そのたまごは孵らない
文字数 1,879文字
あたしの念力通じたね。
だって部署の違うあたしたちが、ほとんど社員の残っていない会社の残業時間中に、女子トイレの鏡前でバッタリ出くわすなんて、人気リップの限定色ゲットするより難しいじゃない?
祥子と会えますように会えますように、今からトイレ行くので祥子も来ますように来ますようにって、あたしがゆんゆん念力飛ばしたおかげでしょ、これは。
どうよ祥子、元気してる?
課長とは相変わらず続いてんの?
アハハ、そんな露骨に嫌な顔しないでよ。
飲み会でぐでんぐでんに酔っ払って、馴れ初めから初デートから、出張隠れ蓑にして二人で不倫旅行したことだって、洗いざらいぶちまけちゃったのは祥子のほうじゃん。
あたしはあの時約束した通り、誰にも喋ってないからね。あんたが墓から化けて出そうなほど真っ青な顔で口止めしてきたこと、忘れてないよ。
で、どう? 続いてんの?
……そっかー、やっぱりかあ……。
ん? いやさあ、この前内祝い回ってきたじゃん。課長の娘さんがって。無事に誕生しましたのお祝いの。
あのパティスリー・レーヴのフィナンシェ、祥子はどんな顔で食べたんだろとか気になってたわけよ。
きっと課長のことだから、悪びれもせず祥子の前でみんなに祝われてさ。祥子はわいわいしてる輪っかに近づかず離れすぎずの距離で、ポツンと一人でいてさ。
照れて笑って自慢して、早速親バカ見せてる、いかにもいいお父さんな課長を見守って、あとでメッセージ送ったんでしょう。おめでとうございます、フィナンシェ美味しかったです、って。
そしたら課長は、ありがとう。これからちょっと忙しくなるけど、祥子ちゃんへの好きは変わらないからね、また旅行も誘うからね。大好きだよ。みたいに、中学生でもひっかからないような空手形の約束寄越しちゃうわけでしょ。
祥子言ってたよね、課長ほど自分のことわかってくれる人はいない。
結婚は望めなくても課長しかいない。あの人のためにいろんなことを棒に振っても後悔しない、ってさ。
その通りだと思う。
課長は祥子のことをよくわかってる。どうすれば都合よく繋ぎ止めておけるか、完全に理解してる。
でなきゃ、一生王子さまを待ち続けてる祥子の尊厳を、こんな的確に踏みにじれるわけないものね。
あのフィナンシェ、あたしは苦くて食べられなかった。くそくらえってやつよ。
ねえ祥子。
あんたは課長からもらった恋心という卵を、大事に大事に一人で抱えてあっためてるんだ。
孵ることは絶対にないのに、課長は一緒にあっためてくれもしないのに、それでいいんだって一人で丸まって目を閉じてる。――閉ざしてる。
あのさ、少し前にネットのニュースで見たんだけど。
ペンギンって、オスとメスの夫婦だけじゃなくて、オス同士とかメス同士でも子育てするんだって。
産んだのに親がダルくなって放っておかれた卵とかをもらうと、二人でちゃんとあっためて孵して、それで育てるんだって。
交代でえさとってきて、分け合って、あっためて、守って、慈しんで、そうやって卵を二人で孵すんだ。
祥子、ねえ祥子。
あたしじゃダメかな?
あたしとじゃ、その卵をあっためられないかな?
一人で夢の中で抱えてなくていい。あたしと二人で、ちゃんと未来のある卵をあっためて、孵して、一緒に生きていきたいの。
ずっと伝えたかった。言いたかった。
あんたを傷つける偽者の王子さまからあんたを奪い去って、あんたを幸せなお姫さまにしてあげたいって。
好きだよ祥子。
あたし、ずっと、あんたが好きだった。
「……ここに来てくれたら、そう伝えるつもりだったのにな」
あたしは一人、トイレの鏡で自分と向かい合いながら苦笑する。
やはり念力とかいうものは存在しないらしく、祥子はうっかりあたしの前に現れたりはしなかった。
今日、転勤の話を上司からもらった。
間違いなく栄転の海外赴任。でも国内勤務の祥子とは、これでほとんど会えなくなる。
彼女にとってあたしは親しい同期。せいぜい友人。まさか勝手な恋を募らせられているなんて、彼女は夢にも思わないだろう。
だからもし。もしも今日、万が一この念力が通じたら、祥子に打ち明けようと思った。
それはつまり、そんな賭けに勝たない限りは一生秘密にしておかなければないと、自覚している気持ちだということだ。
孵ることのない卵を温め続ける彼女と、温める前に卵を割ろうとしているあたしと、罪深いのはどちらだろう?
「……バイバイ」
鏡に向かい投げつけるモーション。
――べしゃり、と生温い何かが潰れる音がした。
だって部署の違うあたしたちが、ほとんど社員の残っていない会社の残業時間中に、女子トイレの鏡前でバッタリ出くわすなんて、人気リップの限定色ゲットするより難しいじゃない?
祥子と会えますように会えますように、今からトイレ行くので祥子も来ますように来ますようにって、あたしがゆんゆん念力飛ばしたおかげでしょ、これは。
どうよ祥子、元気してる?
課長とは相変わらず続いてんの?
アハハ、そんな露骨に嫌な顔しないでよ。
飲み会でぐでんぐでんに酔っ払って、馴れ初めから初デートから、出張隠れ蓑にして二人で不倫旅行したことだって、洗いざらいぶちまけちゃったのは祥子のほうじゃん。
あたしはあの時約束した通り、誰にも喋ってないからね。あんたが墓から化けて出そうなほど真っ青な顔で口止めしてきたこと、忘れてないよ。
で、どう? 続いてんの?
……そっかー、やっぱりかあ……。
ん? いやさあ、この前内祝い回ってきたじゃん。課長の娘さんがって。無事に誕生しましたのお祝いの。
あのパティスリー・レーヴのフィナンシェ、祥子はどんな顔で食べたんだろとか気になってたわけよ。
きっと課長のことだから、悪びれもせず祥子の前でみんなに祝われてさ。祥子はわいわいしてる輪っかに近づかず離れすぎずの距離で、ポツンと一人でいてさ。
照れて笑って自慢して、早速親バカ見せてる、いかにもいいお父さんな課長を見守って、あとでメッセージ送ったんでしょう。おめでとうございます、フィナンシェ美味しかったです、って。
そしたら課長は、ありがとう。これからちょっと忙しくなるけど、祥子ちゃんへの好きは変わらないからね、また旅行も誘うからね。大好きだよ。みたいに、中学生でもひっかからないような空手形の約束寄越しちゃうわけでしょ。
祥子言ってたよね、課長ほど自分のことわかってくれる人はいない。
結婚は望めなくても課長しかいない。あの人のためにいろんなことを棒に振っても後悔しない、ってさ。
その通りだと思う。
課長は祥子のことをよくわかってる。どうすれば都合よく繋ぎ止めておけるか、完全に理解してる。
でなきゃ、一生王子さまを待ち続けてる祥子の尊厳を、こんな的確に踏みにじれるわけないものね。
あのフィナンシェ、あたしは苦くて食べられなかった。くそくらえってやつよ。
ねえ祥子。
あんたは課長からもらった恋心という卵を、大事に大事に一人で抱えてあっためてるんだ。
孵ることは絶対にないのに、課長は一緒にあっためてくれもしないのに、それでいいんだって一人で丸まって目を閉じてる。――閉ざしてる。
あのさ、少し前にネットのニュースで見たんだけど。
ペンギンって、オスとメスの夫婦だけじゃなくて、オス同士とかメス同士でも子育てするんだって。
産んだのに親がダルくなって放っておかれた卵とかをもらうと、二人でちゃんとあっためて孵して、それで育てるんだって。
交代でえさとってきて、分け合って、あっためて、守って、慈しんで、そうやって卵を二人で孵すんだ。
祥子、ねえ祥子。
あたしじゃダメかな?
あたしとじゃ、その卵をあっためられないかな?
一人で夢の中で抱えてなくていい。あたしと二人で、ちゃんと未来のある卵をあっためて、孵して、一緒に生きていきたいの。
ずっと伝えたかった。言いたかった。
あんたを傷つける偽者の王子さまからあんたを奪い去って、あんたを幸せなお姫さまにしてあげたいって。
好きだよ祥子。
あたし、ずっと、あんたが好きだった。
「……ここに来てくれたら、そう伝えるつもりだったのにな」
あたしは一人、トイレの鏡で自分と向かい合いながら苦笑する。
やはり念力とかいうものは存在しないらしく、祥子はうっかりあたしの前に現れたりはしなかった。
今日、転勤の話を上司からもらった。
間違いなく栄転の海外赴任。でも国内勤務の祥子とは、これでほとんど会えなくなる。
彼女にとってあたしは親しい同期。せいぜい友人。まさか勝手な恋を募らせられているなんて、彼女は夢にも思わないだろう。
だからもし。もしも今日、万が一この念力が通じたら、祥子に打ち明けようと思った。
それはつまり、そんな賭けに勝たない限りは一生秘密にしておかなければないと、自覚している気持ちだということだ。
孵ることのない卵を温め続ける彼女と、温める前に卵を割ろうとしているあたしと、罪深いのはどちらだろう?
「……バイバイ」
鏡に向かい投げつけるモーション。
――べしゃり、と生温い何かが潰れる音がした。