鬼の目にも涙

文字数 2,787文字

「やあ、宮司さん、お久しぶりですな」
「今年も山から下りてまいりました、よろしくお願いしますよ」
「いえいえ、こちらこそよろしくお願いいたします、あなた方に来ていただかないと節分を迎えた気がしませんからね……おや? 今年は皮袋ではなくリュックサックですか」
「ははは、昨年頂いたご祝儀で買って帰ったのです、皮袋に比べて格段に便利な物ですな」

今日は節分、節分と言えば豆まきでございます。

 普段はひっそりと落ちついた神社ですが、この日ばかりは他の町からも多勢の人が集まってまいります、なぜなら、この神社の鬼は『リアルすぎる』と評判なのです。

 でも、それもそのはず、なにしろ赤鬼、青鬼の二人は、着ぐるみやお面をつけただけの人間ではなく、本物の鬼なのでございますから。

 一年に一度だけ、節分の日に鬼たちは山から降りてまいります、この日ばかりは人間界を大っぴらにのし歩いていても、みんなは節分で鬼の役をする人だと勘違いして怖がらないもので……。

 交番のおまわりさんも……ほら、このとおり。

「や、ご苦労様です……」

 この神社が出来たのは遠く江戸時代にさかのぼるのでございます。

 初代の宮司さんは鬼を怖がらない豪胆な方でございました、けれど慈悲深い人でもあったのでございます。

 その頃、鬼たちは時々山をおりてきて、暴れまわったり大事な食べ物を盗んだりするので村人たちから恐れられていたのですが、ある時、村で流行っていた病気にかかってしまい、動けなくなってしまったのでございます。

 もし村人に見つかったら大変、きっと殺されてしまいます。

「いくら悪い鬼でも、それは可哀想だ」と思った宮司さんは、鬼たちを神社の倉庫にかくまって薬草や食べ物を運んであげたのです。

 すっかり病気が直った鬼たちは、宮司さんに感謝して、もう二度と村を襲わないと約束して山に帰って行きました。

 そして、それからというもの、毎年節分の日には山から下りて来て、節分の敵役を務めるようになったのでございます。

「今年も虎のパンツを用意しておきましたよ」
「ありがたい、そろそろ擦り切れていたんでね」
「ただ、今年もフェイクファーなんですよ、もう本物の虎の皮は手に入らないもので」
「かまいませんよ、いや、むしろその方がいい」
「無用な殺生は我々も好まないのでね」
「本当にお二人は心優しい」
「いやいや、あなたのご先祖のおかげです、命を救われた時に、すっかり心を入れ替えたのですよ」
「では早速奥でお着替え下さい」
「着替えと言ってもパンツをはきかえるだけですがな」
「隣の部屋に、ささやかですがお酒と食事の用意もしてありますよ」
「それはありがたい、では、豆まきに差し障りのない程度にご馳走になります」
「我々も山で芋焼酎を作って飲んではおりますが、人間界の酒は味といい香りといい格別ですからなぁ……」

 節分の行事はお昼過ぎから始まります。

 祝詞を上げるなどの神事はつつがなく進み、午後三時ともなると、学校を終えた子供たちが次々に集まってまいります。

 やって来た子供たちには桝に入れた豆が配られて、子供たちは顔を輝かせてそれを受け取ります、豆まきを楽しみにしているのです。

 子供たちがそろった頃を見計らいまして、いよいよ鬼たちの出番でございます。

「ウォー!」
「ガォー!」

 本物の鬼の唸り声は迫力満点、でも、子供たちにそれを恐れる様子はありません。

 子供が好きな心優しい鬼たち、唸ったり吠えたりしても、どこかおどけた、楽しい雰囲気がにじみ出ていて、子供たちはそれを肌で感じているのでございます。

「うわーぃ」
「鬼は~外」
「福は~内」
「おお、これは堪らぬ」
「退散じゃ、退散じゃ」

 おどけた様子で逃げ回る赤鬼、青鬼。

 本物であるだけに、そのおどけた様子は却って可笑し味があるのです。

 子供達は歓声を上げながら鬼達を追いまわし、鬼達も楽しそうに逃げ回ります。

 ほのかに梅の花が香る境内は、子供たちの歓声と、それを見守る大人たちの暖かな笑い声に包まれていました。


 そんな楽しい雰囲気の中……。

「赤よ……」
「うむ、俺も気づいているぞ、青よ」
「参道だ……車が突っ込んでくる……」
「ああ、猛スピードでな……」
 鬼たちはおどけて逃げ回るのを止め、鳥居の前に進んで立ちはだかりました。
「赤よ、見えるか?」

「ああ、見える……あやつ、狂っているな、真っ直ぐ突っ込んで来るつもりだ」


「子供たちは下がっていろ!」


その声はまるで雷のようです、そしてその表情は正に鬼の形相。


 子供達はあっという間に鬼達の側を離れ、遠巻きにいたしました。

「来るぞ!」

「おう!」


「ええいっ!」
「やあぁっ!」

 大きな声を轟かせますと、鬼たちは金棒を暴走する車に振り下ろします。

 車はぺしゃんこ、赤鬼は運転席から狂ったドライバーをつまみ出して吠えました。


「この大馬鹿者が! 一体全体何をする気だ!」
「うう……は、離せ、この世の中は狂っている、俺は罪深い人間を一人でも多く道連れにして死ぬんだ」
「ふざけたことをぬかすな! お前など地獄の業火に焼かれるが良い!」
赤鬼は金棒を振り上げました……その時です。
「止めておけ……見ろ……」
「……」
 見れば子供たちが一塊になって震えているではありませんか……。
「二度とこんなことはするな……」

 赤鬼はドライバーに静かに言うと、駆けつけたパトカーから降りて来た警官に向けて軽々と抛り投げました。

 本物の鬼である事を知られてしまったからには、もう人里に下りてくることはできません。

 二百年続けてきた節分の敵役もこれで最後、もう、あの子供達の歓声に包まれる事もなくなるのです……。


 

その時、遠巻きの輪の中から、一人の小さな女の子が進み出てまいりました。
「本当の鬼さんだったの?」
「ああ、そうだよ……隠していてゴメンな、だけど本当の鬼だとわかったら、みんな怖がってしまうだろう?」
「ううん、そんなことないよ」
「……」
「だって、鬼さんたちは、あたし達を助けてくれたのよね? 鬼さんたちが止めてくれなかったら、みんなあの自動車に轢かれて死んじゃったり大怪我しちゃったりしてたのよね?」
「ああ、そうだね……夢中で止めてしまったよ」
「だったら、鬼さんたちはきっと良い鬼さんたちだわ、優しい鬼さんたちよね? あたし、鬼さんたちが大好き!」
「おぅ……」
「おぉ……」
「わ~い!」
「赤よ……」
「青よ……」
「赤よ……」
「青よ……」
「もうすぐだな」
「ああ、もうすぐだ、待ち遠しいな」
「このパンツもだいぶ擦り切れてきたしな」
「ははは、違いない」
「しかし、もっと楽しみなのは……」

「ああ、またあの子供達に会えることだな」


 山の奥深く、洞穴の中。

 赤鬼、青鬼は今年も節分の日が来るのを指折り数えて待っているのです。


                       



                      おわり

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