スタッフルーム(3)

文字数 10,311文字

 いつも通りに電車から押し出され、新橋駅に降り立った須間男は空を見上げた。昨日に引き続き、空はどんよりとした雲に覆い隠されていた。
 改札を出て地上を歩くが、彼の気分は浄化されるどころかどんどん重くなっていく。何かしら理由を付けて引き返したいくらいだったが、それも出来なかった。
 須間男は家を出てからずっと、道行く人々を見ていた。
彼ら、彼女らのなかで、加藤あさ美の死について知っている人間はどれだけいるのだろうか。あさ美の職場や関係者はもちろん知っているだろう。しかし、彼女が通い慣れた通勤ルートで彼女とすれ違った人々や、彼女がランチやディナー、飲み会などで使った店の従業員たちなどはどうなのだろうか。
 誰かひとり欠けたとしても、日常というものは滞りなく動く。まるで最初から、加藤あさ美という人物が存在していなかったかのように。
 恐らく自分が何かの拍子に死んだとしても、こうしてすれ違う人々にとってはどうでもいいことなのだ。ならば、今こうして生きている自分の存在というものも、他人にとってはないに等しい。そして、自分から見た往来の人々の存在もまた同様なのだ。
 そんなことを考えて、須間男はますます落ち込んだ。しかしどれだけ落ち込もうとも、歩みを続ける限り目的地へは辿り着く。むしろ思考に囚われて行動をルーチンワークに委ねた方が、辿り着くまでの時間が早くなる。墓標のようなビルの前にあっさり辿り着いた時、須間男はようやく我に返った。

 須間男はいつもどおり大きく息を吸い込んでから、いつもより重く感じる扉を開けた。しかし今日も副流煙は全く溜まっていなかった。編集室には千美だけでなく、小埜沢と社長もいた。千美の額に貼られた小さな絆創膏を見て、須間男は改めて自分がしたことの重大さを実感した。
「き、昨日はっ、すいませんでした……」
 須間男は動転しながらも、どうにか謝罪の言葉を絞り出し、千美に頭を下げた。
「あーあ、うちの看板娘の顔に傷を付けちゃって。もちろん、責任は取ってくれるんだろうね?」
 社長が芝居がかった口調で須間男に詰め寄る。
「社長やめときなって。ほら、千美ちゃんも言いたいことがあるんでしょ?」
 小埜沢に言われて、千美がゆっくりと立ち上がる。
「私こそ……ごめんなさい」
 千美は小さな声でそう言うと、ゆっくりと頭を下げた。
「はいはい、ふたりともよく言えました。先生はとても嬉しいです。っておい、いつからここは学級会になったんだよ。ってなわけでお開きお開き!」
 社長は大げさに両手を振って、場の雰囲気を壊した。余程この手のシチュエーションが苦手らしい。
 ──君も一緒に沈むぞ。
 昨晩の川口の言葉が、須間男の脳裏を過ぎった。しかしそんな言葉は、しゃちょうたちの姿を見ていると、すぐにかき消えた。
「そいじゃチミちゃん、始めてくれる?」
 社長に促されて千美がパソコンを操作すると、壁際の液晶モニタに動画を再生するウィンドウが出現した。それは屋内から窓の外を撮影した定点カメラの映像だった。どうやら相馬めぐみから預かったビデオの映像らしい。
 めぐみの話通り、映像はずっと窓の外にある電柱を映していたが、まだ人の姿はない。千美の操作によって、代わり映えのしない映像が何倍速かで早送りされていく。やがて日が傾き街路灯が点灯すると、そこにひとりの男が姿を現した。
 寄藤勇夫だ。
 街路灯の明かりを気にもとめず、寄藤は大柄でぎらついた目を窓に──いや、カメラのレンズに向けて、にやにやとほくそ笑んでいた。隠れる気など最初からなく、あえて挑発をしているようにしか見えない。時折カメラに向けて口を動かしているが、声を発している訳ではないようだ。
「何を言ってるんですかね」
「どーせヒワイな言葉に決まってるさ。気にするだけ無駄だよ」
「あるいは自己アピールですか。どっちにしても無駄ですね」
 社長と小埜沢は心底嫌な顔をしている。社長に至っては机に顎を載せてやる気ゼロの状態だ。須間男も寄藤の顔を見続けるのは嫌だった。皆と同じ気持ちだったのかどうかはわからないが、千美が映像を再び早送りにした。
 早送りで一分弱、画面右下のタイムカウンタでは三十分以上、寄藤は電信柱の下に立ち続けていることになる。もたれかかることができる壁があるとはいえ、何の変化もない窓を見上げて立ち続けるのはちょっとした苦行だ。しかし寄藤の顔は疲労の色が浮かぶどころか、快楽に歪んですらいる。早送りでも動きが少ないため、彼の顔はより網膜に焼き付く。
 うんざりした空気が漂う中、不意に早送りが止まった。
 ザッと、映像にノイズが乗る。デジタルビデオのようなブロックノイズではなく、アナログテレビの感度が悪くなった時のようなホワイトノイズが画面を走り、映像が歪む。
「これ……」
「また廃屋か」
 ホワイトノイズに交じって、あの廃屋の映像が浮かび上がる。
「ちょっと止めてくれる?」
 小埜沢の指示で映像が制止する。部分的ではあるが、セピア色に染まった廃屋の細部が確認できる。家屋同様に傾いだ引き戸は閉ざされているが、ガラスが所々割れている。玄関先には三輪車もあるが、男児用か女児用かは判然としない。
「やっぱり思い出せない。ごめん、進めていいよ」
 小埜沢はこめかみを押さえながら指示を出す。廃屋の映像が入り交じったノイズは三分ばかり続き、唐突に終わった。
「うわ、またか」
 社長が顔をしかめる。ノイズが消えた映像には、変わらず立ち続ける寄藤の姿があった。しかし、カメラに向けられたその顔が鮮血に染まっていた。
『つぎはあなたのばん』
「うわあっ!」
「ちょ、い、今の何ですか? これ、映像だけじゃなかったんですか?」
 社長と須間男がたじろぐ。あの声がはっきりと映像に記録されていたのだ。そして声が終わった瞬間、寄藤の顔から鮮血が消えていた。
「社長、それよりも、気づきませんでしたか?」
「な、何を?」
「今の声、近かったと思いませんか?」
 小埜沢の指摘に、社長は露骨に嫌な顔をした。
「鈴木君、相馬さんからどんな機材を使ったのかは聞いてますか?」
「いえ、ストーキングの様子を録画した、とだけしか聞いていません。恐らく、普通のビデオカメラを三脚で固定して撮影したんじゃないかと」
「それならさっきの声は室内の、しかもカメラの近くだよね?」
 小埜沢の問いかけに、誰も答えなかった。
「鈴木君から、久千木という人が撮影した映像のデータももらったけど、あの声もかなり近かったね」
「あ、社長、鶴間さん、僕の勝手な判断で、小埜沢さんにもあの映像を」
「大丈夫、社長たちには既に話してあるから。そんなことより、変だと思わない?」
「映像も声も変なことだらけだって。何なんだよこれ。こういうの苦手なんだよ」
 フェイクドキュメンタリーをさんざん手がけた社長の台詞ではない。
「あの声、誰に対して言ってるんですかね?」
「誰って、寄藤にだろ?」
「カメラの近くでは撮影者にしか聞こえないでしょう。久千木という人はピクルスとは無縁だそうだし、彼に向けられた言葉というのは考えづらいです。寄藤に関係していることは間違いないですが、あの声は、寄藤に向けられた言葉ではないような気がします」
「おいおい、だったら誰に向けた言葉なんだよ。まさか……俺らじゃないよな?」
 社長の一言に、再び全員が沈黙する。
 空気が重くなる中、千美がマウスを操作した。先程までの動画は閉じられ、インターネットブラウザが表示された。ブラウザには例の動画サイトのユーザー画面が表示されていた。
「おい……動画が増えてるぞ……」
 動画サイトのユーザー画面には、アルバムのように動画の縮小画像が表示される。「Number.4」のユーザー画面には現在、二つの縮小画像が表示されている。ひとつめの題名がが「ロケ1」、ふたつめが「ロケ2」。マウスカーソルが「ロケ2」の上に移動し、クリック音と共に再生画面に切り替わった。

『ピクルスのみんなにはこの廃村を探索してもらって、噂を検証してもらいます。順番はこのくじ引きで決めまーす!』
「あれ、最初の動画とこの動画、繋がってないな」
「ですよね」
 社長の言葉に小埜沢がうなずく。カメラの角度が変わっているだけでなく、メンバーのテンションが明らかに違う。どうやら、ふたつの動画の間に、投稿者が使わなかったシーンが何分かあるようだった。
 段ボールにコピー用紙を貼り付けて作られたくじ箱に、しぶしぶと集まるメンバー。箱から突き出している棒を全員が持ち、一斉に引く。
『一番はナンバー4の******ちゃんに決定!』
 名前の部分だけ酷いノイズが乗った。
『今回のロケにあたり、頼もしい助っ人の方をお呼びしています。どうぞ!』
御前(みさき)(かさね)です。ここ……あまりよろしくありませんね』
 煌びやかな和装を来た年配の女性が、カメラの前に立った。

「御前ってよくテレビの心霊番組に出てたけど、最近、見ないな」
 モザイクのかかった御前の映像を見ながら、社長がぽつりとつぶやいた。
「何年か前に病気で亡くなってますよ」
「本当か?」
 驚く社長に対し、小埜沢は更に続けた。
「DVDの企画で出演を依頼したことがあるんですが、お弟子さんから病死と伺って断念したことがありましたから。それに、このお笑いコンビも事故死してます。千美ちゃん」
 小埜沢の指示と同時に動画の再生が中断され、画面にはインターネットブラウザが表示される。検索ワードが入力されて候補一覧が表示されると、千美はその中の一つをクリックした。新聞社のネットニュース記事が映し出される。
〈有名霊能者が病死 末期のがんか〉
 見出しの下には御前累の、笑顔の写真が掲載されていた。
 千美は更に検索を行い、別のニュース記事を表示させた
〈老朽化が原因か 落下した照明が直撃 お笑い芸人二人が死亡〉
 見出しの下には「さるぼぼ」の二人の宣材写真が掲載されていた。
 どちらの死亡記事も二〇〇八年のものだった。
「この動画、死者の顔だけ切り刻まれてるってことか……」
 社長は露骨に顔をしかめた。
「社長、千美ちゃん、鈴木君。これから……どうする?」
「どうするって、何を?」
「続けるのか、手を引くのか」
 小埜沢は腕組みをすると、三人をゆっくりと眺める。
「全ての発端となる映像に出ていた人物は、麻美奏音を除いて全員死亡している。そして昨日、新たに一人死んだ。加藤あさ美も関係者の一人だ」
 加藤あさ美──ピクルスのヘアメイク担当。
「昨日鈴木君が言ったとおり、これはフェイクじゃない。死人も出ている」
「小埜沢、お前はどうなんだよ?」
「社長、僕らは探偵じゃない。英雄でもない。ただの映像屋です。出来ることには限界があるし、今回のこれは僕らが出来ることを逸脱している」
「だけどさ、奏音ちゃんの命が危ないんだろ?」
「だからこそです。麻美奏音だけじゃない。僕らの命だって危ないんですよ?」
「……遅いんじゃないのか?」
「何が、ですか?」
「俺たちはとっくに巻き込まれてるんだよ。お前もさっき言ってたろ。あの声は寄藤に向けられたものじゃないかもしれないって。だったらやっぱり俺たちに向けた言葉だろ。ならもう遅い。俺たちはみんな死刑台の上に立たされてるのさ。頭に布をかぶせられて、電流が流れる時を待ってる死刑囚と同じだ」
 ずいぶん古い米国式の死刑制度だと須間男は思った。もしその通りであれば、観覧席で僕らの死を眺めるのはナンバー4ただ一人で、執行のボタンも彼女が握っていると言うことになる。
 ──わかっていると思うけど、あまり時間はないよ。
 川口の言葉が、再び須間男の脳裏を過ぎった。意味合いは違うが、現実と非現実、どちらもタイムリミット間近だと言うことは、紛れもない事実だった。
「それだってわからないじゃないですか! 手を引けば助かる可能性だってあるかもしれないじゃないですか! こうして選択できる状況にあるってことは、助かる選択肢もあるってことだと思いませんか?」
「『たたかう』と『にげる』。どっちが正しい選択肢かもわからないんだぜ?」
「だったらどうしろって言うんですか?」
 小埜沢の反論に、社長が再び疑問を投げかける。
 それが不毛なやり取りだとわかっていても、口にせずにはいられないのだ。
「あの……」
 言い争うふたりの間に、須間男が恐る恐る割って入る。
「どうした? 何か思いついたか?」
「思いついたと言うよりは、引っかかってることがあるんですが」
「何でもいい。言ってくれないか?」
麻美奏音さんは(・・・・・・・)どうして助かったんですか(・・・・・・・・・・・・)?」
「え?」
「ごめんスマちゃん、言ってる意味がわからない」
 きょとんとする社長と小埜沢を前に、須間男は話を続けた。
「ナンバー4の呪いは、寄藤と奏音さんたちが彼女を自殺にまで追い込んだことが発端です。僕が彼女の立場なら、他のメンバー全員を許さないでしょう。ですが、奏音さんは今現在も生きている。そして寄藤勇夫も。寄藤が全ての元凶だと言うことをナンバー4が知らなかった可能性もあるので除外するとしても、奏音さんが生き残っているのは、やっぱりおかしくありませんか?」
「……確かに、なあ」
「彼女は事務所を転々として最終的に引きこもっていたそうですが、それもナンバー4の呪いよりも、寄藤のストーカー行為を恐れての行動のように見えます」
「ちょっと待て。お前、それって……」
「昨日の取材で彼女はこう言ってました。『DVDの筋書き通りにみんな死んでいった』と。もしかして、DVDの結末で、彼女だけ生き残っているんじゃないですか(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)?」
 須間男の一言は、疑問符だらけだった社長と小埜沢を得心させた。
 フェイクドキュメンタリーには二種類ある。ひとつは素人や劇団員のみで構成されたもの。もうひとつはアイドルや芸人が実名で登場するもの。
 両者の大きな違いはひとつ。生き残りの存在だ。
 無名の劇団員や知人、スタッフらが登場する作品の場合、多くの出演者は行方不明になるか病院送りになるか、死ぬ。スタッフが生き残る確率は高いが、それでも行方不明になったり理由を言わずに退社というパターンでいなくなったりする。
 一方、実名でタレントが出演している場合、その多くが怪奇事件の真相に近づき、霊能者やなんらかの力に助けられて生き残る場合が多い。不吉な予兆を残すケースもあるが、物語の中では生き残る。
 そして対象が知名度の低いグループアイドルなどの場合、助かるのはヒロイン格のひとりというのが定番である。
 知名度が低いからこそ、遠慮なく荒唐無稽な嘘を描くことが出来るという訳だ。
 ならば生き残った麻美奏音は、DVDの中で呪いを終わらせる何かをしているはずだ。
「そうか……腐るほどフェイクを作ってきたのに、全く思い至らなかった」
「そうとなれば続きだ続き! チミちゃん、さっきの続き!」
 社長に急かされて千美はマウスを操作する。先程の動画が画面上に表示される。

 画面では御前がメンバーとさるぼぼに対して事前のお祓いを行っていた。出演者はこの後の展開を知っているので、お祓いが無駄になることをわかっていただろう。しかし映像を離れた現実でも呪いが続くなどとは、誰も思いもしなかったに違いない。本当の意味で、このお祓いは無駄に終わった。司会のさるぼぼだけでなく、霊能者である御前自身をも巻き込んで。
『**ちゃん、霊感が強いって聞いてますけど、もしかして、少女の家をあっさり見つけちゃうんじゃないのぉ?』
『彼女、強い力を持っていますよ。きちんと修行をしないと、いずれ振り回されることになりそうで心配です』
『これは期待できますね! それでは**ちゃん、よろしくお願いします!』
 ボボ村上が無責任なことを言い、ナンバー4にハンディカメラを持たせて廃村に向かわせた。

 動画はそこでぶつりと途切れた。
「え? あれ? 続きは? そりゃないだろ、おい……」
 社長ががっくりとうなだれる。
「小埜沢さん」
 千美が小埜沢を見つめる。
「ん、何かな?」
「過去の作品は全て、自宅にアーカイブしてあるって、以前仰ってましたよね?」
「そうだけど……」
「この作品を探してください」
「え? チミちゃん、それって……」
「あのDVDを作成し、ナンバー4の呪いを産み出したのは、間違いなく私たち(・・・)です」
 千美がきっぱりと言い切った。
「そうか……だからあの廃墟に見覚えがあったのか……」
 小埜沢がため息を漏らした。
「平成二十年の作品だったか。『呪われた廃村に潜入!』だったよね」
「昨日、麻美奏音さんが行っていたとおり、その題名は劇中の作品名だと思います。そういう映像を取ろうとして心霊現象に見舞われて撮影中止、後日その映像を発掘して真相を追究する。そんな二重構造になっていたかと思います。雑誌の付録として制作していたので、恐らく正式なタイトルは付いていなかったかと」
 セル/レンタルDVDと違い、雑誌付録DVDにはいくつかの企画映像が詰め込まれる。多くの場合、それぞれの映像には題名らしい題名は付いていない。
「六年前だけでも五十本近くは作ってるからね。没作品も同じかそれ以上の数がある」
 制作したもののお蔵入りになる作品は少なくない。呪われた映像だから封印した、というようなことはなく、元請けの倒産や方針の変更、企画倒れ、出演者の都合、ほぼ同じ構成の先行作が出てしまった、などの場合が殆どだ。
「あれだけ関係者の死亡が続いたなら、忘れるはずがないんだけど……。僕だけではなく、千美ちゃんも社長も覚えていないなんて、そんなことがあるんだろうか?」
 小埜沢は眉間にしわを寄せた。記憶が欠落しているのは制作側だけではない。あさ美は千美を、奏音は小埜沢をかすかに覚えているようではあったが、名前や関係性までは覚えていなかった。
 いや、あの動画のように、記憶の一部が(・・・・・・)削られているのでは(・・・・・・・・・)ないだろうか(・・・・・・)。そう言いそうになるのを、小埜沢はどうにか踏みとどまった。そして彼は、千美をじっと見据えた。
「千美ちゃん、調査を続けることになるけど、いいんだね?」
 小埜沢が念を押すが、千美は首を横に振った。
「違います。続けて決着を付けるしかないんです」
 はっきりと、千美は宣言した。

 小埜沢が自宅へと引き上げると、社長はゆっくりと口を開いた。
「あのさあ、チミちゃんの記憶を疑ってる訳じゃないんだけどさ。俺、あの映像に見覚えがないんだよなあ」
「そうなんですか?」
 須間男が驚くのも無理はない。小埜沢と千美が共に作り上げた映像作品と言うことは、社長も含めた三人での作業だったはずである。しかし当の本人がいくら頭をひねっても、映像の断片すら思い出せないというのだから妙だ。
「覚えてないだけじゃないですか? だって、こないだも年間百本以上は撮影してたとか言ってましたが、小埜沢さんの話だと年間五十本弱だったじゃないですか」
「五十本百本だろ?」
「それを言うなら五十歩百歩です。で、小埜沢さんがアーカイブを探している間、僕らはどうすればいいんですか」
「スマちゃん、いつになく前のめりだね。そんなに麻美奏音が可愛かったか」
 社長がにへらーっと笑う。
「ちち違いますよ! 僕らは順番待ちの死刑囚だって言ってたじゃないですか。タイムリミットだってわからないし、何かしなきゃいけないじゃないですか」
「最も危険なのは、スマちゃんの大事な大事な麻美奏音たんだからねー」
「社長、軽くキモいです」
「ま、冗談はともかくとして、だ。お前さんだってなんとなーくわかってはいるんだろ。自分の順番はもっと後だってこと(・・・・・・・・・・・・・・・)
 社長は急に真顔になり、身を乗り出した。
「確かに……そんな気はします。それに、本来の優先順位なら奏音さんが最優先のターゲットになるはずです。ですが、先に亡くなったのは加藤あさ美さんだった」
「麻美とあさ美。名前間違い……なんてこたぁ、あるわけないか。なら何故彼女は死んだと思う?」
「恐らく……役割を終えたからではないかと思います」
「役割?」
「奏音さんですら保持していなかった当時の資料を僕たちに渡し、小埜沢さんと鶴間さんに思い出させる。そして呪いが実在することを印象づける死に方をする。それが彼女の役割だったと思うんです」
「本当にそれだけだと思うか?」
「え?」
「チミちゃんの話だと、彼女は呪いなんて信じないと断言したらしいじゃない。それに死ぬ直前、お前さんたちに何か(・・)を打ち明けようとしていたんだろ?」
 確かに社長の言うとおり、あさ美は須間男たちに何かを打ち明けようとしていた。それも死ぬ直前に思い立った訳ではない。めぐみの家で会ったときから、彼女は何かを言い出しあぐねていた。「呪いを解いて欲しくて」奏音が打ち明けたこととは違う、「呪いを信じない」彼女が打ち明けようとしたこととは何だったのか。
「彼女がお前さんたちに打ち明けようとしていた何か(・・)。それを言わせないために、彼女は舞台から降ろされた、とは思わないか?」
「それは少し違うと思います」
「違うってどういう風に?」
「何も情報を与えたくないなら、彼女は僕たちの取材を受ける前に死んでいないとおかしいです。ですが取材は行われ、ほのめかす言葉を残して彼女はなくなりました。つまり彼女は僕たちに何か(・・)の存在をほのめかし、印象づけるために死ぬことが役割だったのではないでしょうか」
「隠すためじゃなく印象づけるためか。なら、彼女が打ち明けたかった何か(・・)がどんなことなのかは、いずれわかるってことか……」
 社長は小さく舌打ちをした。
「案外、鍵を握っているのは寄藤勇夫かもしれません。社長、寄藤のホームページを見ましたよね。あれを見てどう思いました?」
「いかれてる」
「あの男は熱狂的なアイドルおたくでストーカー。挑発や暴力も辞さないフーリガンみたいなものです。そんな男が、呪いなんかを信じると思いますか?」
「そういや……そうだな……」
 社長はあごに手を当て、無精ひげを撫でながら考え込む。
「なのに彼はあのハンカチを持って動き回っている。貸しスタジオに不法侵入までして」
「あいつにも何か、役割があるってことか」
「恐らくですが、僕らを誘導するのが、あの男の役割なんだと思います」
「あの映像で俺たちが動くようにか。だけどスマちゃん、あの映像だけだったら、正直素材行きで終わりだぞ。久千木とかいうおたくの映像もあったから、俺たちは」
「それが彼の役割なんですよ。寄藤の映像を補強し、寄藤という存在を浮き彫りにさせることが」
「ナンバー4がそれぞれに役割を演じさせてる(・・・・・・・・・)って言うのか。かつて自分が演じさせられたように。俺たちも踊らされてるのをわかってて、このいかれた舞台から降りることもできないってのかよ!」
 社長は昼行灯を装うことも忘れ、感情を露わにした。
「ただ、目的がはっきりしないんですよ。最終的な標的は奏音さんかもしれないし、僕達の誰かかもしれない。DVDのように、誰かひとりを残して全員死ぬかもしれないし、誰も生き残らないかもしれない。ですが、全く違う可能性もあります」
「そうじゃないかも、って、どういうことだ?」
「呪いの発動には、少なくとも二つのトリガーがあると思います。ひとつは投稿映像に映っていたハンカチです」
「掲示板に書かれていた、廃屋から持ち帰ったって言うあれか」
「由来については、小埜沢さんが動画を発掘出来れば明らかになるでしょう。少なくとも寄藤は、あのハンカチが手元に来たことで動かざるを得なくなった、と考えるべきです」
「だがな、加藤あさ美はどうなる? ハンカチは寄藤の持ってるひとつだけだろう?」
「ハンカチはひとつだけとは限りません」
「ハンカチが増殖してるってか? そんな馬鹿な……」
 言いかけて、社長は言葉を飲み込む。
「ええ。僕たちは馬鹿馬鹿しい舞台の上に立たされているんです。あらゆるケース……そう、僕たちがこれまで作ってきた作品のようなトンデモ設定を前提に動かないと、駒として操られるだけです」
「それは癪だな……。で、もうひとつのトリガーって何だ?」
「奏音さんが言ってたんです。死んだピクルスのメンバーのところには、ナンバー4からメールが」
 と須間男が口にすると同時に、テーブルの上にあった彼のスマートホンが震動した。
「うわっ!」
「おい、まさか……」
 社長が引き気味に見守る中、須間男はスマートホンを手にし、電話を受けた。
「……奏音さんからです……話したいことがあると言ってるんですが……」
「話って……何をだよ……?」
 流石の社長も軽口を忘れていた。
「ここに来てもらった方がいいですよね?」
「……だな」
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登場人物紹介

鈴木須間男(32)


小さな映像製作会社に勤務。

弱腰で流され体質。溜め込むタイプ。

心霊映像の制作と、その仕事を始めるきっかけを作った千美に、かなりの苦手意識を持っている。

よくオタク系に勘違いされる風貌だが、動物以外のことは聞きかじった程度の知識しかない。

鶴間千美(34)


須間男の同僚。

須間男よりもあとに入社してきたが、業界でのキャリアは彼よりも長く、社長とは旧知の間柄。

服装は地味でシンプル、メイクもしていない。かなりのヘビースモーカー。

感情の起伏がほとんどない、ように見えるが……。

社長(年齢不詳)


須間男たちが勤める映像製作会社の社長。

ツンツンの金髪、青いアロハに短パン、サンダル履きと、「社長」という肩書きからはほど遠い見た目。

口を開けばつまらないダジャレや、やる気のなさダダ漏れの愚痴がこぼれる。

本名で呼ばれることが苦手なようなのだが……。

麻美奏音(24)


地下アイドル「ピクルス」の元メンバーで、メンバー唯一の生存者。

六年前の事件以降、人前に出ることはなかったが、今回の騒動で注目を集めてしまう。

肝心の「呪い」については、まったく覚えていないようなのだが……。

寄藤勇夫(42)


有名アイドルグループ「@LINK(アットリンク)」の厄介系トップオタ。

須間男たちの会社に送られてきたふたつの映像に映り込んでいた人物。

@LINKの所属事務所から出禁を喰らってから、消息が途絶えている。

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