05 小説における「後発の優位」

文字数 1,372文字

 みなさん、お疲れさまです。
 お世話になっております、朽木です。
 久しぶりの更新となりますが、今回は経営学のお話をしてみたいと思います。

 新作アニメの話題で、旧友とだべっていたのですが、その友人いわく「デスゲーム系はもういいよね」だそうです。

 いわゆる「デスゲーム」系といえば、このジャンルのさきがけはおそらく、川原礫さんの「ソードアート・オンライン」になるでしょう。

 これを「テンプレ」として、後発の作品があると思います。

 経営学に「後発の優位」という言葉があります。

 テンプレをさらにアップデートした後発勢力のほうが、マーケットにおいて有利になるというものです。

 しかしながら、これは出版業界という市場においても果たして成り立つのかという、ちょっとした疑問が浮かびました。

 デスゲーム系といわれてまず思い浮かべるのは、おそらく「ソードアート・オンライン」ではないでしょうか。

 そのあとで後発の作品を思い浮かべるのではないかと。

 ここで、出版業界というのはとても特殊なマーケットだと考えられます。

 「パイの取り合い」ということがないからです。

 「作者Aの小説を読んだから作者Bの小説は絶対に読まない」という選択を、読者は必ずしもしない、むしろしないことのほうが多いと思います。

 読者、一般化していえば出版という市場は、「レッド・オーシャン」かつ「ブルー・オーシャン」という、きわめて特殊なプラットといえます。

 書き手の立場からすれば敵だらけ、しかし読者はその気になればいくらでも存在する、これは一見、奇妙ですね。

 最初の話題に戻ると、小説あるいは「表現そのもの」というプラットにおいて、これはあくまで仮定にすぎませんが、「すごいことを最初にやったもの勝ち」になるのではないかということです。

 「ソードアート・オンライン」に限らず、学園ものというプラットを提示した谷川流さんの「涼宮ハルヒの憂鬱」や、ラノベに文学性を持ちこんだといわれる上遠野浩平さんの「ブギーポップは笑わない」など、いわゆる「エポック・メイキング」な作品がまさに「金字塔」としてあるような気がします。

 「新世紀エヴァンゲリオン」もしかりでしょう。

 ただ、この作品により、サブカルチャーにおける「熱血」の時代は終わったという側面も、あるのではないでしょうか。

 「先発」には危険がともないがちです。

 出版社の立場で考えれば、「売れるかどうかわからない」し、だいいち「それが新しいジャンルのパイオニアになるかどうか」なんて、わかるわけがないのです。

 鎌池和馬さんを見出した三木一馬さんのような編集者が、ごろごろいるなら話は別ですが。

 結局、「運」だというのでしょうか?

 なんとも頼りない結論で恐縮ですが、これは数学の証明とは違いますからね。

 「正解のないものをやっているという覚悟」が、あるいは運命をわかつのか。

 なんとも、難しいですね。

 新年早々投稿できたのはよかったですが、不安をあおっただけかもしれません。

 とにもかくにも読んでくださり、ありがとうございます。

 経営学も案外楽しいことには気づかされました。

 それではみなさん、よいお年を。

 失礼いたします。
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