ヌイグルミ
文字数 9,550文字
小さな小さな村が、とある山奥にありました。
この村ならではの特産品があるわけでもないので、仕方のないことかもしれませんが、旅人も行商人も滅多に足を運ぶことのない場所です。たまに、村の大人達が山を下りて、村から一番近い町に行くことがあります。
お土産を待つ村の子供達は、その日がとても楽しみでした。
けれども、お土産を貰う度に子供達は村の外を夢見るようになり、一人、また一人と、歳を重ねると出て行くようになりました。そして、大人達が気付いた時には、村の子供は二人だけになっていました。
それは、十歳になったばかりの双子の姉妹です。
姉がメリッサで、妹はフルールといいます。
二人は仲が悪く、いつもいつでも大ゲンカをしていました。今日も変わらず、大きな屋敷の一室から、怒ったような声が聞こえてきます。
「メリッサのバカ! もう知らないもん!」
「ふんっ、悪いのはフルール、貴女の方よ! あたしの言うことを聞かないんですもの」
些細な事で口喧嘩が始まり、互いの心がすれ違ってしまいます。
これは、毎日毎日繰り返されてきたことです。
数え切れないほどに喧嘩して、回数を重ね続けてきたことで、メリッサとフルールの二人は、互いが互いに対する苛立ちを我慢できず、吐き出すようになっていました。
「もういいもん! メリッサとは一生口を利かないから!」
「ふんっ、そんなことできるもんですか! 子供みたいなことを言っちゃって、バッカみたい!」
二人は同じ部屋で暮らしています。口を利かずに過ごすことは難しいのです。図星を突かれて頭に血が上ったのでしょうか。フルールは枕元に置いてある古臭いクマのヌイグルミを掴み取ったかと思うと、メリッサ目掛けて投げ付けてしまいます。
「きゃっ、なにするのよ!」
「バカね! ぜーんぶメリッサが悪いんだもん! 自業自得よ!」
「言ったわね! もう絶対に許してあげないんだから!」
「こっちだって同じよ! メリッサのこと、許さないもん!」
そう言って、フルールは部屋から逃げるように出て行きました。
部屋に残されたのは、怒りの矛先を失った姉のメリッサです。フルールの背を追い掛けることもできましたが、別の方法で懲らしめたいと考えます。
「あ、……そうだわ」
そしてふと、見てしまいます。
床には、古臭いヌイグルミが転がっていました。それは、フルールが眠る時、枕元に置く大切なヌイグルミです。
「ふん、見てなさいよフルール。あんたの大切なもの、めちゃくちゃにしてやるんだから」
ヌイグルミを手に取ると、メリッサはニンマリと笑みを浮かべます。
フルールを懲らしめる為の悪巧みを思いついてしまったのです。
「バラバラにしようかしら」
ヌイグルミに話し掛け、メリッサは両手で少しずつ引っ張っていきます。縫い目が悲鳴を上げ、今にも中身が飛び出してしまいそうです。
「ううん、それよりもペシャンコになるまで踏み付けてみようかしら」
引っ張るのを止めると、今度はヌイグルミを床に落とします。そして、右足で優しく踏み付けてみました。そう簡単にはペシャンコになりませんが、何度も踏まれてはボロボロになるのも時間の問題です。
「やっぱり、ダメね。フルールのことだから、どうせ怒るだけだわ」
ヌイグルミを拾い上げ、メリッサは思案します。
もっと、フルールを懲らしめる方法はないものかと。
「あ……」
そんな時でした。メリッサは、窓の外に目を向けます。二人が住む村は、山々に囲まれていました。
「そうね。これならフルールも慌てふためくわ」
一人頷くメリッサは、部屋の扉を開けて、声を上げます。屋敷の使用人を呼んだのです。
「これ、捨ててきて」
「え、しかしこれはフルール様の……」
「いいから」
メリッサは、使用人に命令します。フルールが大切にしていたヌイグルミを、山奥のゴミ処理場に捨ててくるように、と。
「それじゃあ、頼んだから」
それだけ言うと、メリッサはスッキリした顔でベッドに寝転がります。
それから暫くすると、深い眠りについてしまいました。
時が刻まれ、夜が顔を出します。
気持ちよく眠るメリッサは、妹のフルールの騒ぎ声で目を覚まします。
「ない! ないないない! どうして? どうしてどこにもないの!」
「うるさいわね、寝てるんだから静かにしなさいよ」
「メリッサ! わたしのヌイグルミがないの!」
「……ヌイグルミ? あの汚いやつ?」
「いつも枕元に置いてるのに、なんでどこにもないの!」
「あら、失くしちゃったの? バカね、大切なものなら、ちゃんと持っておきなさいよ」
クスクスと笑いながら、メリッサがフルールの様子を窺います。困り顔のフルールを見るのが楽しくて仕方がないのでしょう。
「メリッサ、……メリッサでしょう!」
すると、フルールがメリッサを睨み付け、怒りを露わにします。
「どこにやったの! 返してよ!」
「あら? なんであたしが盗ったと決めつけるのよ、失礼ね」
「だって! メリッサ以外にいるわけないもん!」
「決め付けちゃって、困った子ね」
知らぬ存ぜぬで、メリッサは相手にしません。
「うそつき! メリッサはうそつきよ! あたしのヌイグルミを今すぐ返してよ!」
「バカね、知らないものは知らないわ。一人で探せばいいでしょう」
「返してってば!」
室内は、隈なく探しました。けれども、フルールのヌイグルミはどこにも見当たりません。
だからこそ、フルールはメリッサに声をぶつけます。
「あのヌイグルミ、汚かったじゃない? きっと、使用人がゴミと間違えて捨てたのよ」
手をヒラヒラとさせてフルールを追い払い、メリッサはベッドへと横になります。もう一度、眠りにつこうと考えたのです。そんな姉の姿を見下ろしながら、息を荒げたフルールは歯を食い縛ります。
「……絶対に」
そして、ぽつりと声が漏れました。
「絶対に、許さないんだから……ッ」
その言葉は、これまでに吐いた中で最も重く、最も深いものでした。
フルールは、決して諦めません。
大切にしていたヌイグルミを奪われてしまったのですから当然です。この恨みを晴らすまでは、一睡もできそうにありませんでした。
悔しさで胸がいっぱいになったフルールは、何も言わずに部屋の外に出ます。そのまま玄関の扉を開け、庭先に出ると、おもむろに空を見上げ、祈ったのです。
「……赤の人。お願いします。どうかわたしのもとに姿を現してください」
求めたのは、不思議な存在です。
この世界には、空に浮かぶ「浮遊島」と、何処までも続く大陸「下界」の二つに別けられます。メリッサやフルールが住むのは下界です。
そして、浮遊島には赤の人と呼ばれる人達が住んでいます。
赤の人は、特別な力を持っています。願いを持つ人達のもとに姿を現し、形あるものを想像し、具現化してみせることができるのです。
何故、そんなことができるのか。
答えは簡単です。赤の人が住む浮遊島は、純粋無垢な子供達が胸に抱く願いや、夢の力によって、維持されているからです。願いを叶えれば叶えるほど、浮遊島は力を蓄え、赤の人の力も強くなるのです。
但し、願いを叶える相手は選ばなければなりません。
悪い子や、夢を忘れて現実を知った大人達の願いを叶えてしまうと、浮遊島は力を失い、赤の人の力も弱まってしまいます。
故に、赤の人は悪の心を持つ人間や、夢を失った大人達の願いは叶えません。浮遊島を維持するには、それ相応の取捨が必要となるのです。
では、フルールの願いは叶うのでしょうか。
「お願いよ、赤の人。姿を現して」
正解は、姿を現さないでした。フルールは、赤の人に会いたい、そして願いを叶えてほしいと祈りました。しかしです。赤の人は一向に姿を現しません。それもそのはず、フルールの願いの中には、怒りや憎しみによって形成された負の感情が混ざっているからです。
心を綺麗にしなければ、フルールの願いは届きません。
「もうっ、どうして出てきてくれないの! こんなに願ってるのに!」
思い通りに事が運ばず、フルールは声を荒げます。メリッサに仕返しがしたい。ただそれだけの感情で、フルールは願い続けました。
そんな時でした。
「……あっ」
鈴の音が、フルールの耳に届きます。
音色が響く方角へと目を向けると、小型ソリが空を走っていました。
「と、止まって! お願い止まって!」
それは、赤の人なのでしょうか。
フルールには見抜く術がありません。ですが、空を走るソリなど、今までに一度も見たことがないのです。そんな不思議なものを持っているのは、赤の人を除いて存在しないはずだ、と確信しました。
「ねえ、なんか呼んでるけど」
「ん?」
「ほら、下の方」
ソリの上には、帽子をかぶった青年が一人と、青銀色の髪を二束に結った女の子がいます。フルールの声に気付いた二人は、ソリの速度を落として、少しずつ高度を下げました。
「ああっ、よかったわ! 赤の人が来てくれた!」
フルールの願いが届いたのでしょうか。小型ソリは庭先に停車し、地面につきました。操縦席から立ち上がり、青年はフルールの顔を見ます。
「なんですか」
酷くつまらなそうな声色です。
その青年は、まるで興味の欠片もないと言いたげな目をしていました。
「赤の人でしょ? わたし、知ってるの! 赤の人はどんな願いでも叶えてくれるって!」
とはいえ、フルールは全く気にしません。浮遊島の住人が目の前に姿を見せたのですから、嬉しくてたまらないのです。
「だからお願いよ、わたしの願いを叶えて!」
操縦席の隣に座る女の子は大きな欠伸をします。眠たかったのでしょう。
青年とフルールのやり取りを見ながら、瞼をパチパチと開きます。
「ぼくは赤の人ではありませんよ」
「うそでしょ、メリッサのうそよりも下手だから、すぐにわかったわ!」
小型ソリで空を移動できる人間は、下界にはいません。ですから、フルールは青年が赤の人であることを見抜いてしまいます。
しかし、青年は首を横に振りました。
「黒の人ですから」
「黒の人? 赤の人のお友達かなにか?」
青年は、黒の人と言いました。それが何を言い表すのか、フルールには分かりません。
赤の人の噂は知っていますが、黒の人の噂は聞いたことがないのです。
「黒の人は、願いを叶えてくれないの?」
途端に、フルールは困ってしまいました。赤の人は願いを叶えてくれますが、黒の人が赤の人と同じように願いを叶えてくれるとは限りません。
不安に満ちた表情で問い掛けると、青年はまたしても首を横に振ります。
「叶えるか叶えないか、ぼくの気紛れです」
青年は、その時の気分で願いを叶えるか否かを決めると言いました。
では、今は叶えてくれる気分なのでしょうか。ソワソワと落ち着かない様子のフルールを瞳に映し込み、青年は続きを口にします。
「それで、どんな願いですか」
その一言に、フルールは顔を明るくさせます。願いを叶えてくれると思ったのです。顔いっぱいに笑顔を作り、フルールは口を開きました。
「あのね、お姉ちゃんが一番大切にしてるものを捨ててほしいの! ただ捨てるだけじゃダメ! 絶対に見つからないような場所に捨てて!」
フルールは、願いました。大切にしていたヌイグルミを隠されてしまったことで、我慢ができなくなったのです。
「その願いで、後悔はしませんか」
「しないもん! メリッサも同じ目に遭えばいいんだから!」
青年の問い掛けに、フルールは答えます。
「たまにはメリッサも悲しめばいいのよ!」
ただ、仕返ししたかっただけ。
フルールは、メリッサに仕返しする為に願いました。
そしてその願いは、残念ながら叶ってしまいます。
「それなら、早速」
青年は、左手をフルールへと向けます。と、次の瞬間、
「……え」
ぱちり、と瞼を開きました。
「ここ、……どこ?」
目の前は真っ暗です。屋敷の庭にいたはずですが、様子がおかしいことに気付きます。徐々に目が暗闇に慣れると、フルールはようやく辺りを確認することができました。
「ど、どうなってるの?」
全く見覚えのない場所に、フルールはいつの間にか移動していました。
四方は木に囲まれ、屋敷はどこにも見当たりません。
足元にはゴミが散乱しています。フルールが要る場所は、どうやらゴミの山のようです。
「……ここ、もしかして」
フルールが暮らす村の人達は、山奥にゴミ処理場を作っています。恐らくここがそのゴミ処理場なのでしょう。一体全体何がどうなっているのか、フルールにはサッパリです。
フラフラと歩いてみると、何かに躓いてしまいました。
「あ、」
足元に、埃にまみれたクマのヌイグルミが転がっていました。
「わたしのヌイグルミ……」
遂に、フルールは探し物を見つけることができました。いつも枕元に置いて、大切にしていたヌイグルミは、ゴミ処理場にあったのです。
ですが、同時に気付いてしまいます。
「わたし、捨てられたの……?」
クマのヌイグルミと同じように、フルール自身も捨てられてしまったということに。
「メリッサが大切にしてたものって、わたしだったの……?」
フルールは、姉のメリッサが一番大切にしているものを捨ててほしいと願いました。そして黒の人は、その願いを叶えてくれました。
フルールは、今更ながらに気付いてしまいます。姉のメリッサにとって一番大切なものが何なのか。顔を合わせれば喧嘩してばかりなのに、大切な存在だと思われていたのです。
ですが既に手後れです。フルールは、自分が大切にしていたヌイグルミと同じく、ゴミとして捨てられてしまったのです。ゴミ処理場に足を運んだことのないフルールは、帰り道が分かりません。空も真っ暗です。
「う、ううっ、……うううっ」
ふと、自分が置かれた状況を認識し、フルールは一人ぼっちであることに対する恐怖に体を震わせます。耐え切れずにその場にしゃがみ込み、ポロポロと涙を零し始めました。
「わたし、一人になってしまったのね……」
ゴミ処理場に、一人きり。フルールの傍にあるのは、言葉を話すことのできないクマのヌイグルミが一つ。
「……バカだったわ」
ヌイグルミなんて放っておけばよかった。もっともっとメリッサと仲良くしておくべきだった。メリッサの気持ちに気付くべきだった。フルールの心の中は、後悔で溢れています。しかしながら、時を戻すことはできません。
「あの人の……、黒の人の言ったとおりになっちゃった」
後悔しませんか、と青年は言いました。
その問いに、フルールはしっかりと向き合っていませんでした。願いを叶えることに意識が向き過ぎていたのです。
その結果、フルールはゴミとして捨てられてしまいました。
「もう、会えないのかな……」
メリッサに会いたくて、声が漏れます。
それは願いではありません。つい、漏れてしまった言葉です。
勿論、例えそれが願いであったとしても、叶うことはありません。恨みや憎しみにまみれた願いを叶えたことで、フルールは今ここにいます。それを全てなかったことにしたいと願うのは、願いを叶えた赤の人を否定することに繋がります。今回の場合は、赤の人ではなく、黒の人が願いを叶えましたが、それも同じことです。
フルールは何もかも諦めたかのような表情で、寂しげな溜息を吐きます。
そんな時でした。
「……あ」
どこからともなく、鈴の音が聞こえてきます。
顔を上げると、真っ暗な空にぽつりと見える小型ソリが一つ。
それは、フルールのもとへと降りてきました。
「泣いてるの?」
操縦席の隣に座る女の子が、小首を傾げながら問い掛けます。
すると、フルールは眉を潜めて口を開きました。
「当然よ! ゴミとして捨てられちゃったんだもん!」
そんなことよりも、フルールは青年に訊ねたいことがありました。
「なんでまた来てくれたのよ」
フルールは、何も願っていません。それなのに、青年はフルールのもとに姿を見せました。
その疑問に返事をするのは、青年ではなく女の子です。
「貴方のお姉さんの願いをね、叶えに来たの」
「……わたしの、お姉ちゃん願いを?」
「ええ、そうです」
フルールの声に、青年が反応します。
ソリから降り、フルールの傍に歩み寄る青年は、手を差し出しました。
「え、なに?」
「ここにいますか?」
無表情で、問い掛けます。
それはつまり、ここにいたくなければ手を取れと言っているのでしょう。
「……そんなの、嫌に決まってるもん」
だから、フルールは青年の手を握ります。
「座るところがないので、ここで我慢してください」
フルールの手を引いて、青年はソリの荷台へと案内します。小型ソリは二人乗りなので、荷台に乗ることになりました。
「落ちないように、気を付けてね」
「え、うん」
助手席に座る女の子が、フルールに話し掛けます。このソリが空を飛ぶことを思い出したフルールは、しっかりとしがみ付きました。
「では、行きます」
操縦桿を握り、足元を動かします。
一速に入れると、ソリはゆっくりと前進していきます。
「この音って」
「いい音でしょう?」
青年が首に巻くマフラーが風に舞い、先に付いた鈴が音を鳴らします。
女の子は、ニコリと笑って返事をしました。
「すごい、こんな景色初めて……」
「真っ暗ですけどね」
速度を上げると、ソリは浮かび上がり、空を走り出しました。
上空から山を見下ろし、フルールは目を輝かせます。
「あっ、わたしの家がある!」
ソリを少し走らせると、フルールが声を上げました。屋敷が見つかったのです。フルールがいたゴミ処理場は、実は目と鼻の先でした。
「落ちますよ」
家に帰ることができて、ホッとしたのでしょう。
フルールは、今すぐにでも下に降りてしまいたい気分でした。
「ああっ、フルール!」
ソリが屋敷に到着し、玄関の前で停まります。
と同時に、フルールは聞き慣れた声を耳にしました。
それは、メリッサの声です。
「よかった、よかったわ……」
「お、お姉ちゃん?」
「ごめんなさい、フルール。あたしね、貴女に酷いことをしてしまったわ」
メリッサは荷台へと駆け寄り、フルールの体を思い切り抱き締めました。
「貴女が大切にしていたヌイグルミね、捨てたのはあたしなの」
何も言い訳せず、ただただ謝ります。自分の犯した罪を認めます。
「ごめんなさい……本当にごめんなさい……ッ」
生まれて初めて、フルールはメリッサに謝られました。それが少しおかしくて、フルールは目を丸くします。ですがすぐに気を取り直すと、首を横に振り、メリッサの体を抱き返してあげました。
「いいの。メリッサが大切にしてるものが分かったんだもん。わたしね、それが分かっただけで、とっても幸せなの」
数刻前、フルールは屋敷から姿を消してしまいました。メリッサは、その原因が自分にあることを知っています。フルールが大切にしていたヌイグルミを捨ててしまったから、家を飛び出してしまったと思ったのです。
探しに行きたくても、外は真っ暗です。夜の山は、大人でも迷子になってしまいます。
だからこそ、メリッサは願いました。フルールに謝りたい、と。
そして姿を現したのが、黒の人を名乗る青年でした。
青年は、メリッサの願いを聞きます。その願いを実現する為には、フルールが必要でした。だから、青年はゴミ処理場へとソリを走らせ、フルールを荷台に乗せたのです。
「仲直りできたみたい」
青年の隣に立つ女の子が、口元を緩ませます。その仕草を見て、青年は肩を竦めました。
「面倒な姉妹だ」
無事に再会を果たした姉妹は、互いに謝り合いました。仲直りすることができたメリッサとフルールは、青年や女の子のことなど忘れてしまったかのようです。
「行くか」
操縦席に座り、青年は操縦桿を動かします。ソリが走り出し、姉妹が住む屋敷が小さくなっていくのを眺める女の子は、ふと思い出しました。
「ねえ、寄り道してもいい?」
青銀の髪を風になびかせながら、女の子は青年に話し掛けます。
「どこに」
「さっき行ったところ」
ゴミ処理場に戻ってほしい、と女の子は言いました。
どうしてあの場所に行きたいのか、青年には分かりません。けれども、断るようなことはせず、青年はソリを走らせます。
やがて、二人を乗せたソリは、山奥のゴミ処理場に戻ってきました。
「ありがと」
礼を言い、女の子はソリから降ります。
キョロキョロと辺りを見回し、何かを探し始めました。
「あっ、あった!」
女の子は、埃まみれになったクマのヌイグルミを見つけました。
「この子ね、一人ぼっちで寂しいと思うの」
「一人ぼっち?」
「ええ。だからあの子達に返してあげないと」
クマのヌイグルミを拾い上げた女の子は、嬉しそうに笑みを浮かべます。
どうやら女の子は、クマのヌイグルミを持ち主のもとへ届けるつもりのようです。
「仲直りできるように願ってたはずだから、きっと喜んでるわ」
女の子は、夢のある話をします。このクマのヌイグルミは、姉妹が仲直りできるようにと願っていたはずだ、そしてその願いを青年に叶えてもらったので、喜んでいるはずだと。だから今度は姉妹のもとに返してあげよう。
と、駄々を捏ね始めました。
「確かめてみるか」
「え? 確かめるって、どうするの」
「貸してみろ」
青年は、女の子からクマのヌイグルミを受け取ります。
そして、ニヤリと笑いました。
「本当に、そう思っているのか。答えは実際に聞いてみるに限るな」
事実か否かを調べる為に、青年はクマのヌイグルミに視線を落とします。
すると、
「グ、ガガッ、コ」
クマのヌイグルミが独りでに動きだし、言葉を発するようになりました。
「お名前はなんていうの」
「ク、クマー」
クマのヌイグルミは、自分のことをクマーと名乗りました。
話し相手が増えたことで、女の子は嬉しくて頬を緩めます。しかし、
「……ユルサン」
「え?」
「コノウラミ、ハラサデオクベキカッ」
「ちょ、ちょっと、クマー、落ち着いてってば」
言葉を話せるようになったクマのヌイグルミのクマーは、途端に姉妹への恨み節を口にします。どうやら、日々の扱いに碧僻し、挙句に忘れ去られたことを根に持っていたのでしょう。
次から次に、汚い言葉を口にして、女の子を驚かせてしまいます。
「どうだ、考えは変わったか」
「うっ」
青年の声に反応し、女の子は苦々しい表情を浮かべます。
胸に抱かれたのは、古臭いクマのヌイグルミが一つ。それは、青年のおかげで言葉を交わすことができるようになりました。
けれども、女の子はガックリと肩を落とします。
「止めておくわ」
「それがいい」
女の子は、クマーを姉妹のもとに返さないことにしました。
ですが、それはそれでよかったのかもしれません。
「これからよろしくね、クマー」
「オーヨ」
青年と、女の子。
二人が乗る小型ソリに、新しい仲間が増えたのですから。
この村ならではの特産品があるわけでもないので、仕方のないことかもしれませんが、旅人も行商人も滅多に足を運ぶことのない場所です。たまに、村の大人達が山を下りて、村から一番近い町に行くことがあります。
お土産を待つ村の子供達は、その日がとても楽しみでした。
けれども、お土産を貰う度に子供達は村の外を夢見るようになり、一人、また一人と、歳を重ねると出て行くようになりました。そして、大人達が気付いた時には、村の子供は二人だけになっていました。
それは、十歳になったばかりの双子の姉妹です。
姉がメリッサで、妹はフルールといいます。
二人は仲が悪く、いつもいつでも大ゲンカをしていました。今日も変わらず、大きな屋敷の一室から、怒ったような声が聞こえてきます。
「メリッサのバカ! もう知らないもん!」
「ふんっ、悪いのはフルール、貴女の方よ! あたしの言うことを聞かないんですもの」
些細な事で口喧嘩が始まり、互いの心がすれ違ってしまいます。
これは、毎日毎日繰り返されてきたことです。
数え切れないほどに喧嘩して、回数を重ね続けてきたことで、メリッサとフルールの二人は、互いが互いに対する苛立ちを我慢できず、吐き出すようになっていました。
「もういいもん! メリッサとは一生口を利かないから!」
「ふんっ、そんなことできるもんですか! 子供みたいなことを言っちゃって、バッカみたい!」
二人は同じ部屋で暮らしています。口を利かずに過ごすことは難しいのです。図星を突かれて頭に血が上ったのでしょうか。フルールは枕元に置いてある古臭いクマのヌイグルミを掴み取ったかと思うと、メリッサ目掛けて投げ付けてしまいます。
「きゃっ、なにするのよ!」
「バカね! ぜーんぶメリッサが悪いんだもん! 自業自得よ!」
「言ったわね! もう絶対に許してあげないんだから!」
「こっちだって同じよ! メリッサのこと、許さないもん!」
そう言って、フルールは部屋から逃げるように出て行きました。
部屋に残されたのは、怒りの矛先を失った姉のメリッサです。フルールの背を追い掛けることもできましたが、別の方法で懲らしめたいと考えます。
「あ、……そうだわ」
そしてふと、見てしまいます。
床には、古臭いヌイグルミが転がっていました。それは、フルールが眠る時、枕元に置く大切なヌイグルミです。
「ふん、見てなさいよフルール。あんたの大切なもの、めちゃくちゃにしてやるんだから」
ヌイグルミを手に取ると、メリッサはニンマリと笑みを浮かべます。
フルールを懲らしめる為の悪巧みを思いついてしまったのです。
「バラバラにしようかしら」
ヌイグルミに話し掛け、メリッサは両手で少しずつ引っ張っていきます。縫い目が悲鳴を上げ、今にも中身が飛び出してしまいそうです。
「ううん、それよりもペシャンコになるまで踏み付けてみようかしら」
引っ張るのを止めると、今度はヌイグルミを床に落とします。そして、右足で優しく踏み付けてみました。そう簡単にはペシャンコになりませんが、何度も踏まれてはボロボロになるのも時間の問題です。
「やっぱり、ダメね。フルールのことだから、どうせ怒るだけだわ」
ヌイグルミを拾い上げ、メリッサは思案します。
もっと、フルールを懲らしめる方法はないものかと。
「あ……」
そんな時でした。メリッサは、窓の外に目を向けます。二人が住む村は、山々に囲まれていました。
「そうね。これならフルールも慌てふためくわ」
一人頷くメリッサは、部屋の扉を開けて、声を上げます。屋敷の使用人を呼んだのです。
「これ、捨ててきて」
「え、しかしこれはフルール様の……」
「いいから」
メリッサは、使用人に命令します。フルールが大切にしていたヌイグルミを、山奥のゴミ処理場に捨ててくるように、と。
「それじゃあ、頼んだから」
それだけ言うと、メリッサはスッキリした顔でベッドに寝転がります。
それから暫くすると、深い眠りについてしまいました。
時が刻まれ、夜が顔を出します。
気持ちよく眠るメリッサは、妹のフルールの騒ぎ声で目を覚まします。
「ない! ないないない! どうして? どうしてどこにもないの!」
「うるさいわね、寝てるんだから静かにしなさいよ」
「メリッサ! わたしのヌイグルミがないの!」
「……ヌイグルミ? あの汚いやつ?」
「いつも枕元に置いてるのに、なんでどこにもないの!」
「あら、失くしちゃったの? バカね、大切なものなら、ちゃんと持っておきなさいよ」
クスクスと笑いながら、メリッサがフルールの様子を窺います。困り顔のフルールを見るのが楽しくて仕方がないのでしょう。
「メリッサ、……メリッサでしょう!」
すると、フルールがメリッサを睨み付け、怒りを露わにします。
「どこにやったの! 返してよ!」
「あら? なんであたしが盗ったと決めつけるのよ、失礼ね」
「だって! メリッサ以外にいるわけないもん!」
「決め付けちゃって、困った子ね」
知らぬ存ぜぬで、メリッサは相手にしません。
「うそつき! メリッサはうそつきよ! あたしのヌイグルミを今すぐ返してよ!」
「バカね、知らないものは知らないわ。一人で探せばいいでしょう」
「返してってば!」
室内は、隈なく探しました。けれども、フルールのヌイグルミはどこにも見当たりません。
だからこそ、フルールはメリッサに声をぶつけます。
「あのヌイグルミ、汚かったじゃない? きっと、使用人がゴミと間違えて捨てたのよ」
手をヒラヒラとさせてフルールを追い払い、メリッサはベッドへと横になります。もう一度、眠りにつこうと考えたのです。そんな姉の姿を見下ろしながら、息を荒げたフルールは歯を食い縛ります。
「……絶対に」
そして、ぽつりと声が漏れました。
「絶対に、許さないんだから……ッ」
その言葉は、これまでに吐いた中で最も重く、最も深いものでした。
フルールは、決して諦めません。
大切にしていたヌイグルミを奪われてしまったのですから当然です。この恨みを晴らすまでは、一睡もできそうにありませんでした。
悔しさで胸がいっぱいになったフルールは、何も言わずに部屋の外に出ます。そのまま玄関の扉を開け、庭先に出ると、おもむろに空を見上げ、祈ったのです。
「……赤の人。お願いします。どうかわたしのもとに姿を現してください」
求めたのは、不思議な存在です。
この世界には、空に浮かぶ「浮遊島」と、何処までも続く大陸「下界」の二つに別けられます。メリッサやフルールが住むのは下界です。
そして、浮遊島には赤の人と呼ばれる人達が住んでいます。
赤の人は、特別な力を持っています。願いを持つ人達のもとに姿を現し、形あるものを想像し、具現化してみせることができるのです。
何故、そんなことができるのか。
答えは簡単です。赤の人が住む浮遊島は、純粋無垢な子供達が胸に抱く願いや、夢の力によって、維持されているからです。願いを叶えれば叶えるほど、浮遊島は力を蓄え、赤の人の力も強くなるのです。
但し、願いを叶える相手は選ばなければなりません。
悪い子や、夢を忘れて現実を知った大人達の願いを叶えてしまうと、浮遊島は力を失い、赤の人の力も弱まってしまいます。
故に、赤の人は悪の心を持つ人間や、夢を失った大人達の願いは叶えません。浮遊島を維持するには、それ相応の取捨が必要となるのです。
では、フルールの願いは叶うのでしょうか。
「お願いよ、赤の人。姿を現して」
正解は、姿を現さないでした。フルールは、赤の人に会いたい、そして願いを叶えてほしいと祈りました。しかしです。赤の人は一向に姿を現しません。それもそのはず、フルールの願いの中には、怒りや憎しみによって形成された負の感情が混ざっているからです。
心を綺麗にしなければ、フルールの願いは届きません。
「もうっ、どうして出てきてくれないの! こんなに願ってるのに!」
思い通りに事が運ばず、フルールは声を荒げます。メリッサに仕返しがしたい。ただそれだけの感情で、フルールは願い続けました。
そんな時でした。
「……あっ」
鈴の音が、フルールの耳に届きます。
音色が響く方角へと目を向けると、小型ソリが空を走っていました。
「と、止まって! お願い止まって!」
それは、赤の人なのでしょうか。
フルールには見抜く術がありません。ですが、空を走るソリなど、今までに一度も見たことがないのです。そんな不思議なものを持っているのは、赤の人を除いて存在しないはずだ、と確信しました。
「ねえ、なんか呼んでるけど」
「ん?」
「ほら、下の方」
ソリの上には、帽子をかぶった青年が一人と、青銀色の髪を二束に結った女の子がいます。フルールの声に気付いた二人は、ソリの速度を落として、少しずつ高度を下げました。
「ああっ、よかったわ! 赤の人が来てくれた!」
フルールの願いが届いたのでしょうか。小型ソリは庭先に停車し、地面につきました。操縦席から立ち上がり、青年はフルールの顔を見ます。
「なんですか」
酷くつまらなそうな声色です。
その青年は、まるで興味の欠片もないと言いたげな目をしていました。
「赤の人でしょ? わたし、知ってるの! 赤の人はどんな願いでも叶えてくれるって!」
とはいえ、フルールは全く気にしません。浮遊島の住人が目の前に姿を見せたのですから、嬉しくてたまらないのです。
「だからお願いよ、わたしの願いを叶えて!」
操縦席の隣に座る女の子は大きな欠伸をします。眠たかったのでしょう。
青年とフルールのやり取りを見ながら、瞼をパチパチと開きます。
「ぼくは赤の人ではありませんよ」
「うそでしょ、メリッサのうそよりも下手だから、すぐにわかったわ!」
小型ソリで空を移動できる人間は、下界にはいません。ですから、フルールは青年が赤の人であることを見抜いてしまいます。
しかし、青年は首を横に振りました。
「黒の人ですから」
「黒の人? 赤の人のお友達かなにか?」
青年は、黒の人と言いました。それが何を言い表すのか、フルールには分かりません。
赤の人の噂は知っていますが、黒の人の噂は聞いたことがないのです。
「黒の人は、願いを叶えてくれないの?」
途端に、フルールは困ってしまいました。赤の人は願いを叶えてくれますが、黒の人が赤の人と同じように願いを叶えてくれるとは限りません。
不安に満ちた表情で問い掛けると、青年はまたしても首を横に振ります。
「叶えるか叶えないか、ぼくの気紛れです」
青年は、その時の気分で願いを叶えるか否かを決めると言いました。
では、今は叶えてくれる気分なのでしょうか。ソワソワと落ち着かない様子のフルールを瞳に映し込み、青年は続きを口にします。
「それで、どんな願いですか」
その一言に、フルールは顔を明るくさせます。願いを叶えてくれると思ったのです。顔いっぱいに笑顔を作り、フルールは口を開きました。
「あのね、お姉ちゃんが一番大切にしてるものを捨ててほしいの! ただ捨てるだけじゃダメ! 絶対に見つからないような場所に捨てて!」
フルールは、願いました。大切にしていたヌイグルミを隠されてしまったことで、我慢ができなくなったのです。
「その願いで、後悔はしませんか」
「しないもん! メリッサも同じ目に遭えばいいんだから!」
青年の問い掛けに、フルールは答えます。
「たまにはメリッサも悲しめばいいのよ!」
ただ、仕返ししたかっただけ。
フルールは、メリッサに仕返しする為に願いました。
そしてその願いは、残念ながら叶ってしまいます。
「それなら、早速」
青年は、左手をフルールへと向けます。と、次の瞬間、
「……え」
ぱちり、と瞼を開きました。
「ここ、……どこ?」
目の前は真っ暗です。屋敷の庭にいたはずですが、様子がおかしいことに気付きます。徐々に目が暗闇に慣れると、フルールはようやく辺りを確認することができました。
「ど、どうなってるの?」
全く見覚えのない場所に、フルールはいつの間にか移動していました。
四方は木に囲まれ、屋敷はどこにも見当たりません。
足元にはゴミが散乱しています。フルールが要る場所は、どうやらゴミの山のようです。
「……ここ、もしかして」
フルールが暮らす村の人達は、山奥にゴミ処理場を作っています。恐らくここがそのゴミ処理場なのでしょう。一体全体何がどうなっているのか、フルールにはサッパリです。
フラフラと歩いてみると、何かに躓いてしまいました。
「あ、」
足元に、埃にまみれたクマのヌイグルミが転がっていました。
「わたしのヌイグルミ……」
遂に、フルールは探し物を見つけることができました。いつも枕元に置いて、大切にしていたヌイグルミは、ゴミ処理場にあったのです。
ですが、同時に気付いてしまいます。
「わたし、捨てられたの……?」
クマのヌイグルミと同じように、フルール自身も捨てられてしまったということに。
「メリッサが大切にしてたものって、わたしだったの……?」
フルールは、姉のメリッサが一番大切にしているものを捨ててほしいと願いました。そして黒の人は、その願いを叶えてくれました。
フルールは、今更ながらに気付いてしまいます。姉のメリッサにとって一番大切なものが何なのか。顔を合わせれば喧嘩してばかりなのに、大切な存在だと思われていたのです。
ですが既に手後れです。フルールは、自分が大切にしていたヌイグルミと同じく、ゴミとして捨てられてしまったのです。ゴミ処理場に足を運んだことのないフルールは、帰り道が分かりません。空も真っ暗です。
「う、ううっ、……うううっ」
ふと、自分が置かれた状況を認識し、フルールは一人ぼっちであることに対する恐怖に体を震わせます。耐え切れずにその場にしゃがみ込み、ポロポロと涙を零し始めました。
「わたし、一人になってしまったのね……」
ゴミ処理場に、一人きり。フルールの傍にあるのは、言葉を話すことのできないクマのヌイグルミが一つ。
「……バカだったわ」
ヌイグルミなんて放っておけばよかった。もっともっとメリッサと仲良くしておくべきだった。メリッサの気持ちに気付くべきだった。フルールの心の中は、後悔で溢れています。しかしながら、時を戻すことはできません。
「あの人の……、黒の人の言ったとおりになっちゃった」
後悔しませんか、と青年は言いました。
その問いに、フルールはしっかりと向き合っていませんでした。願いを叶えることに意識が向き過ぎていたのです。
その結果、フルールはゴミとして捨てられてしまいました。
「もう、会えないのかな……」
メリッサに会いたくて、声が漏れます。
それは願いではありません。つい、漏れてしまった言葉です。
勿論、例えそれが願いであったとしても、叶うことはありません。恨みや憎しみにまみれた願いを叶えたことで、フルールは今ここにいます。それを全てなかったことにしたいと願うのは、願いを叶えた赤の人を否定することに繋がります。今回の場合は、赤の人ではなく、黒の人が願いを叶えましたが、それも同じことです。
フルールは何もかも諦めたかのような表情で、寂しげな溜息を吐きます。
そんな時でした。
「……あ」
どこからともなく、鈴の音が聞こえてきます。
顔を上げると、真っ暗な空にぽつりと見える小型ソリが一つ。
それは、フルールのもとへと降りてきました。
「泣いてるの?」
操縦席の隣に座る女の子が、小首を傾げながら問い掛けます。
すると、フルールは眉を潜めて口を開きました。
「当然よ! ゴミとして捨てられちゃったんだもん!」
そんなことよりも、フルールは青年に訊ねたいことがありました。
「なんでまた来てくれたのよ」
フルールは、何も願っていません。それなのに、青年はフルールのもとに姿を見せました。
その疑問に返事をするのは、青年ではなく女の子です。
「貴方のお姉さんの願いをね、叶えに来たの」
「……わたしの、お姉ちゃん願いを?」
「ええ、そうです」
フルールの声に、青年が反応します。
ソリから降り、フルールの傍に歩み寄る青年は、手を差し出しました。
「え、なに?」
「ここにいますか?」
無表情で、問い掛けます。
それはつまり、ここにいたくなければ手を取れと言っているのでしょう。
「……そんなの、嫌に決まってるもん」
だから、フルールは青年の手を握ります。
「座るところがないので、ここで我慢してください」
フルールの手を引いて、青年はソリの荷台へと案内します。小型ソリは二人乗りなので、荷台に乗ることになりました。
「落ちないように、気を付けてね」
「え、うん」
助手席に座る女の子が、フルールに話し掛けます。このソリが空を飛ぶことを思い出したフルールは、しっかりとしがみ付きました。
「では、行きます」
操縦桿を握り、足元を動かします。
一速に入れると、ソリはゆっくりと前進していきます。
「この音って」
「いい音でしょう?」
青年が首に巻くマフラーが風に舞い、先に付いた鈴が音を鳴らします。
女の子は、ニコリと笑って返事をしました。
「すごい、こんな景色初めて……」
「真っ暗ですけどね」
速度を上げると、ソリは浮かび上がり、空を走り出しました。
上空から山を見下ろし、フルールは目を輝かせます。
「あっ、わたしの家がある!」
ソリを少し走らせると、フルールが声を上げました。屋敷が見つかったのです。フルールがいたゴミ処理場は、実は目と鼻の先でした。
「落ちますよ」
家に帰ることができて、ホッとしたのでしょう。
フルールは、今すぐにでも下に降りてしまいたい気分でした。
「ああっ、フルール!」
ソリが屋敷に到着し、玄関の前で停まります。
と同時に、フルールは聞き慣れた声を耳にしました。
それは、メリッサの声です。
「よかった、よかったわ……」
「お、お姉ちゃん?」
「ごめんなさい、フルール。あたしね、貴女に酷いことをしてしまったわ」
メリッサは荷台へと駆け寄り、フルールの体を思い切り抱き締めました。
「貴女が大切にしていたヌイグルミね、捨てたのはあたしなの」
何も言い訳せず、ただただ謝ります。自分の犯した罪を認めます。
「ごめんなさい……本当にごめんなさい……ッ」
生まれて初めて、フルールはメリッサに謝られました。それが少しおかしくて、フルールは目を丸くします。ですがすぐに気を取り直すと、首を横に振り、メリッサの体を抱き返してあげました。
「いいの。メリッサが大切にしてるものが分かったんだもん。わたしね、それが分かっただけで、とっても幸せなの」
数刻前、フルールは屋敷から姿を消してしまいました。メリッサは、その原因が自分にあることを知っています。フルールが大切にしていたヌイグルミを捨ててしまったから、家を飛び出してしまったと思ったのです。
探しに行きたくても、外は真っ暗です。夜の山は、大人でも迷子になってしまいます。
だからこそ、メリッサは願いました。フルールに謝りたい、と。
そして姿を現したのが、黒の人を名乗る青年でした。
青年は、メリッサの願いを聞きます。その願いを実現する為には、フルールが必要でした。だから、青年はゴミ処理場へとソリを走らせ、フルールを荷台に乗せたのです。
「仲直りできたみたい」
青年の隣に立つ女の子が、口元を緩ませます。その仕草を見て、青年は肩を竦めました。
「面倒な姉妹だ」
無事に再会を果たした姉妹は、互いに謝り合いました。仲直りすることができたメリッサとフルールは、青年や女の子のことなど忘れてしまったかのようです。
「行くか」
操縦席に座り、青年は操縦桿を動かします。ソリが走り出し、姉妹が住む屋敷が小さくなっていくのを眺める女の子は、ふと思い出しました。
「ねえ、寄り道してもいい?」
青銀の髪を風になびかせながら、女の子は青年に話し掛けます。
「どこに」
「さっき行ったところ」
ゴミ処理場に戻ってほしい、と女の子は言いました。
どうしてあの場所に行きたいのか、青年には分かりません。けれども、断るようなことはせず、青年はソリを走らせます。
やがて、二人を乗せたソリは、山奥のゴミ処理場に戻ってきました。
「ありがと」
礼を言い、女の子はソリから降ります。
キョロキョロと辺りを見回し、何かを探し始めました。
「あっ、あった!」
女の子は、埃まみれになったクマのヌイグルミを見つけました。
「この子ね、一人ぼっちで寂しいと思うの」
「一人ぼっち?」
「ええ。だからあの子達に返してあげないと」
クマのヌイグルミを拾い上げた女の子は、嬉しそうに笑みを浮かべます。
どうやら女の子は、クマのヌイグルミを持ち主のもとへ届けるつもりのようです。
「仲直りできるように願ってたはずだから、きっと喜んでるわ」
女の子は、夢のある話をします。このクマのヌイグルミは、姉妹が仲直りできるようにと願っていたはずだ、そしてその願いを青年に叶えてもらったので、喜んでいるはずだと。だから今度は姉妹のもとに返してあげよう。
と、駄々を捏ね始めました。
「確かめてみるか」
「え? 確かめるって、どうするの」
「貸してみろ」
青年は、女の子からクマのヌイグルミを受け取ります。
そして、ニヤリと笑いました。
「本当に、そう思っているのか。答えは実際に聞いてみるに限るな」
事実か否かを調べる為に、青年はクマのヌイグルミに視線を落とします。
すると、
「グ、ガガッ、コ」
クマのヌイグルミが独りでに動きだし、言葉を発するようになりました。
「お名前はなんていうの」
「ク、クマー」
クマのヌイグルミは、自分のことをクマーと名乗りました。
話し相手が増えたことで、女の子は嬉しくて頬を緩めます。しかし、
「……ユルサン」
「え?」
「コノウラミ、ハラサデオクベキカッ」
「ちょ、ちょっと、クマー、落ち着いてってば」
言葉を話せるようになったクマのヌイグルミのクマーは、途端に姉妹への恨み節を口にします。どうやら、日々の扱いに碧僻し、挙句に忘れ去られたことを根に持っていたのでしょう。
次から次に、汚い言葉を口にして、女の子を驚かせてしまいます。
「どうだ、考えは変わったか」
「うっ」
青年の声に反応し、女の子は苦々しい表情を浮かべます。
胸に抱かれたのは、古臭いクマのヌイグルミが一つ。それは、青年のおかげで言葉を交わすことができるようになりました。
けれども、女の子はガックリと肩を落とします。
「止めておくわ」
「それがいい」
女の子は、クマーを姉妹のもとに返さないことにしました。
ですが、それはそれでよかったのかもしれません。
「これからよろしくね、クマー」
「オーヨ」
青年と、女の子。
二人が乗る小型ソリに、新しい仲間が増えたのですから。