皐月(二)直樹の想い

文字数 2,416文字

 超大型連休もようやく終わり、落ち着いた日常が戻ってきた。あまり休みが続くと平常が懐かしくもあり、一方では休み疲れか心身ともにだるさを感じる。五月病の季節である。
 そんな世間とは反対に、水沢直樹は繁忙期を終え、これから少しずつ休みが取れるやすらぎの時期を迎えていた。今日の休日はもちろん、由紀子とのデートを楽しむ予定だ。特に今日は、母親と由紀子が旅行へ行ってから初めて由紀子に会う。由紀子が母にどんな印象を抱いたかを聞きたくて、今日という日をずっと心待ちにしていた。
 
 旅行から帰った母は、年齢のせいだろう、その日はずいぶんと疲れた様子だった。不機嫌そうにも見えたので、一瞬、由紀子とはウマが合わなかったのかと不安を感じた。しかし、翌日話してみて、それが杞憂だとわかった。とても楽しい旅だったようだ。そして、由紀子が母のお気に入りになったこともわかり、それが直樹にとって何よりうれしかった。
 
 いつもの駅で由紀子と落ちあった直樹は、落ち着いて話す場所まで待ちきれずに話し始めた。
「由紀子さん、母がお世話になりました」
「いいえ、こちらこそ、とても楽しかったです」
「母はどうでしたか? 何か失礼なことなどありませんでしたか?」
「直樹さん、どこかで座って話しませんか?」
「これは失礼」
 ふたりは近くのコーヒーショップへと向かった。
 
 そんなに気になるくらいなら、ふたりで旅行など行かせなければよかったのに……由紀子は可笑しかった。大切な、そして大好きな母美沙子を由紀子にわかってほしかったのだろう。そしてまた、美沙子の方は若い者の邪魔にならぬよう、自分のことは気にしなくて大丈夫だというサインを、由紀子に送った。
 由紀子はこんな親子を好きだと思う。直樹に対する深い愛情というものは、まだ正直感じない。でも、この母親とならやっていける、そんな気がした。
 はたして、結婚というものはそれでいいのだろうか? 相手を好きでたまらないという感情が抜け落ちている現状で、直樹との将来は考えられない。心が納得できるまで、結婚を申し込まないでくれることを由紀子は願っていた。
 
「もういいですか? 母との旅はどうでしたか?」
 席に着き、注文したコーヒーが来てそれを一口飲むと、もう待ちきれないとばかりに直樹が聞いた。
「その前に、お母さまはお疲れではありませんでしたか? 往復の道のりはとても混雑していて、何をするにも並ばなければならなかったものですから」
「ええ、たしかにその日は口をきくのも億劫のようで、すぐに寝てしまいました」
「もしかして、私と何かあったのではないかと気を揉んだりして?」
「その通りです、ホント一晩中、気が気じゃありませんでしたよ」
 由紀子は、ふと直樹をかわいいと思った。そんな直樹に意地悪な質問をしてしまった埋め合わせをするように、由紀子はこう言った。
「お母さまはとても楽しい方で、私とはお話も合いました。いっしょに美味しいものを食べて、たくさんお話をして、帰る頃にはこんな姉がいたらいいなあと思ったくらいでした」
 直樹が喜ぶようなことを言ったはずなのに、下を向いてしまった直樹に、由紀子は心配げに声をかけた。
「どうかしました?」
「すみません、胸がいっぱいになってしまって……由紀子さんからそんな言葉を聞けるなんて思いもしませんでしたから」
 由紀子は今さらながら、直樹がどれほど自分を想ってくれているかを知った。でも、そんな直樹の気持ちに十分に答えることができない。とても申し訳なく思うが、心の問題だからどうしようもない。少しずつ近づいているとは思うのだが。
 そうだ、何でも話す、それが大切だという妹からのアドバイスを思い出し、自分の思いも正直に打ち明けようと由紀子は話し出した。
「あの、今だから言いますけど、お母さまとの旅行に誘われた時、私、お断りすることばかり考えていたんですよ、すみません。でも、今は本当に行って良かったと思っています。とても楽しかったですから」
「やっぱりそうでしたか……実は僕も、由紀子さんからの返事、半ば諦めていました。母もそうだったと思います。普通に考えてみたって無理がありますからね。だから、正直、承諾をいただいた時は逆に驚いたくらいで。母は、由紀子さんが断りきれなくなって無理をしたのでは、なんて心配したくらいです。
 こんなことを聞くのもおかしいですが、どうして行ってくれる気になったのですか?」
「兄なんです、兄がそれまで距離を感じていた義姉の身内に心を開こうとしているのを見て、私もって思ったのです」
「そうだったんですか……お兄さんのおかげだったんですね。今度、よくお礼を言わなくては」
「いいえ、その必要はないと思います」
「え、どうしてですか?」
「兄がそう思ったのは、直樹さんが兄を慕ってくれたからだそうですから。むしろお礼を言うのは兄の方かもしれません」
「そうなんですか? 僕はただあのお兄さんと飲むのが好きで、楽しませてもらっているだけなんですけどね」
「兄は、私のために直樹さんが自分を立ててくれていると思っているみたいです」
「そんな深い意味はないんだけどなあ。なんだか、自分のしたことが思いもよらぬ形で返ってきて得をした気分です。
 じゃ、後は僕たちふたりのあいだの問題ですね」
「え?」
「由紀子さんと出会い、僕の念願通り交際が始まって、まずは僕の環境を受け入れてもらおうと思いました。由紀子さんと母、ふたりの幸せが僕にとっては大切ですから。
 だから、ふたりが期待していた以上に仲良くなってくれたのは本当にうれしいです。でも、残念なことに由紀子さんの僕への気持ちは……それはわかっています。
 僕の由紀子さんへの想いは決して揺らぎません。同じ想いを由紀子さんが抱いてくれる日を、僕はいつまででも待っています」

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