頭狂ファナティックス

物語の裏側で何が起きていたのか? ①

エピソードの総文字数=4,407文字

 紀元前から哲学者、戯曲家、叙事詩人が物語の作法について様々な観点から述べており(そしてその作法を記した書物は今でも多くが伝わっている)、議論となると何事もそうであるが多くの賢人たちのあいだでもその見識は互いに矛盾したり反発したりしているものの、一致している意見が一つだけある。
 それは物語が佳境に入ったとき、これまで築き上げた物語の構造を打ち崩すように、加速度的に展開を畳みかける、というものである。この物語――つまり『東京ファナティックス 第一部「ペストの時代の愛」』――も佳境に入ったわけだが、私は偉大な先駆者の見識を無視して、この個所で物語の時間を止めて長い挿話を入れなくてはならない(この作品は全八部を予定しており、その点から言えば、まだまだ明かされていない謎も多く、光文学園を巡る物語はまだ全体の導入と言えるが)。
 大室綴、常盤七星、守門恒明を殺した殺人犯は埜切秋姫だと判明したが、秋姫は表舞台で目立った行動を起こしておらず、その異常な心理、また物語の途中で数度見られた不合理な行動の原理についてはまったく描写されなかった。よって秋姫がどのような人間であるかについて、読者諸君に正確に理解していただくため、私はここで物語を置き去りにしてまでも、秋姫についての長い挿話を入れるのである。この挿話はほとんど独立した章としても扱ってもよいもので、仮に一つの章として秋姫のことを描写するならば、その章の名前はこうなるだろう。第*章「埜切秋姫という少女」。
 秋姫はこれまでに従順で、献身的で、気弱な少女として描写されてきた。確かにその性格も秋姫の一側面である。ところが秋姫は同時に猟奇殺人犯としての異常な精神を併せ持っている。何よりも秋姫は常軌を逸するまでの保身的な考えの持ち主だった。自分の身の安全を守るため、またその異常性の高いコンプレックス『フルメタル・ジャケット』を隠すためなら、全財産を乞食に施しを与えるようにあっさりと手放すし、親友や家族さえも平気で見限った。
 理事長から生徒会に特例として所属する話を持ち掛けられたときも、異議を唱えることなく賛成したのは保身のためだった。学園が封鎖されている期間、理事会側につくならば、身の安全は確実に保証される。また理事長を殺害したのは自分のコンプレックスを知っている人間を一人でも多く消し去るためだった。理事長は政府から派遣された人間とはいえ、組織の末端の人間であり、報復を受けることはないだろう、という打算があった。
 秋姫は人を殺すためだけに自分に授けられたような『フルメタル・ジャケット』を忌み嫌っており、数々の保身の中でもコンプレックスを知られることを最も恐れていた。理事長が殺害されてから数日後、理事会よりも上の組織、つまり政府から派遣されてきたという男が秋姫の部屋を訪ねた。その男は奇妙な格好をしており、厚手のコートを三枚重ねていたために身体が膨れて見え、黒いニット帽を目深に被り、さらに黒いマフラーと黒い手袋を着けていたために、ほとんど肌が見えなかった。冬に厚着をするのは普通のことだが、その男の防寒衣の量は度を過ぎていた。
 秋姫は自分の目論見と違い、男がわざわざ理事長の報復のために訪れてきたのではないかと危惧した。ところがその異常な寒がりの男(そのように秋姫は判断した)は改めて秋姫に理事会の傘下に下る申し出をした。あくまで学園側、率いては政府側は秋姫に対して下手に出た。それほどに秋姫のコンプレックスは稀有だった。もちろん秋姫はその申し出を受け入れたが、その男を殺害することはしなかった。政府の直轄に属するほどの人間を殺害したとなれば、自分が見せしめに暗殺されることは明白だったからだ。
 日本政府の中に自分のコンプレックスを知る人間が複数いる事実は秋姫の心の平穏を激しく乱したが、身の安全を図る保身から言っても、実務的な処理から言っても、政府の人間を殺すことはできなかった。このことに秋姫は折り合いがつけられず、自分のコンプレックスを把握している見知らぬ人間がどこかにいる事実に苦しめ続けられることになる。しかし秋姫は政府の人間に対して気を揉む前に自室に上がりこんできた奇妙な男と協定を結ばなければならなかった。その協定は簡潔なものだった。奇妙な男の方から出された条件は秋姫が生徒会暗殺に就き、政府が指示した学園内の人間を殺害することだった。奇妙な男が伝達役を担い、殺害の指令が下りるたびに秋姫を訪ねるとのことで、その会合には決して第三者の目に触れないように留意すると約束した。
 当たり前だが、政府の直轄に属する男は封鎖されている期間でも学園を自由に出入りができ、会合のときには秋姫は学園の外に連れ出され、そこで次の殺害対象を教えられた。秋姫の方からも一つ条件を出し、それは自分の正体が判明しないように可能な限り取り計らってほしい、というものだった。その条件は仇討ちをされないためという保身から出たものであり、暗殺という役職に就く以上、秋姫でなくても多くの人間は同じ条件を出しただろう。このようにして秋姫は生徒会暗殺に就いた。
 秋姫の性格は保身を何よりも優先したが、同時に劣等感の塊でもあった。癖の強い猫っ毛が嫌いだった、軽度の漏斗胸が嫌いだった、低い身長が嫌いだった、そしてそのすべてを差し置いても自分のコンプレックスが嫌いだった。秋姫にとって、銀太、紅月、綴の三人は自分の劣等感を助長する存在でしかなかった。
 この三人は生に対して真摯であり、誠実であり、ときとして執念すら見せ、秋姫からすれば、自身の内側へと埋没して死にゆく自分とは対照的な存在だった。しかし秋姫がこの三人に殺したいほど憎悪を抱いていたというわけではない。秋姫は綴のことを本物の親友だと思っていたし、銀太のことを一人の男として愛していたし、紅月のことを妹のように可愛がっていた。
 秋姫は三人に対して、愛情と劣等感を同時に抱いていた。この二つの感情は矛盾するものだと人は口々に言うが、実は共存するものである。秋姫が普段から善良な振る舞いを取るのは、自分の本当の性格を隠すためというよりも、自分の代わりに他人から生への肯定的な態度を引き出すためであり、三人への愛情は他人を愛することによって、自分を愛することのできない精神的な欠落の補償をするためだった。
 学園の封鎖政策が実行に移されたとき、まず秋姫が為すべきことは学園内にいる自分のコンプレックスを知っている人間を殺害することだった。その人間は一人しかいなかった。秋姫は人生で初めてできた親友に対して、劣等感を抱きながらもこれ以上ないほどに心を開いていた。よって秋姫は自分のコンプレックスを絶対に他人に隠すという主義を例外的に捻じ曲げて、綴に『フルメタル・ジャケット』の詳細を教えていたのだ。
 ところが自分の主義を曲げて起こした行動は悪い結果を招くと相場が決まっている。秋姫は綴に自分のコンプレックスを教えたために、親友を殺さなくてはならなくなった。『フルメタル・ジャケット』の能力を知っている綴ならば、生徒会暗殺が誰なのか見破ることは容易いことだっただろう。秋姫が綴を殺害するとき、まったく葛藤がなかったとは言わない。紅月と清美が殺し合いをした日の夜、四人でベッドに入り、銀太に抱きしめられながら秋姫は愛情と劣等感と保身が入り混じった感情が大嵐のように渦巻き、目を瞑ることもできなかった。
 しかし本来の性質である保身が萌え出し、残りの二つの感情を押しつぶすのはあまりにも早かった。秋姫は殺人に傾倒する性質はなかった。むしろ正常な人間と同じく、嫌悪すら感じていた。それでも秋姫は自分の身を守りたいという欲求に抗うことができず、綴の殺害を決心した。その夜、二人はベッドから抜け出すと、銀太の部屋に向かった。無論、綴は親友である秋姫から大事な話があると言われ、銀太の部屋に連れていかれても何の警戒もしなかった。むしろ学園封鎖という異常な状況下に急かされて銀太と秋姫はようやく恋人同士になったのかと予想して、上機嫌なほどだった。
 綴が藤椅子に座ると、秋姫は即座にシンボルのバタフライナイフを投げた。それは相手の腹部に刺さり、綴が驚きの声を上げる前に『フルメタル・ジャケット』の能力により、小さな傷口は縦に開かれ、綴の身体は真っ二つに切断された。綴を殺したとき、秋姫には親友を殺した罪悪感も、互いの愛情を裏切った嫌悪も、劣等感の対象の一人が取り除かれた会心も、一人の人間を殺害した達成感もなかった。ただ自分の身が守られたという保身から来る安心だけがあった。そして紅月の部屋に戻り、再び銀太の腕の中に収まり、安堵から深い眠りについた。
 学園の中から自分のコンプレックスを知る人間がいなくなったことにより安らぎの眠りについたわけだから、綴の死体が発見され、同時にそのシンボルの豆本まで発見されたとき、秋姫はひどく狼狽した。綴が『バベルの図書館』に自分のコンプレックスを書き留めているのは十分に予想できることだったが、そのシンボルが死後にまで残り続けるのは思いもよらないことだった。秋姫はコンプレックスを専門とした学問を修めているわけではなかったが、それでも死後も残り続ける能力というものは聞いたことがなかった。
 銀太と紅月が豆本の中から、『フルメタル・ジャケット』について書かれた項目を見つけ出す前に豆本を消し去らなければならなかったが、そのシンボルの存在を知っている人間が三人しかいない以上、性急に事を運ぶのは危険だった。綴のシンボルは三人だけが知っている秘密であるにも関わらず、その豆本が消滅したとなれば、身内に疑いの目が向くのは当然のことだからだ。よって秋姫がどのような手段で綴のシンボルを処分するか思案を巡らせているうちに、銀太が豆本を何者かに譲渡したと聞かされたときは焦燥に襲われた。自分の目が届く場所から豆本が離れていったために、その処分はますます困難を極め、さらにその豆本を譲渡された人間を探し出す工程まで増えた。
 しかし秋姫には銀太が姉の形見を渡すほど心を許している人間に当てがなかった。ましてやその相手が宿敵である恒明だとは思いもよらなかった。銀太自身にも予測していない幸運だったが、不承不承ながらも恒明に姉の形見を渡したことによって、秋姫は豆本への手がかりを失った。
 ところで秋姫は自分のコンプレックスを『ダンサー・イン・ザ・ダーク』と偽っていたが、その能力は『フルメタル・ジャケット』の一部である。『フルメタル・ジャケット』はそのシンボルでつけた傷でなくとも、小さな傷ならばわずかに開閉できた。秋姫が『ダンサー・イン・ザ・ダーク』と偽って人前でその能力を使用するとき、必ずシンボルのバタフライナイフは見せなかった。

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