第25話
文字数 3,273文字
「どうせ、たわごとだろうと思っていた。はじめは、今回もどうせ同じだろう、わたしを従わせるために大げさに話をしているだけだと。しかし、明らかに前回とは様子が違っていた。今まですべてのことをアルズールに任せていたのに……導師カミロが出向いてきた」
導師カミロは、エルデュリアの最高指導者で、八十をとうに超えた老人だった。
「二人きりで話がしたいと呼び出され、見せられたのは水鏡に映る、あなたと、龍王の仲睦まじい姿」
最後の方は、声がふるえた。思いつめたように炎を見つめる。
「最初は、信じられなかった。わたしは今でも、狂おしいほどにあなたを思っているのに、あなたの心がすでに、誰かのものになっているなんて。でも、あなたが龍王を見つめるそのまなざしを見て確信した。本当に、あなたを失いそうになっていることを。なぜなら……それは、五年前には確かにわたしに向けられていたものだったから」
手元の小枝を音を立てて折り、炎の中に投げ入れる。
「導師カミロは言った。一年前は、どうにかあなたを救うことができた。でも今回はむずかしい。あなたの気持ちが揺らいでしまった以上、ほかに打つ手はない、と。おそらく、わたしが行ってもあなたを連れ戻せる確率は半分。出発を遅らせれば確率はどんどん低くなる、と。本当に、その通りだった。到着があと少し遅れていたら、あなたは……」
唇をかんだ。しばらく考えこむように炎を見つめていたけれど、
「龍王は、あなたがわたしを心の中で求めていた、と言った。それは……本当なのだろうか」
ためらいがちに視線を上げた。
忘れていたはずの愛しい思いがこみあげる。
エズメラルダも、伏し目がちにうなずいた。
「……あの方をお慕いする気持ちのその深いところには、いつもあなた様がいました。でも、あきらめていました。もう、無理なのだと」
「どこかで思いこんでいたのだと思う。あなたが、心変わりなどするはずがない。あれほど心を寄せ合ってきたわたしから、離れることはないと」
アルハンドロは悔しそうに顔をゆがめた。そしてふと思い出したように、
「彼のあなたに対する愛情が惚れ薬のせいだと、いつから知っていたのだ?」
「首の傷が癒え、意識を戻したその日に」
「なんと……」
「予言者はあらかじめそれを知らせることで、あたくしの心があの方へ傾くのをけん制しようとしていたのです。けれど、いくらあの者たちとて、人の心まであやつることはできませぬ。そして、あたくしも自分の気持ちを偽ることは致しませんでした。なんでも自分たちの予言通りに事が運ぶとは思うな。あたくしの人生はあたくしが決めるのだ、と。……今となっては、これもあの者たちが見た予言のうちの一つであったと思うしかないのだけれど」
おかしかった。自分もアルハンドロと同じことを考え、行動していた。予言者に抗えると思っていた。
「やはり、あなただな」
アルハンドロは懐かしそうに笑った。
「五年前と、少しも変わっていない」
「変わりましたわ」
失ったものを頭の中で数えながら小さく笑う。
「生きていくことが、こんなにつらいなんて思ったことなどなかった。あの頃は、希望しかなかった」
火がぱちん、と、音を立ててはぜた。
「あなたでなければだめなんだ」
静かな夜だった。虫たちもふたりの話に聞き入っているかのような。
「まだその心の中に少しでもわたしを思ってくれる気持ちがあるのなら……どうか、許してほしい」
見つめあった。昔感じた、あの胸の高まりがよみがえる。
「……よろしいのですか?」
エズメラルダは体をこわばらせ、おそるおそるアルハンドロの目をのぞきこんだ。
「あたくしは、龍王様に……」
「もう、それ以上は言わないでほしい」
ひどく傷ついたように笑った。
「あなたは、自らあの方との別れを選んだ。もうそれで十分だ。……それに」
アルハンドロはエズメラルダを見つめ返した。
「あなたも言ったではないか。どんな理由があっても、心がその方を欲してしまえばもう、止めることなどできない、と」
抱き寄せられ、その体に身を寄せた。
「ずっと会いたかった。あなたのことを思わない日はなかった」
アルハンドロの指が頬に触れた。その瞳が、エズメラルダをとらえた。アルハンドロの思いを感じた。
やはり、この方でなければだめだ。
全身に懐かしさと、いつか感じたときめきがよみがえる。
忘れていたはずの熱い思いに火がついた。忘れようとしていた。なのに、体は覚えている。あの懐かしい日々。切なく思いを乱したあの頃。何度も口づけを交わした。
吐息が漏れた。アルハンドロの顔が近づいてくる。先に唇に触れたのはアルハンドロなのか自分なのか。目を閉じ、何度もその感触を確かめる。気持ちが止まらない。ずっと胸にしまい続けてきた気持ちが、せきをきってあふれだす。
満たされたつもりになっていた。けれど、今、気づかないようにしてきた満たされない部分にまで気持ちが流れ込んでくる。
触れるほどに優しく。お互いの頬に唇を這わせる。耳たぶを優しくかみ、まぶたに唇をつけた。アルハンドロは首筋の傷にいとおし気に唇を押し当てた。そしてもう一度最後に確かめるように唇に触れていく。長い長い口づけのあと、もう一度見つめあった。
「愛している」
エズメラルダを優しく抱きしめた。その髪に顔をうずめ、
「これからは、共に生きよう。予言者の予言通りになどさせてたまるものか」
「アルハンドロ様……」
「もう絶対に、あなたを失いたくない」
もう一度唇を重ねた。今度はもっと深く。もっと激しく。舌を絡ませ、お互いを求めあう。それは、今までのような、傷ついた心を慰め、満たされない思いを埋めるような口づけではなかった。
これからは、共に生きよう。
気持ちが、ぴたりと重なった気がした。それが塊になって全身を突き抜ける。
アルハンドロの指が服をはいだ。その唇をエズメラルダの豊かな胸に這わせる。舌が固くとがった乳首の先端に触れると、
「あ……」
と、声がもれた。アルハンドロの柔らかな髪に触れる。どれほどこの時を待ちわびただろう。
あたくしは、この人を愛している。
アルハンドロのたくましく、それでいてしなやかな指先の感触を全身に感じながら、それだけを思った。
優しく体を這う唇の感触。指が敏感なところに触れ、小さく声を上げた。その声にわずかに体をふるわせ、さらにやさしく、時に強引に指を這わせる。その動きを感じるたび、全身が熱くなる。意識が飛びそうになる。
アルハンドロを体の中に感じた。小さく声を上げる。息づかいが荒くなり、心地よいしびれが何度も体を貫いた。快感の渦に放り出される。声を上げ、背中に爪を立てる。
涙がこぼれた。幸せだった。
動きが早くなる。エズメラルダの口からも、切ない声がもれた。
「うっ」
と、小さな声を上げ、アルハンドロが果てた。激しく高鳴る胸の鼓動。全身で息をしながら、かたくその細い背中を抱きしめた。エズメラルダもまた、アルハンドロの美しく引き締まった体に腕を回し、熱い吐息をついた。
顔を見合わせ、ほほ笑みを交わす。唇を重ね、もう一度抱きしめあう。
「あなただけを愛している。わたしは、全力であなたを守る。もう、誰にも渡さない」
アルハンドロがささやいた。
「もう、決してあなた様からはなれません」
もし、この一回でこの体に命が宿れば、その小さな命と引き換えに自分の命を失う。
愛する人から愛され、その人の子を残すことができる。
死ぬことなど、何も怖くなかった。
ただ、本当に予言者が言うとおり、その子と引き換えにこの命を失うのなら、この方を永遠に失ってしまう。
それだけが、心残りだった。
そんな二人の様子を、暗闇からこっそり覗き見る者がいた。
頭から真っ黒なマントをかぶり、その長い髪を後ろで一つに結んでいる。顔は青白く、頬は痩せこけており、目だけが異様な光を放っている。男か女かもわからない。
その者は、予言者アルズールだった。
終わり
導師カミロは、エルデュリアの最高指導者で、八十をとうに超えた老人だった。
「二人きりで話がしたいと呼び出され、見せられたのは水鏡に映る、あなたと、龍王の仲睦まじい姿」
最後の方は、声がふるえた。思いつめたように炎を見つめる。
「最初は、信じられなかった。わたしは今でも、狂おしいほどにあなたを思っているのに、あなたの心がすでに、誰かのものになっているなんて。でも、あなたが龍王を見つめるそのまなざしを見て確信した。本当に、あなたを失いそうになっていることを。なぜなら……それは、五年前には確かにわたしに向けられていたものだったから」
手元の小枝を音を立てて折り、炎の中に投げ入れる。
「導師カミロは言った。一年前は、どうにかあなたを救うことができた。でも今回はむずかしい。あなたの気持ちが揺らいでしまった以上、ほかに打つ手はない、と。おそらく、わたしが行ってもあなたを連れ戻せる確率は半分。出発を遅らせれば確率はどんどん低くなる、と。本当に、その通りだった。到着があと少し遅れていたら、あなたは……」
唇をかんだ。しばらく考えこむように炎を見つめていたけれど、
「龍王は、あなたがわたしを心の中で求めていた、と言った。それは……本当なのだろうか」
ためらいがちに視線を上げた。
忘れていたはずの愛しい思いがこみあげる。
エズメラルダも、伏し目がちにうなずいた。
「……あの方をお慕いする気持ちのその深いところには、いつもあなた様がいました。でも、あきらめていました。もう、無理なのだと」
「どこかで思いこんでいたのだと思う。あなたが、心変わりなどするはずがない。あれほど心を寄せ合ってきたわたしから、離れることはないと」
アルハンドロは悔しそうに顔をゆがめた。そしてふと思い出したように、
「彼のあなたに対する愛情が惚れ薬のせいだと、いつから知っていたのだ?」
「首の傷が癒え、意識を戻したその日に」
「なんと……」
「予言者はあらかじめそれを知らせることで、あたくしの心があの方へ傾くのをけん制しようとしていたのです。けれど、いくらあの者たちとて、人の心まであやつることはできませぬ。そして、あたくしも自分の気持ちを偽ることは致しませんでした。なんでも自分たちの予言通りに事が運ぶとは思うな。あたくしの人生はあたくしが決めるのだ、と。……今となっては、これもあの者たちが見た予言のうちの一つであったと思うしかないのだけれど」
おかしかった。自分もアルハンドロと同じことを考え、行動していた。予言者に抗えると思っていた。
「やはり、あなただな」
アルハンドロは懐かしそうに笑った。
「五年前と、少しも変わっていない」
「変わりましたわ」
失ったものを頭の中で数えながら小さく笑う。
「生きていくことが、こんなにつらいなんて思ったことなどなかった。あの頃は、希望しかなかった」
火がぱちん、と、音を立ててはぜた。
「あなたでなければだめなんだ」
静かな夜だった。虫たちもふたりの話に聞き入っているかのような。
「まだその心の中に少しでもわたしを思ってくれる気持ちがあるのなら……どうか、許してほしい」
見つめあった。昔感じた、あの胸の高まりがよみがえる。
「……よろしいのですか?」
エズメラルダは体をこわばらせ、おそるおそるアルハンドロの目をのぞきこんだ。
「あたくしは、龍王様に……」
「もう、それ以上は言わないでほしい」
ひどく傷ついたように笑った。
「あなたは、自らあの方との別れを選んだ。もうそれで十分だ。……それに」
アルハンドロはエズメラルダを見つめ返した。
「あなたも言ったではないか。どんな理由があっても、心がその方を欲してしまえばもう、止めることなどできない、と」
抱き寄せられ、その体に身を寄せた。
「ずっと会いたかった。あなたのことを思わない日はなかった」
アルハンドロの指が頬に触れた。その瞳が、エズメラルダをとらえた。アルハンドロの思いを感じた。
やはり、この方でなければだめだ。
全身に懐かしさと、いつか感じたときめきがよみがえる。
忘れていたはずの熱い思いに火がついた。忘れようとしていた。なのに、体は覚えている。あの懐かしい日々。切なく思いを乱したあの頃。何度も口づけを交わした。
吐息が漏れた。アルハンドロの顔が近づいてくる。先に唇に触れたのはアルハンドロなのか自分なのか。目を閉じ、何度もその感触を確かめる。気持ちが止まらない。ずっと胸にしまい続けてきた気持ちが、せきをきってあふれだす。
満たされたつもりになっていた。けれど、今、気づかないようにしてきた満たされない部分にまで気持ちが流れ込んでくる。
触れるほどに優しく。お互いの頬に唇を這わせる。耳たぶを優しくかみ、まぶたに唇をつけた。アルハンドロは首筋の傷にいとおし気に唇を押し当てた。そしてもう一度最後に確かめるように唇に触れていく。長い長い口づけのあと、もう一度見つめあった。
「愛している」
エズメラルダを優しく抱きしめた。その髪に顔をうずめ、
「これからは、共に生きよう。予言者の予言通りになどさせてたまるものか」
「アルハンドロ様……」
「もう絶対に、あなたを失いたくない」
もう一度唇を重ねた。今度はもっと深く。もっと激しく。舌を絡ませ、お互いを求めあう。それは、今までのような、傷ついた心を慰め、満たされない思いを埋めるような口づけではなかった。
これからは、共に生きよう。
気持ちが、ぴたりと重なった気がした。それが塊になって全身を突き抜ける。
アルハンドロの指が服をはいだ。その唇をエズメラルダの豊かな胸に這わせる。舌が固くとがった乳首の先端に触れると、
「あ……」
と、声がもれた。アルハンドロの柔らかな髪に触れる。どれほどこの時を待ちわびただろう。
あたくしは、この人を愛している。
アルハンドロのたくましく、それでいてしなやかな指先の感触を全身に感じながら、それだけを思った。
優しく体を這う唇の感触。指が敏感なところに触れ、小さく声を上げた。その声にわずかに体をふるわせ、さらにやさしく、時に強引に指を這わせる。その動きを感じるたび、全身が熱くなる。意識が飛びそうになる。
アルハンドロを体の中に感じた。小さく声を上げる。息づかいが荒くなり、心地よいしびれが何度も体を貫いた。快感の渦に放り出される。声を上げ、背中に爪を立てる。
涙がこぼれた。幸せだった。
動きが早くなる。エズメラルダの口からも、切ない声がもれた。
「うっ」
と、小さな声を上げ、アルハンドロが果てた。激しく高鳴る胸の鼓動。全身で息をしながら、かたくその細い背中を抱きしめた。エズメラルダもまた、アルハンドロの美しく引き締まった体に腕を回し、熱い吐息をついた。
顔を見合わせ、ほほ笑みを交わす。唇を重ね、もう一度抱きしめあう。
「あなただけを愛している。わたしは、全力であなたを守る。もう、誰にも渡さない」
アルハンドロがささやいた。
「もう、決してあなた様からはなれません」
もし、この一回でこの体に命が宿れば、その小さな命と引き換えに自分の命を失う。
愛する人から愛され、その人の子を残すことができる。
死ぬことなど、何も怖くなかった。
ただ、本当に予言者が言うとおり、その子と引き換えにこの命を失うのなら、この方を永遠に失ってしまう。
それだけが、心残りだった。
そんな二人の様子を、暗闇からこっそり覗き見る者がいた。
頭から真っ黒なマントをかぶり、その長い髪を後ろで一つに結んでいる。顔は青白く、頬は痩せこけており、目だけが異様な光を放っている。男か女かもわからない。
その者は、予言者アルズールだった。
終わり