黎明    後編(執筆者:ラケットコワスター)

文字数 6,120文字

_____甘ったるい香りが鼻をついた。甘さ以外の要素は無いどこまでも純粋で無責任な甘さ。
 しかし人を安心させ、虜にする甘さ。犯罪的、というのはこういうものに使うのだろう。
 体が重かった。同時にふわふわとした宙に浮いたような不安定さも感じていた。

「お目覚めかしら?」

 薄ぼんやりとした視界に人影が映る。頭を二度、三度振り無理やり意識を呼び覚ます。目の前の人影の正体はシェロだった。

「あぁ……シェロ」

「ココアでよかった?」

 シェロがシオンの手前を指差し聞く。シオンが視線を落とすとそこにはマグカップに熱いココアが並々と注がれ湯気を立てていた。先程感じた甘い香りの正体はこのココアだったのだ。
 弱々しく頷くシオン。それを見るとシェロは傍らに立っていた初老の男性に声をかけた。

「メルシーマスター。もう大丈夫」

 シェロの言葉を聞くと男性は優しく微笑みどこかへ行ってしまった。

「……ここは?」

 シオンが辺りを見回す。二人は小さな白い丸テーブルに向かっていた。足の高い椅子に座らされており、地面に足がつかない。左手から差してくる陽光が少し眩しかった。

「見ての通り地上。あれから近くにあった町に着陸したの。で、ここはそのカフェ」

 見ると周囲にはシオンが向き合っているものと同じ白いテーブルが沢山置かれており、それぞれに色々な人が向かっている。部屋の隅に置かれたジュークボックスからシックな雰囲気の曲が流れていた。

「……さて、約束通り自己紹介するわね。私はシェロ・バルキリア。冒険家やってるわ。気軽にシェロって呼んでちょうだい。君は?」

「……シオン……」

「そう。素敵な名前ね」

 シェロは上品に笑った。
 そこでシオンは改めてシェロの顔を見た。空にいる間は纏められていたプラチナブロンドは解かれ、ふわりとしたロングヘアは背中のあたりまでのびていた。口元には柔らかな微笑をたたえ、細めで緩やかな曲線を描く両目には灰色の瞳がはめ込まれ、左目の目尻のあたりに泣きぼくろがあった。

「……あの竜は」

「マキナとカルナならあのままどこかへ行ったわ。お互いに命拾いしたわね」

 微笑みを崩さずシェロが答える。

「……あの時、僕は何をしたの?」

 シオンは俯きながら聞いた。それを聞くとシェロは初めて笑うのを止めきょとんと驚いたような顔をした。

「覚えてないの?」

 シオンが首を縦に振る。何も覚えていない。銃で顎を強打し、気を失ってから今目覚めるまで一切の記憶がない、と。

「……君は“異能”を発動させたの。それもとびきり強力なのを」

「異能?」

 今度はシェロが首を縦に振る。

「ええ。魔法とは似て非なるもの。この世界――“ヒューマニー”の人間には扱えない一種の上位魔法のようなものよ」

「ちょ……ちょっと待って」

 危うく口にふくんだココアを変なように飲み込みそうになりながらシオンが声を絞り出す。

「魔法? 魔法なんてありえるの……?」

 シェロはまた驚いたような顔をした。

「……ええ。この世界ヒューマニーではありふれているわ――ほら、あの竜騎兵の氷の矢。あれとか。この世界の全てのものには“魔素”と呼ばれるものがこめられてるの。その魔素を借りて奇跡を起こすのが“魔法”。私のこれとかに入ってる魔素弾もその魔素を利用したものよ」

 そう言うとシェロは腰に手をあてたかと思うといきなりテーブルの上に一丁の無骨な拳銃を置いた。ごとり、という重厚な音にシオンはおもわず小さく飛び上がった。彼がもといた世界(・・・・・・・・)ではめったに見ることの無かったものだ。

「……じゃあ、シェロも魔法が使えるの?」

 シオンが少し期待のこもった眼差しをシェロに向ける。しかしシェロはその眼差しに対して自嘲的に笑うだけだった。

「いいえ。私はまるで駄目。簡単な火魔法すら使えないわ。魔法が使えない人間なんてかなり珍しいんだけどね」

「あ……ご、ごめんなさい」

「いいのよ。そんなのどうでもいいことだわ……とにかく、何かから魔素を借りて行使するのが魔法。
 で、自分自身に宿る魔素(・・・・・・・・・)を使うのが‘異能’。魔法と違って体が元気でさえあればいつでもどこでもどんな奇跡だって起こせるのが異能よ」

「……そんなすごいものを……僕が?」

 シオンにとってはにわかには信じられない話だった。自分がそんなすごいものを扱ったと言うのだ。それも恐ろしく強力なものだとシェロは言う。これまで気絶していたのはあの一撃によって体内の魔素を使い切ってしまったからだろうと。

「……ねぇ、あれをもう一度やるのって」

「無理。詠唱? も思い出せない」

「まぁ……そうよね」

 そこでまたシオンは黙り込んでしまった。聞きたいことは沢山あったがなんとなく自分から話を切り出す気分になれなかった。

「……じゃあ、今度は私が質問していいかしら」

 シェロが声をひそめて尋ねた。シオンは目線を上げ、沈黙で了承した。

「……他の世界から来た、って言う話」

 シオンはどきっとしてまた視線を落とした。なんと言い訳をしよう。

「……嘘だと思うかもしれないんだけど本当なんだ。僕は……」

「嘘だなんて思わないわ」

「え」

 シェロはシオンの主張をからかったりはしなかった。相変わらず余裕そうな笑みを浮かべてはいるものの、こちらを嘲るような雰囲気は感じなかった。

「……信じてくれるの?」

「実はね、この世界では別にそこまで珍しいことじゃないの」

 シオンは顔を上げ目をパチクリさせた。紅茶のカップに口をつけながらシェロは続ける。

「結論から言うと君みたいに別の世界から来た、って言う人はまあいないわけじゃないわ。確かに稀有な人種であることに間違いはないけど。彼らは‘転生者’と呼ばれてるわ。君はその転生者にあたるの」

「転生者……?」

「そう。ある日どこからともなく姿を現す異質な旅人。この世界の人間には誰も扱えない“異能”を持ち、同時に別の世界の技術の伝来者となる存在。この世界の歴史のターニングポイントには必ず転生者の姿があると言うわ」

「……そう……だったんだ」

 これでマキナが自分の主張を笑わなかった理由がはっきりとした。だがそうだとすれば。同時に新しい疑問が浮かび上がってくる。

「……待って、だとしたらなんでマキナ……は僕を殺そうとしたの?」

 シオンは先程の空戦を思い出し身震いしながら聞いた。シェロの話を聞く限り転生者はこの世界にとって有益な存在ではないのか。しかしマキナははっきりと“転生者は不要”と言った。何故なのか。
 ここまで聞く限り自分がマキナに命を狙われる理由がわからない。

「……そうね……どこから話すべきかしら」

 シェロは思案するように黙り込んだ。シオンはそんな彼女を凝視する。

「……君は神様を信じる?」

「え?」

 予想の斜め上を行く答えが返ってきた。

「神様……? いきなりどうしたの?」

「この世界ではね、神様の存在が信じられているの。正直、あまりよくない方向にだけど」

 もともと声をひそめて話していたシェロが更に声を落とす。

「敬うべき、畏れるべき全能の超存在。それが神様。でも同時にその存在は災害を引き起こし、争いを生み、病気をもたらす災厄の化身。人類史の歩みを阻害する者……」

 シェロの雰囲気にシオンはごくりと唾を飲む。

「……って宗教の本に書いてあった」

 そのまま椅子から転げ落ちそうになった。

「まぁ、それがこの世界の人間の神様の捉え方。畏れられてはいるけどありがたがられてはいない。で、転生者はそんな神様に連れて来られる存在なの。良い目で見られると思う?」

 シェロはテーブルに両肘をつき口の前で両手を組んだ。相変わらず余裕そうな態度だったが不意にシオンにはその笑みが不気味な物に見えた。
 冷静に考えてみればシェロだって‘この世界の人間’。転生者が好きである可能性は低い。

「ひ……ま、待ってよ、僕は何も……」

「あら、驚かせちゃった? それはごめんなさい」

 シェロは組んでいた両手を解くと今度は本当にあどけない笑みを浮かべた。

「安心して。私は転生者をどうこうしようってつもりはないわ。おかげさまで変わり者扱いだけどね」

 別のところに理由がある気がする_____
 そう言いそうになったがひとまずシオンはほっと息をなでおろした。

「……じゃあ……なんでシェロは僕を助けてくれたの?」

「親切に理由が必要?」

 シェロはそう言ってシオンの目を覗きこんだ。灰色の瞳と黒い瞳の視線がぶつかる。こころ無しかシオンは心臓の鼓動が高まっていくような気がした。

「え、ええと……」

「ふふっ。まぁ……君には助けてもらっちゃったし。これくらいはしないと割にあわないでしょ?」

 またシェロが笑う。根拠は無いが、この笑みに他意は無いのだろう。そう直感した。

「さて、これから君はどうするの?」

「え」

 突然突きつけられた質問。これからどうするべきか。そういえば何も考えていなかった。

「この世界にやってくる転生者は皆何かしらの目的を持ってやってくることが多いの。君も何か理由があってここに飛ばされてるんじゃないかしら」

 目的。
 シオンは自分の記憶を洗ってみる。しかしどこにもこの世界に対する望みや目的など、それに繋がる手がかりすら見当たらない。

「…いや……覚えてない……目的どころか……何も……」

「……記憶が混乱してるのかしら。反対に何を覚えてる?」

 シェロが顎に手を当て呟く。そう言われシオンは必死に記憶をすくい上げる。

「……僕がもといた世界、は覚えてる……ぼくがそこで見たものとか、そういうのは、全部……でも」

「でも?」

 少しづつシオンの表情から血の気が失せていく。

()は思い出せない……これまで僕が会った人が誰も思い出せない……お父さんとか、お母さんとか……いや、それ以前に……僕はだ、れ?」

「自分のことすら!?」

 シェロの言葉が怪訝そうな響きを孕む。
 同時にシオンの息遣いが荒くなってきた。シオンの様子が急変したせいか他の客がしきりに二人のことを見てくる。

「名前以外何も……僕は……僕は、誰? どんな人間だった……!?」

「……! わかったわ、シオン、ちょっと落ち着きましょう?」

「……歳は……家族は……そもそも僕は……本当にこんな人間なの……!?」

「落ち着いて、大丈夫、大丈夫だから」

「わからない……わからない! 僕は……僕は……本当に“シオン”なの!?」

「シオン!」

 シェロがいきなりシオンの肩を強く掴んだ。突然の衝撃にシオンは我に返った。

「……君は君。大丈夫。忘れちゃったなら思い出せばいいわ」

「シェロ……」

 シェロは改めてシオンを椅子に座らせ、店内を見回す。シェロと目が合うと観客達は皆始めから見てなどいなかったとでも言いたげに知らんふりを始めた。
 シェロは小さくため息をつくと自身もまた椅子に座り直し、シオンと向き合った。

「……転生者は皆この世界にやってくる時なにかしらのハンデを神様から与えられるというわ。多分君の場合それが記憶の欠落……記憶喪失である、ってことね。取りあえずは記憶が戻らないことには君がこの世界に来た理由がわからない」

「……」

「決まりね」

 突然、シェロが手を叩いた。突然の音に思わずシオンも顔を上げる。

「これから君は自分の記憶を辿るといいわ。うん、それがいい」

「僕の……記憶」

「そこでなんだけど」

 流れるように話が進み、シオンが目を白黒させていると突然シェロが身を乗り出しシオンの顔を覗きこんだ。シオンは少し身を引きわずかにシェロと距離を取る。

「私と契約しない?」

「け……契約?」

 シェロはシオンに寄せていた顔を離し、椅子から降りると右手の人差し指を立て流暢に続ける。また他の客の視線が集まり始めたが今度はそんなのおかまいなしに続ける。

「そう。これから君は自分の記憶を辿るために色々なことをすることになるでしょう? 神様について調べるのもいいし、文献を漁るのもいい。でもそれをするのには‘足’が必要でしょう? 移動手段。……そこで私の出番。私が君をどこへでも連れて行ってあげる。空の下ならどこへでも」

「……それは嬉しいけど……代わりに僕は何をすればいいの?」

 シオンの脳裏にまた不安がよぎる。‘契約’などというのは大人が約束をする時に使う言葉。
 シオンはそう理解していた。シェロの提案はありがたいものだったが代わりに何を要求されるのか。

「何をしてちょうだいって話じゃないわ。君の旅を記録させてほしいの」

「僕の……えっ?」

 シオンは返答に困り、言葉を詰まらせる。旅の記録。
 つまりシェロはシオンの冒険記を作りたいというのだ。冒険記にできるような立派な冒険をする自信はないが。

「いいけど……どうして僕の旅を?」

「夢のため、かな」

「夢?」

「ええ。誰だって夢のひとつや二つ、あるでしょう?」

 突然、シェロの表情から飄々とした笑みが消える。

「私の夢は誰も飛んだことのない空を飛んで、誰も知らなかった物を見て、誰も書いたことのないような冒険記を書くこと。それには君の力が必要なの」

 シェロは真顔のままで言い放った。
 そこには先程からずっと漂っていた余裕そうな雰囲気は無く、信念に燃える冒険家の姿があった。

「……」

「駄目……かしら」

 シオンの沈黙。シェロの表情が不安げなものに変わっていく。

「……いや」

 やがてシオンが重苦しく口を開いた。

「いいよ。僕でよければ」

 シェロの表情が一気に明るくなる。

「……ありがとう!」

 そう言ってシェロが手を差し伸べ握手を求めてきた。

「契約成立ね。これからよろしく。シオン」

「うん!」

 躊躇わずに握り返す。
 すると同時にくしゃみが出た。

「あら、やっぱり体冷えちゃった?」

「……多分。空って寒いんだね」

「ええ。寒いわ。冬場なんか軍隊とかだと体温めるためにお酒が配られたりするらしいわ」

「え、じゃあシェロも飲酒運転するの」

「しないわよ。いくら体温まるからって、そんな危ないことできないわ」

「……だよね」

 シオンは安心したように吐息を漏らす。これから命を預ける相手が飲酒運転をするパイロットだなんて、冗談にもならない。

「それに」

「?」

「私まだ十九歳だし」

「え」

 シオンが固まる。

「え?何か変なこと言ったかしら?」

「ぅええぇーーっ!?」

 とても未成年の色気ではない____シオンはそう思った。
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