第6話  翔の想い

文字数 2,603文字

「公園に行きたいな」

 コンビニで買い物をすませ、帰る途中、緋色がそんなことを言い出した。
 緋色のお願いに彼らが反対できるはずもなく、近所の公園まで足をのばした。ジャングルジムと滑り台、砂場と所々に置かれたベンチ。

「こんなに狭かった?」

 公園全体を見回して緋色がポツリと漏らした。小さい頃はとても広く感じたのに、今見ると、こじんまりと小さく見える。

「おれたちが大きくなったってことじゃないかな」

「そっか」

 晃希の言葉にどこか納得したように緋色がつぶやいた。

 小さい頃、ここが三人の遊び場所だった。
 ブランコは無くなってしまったが、日が暮れるまでここで遊んでいた、懐かしい思い出の場所だ。

 今は夜でここにいる人間は三人だけ。周りには家もあるとはいえ、外灯の明かりだけの夜の公園は不気味なくらい静かで、昼のにぎやかさとは雲泥の差がある。
 そんな雰囲気をものともせず、緋色は駆け出すと、ジャングルジムを登りだした。

「危ないから、無理するな」

 翔はハラハラしながら彼女を追いかける。

「大丈夫だよ」

 緋色は、翔の心配そうな声に耳を貸す風もなく、一気にてっぺんまで登ると空を仰ぎ見た。

「お月さま、きれーい」

 緋色の感嘆の声に、やっと追いついた晃希と翔も夜空を見上げた。
 夜空に鮮やかな輪郭を描いた三日月と淡い光を放ちながら瞬く星たち。

 しばらくは月を眺めていた翔だったが、気がつけば緋色を見つめていた。
 仄かに明るい月の光に暗闇に浮かぶように、緋色の横顔が照らし出される。光と影のコントラスト。
 あの頃に比べたら笑うようになった。
 けれど……久しぶりに訪れた公園は、小さい頃を思い出させる。夜の静寂な空気はどこか物悲しくて、過去に引き戻されそうで少し怖かった。

「くしゅん」

 静寂を破るように突然、上から聞こえたくしゃみ。緋色は体を抱きしめていた。朝同様、夜もまだ冷える。花冷えと言われるこの時季。薄手のコートは羽織ってきていたが、じっとしていたから、寒さが身にしみたのだろう。

「帰ろうか、ほら」

 そういって、晃希が手を差し出した。

「一人で下りられるよ」

 ちょっと、不満そうな表情で晃希を見下ろした。

「そうかもしれないけど、万が一ということもあるからね」

「もう、小さい子供じゃないんだからね。晃くんって、いつも子供扱いするんだから」

 緋色は晃希を睨む。拗ねたような顔もかわいい、晃希は目を細めると思わぬことを口にした。

「それにほら、下りられなくなって、泣いたことあっただろ?」

「……」
 
 それを聞いた緋色の顔がたちまち朱に染まる。

 初めて、ジャングルジムに登った時のこと。
 調子よく登ったのはよかったが、いざ下りようとしたら、その高さに驚愕し体が恐怖に震え、一歩も足が動かなくなったのだ。今から思えば、高さもそれほどではないのに、あの頃はビルのてっぺんにいるくらい高く感じた。
 すっかり、忘れていたのに……

「それって、昔のことじゃない。大事に取っとかなくていいから忘れてよ」

 耳まで真っ赤にした緋色が、口を尖らせて晃希に抗議した。

「努力はしてみるけどね」

 晃希のしれっとした態度に、緋色はますますムッとする。

「晃くんのいじわる」

「拗ねないで、ほら」

 機嫌を損ねてしまった緋色にくすくす笑いながら、晃希は差し出した手をさらに伸ばす。

「いい。一人で下りる」

 緋色はそっぽを向いてしまった。

「早く下りないと、風邪ひくよ」

 そういわれると、確かに寒い。さっきよりも体が冷えてきた気がする。変な意地を張ったせいで、本当に風邪をひいてしまったら、みんなに心配をかけてしまう。緋色は晃希の言葉に渋々ではあったが、従うことにした。
 
 その前に、

「翔くんも……覚えてるの?」

 緋色は窺うように恐る恐る翔を見る。

「いや。さっきから考えていたけど、記憶にない。覚えてないな」

 翔は首を振って、きっぱりと否定した。

「ほらあ。翔くん覚えてないって、だから晃くんも早く忘れてよね」

 よほど、あの日の出来事が恥ずかしいのか、やけにこだわる。これ以上、拗ねられても困るので、折れることにした。

「わかった。今日限り忘れるよ」

「うん。そうして」

 忘れるという言葉を聞いて、緋色は機嫌を直してくれたらしい。

 晃希と緋色のやり取りを見ながら、翔はあの日の出来事を思い出していた。
 緋色があまりにも嫌がるから、覚えてないふりをしただけで、実は記憶にないどころか、昨日のことのように、鮮明に覚えている。

 ジャングルジムから下りられなくなった緋色に、どんなに声をかけても、手を伸ばしても恐怖に竦んでしまった体を動かすことは出来ず、首を横に振り、頑なにおれと晃希の手を拒んだ。

 その様子に気づいた大人が助けようとしたけれど、それでもダメで、どうしようかと途方に暮れていたところに兄貴が来たのだ。それだけでも緋色の表情が変わる。こわばっていた顔が、安心したようにみるみるうちに緩んでいった。

『緋色、大丈夫だから。ちゃんと受け止めてあげるから、下りておいで』

 手を広げ、下りるように促すと、それまで動かすことのできなかった体がすっと離れ、兄貴の腕の中へとおさまった。兄貴に抱きしめられて緊張の糸が切れたのか、泣き出してしまった。
 大泣きする緋色の頭をなで、背中をさすりながら、『怖かったね。もう大丈夫だから』と何度も何度も言い聞かせながら、抱きしめて。

 おれではダメなんだと緋色の力にはなってあげられないんだと、自分の無力さが情けなくて悔しくて。
 緋色にとって、兄貴が一番で、兄貴しか必要ないんだと思い知らされた出来事だった。苦い思い出だ。

 でも、今は――

「緋色、ほら、片手じゃ危ないから」

 翔も手を差し出す。

「翔くんまで」

 緋色はまたもや子供扱いされたと思ったのか、小さくほっぺたを膨らませる。
 それから、晃希と翔を交互に見て、

「わたし、一人でちゃんと下りられるよ」

 不満気な顔をしながらも、二人に手を伸ばす。そして彼らの手をぎゅっとつかんで、ぴょんと飛び下りた。

「着地、成功」

 無事に下りて手を離した時には、いつもの笑顔の緋色がいた。
 あの頃の兄貴だけを見て、兄貴の手だけを取っていた緋色はいない。今は翔の手も取ってくれる。隣にいることができる。

 兄貴のことを忘れろとは言わない。
 兄貴に向けていた心を少しでも自分に向けてくれたなら、どんなにか幸せだろうと翔は思った。 
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