君はハイセイコーを見たか ①

文字数 1,674文字

 錦糸町駅・南口の駅前広場は、曜日と時間によってその顔を変えます。

 JRと地下鉄の乗り換え駅としてだけでなくバスターミナルもあるため、平日の昼間は学生やサラリーマン、買い物に来た主婦など多くの人が行き交う駅前広場。その一角に昭和二十七年創業の「セキネ楽器店」があります。
 楽器店、と名がつきますが、取り扱っているのは主に音楽カセットテープ。それも演歌のみ、です。間口が狭く、何人も入れないようなこじんまりした店舗の壁一面に、今では見かけなくなってしまったカセットテープがびっしりと並んでいます。
 この昭和感が満載のお店は、知る人ぞ知る演歌歌手の登竜門なのです。

 ちょうどお昼を過ぎたころ、セキネ楽器店の前に黒山の人だかりを目にすることがあります。たいてい四~五十人は集まっていて、年齢層は高め、六十代が中心といったところでしょうか。女性が多いこともあれば、男性で埋め尽くされていることもあります。何かというと――
 演歌歌手による店頭ライブが定期的に行われているんです。今年の三月には十八回、二月には十六回のライブが行われていました。目の前で歌ってくれて、そのあとは握手会、CD即売会……ん、〇KBの戦略モデルはこんな所にあったのかっ!
 ここの店頭ライブに出ることが演歌歌手にとって一つのステータスとかで、紅白出場の水森かおり、ものまねでも有名な西尾夕紀、あの小林幸子も。若い男性歌手には追っかけのご婦人方もいたりして、集まっている人達の後ろを通り過ぎるだけでも熱気が伝わってきます。


 これが土日になると、同じ時間帯でもセキネ楽器店側ではなく道路側に人が集まり、異なる熱気を感じます。それは――
 競馬の予想屋さんを取り巻くおじさん達。土日の昼間は、南口を利用する人の大半が場外馬券売り場(WINS錦糸町)へ来たと言って過言ではないほど、街は競馬一色に染まります。

 1950年に場外馬券場を誘致した楽天地は、1967年にはダービービルを建設して中央競馬会(JRA)へ全館貸し。その後、ボーリング場として使用していたビル(映画館街とは別の場所です)を1990年にダービービル西館として建て替えました。さらに1999年には東館も建て替えを行い、それぞれをWINS錦糸町 西館、WINS錦糸町 東館としてJRAが使用しています。
 発売窓口数は両館合わせて三百二十三。これがどの程度の規模なのか想像つかないと思いますが、WINS新宿が六十、同 汐留が百三十五、銀座は百八十八となっており、五百を超える窓口数の後楽園は別格として、浅草とほぼ同数、全国でもトップクラスの馬券売り場です。

 窓口数が多いということは、それだけ人が集まる証なので、競馬開催日のWINS周辺の横断歩道にはJRAから交通誘導員が配置されます。
 南口の駅前広場に立つと、うまい棒の看板の隣に東館、正面やや右にマルイ、さらに右に目を移すと西館が見えます。マルイ前の横断歩道は、土日の昼間はオジサンたちでいっぱい。信号が青に変わり、誘導員に促されて横断歩道を渡り終え、左へ曲がるのは比較的ご年配の方々、右へ曲がるのは壮年が中心と、なぜか傾向が分かれています。
 二十年以上前の話になりますが、ナリタブライアンという人気馬が出走した有馬記念(年の瀬に行われ、グランプリレースと呼ばれる)の際には、レースが行われた中山競馬場の入場者数が十六万人だったのに対し、WINS錦糸町の利用者数は両館合わせて十七万人!という記録もありました。もちろん、利用した人がずっと錦糸町に留まっているわけではありませんが、飲食店を利用したり、昼間から飲み屋へ行ったりと、その経済効果はかなりのもの。
 土日の昼間は、東館が面する通り(通称「ダービー通り」)は車両通行止めになり、その通りに面して連なる小さな飲み屋が一段と賑わいを見せるときでもあります。

 このダービー通り、錦糸町のネガティブイメージをすべて背負ってるようなところなのですが、その話へ行く前に競馬への思い出を少し。
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