人が流行に乗るべきかどうかを悩むのは、疎外感を感じている時です
顧問が話を聞く姿勢を見せるなり、恋々子はぺらぺらと口を動かす。
たとえばひとりも友達がいない、友達が自分の知らない話題で盛り上がっている、友達が――いえ、皆がその話題を共有している
正当なお叱りに対して反省することなく、全力で自分の行いを棚に上げてようとしていた。
健全な人であれば、その3つがきっかけになると思われます。
早い話が、仲間外れを恐れる気持ちですね
それが捻くれた人だと、疎外感を劣等感に置き換えてしまうので、自己嫌悪か他者を攻撃する行為に走ります
楽しそうに喋る先輩に対して、後輩たちは心の中でツッコむ。
上辺や偽り、無理をして相手に合わせる行為。
もしくは対等ではない関係に疑問を覚えるからこそ、人は流行に乗るべきかどうか、悩むのではないでしょうか?
邪魔をしようにも展開があまりに急すぎて、永久莉の思考は追いつかなかった。
ただ、友達を作るべきか否か。
それも上辺の友達を――ってなると恥ずかしいから、論題をすり替えたのだとわたしは思うのですが?
話題をすり替えられていると気付いてかいないでか、STYは流されていた。
それに持ち込み論題に関しては、それなりに意見がでているようだし
準備時間は15分。論題は上辺の友達を作るべきか否か。
立場は先ほどのまま――
飽きっぽい恋々子のことだから、立場が変わるほうが嬉しかったのだろう。
流行に乗るべき派だった鷹司と加賀が、上辺の友達を作るべき立場で。
染谷と林原が作るべきではない立場で準備をしてくれ
文句がつけようのない顧問っぷりを発揮され、部員たちはそれぞれ動き出す
いや、その……妹が多いから、静寂を求めるかな~って
さぁさぁ、無駄口叩いてないで情報を集めてください。
合致しないとなると、自前の知識だけじゃ足りないでしょう?
わかっていると思うが、どちらがより悪いという弁論はなるべく控えるように
そうして、制約のかかった変則的なディベートが始まる。
上辺の友達は作るべきではありません。
何故なら、上辺であろうとも友達の影響は計り知れないからです
先陣は秋人が切った。
論題的に、こちらからのほうが無難と判断した次第である。
本当の友達だと良い影響も受けるでしょうが、上辺だと内心で見下している所為か認めることができず、悪い面しか見なくなると言われています
それは友達に限りません。
人は誰かと長期間一緒にいると、似てくる性質を持っています
秋人は内心で呻く。
実のところ、恋々子の発言は自分が続けて言うつもりの内容であった。
そして、学校の友達と過ごす時間はとても長く――
その付き合いを理由に生活態度はおろか、進路まで決めてしまう人もいます
それも疎外感を避ける為でしょう。
ですが、いつまでもそのままではやっていけません
特に友達がいないことを恥じ、劣等感や焦りから上辺の友達を作ろうとするのは問題を先送りにしているだけだと思います
その時の為にも、本当の意味での自立。また、自我の確立をしておくべきです。
実際、周囲を大勢の仲間で囲んでいる人は精神的に弱いというデータもありますし
また、上辺の友達が多いとフレネミー。
友達のフリをしながら、陰湿な攻撃をしてくる存在の接近を許してしまいます
だから、わたしたちは上辺の友達を作るべきではないと思います
秋人から始まったものの、恋々子が締めくくって発言を譲る。
仰ることはわかります。
ですが、たとえ上辺であろうとも友達は作るべきだと思います
学生時代はもちろんのこと、大人になっても対人関係は避けられません。
それどころか、年齢や立場がかけ離れた人とも付き合うことを余儀なくされます
つまるところ、生きていく上でコミュニケーション能力は重要だということです。
上辺の付き合いは、それを鍛え上げるのに最適ではないでしょうか?
つまり、学生レベルのコミュニケーションに苦戦しているようでは、先が思いやられるということですね
それに上辺だろうと、友達が多いと何かと便利です。
学校生活はもちろん、プライベートでも――
自分の趣味嗜好だけでは、知る機会のなかった事柄に触れる割合が多くなりますからね
その利便性を捨てて来るかもわからない『いつか』に備えるのは、今できないことに対する言い訳のように感じます
失礼ですが、その『いつか』は必ずきますよ?
実際、主体性のない人間は就職で躓く可能性が高いというデータもありますし
思うのですが、昨今はどうも友達というものを神聖視して、上辺の関係を必要以上に毛嫌いしている節が感じられます
とはいえ、ふたりとも馬鹿ではないので感情的な言い合いには発展させなかった。
そもそも、人間関係は密になればなるほど破綻しやすくなるモノです
現に大人になるにつれて、友達と絶交した回数よりも夫婦や恋人――パートナーと別れたほうが圧倒的に多くなるようですし
ですよね? という意味で永久莉は顧問に目を向けるも、
永久莉の狙い――論題の拡大解釈に気づいて、恋々子は苛立ち交じりに確認する。
はい。
少なくとも、『責任』という言葉がつき纏うような友達関係よりは遥かに健全だと思います
上辺の友達を作るべきではない=本当の友達は作るべき。
無理のない方程式ではあるが、恋々子も秋人もそちらの準備はしていなかった。
何故なら、そういったモノは家族の情愛であって友達に求めるモノではないからです。
それにどちらか一方が重荷に感じた時点で、友情は厄介な代物に成り下がります
上辺の友達関係を厭い、本当の友達を賛美する。
それは教育及び、フィクションの影響に過ぎないと私は思っています
その可能性は否めません。
ですが、それでいいじゃないですか?
学校教育やフィクション等、何かの影響を受けることが悪い、浅いという考えは今の流行りであって正しいわけじゃないよね?
また、最近の流行りでいえばSNSがあげられます。
あれこそ、上辺の友達関係の最先端といえるでしょう
SNS――バーチャルと現実の人間関係とでは、使っている脳領域が違うそうですよ
が、永久莉はさらりとかわす。
SNSの弊害をあげつらおうとしていた恋々子は出鼻を挫かれるも、
……しかし、上辺の友達を作るのにSNSは外せません
それにバーチャルのみの関係だと仰る通りかもしれませんが、最近の若者はネットを現実の延長線として使っているので、切り離すことはできないと思います
昨今の炎上もそれが原因です。
現実の延長――つまり、仲間内だけと誤解していることが起因としてあげれます
中には、本当に仲間内だけで共有していたものを誰かが勝手にネット上にあげたケースもあります。
それこそ上辺の関係の……弊害じゃないでしょうか
どうやら、恋々子も顧問の注意を憶えてはいるようだった。
そういったケースを含め、どのようにしてリスクを回避するか。
それを学ぶ為にも、上辺の友達を作るべきかと
それに上辺の関係が本物になることもあります。
最初から本物じゃないと駄目という考えは、些か潔癖に過ぎます
ですが、人間には時間も労力も限られています。
得られるモノが僅かで、本物になるかもしれない可能性にかけて時間を無駄にするのは賢くないのでは?
既に将来や、やるべきことを見据えてのことでしたら構いませんが。
まだ何者になるかも決まっていない段階だとしたら、それこそ自らの可能性を閉ざす行為――賢くない選択と言えるでしょう
後輩たちまで感情的になったのを見て、顧問は口を挟んだ。
急だったからか、論題の所為か。染谷も鷹司も、藍生の悪い面が出ていたぞ
周囲が恥ずかしくなるほど、美辞麗句を並び立てて褒め称えるな
メリットだけでごり押しするの。たいていは説得力を与える為に、デメリットも添えるんだけどね
結果、対立するほうは問題点の指摘――というかツッコミに追われて、ロクに意見も言えないまま終わるわけ
勝敗を分つ競技ディベートとしては最悪だろうが、1つの意見を徹底的に洗うという点では最高だった
あぁ、そうか。
対立するほうがデメリットや問題点を指摘するから……
そうなの。
見事な役割分担っていうか、良いように使われちゃうの
でも、あの先輩から頭お花畑な台詞を延々と聞かされるのも耐えられないからさぁ
思い返してか、げんなりとした表情でふたりは言い連ねた。
あいつの真似をしろとは言わないが、見習える点は見習うべきだ。
偏った意見を見て、初めて自分の気持ちに気づけることもあるしな
人には平等精神がある。
だが、好き嫌いがはっきりしているとそれが働かなくなる
偏った意見を見た時に不公平だと思うのか、それとも単に腹が立つか、もしくはその通りだと受け入れるのか。
それによって、初めて自分の感情に気づくことがあるってこと
平等精神から怒るのか、それとも個人の感情で怒るのか、もしくは明らかな差別なのに迎合してしまうのか。
メリットとデメリットを並べて考えると、それだけで平等に判断したと満足してしまう場合がある
あー、確かにそうですね。
ネットで良い評価しかないと、逆に不安になったりステマとか工作を疑いますもん
確かに、悪い点が幾つかあるほうが本物っぽく見えます
だからこそ、たまには偏った物の見方もしてみるといいぞ。
もっとも、好きな事柄ならともかく、そうでないモノを盲目的に捉えるのは難しいけどな
今回は素直に耳を傾けられたので、ふたりは頭を下げる。
対して、こちらのふたりは不満たらたらな顔。
誰が見ても、口先だけの感謝であった。
なのにSTYは怒ることなく、茶目っ気を交えて答えた。
ディベートを教えられる大人は少ない。
限らず、マイナー競技は常に指導者が不足している。
それでも、学校の部活動として認められれば、誰かが顧問を務めなければならない。
たとえ、その競技について何も知らなくとも――
顧問は生徒たちを指導し、更なる高みへ導かなければならなかった。
(あーん、もうっ! このわたしがSTYに諭されるなんて……)
(あー、腹立つっ!別に私は藍生先輩の影響なんて受けてないっての)
もっとも、肝心の生徒たちは微妙な年頃なので、大人の苦労や凄さを素直に認められずにいた。
特に、内心で軽んじていた相手に注意されると、それだけで拒否反応を起こすのであった。
そうだとしても、大人は感情的に怒ってはいけない。
かつて、自分が生意気な子供だったとしたら猶更である。
STYと影で囁かれ、裏で軽んじられ、目の前で反抗的な顔をされたとしても――幼かった自分の気持ちを思い出して、山本先生は笑って聞き流すのだった。