第3話 さらわれた翔
文字数 2,553文字
いつの間にか、いや、オアシスと水の存在に夢中で気づかなかったのか、彼らから見て三時の方向に、二匹の不思議な『動物』がよりそうように並んで、水辺にたたえられたその水を飲んでいる。
真っ白な馬なのだが、体の大きさが少し大きめの犬程度しかない。
二匹の馬は銀色に光る車輪のついた乗り物につながれていて、その乗り物には一人の人間が
女性のようなのだが、真っ黒なパンツスーツに、やはり真っ黒なパンプスを履いて、上には白衣を羽織っている。
なによりも印象的なのは浅黒いその肌と、ハーフアップに結んだライオンのたてがみのような銀髪だ。
鼻や耳たぶには、やはり銀色に輝くピアスまでつけている。
彼女は健太たちの存在にまるで気づかない様子で、いや、気づいているのだけれど興味がないだけなのかもともとれる様子で、けだるげに遠くを見つめている。
「あ、あの……」
健太は勇気を振り絞って、声をかけてみた。
すると彼女は視線をゆっくりこちらに移して、じっと少年たちを見つめた。
「あの、失礼ですが、スタッフの方ですか……?」
健太はおそるおそるたずねた。
「はあ?」
やはりというか、女性の声だった。
彼女はとても
「すみません、いったいここは、どこなんでしょうか?」
今度は美羽がたずねた。
「ここは? どこ?」
女性はますます怪訝そうな表情を浮かべて、少しの間、何かを考えているようだった。
「ああ、なるほど。そういうことですか」
いったい何が「なるほど」なんだろうと、彼らは不思議に思った。
「教えてあげてもいいですわよ?」
女性はかすかに口元を
「本当ですか!?」
健太たちは口をそろえて叫んだ。
「プリンキピアと、呼ばれるところです」
彼女は静かに答えた。
「ぷりんきぴあ……」
女性が口にした意外な単語に、健太は混乱した。
プリンキピア。
彼がもっとも尊敬する自然科学者、アイザック・ニュートンの著書「自然科学の数学的諸原理」
ラテン語で「プリンキピア・マテマティカ」
彼女はオアシスの中で一番背の高い木の、さらに向こう側を指差した。
「あそこに真っ赤な『ゆがみ』が見えるでしょう? あそこに大きな街があります。とりあえずそこへ行くとよいですわよ」
一同がその手の方向を見ると、確かに赤く燃え上がる、炎にも似た
「あの、あなたはいったい……」
健太はもう一度、さっきと似た質問をした。
「あたくしですか? あたくしは、科学者、ですのよ?」
またしても女性が口にした意外な単語。
「科学者、科学者だって!? ああ、やっぱり、ここのスタッフの方なんですね!」
健太は興奮して聞き返した。
「う~ん? ほほほ……」
彼女のうっすらとしたほほえみは、どこか不気味な印象を与えた。
「なんだかよくわかんねえけどよ、あそこに街があるってのが本当なら、当然人もいるってことだろ? みんな、早く行ってみようぜ!」
元気はやにわに立ち上がった。
「ちょっとお待ちなさい。あたくしはいま、あなたたちの質問に答えてさしあげたでしょう? ですから今度は、あなたたちがあたくしの願いを聞く番だと思うのですが?」
「それは、まあ、そうかもしれませんが……」
正彦がいぶかしげに答えた。
「ほら、ここをご覧なさい。車輪が少し欠けているでしょう? ここを直す部品を探していたのですよ」
「はあ……」
健太たちがキョトンとしていると、彼女はスッと指を差してきた。
その先には、
「あなた、不思議な霊質を持っていますわね。あなたの
この人はいったい、何を言っているのか?
まったく意味が分からず、彼らは
「わっ……!」
翔が小さくうめいた。
彼の体はフッと宙に浮かぶと、女性のほうに吸い寄せられていくではないか。
「翔くん!」
美羽が悲鳴を上げた。
「やろうっ!」
元気は反射的に駆け出した。
しかし――
「なっ……」
女性の背後から突然、緑色に光るドロドロとした
塊は次第に、人の形を成していく。
「アポカリプティカ」
彼女が呪文のような言葉を唱えると、その緑色の怪物は翔の体をわしづかみにし、ピザの
「きゃあああっ!!」
美羽の絶叫など意に
「はめこみなさい、アポカリプティカ」
怪物は欠けた車輪をはずすと、新しい車輪、さっきまで翔
「それではごきげんよう」
女性は
すると二匹の馬がけたたましくいななき、馬車はフワッと宙に浮いた。
「ここは
そう告げると彼女を乗せた馬車は、
残された五人は、いったい何が起こったのかまるで理解できず、
*
どれくらい時間が経っただろうか。
彼らはあの女性が言っていた、赤くゆがむ蜃気楼のほうへ向け、とぼとぼと歩いていた。
まさに幽鬼がさまようように。
何かに操られるように、ただその一点に向け、ひたすら歩いた。
さらに時間が経った。
砂漠の太陽が傾きはじめ、あたりがうっすら暗くなってきたころ……
「あ……」
正彦がしぼり出すように声を上げた。
「街……」
美羽のそれもやはり、うめき声のようだった。
「街だ、おい、みんな、街だぞ……!」
元気のたよりなくも歓喜を帯びた声に、みんなは奮い立った。
「街、だって……? 本当だ、街だ……!」
夏希の叫び声が合図となって、全員が走り出した。
街がある。
本当に街がある。
人がいる。
助かる。
そんな単純な論法を脳内で繰り返しながら、彼らはただひたすらに走った。
走って、走って、走って……
頭の中がからっぽになるくらい……
そしていつの間にか、その意識は遠くなっていった。