第16話 再発

文字数 2,543文字

「今は何をしてるんですか?」
「高校を中退して働き始めたものの、倒産してしまってね。姉の口利きで、咲倉(さくら)家所有のビルで夜間警備員をしている。確認は取れた。勤務態度に問題は真面目だし、金に困っている様子もないそうだ」
「姉弟仲はどうなんです? ずっと離れ離れで、再会したのは去年だと聞いたんですが」
「特に険悪ということはないようだよ。君たちのように仲よくはなさそうだけど」
 僕はふと、弟と写った写真を寂しそうに眺めていた先輩の横顔を思い出した。その途端、ひどく胸が痛んだ。先輩がもうこの世にいないのだということをありありと感じた。
颯子(そうこ)さんに呼ばれたという話は?」
「本当だったよ。被害者の携帯に送信記録が残ってた。昼食を食べに来るようにという誘いのメールだ。君たち、一緒に御飯食べる予定だったんだね」
「弟さんが来るという話は聞いてませんでしたけどね」
「来るかどうか確信がなかったのかも。優はメールに返信してるんですか?」
「してないな。本人が言うには、誘われても行けない場合にしか返信しないそうだ」
「それじゃメールを見たかどうか、送ったほうにはわからないじゃないの。勝手なもんだわ」
 じろりと秘花(ひめか)に横目で見られ、慌てて言い返す。
「俺はいつだってちゃんと返信してるだろっ」
「──おや、もうこんな時間だ。そろそろ失礼するよ。月銀(つきしろ)警視正によろしくね。それから密室の謎もよろしく頼むよ、秘花ちゃん」
「考えておきます。遅くまでありがとうございました」
 永瀬さんを送り出し、尋ねてみる。
「密室のトリック、わかった?」
「犯人が消えるわけないわ。もちろん透明人間でもない。となれば答えはただひとつ。トリックなんて最初からないのよ」
 つまらなさそうに肩をすくめ、秘花は唖然とする僕を置いてさっさと自室に引き上げてしまった。

 翌日の夜、自宅の居間でぼんやりTVを眺めていると電話が鳴った。永瀬さんだ。
「もしもし、奇士(あやと)くん? ──実は意外なことがわかってね。事件はほぼ解決した」
 僕は受話器を握りしめて叫んだ。
「解決!? 誠司が自白したんですか」
「いや、そうじゃないんだ。彼には犯行当時のアリバイがあったんだ。いや、犯行とも言えないな。あれは殺人事件じゃなかった」
「どういうことです」
 僕は電話に向かって怒鳴った。永瀬さんの説明を聞き、受話器を戻して茫然としていると、風呂から上がった秘花がタオルで頭を拭き拭き現れた。
「お風呂空いたよ、奇士。……どうしたの?」
「颯子先輩……、自殺したんだって……」
「自殺!? どういうこと」
 秘花はリモコンを取り上げ、無意味に流れていたTV画面を消すと険しい顔で僕の側に座った。僕は永瀬さんから聞いたことを繰り返した。
 まず、犯人と目された鵜沼誠司には実はアリバイがあった。それを証言する人物が今日の午後、御倉署に出頭してきたというのだ。それは志藤由未利であった。彼女は以前からこっそり誠司と付き合っており、あのときも屋敷の裏手の目立たぬ場所でいちゃついていたのである。
 これを説明するとき、永瀬さんはひどく困った様子で口を濁していた。僕がまだ十八歳未満だから言いにくかったんだろう。
 由未利はそのとき誠司から颯子は病気が再発して先が長くないこと、勝手に婚姻届を出してあることを聞かされた。誠司は咲倉家に出戻っている母親の秀子に小遣いをせびりに来た際に颯子が医者と電話で話しているのをたまたま立ち聞きし、急いで婚姻届を偽造して出したのだ。
 誠司は颯子が死んで遺産を手にしたら結婚しようと由未利に囁いた。別に颯子を殺そうなどというわけではなく、颯子には決まった恋人もいない。だったら……、と由未利は結婚と財産の誘惑に屈してしまった。身勝手な将来計画をふたりで立てているところ、伯母が緊迫した声で叫んでいるのが聞こえ、ただならぬ事態を察して屋敷に戻ったのである。
「奇士……、颯子さんの病気が再発したことは知ってた?」
「知るわけない! とっくに治ったと思ってたよ」
 まさに寝耳に水だ。颯子先輩は確かに病欠で一年遅れていた。白血病だと噂で聞いていたが、永瀬さんによると正確には急性リンパ性白血病といって、リンパ球がガン化して血液や骨髄で増殖する病気だそうだ。
 再発を告知されたのは、奇しくも僕たちと街で偶然出会った日だった。あのとき先輩がやけにはしゃいでいたのは再会を喜んでというより、ショックを隠す意味合いが強かったんじゃないかと思う。僕たちを自宅に呼んだのも、きっと動搖を紛らすためだったのだ。
「……再発を苦にしての自殺、だと?」
「警察はそう見てる。あれが自殺なら、密室に謎はない。先輩が自分で鍵をかけたんだ」
「あの状況で突発的に自殺するなんて不自然だよ」
「でもさ、今の幸せを失いたくなくて一番幸せな時に自殺する人だっているかもしれないじゃないか。前にも長期入院していたから、また病院で苦しい思いをするのがいやだったのかもしれない」
「奇士は時々想像力が過剰になって暴走するね」
 醒めた目で言われ、僕はカッとなった。
「じゃあ、密室の謎はどう解くんだよ。トリックなんて最初からないって、秘花言ってたじゃないか。あれは先輩が自殺だったからなんだろ。僕に遠慮して言えなかったんだろ」
 秘花は吸い込まれそうな碧い瞳で僕を凝視した。
「……颯子さんは自殺なんてしない。自殺なら、あのダイイング・メッセージは何よ?」
「それは……、やっぱり誠司に対する告発だよ。先輩は誠司が勝手に婚姻届を出したことに気付いたのかもしれない。それで、それを詰って……」
「気付いた時点で詰ればいいじゃないの。それができない理由がある? 女だったらね、勝手に婚姻届なんて出されたら逆上して相手の男をぶん殴るよ」
「自殺じゃないなら誰が犯人なんだよ。あの密室からどうやって出たんだ」
 秘花は顔をそむけ、濡れ髪をタオルで拭き始めた。
「颯子さんは自殺なんてしない。自殺じゃないってことを証明してあげるわ。明日、空中庭園にもう一度行くわよ」
 それきり秘花は口を閉ざしてしまった。
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