文字数 3,525文字


 コンコン、と窓ガラスが叩かれる音に、少年は身体を起こした。
「あきら、調子はどう?」
「おはよ、アキラ。今日は結構良いよ。」
 窓を開けると冷たい空気とともに、同じ名前を持つ友人が室内に入ってくる。
「外、寒い?」
「すっごく寒いよ」
 鼻の頭を赤くした親友はほら、と窓の外を指す。
「だって雪が降ってるもん」
 うん、と頷いて暁は憧れのこもった視線で窓の外を見る。
「いいなあ。僕、雪なんて触ったことないよ」
 物心ついた頃には、既に病院暮らしだった。つい最近部屋を移るまで、無菌室が暁の世界だった。
「じゃあ、外に出てみる?」
「うん!」
 医師や看護婦や両親からは、病室を出ないようにと口を酸っぱくして言われている。ようやく無菌室を出られたというのに、免疫力の弱い暁は個室を宛われて、他の子どもと顔を合わせることもない。
 外に出たのが見つかると、後で先生達から怒られるのは知っている。けれど、初めて出来た友達の誘いはとても魅力的で、暁は喜色満面で頷いた。

 *

 ふう、と息を吐くと、中山友香はジャケットから携帯電話を取り出した。呼吸を整えながら通話ボタンを押す。屋内とは言え、人気のない廃ビルの中は外気温とほとんど変わらない。格闘の後ということもあって、寒さはそれ程感じないものの、吐く息が白い。
 相手はすぐに出た。
「もしもし、指揮官? 例の件、片づきました」
 目の前の結界に視線を流し、友香は言う。
 その中では男が一人彼女を睨み付けている。彼を閉じこめているのは、敵を捕らえるための特殊な結界だった。

 ここ数ヶ月、夜道で人が突然に姿を消す事件が頻発していた。
 消えた人間は数日後にひょっこり元の場所に現れる上、本人達には行方不明になっていたという自覚もなかったため、人界ではひそやかな怪談として囁かれる程度にとどまっていた。

 しかし「ランブル」の情報部には度々、精界人の力が行使された形跡が記録されていた。情報部の事前調査を経て、それが「事件」として公安部に報告されたのが3日程前のことだ。情報部の事前調査の結果から、相手の力量がそこそこ強いと判断した友香が自ら調査に乗り出して、つい先程ようやく相手の確保に成功したところだ。
「今から監察に送ります。向こうに確認してもらってもいい?」

「ランブル」の役目は、3つの世界のバランスを保つこと。友香が長官を務める公安部は、世界のバランスを保つために、人界で不用意に力を行使する精界人を取り締まることである。

 音波が空気を振るわせるように、精界人の力が人界で使われると、空間が振動する。
 光であれ闇であれ、人界で力が行使されれば、必ずその振動に比例した「反動現象」と呼ばれる反応が生じる。その力が一定レベル以上だと情報部の計測器に記録され、その大小や継続性によって事件とみなすか否かが決まる。力の行使がたった1度でも、反応が強ければ当然のこと、1回1回の力の行使は小さな反応しか残していなくても、継続して記録されていれば調査対象となる。

 事件と認定されると、今度は、人界に駐在している情報部員による事前調査が行われる。そして数日間の聞き込みを経て、いよいよ事件として司令部に報告があがる。さらにそこから公安部に調査指令がおり、公安部員が派遣されて現地調査を開始することになる。原因と実行者を特定したら、事件の凶悪さに関係なく、原則として一度相手を確保して監察部に送ることになっている。
 その後、監察部で事情聴取が行われ、その内容いかんによって罰則が決定される、というのが一連の大まかな流れである。

「じゃあ、送ります」
 そう電話の向こうに告げると、友香は男を捕らえた結界に手を翳した。深い緑の光が結界を包んだかと思うと、彼の姿は瞬く間に姿を消した。
 ややあって、受話器の向こうから『受け取ったそうだ』というアレクの声が聞こえてくる。
「そう? よかった――うん、大分悪いことしてるみたい。帰ったら報告します」
 『ま、ゆっくり帰ってこい。そっちに3日間詰めっぱなしだったんだろう?』
「うん。でも寒いし、早く帰って休みたいかな」
 さすがに体が冷えてきたと笑いながら、ちら、と窓の外に目をやった友香は、あ、と呟いて言葉を飲み込んだ。
 『どうした?』
「……寒いと思ったら、雪」
 いつの間に降り出したのか、窓の外には大粒の牡丹雪が舞っている。
「やっぱり、ちょっとゆっくりしてから帰っても良い?」
 弾んだ声の友香に、受話器の向こうでアレクが笑うのがわかった。
 『――ほんとに好きだな、お前』
「だって、精界じゃ降らないもんね。いい?」
 『いいよ、ごゆっくり。滑って転ぶなよ』
「失礼ね。転びませんー」
 アレクの笑い声にそう返して、友香は通話を終えた。

 *

 町には既に、うっすらと雪が積もり始めていた。友香はうきうきと弾むような足取りで、新雪を踏みしめながら歩く。

 雪は好きだ。
 町が白と黒のモノトーンに塗り替えられて、何だか町中の音が雪に吸収されたようにシンとなるのも良いし、何より白い雪がふわふわと舞っている様子を見ると、気分が浮き立ってくる。
 雨期以外に明確な季節変化のない精界では、年中暖かい代わりに雪も降らない。幹部候補生時代、人界での研修中にはじめて実物の雪を見たときには、思わず歓声を上げたことを、昨日のことのように覚えている。

 のんびりと店をひやかしながら町を抜け、住宅街に入ったところで友香はふと足を止めた。
「――?」
 微かな力の波動を感じたような気がしたのだが、気のせいだったようだ。
「やだなぁ、疲れてるのかな」
 苦笑しながら再び足を踏み出そうとした瞬間、またも微かな気配を感じて彼女は眉を顰める。
「……どこかしら」
 微かではあったが、今のは間違いなく「闇」の力の気配だった。友香はきょろきょろと辺りを見回しながら、気配のした方角を確かめようと意識を集中させた。

 そこに、また。

「あっちね」
 力自体は「ランブル」にも関知されない程度のごく弱いものながら、続けざまに使われているのが気になる。一応確認しておいた方が良い。彼女は気配のした方角に向けて走り出した。
 しばらく行くと、長い塀に囲まれた建物が現れた。ここに来る迄の間にも、何度か同じ気配がしていた。どうやら、この中のようだ。友香は辺りに人影がないのを確認すると、トン、と軽く地を蹴って塀に手を掛けると、軽やかに飛び越えた。

 そこは、建物の裏手であるらしく、幾枚も干された白いシーツと焼却炉の他にはなにもない空間だった。とりあえずシーツの影に身を潜めると、その向こうに2人の子ども達が少し伸びかけた雑草の上に座り込んで何やら楽しそうに笑いあっているのが見えた。
 2人とも6、7歳といったところだろうか。1人は寝間着の上に厚手のカーディガンを羽織り、坊主頭に毛糸のキャップを被っている。
「……病院?」
 口の中で小さく呟いて、友香は辺りを見回した。
 件の気配はこの辺りでしていた筈だ。とりあえず周囲を探そうと踵を返しかけた時、またしても同じ気配がした。

「――――!?」
 慌てて振り向いた友香は、目に映った光景に思わず喉元まで出かけた声を飲み込んだ。

 シーツの向こうで遊んでいる少年達の内の1人、こちらに背を向けて座っている、タートルネックにオーバーオールの少年が翳した手の先で、降りしきる雪にぽぅっと火が灯る。
 その小さな火がついたのは一瞬で、白い小さな花に変わる。その一連の手品に、寝間着を着たもう1人の少年が嬉しそうな笑い声を上げた。

「…………」
 友香がそっと見つめる先で、寝間着の少年の笑顔に応えるように、彼はもう一度雪に手を翳し、花を咲かせてみせた。
 わぁっと歓声が上がる。その時、彼らの向こう、建物の角から人のやってくる足音が聞こえた。その音に、雪を花に変えていた少年がさっと立ち上がった。
「――僕、もう行かなくちゃ。また後でね」
 そう言うと、くるりと踵を返し、少年は友香のいる方角に向かって駆けてきた。咄嗟に陰に隠れた友香に気付かず、少年は彼女の脇を通り抜けると、灌木の影に駆け込んだ。
 直後、背後で看護師の声がする。
「暁くん、探してたのよ。ベッドから出ちゃ駄目だっていったじゃない。そんな格好じゃ寒いでしょ?」
「寒くないよ」
 しかし、明るい声音でそう返した次の瞬間、暁少年は激しく咳き込み、雪の上に倒れ込んだ。
「大丈夫!?」
 慌てて少年を抱きかかえた看護婦が屋内へ戻っていくのを見届け、友香はゆっくりと少年達の遊んでいた辺りに近付いた。

「花……」
 白く降り積もる雪の中に紛れ、あの小さな花が散っている。
 指で摘んで拾い上げたそれは、掌の熱に、溶けて――――消えた。
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