していった母親がダイニングを出てしばらくたったあと、車が発進する音が庭のほうから聞こえてきた。

「……あの、大下さん。おつかれさまでした……」

 敏樹の顔に不機嫌な表情が戻り、そのまま目だけが町田のほうを向いた。

「ほんと疲れたよ……。誰かさんのせいでいろいろとね……」
「あぅ……」

 少し前までの余裕の笑みはどこへやら……。町田は申し訳なさそうに身を縮めるのだった。
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