序① ヤバすぎる古典の発見
文字数 3,097文字
こちらの写真をご覧ください。ドイツ南部(当時はバイエルン選帝侯領)オーバーバイエルン州、ミュンヘンの郊外にある、ベネディクトボイエルン修道院です。
1803年に、ここである出来事がありました。
そういうこと。誰かに犠牲になってもらわなきゃね。
というわけで、これまで徴税を免れてきた修道院をターゲットの一つとする。
その収入は庶民の教育に当てるのじゃ。
ひゃー、おれって最高にかっこいい王様! 惚れそう……
だって相手の貴族は、古書の価値も分からないまま命令してきているのですから。
謎めいた古い写本が、そこにはたくさんあるのです。数百年もの間、触ってはいけないとされてきました。
ほとんどの人にとって「開かずの扉」だった禁書部屋のドアが、今開きます!
ドアの前で、固唾を呑む修道士たち。
中世の修道院では美しい写本が製作され、また他所の土地から取り寄せられて、修道院は知識の集合体としての役割を担ってきました。この修道院も同じです。
しかし修道院が文化の中心地だった時代は終わりました。
今は市民革命の進む19世紀。
若い修道士は恐る恐る調べ始めますが……
やがて一冊の写本に手を止めます。
そうーっとめくると……
中世の羊皮紙に、美しい文字で何か書かれています。
そこにあふれていたのは、めくるめく愛と性。お酒の話や理不尽な社会への怒り、単なる愚痴もあります。中世の人々による、生々しいほどの言葉の爆発です。
その魂の叫びに人々は圧倒され、息を呑んでその文字を見つめました。
ところがこれを、最初の男爵が横取りしてしまうのです。
この写本、今ではドイツの大切な文化財となっています。
この官能的で素晴らしい詩は、一体誰が書いたのか。
聖職者だ、ゴリアール(遍歴学生)だ、と後の歴史家たちは論争を巻き起こしました(いくつかの詩については有力候補がいるものの、やはり特定には至っていません)。
現在、写本の成立時期は13世紀前半、詩歌の成立時期はもっと古く、11〜12世紀とされています。
ネウマ譜とは、10世紀頃から使われ始めたグレゴリオ聖歌の記譜法だよ。
音の長さや高さを正確に示したものじゃなくて、歌い方のメモのようなものなんだって。
下の画像を見て! アルファベットの上にニョロっとした記号があるでしょ?