謁見

エピソード文字数 5,435文字

   二章

 石畳で舗装された古い街道が、河に沿って続く。行き交う荷馬車や人々でごった返す道の片側には、種々の店が軒を連ねていた。籠や縄、袋といった旅の必要雑貨を売る店。隣には、笊に盛った干し棗に無花果、木の実がずらりと。季節柄、新鮮な瓜を山と積み上げた屋台もあり、甘くて汁気たっぷりだよ、と道行く者を誘惑していた。

 水面を渡る風が少しばかりの涼と湿り気を運んでくるが、照りつける日光と人いきれの前にあえなく霧消する。一帯にはもはや何とも正体のわからぬ複雑な匂いと、ざわめきや呼び込みの声、人馬の立てる土埃が充満していた。

(なんて所だ。何もかも多すぎる、皆どうして平気な顔をしていられるんだ)

 シェイダールは一刻も早くこの混雑から逃れたくてたまらず、募る不快感と焦燥に耐えるのが精一杯だった。人の声と物音、それらに伴うとりどりの色、あらゆる刺激が押し寄せてやまず、感覚が麻痺し、窒息しそうだ。

 やがて行く手に城壁が現れた。高く聳え立つ堅牢な壁が、河をまたいで延々と続く。各所の城門では大勢の人が列を成し、兵士に通行税を払っていた。二人を連れたジョルハイは行列の横をすり抜け、兵士に文字の刻印された石板を見せただけで通過する。

 市街に入ると、今度は人込みばかりでなく、整備された街路にぎっしり並んだ建物に圧倒された。壁は化粧漆喰が塗られ、屋根には瓦、凝った装飾の屋敷もある。すぐ後ろからヴィルメが袖を引いた。

「すごいね、なんだか夢みたい。あたしたち、ここで暮らすんだよね。ほらあそこ、あんな格好の人、村では見たことないわ。あっちに吊るされてるの、何の肉だと思う?」

 訊きながらも答えを求めてはいないようで、彼女は興奮に輝く目をあちらこちらへせわしく行き来させ、あれもこれもといちいち口に出してゆく。シェイダールはただでさえ混雑に辟易していたので、相手をする気になれず露骨に疲れた声を返した。

「きょろきょろするなよ、はぐれたら大変だぞ」
「あ、うん、そうだね。ごめん」
 慌ててヴィルメは謝り、彼の腕に掴まる。その指が震えていた。はしゃいで見せたのは恐れをごまかすためだったと気付き、シェイダールは少女の指に手を重ねてやった。
「大丈夫だ、ちゃんと守ってやる」
 前を睨んだまま、唸るようにつぶやく。そんな一言でもヴィルメは安心したらしく、ほっと息を漏らした。

 二人は都に着くまでに婚儀を挙げていた。非常に簡略化した形ではあったが、いざ夫婦の誓いを立ててみると、シェイダールの心構えも変わった。妻とお腹の子に対する確かな愛情、それに責任感だ。彼はヴィルメの手指を包む手に、思いと力を込めた。

 広々した大通りを、ひたすらまっすぐに進む。じきにシェイダールは、どこを目指しているのかを理解した。遠く道の果てに見える巨大な三角形、丘と見まごう建造物だ。
「あれが王宮か?」
 前を行くジョルハイに問いかけると、親切な観光案内が返ってきた。
「あれは大神殿だよ。いと高き天空の座におわす神々をお祀りする、神聖な祭殿だ。上層は立ち入りが制限されているが、参拝したければ一階は自由に入れるよ。王宮は右側、少し高くなっているから見えるだろう」

 行く手を指し示されて、シェイダールは驚きと共に眺めやった。なるほど、神殿の右側に、周辺市街より一段高い建物の集まりがある。高台の上に城壁が巡らされ、壮麗な屋根や何かの像の頭が覗いているが、その頂点でも巨大な神殿の半ばまでがせいぜいだ。

「王でも神殿には勝てないのか」
 我知らず感想をこぼす。すぐさまジョルハイが、さっと真顔で振り返った。
「そういう言葉はひっこめておきたまえ。王の力は確かに強いが、王を王たらしめるのは神殿だ。……彼らと対立するようなことを言うのは、君のためにならない」

 鋭いささやきには、いつもの冗談めかした余裕の名残すらない。シェイダールは意外な思いで、この青年をまじまじと見つめた。

「それは警告か? それとも単に、あんたも祭司に盾突く奴は気に食わないってことか」
「思いやりさ」ジョルハイはにやりとした。「私としては連れてきた責任上、君には新王候補として無事に日々を送り、いずれは王か、学者か近衛か何かの地位に就いて、出世してもらいたいと願っているんだよ。そうすれば私もおこぼれにあずかれるからね」

 悪びれずに言って、ジョルハイは愉快げに笑った。何が面白いんだか、とシェイダールはげんなりして目をそらす。服のどこかに潜んだ棘がちくりと肌を刺すように、彼の言動は時折不快な引っかかりを感じさせるのだ。

「俺を王宮に放り込めば、あんたの仕事は終わりなんじゃないのか」
 だったらいいのに、という希望を隠しもせず問いかける。ジョルハイは苦笑した。
「つれないなぁ。残念ながら、しばらく付き合いが続くんだよ。君はもう少し上手く立ち回ることを覚えたほうがいいな。もしも私の見込み違いで、君が新王候補の五人に入れなかったら、早々に王宮から放り出されるんだよ。もちろん仕事は紹介されるが、神殿の口利きがあるとないでは対応も違うし、私を味方につけておいたら安全なんだがねぇ」
「……見込み違いって、どういう意味だ。そもそもあんたは、どうして俺が五人の内に入れると思うんだ?」
 シェイダールは腹立たしい説教は聞かなかったことにして、話題をそらせる質問を投げた。ジョルハイはこだわる様子もなく、すらすらと答える。
「王の資質を持つ者は白石と引き合い、色を見出す。中でもより多くの色を見出す者が優れているらしい。君はまさにその通りだし、虹のような色が見えたのだからね」

 説明を聞くシェイダールの耳に、あの時の微かな音がよみがえる。石の歌声。ちらちらと光る色彩の星。あれが本当に誰にも聞こえず見えもしないとは、過去の経験がなければ信じられないだろう。いつも、シェイダールの目に映る世界は他人と異なっている。

「あの石は何なんだ?」
 尋ねる声に畏れが滲んだ。あんなものに触れたのは初めてだ。自分の中にある何かが震えた、あの感覚も。あれは未知の、どこか深く広いところへ通じているものだ。
 シェイダールの畏怖もジョルハイには無縁のものらしく、返事はいたって軽かった。
「さあ、何だろうね。おいおい、睨まないでくれよ。仕方ないだろう、私のような若輩者が知っているのは、あれが『最初の人々』の遺物らしいということだけだよ。祭司長ならもう少し詳しいかもしれないが、多分、誰もあの石の正体は知らない」
「だったら」

 言いさしてシェイダールは変な顔になり、唇を閉ざした。なんだい、とジョルハイが促すように首を傾げたが、彼は黙って顔を背けた。
(誰も知らない……だったら、もしも石が壊れたりなくなったりすれば、どうやって次の王を見付けるんだ?)
 そんな危ういものの上に、この国は成り立っているのか。そんな重要な石を、神殿だけが握っているのか。そもそも王の資質とは何なのだ。疑問と不安が胸に渦巻く。だがそれを口に出せば、もっと恐ろしくなるような、ろくでもない答えを聞かされる気がした。何より今はヴィルメがいる。不用意なことを聞かせて怯えさせたくはなかった。

 そうこうして歩くうち、大通りの突き当たり、神殿の前まで辿り着いた。シェイダールとヴィルメは共に首をのけぞらせ、天まで続きそうに見える階段をぽかんと見上げる。開いた口がふさがらなかった。
 全部で五あるいは六階層あるだろうか。おびただしい数の石を積み上げて、一階ごとに小さくなる建物。その正面に、各階を貫く急傾斜の階段が造られている。

「こっちだ」
 ジョルハイが驢馬の上から手招きしたので、二人は我に返り、通りを右に折れた。こちらもじきに階段につながっていたが、幅が広く段差の低いその階段は、馬や驢馬に乗ったままでも、あるいは大荷物を運んでいても、難なく上がれるように設計されていた。
 二度折り返して上に着くと、石造の門が一行を迎えた。

「うわ……」
 思わずシェイダールは驚嘆の声を漏らす。往来から眺めた印象よりも遙かに巨大で圧倒的だ。左右の柱は有翼神の姿に彫られ、台座にも細かな装飾が施されている。
 ジョルハイはここで驢馬を下り、二人を中へと案内した。さしものシェイダールもこの時ばかりは批判的な言葉のひとつもなく、威容に心奪われていた。

 金箔張りだの花の香りだのといった単純素朴な想像を遙かに超える規模、造形の美しさや彩色の華やかさ。そこかしこに牡牛や獅子、あるいはそれらを従える王の像や浮き彫りが配され、槍を構えた衛兵と共に王宮を護っている。
 建物から建物へと渡る際に見える庭園には、贅沢に花や果樹が植えられていた。水路が縦横に走り、涼しげにささやいている。どこからか、馴染みのない楽器の音が聞こえてきた。門をくぐってから随分歩かされているが、距離も時間も忘れてしまいそうだ。

「ワシュアールは小さな国だが」そっとジョルハイが語りかける。「歴史は古い。そもそもこの地は『最初の人々』が都を築いたのだと言われている。今ある神殿や王宮、それに街も、彼らが残した遺構の上に建てられた。彼らがどこから来てどこへ去ったのか、誰も知らない。だが、我々こそが彼らの跡継ぎであることは間違いない。選定の石も、その他の謎めいた祭具も、いずれその真実が明らかになるだろう。それまで、この国のともしびを絶やしてはならない。然るべき王を立て正しい儀をもって神々を祀ることが、我々祭司の使命なのだ。……受け売りだがね」

 庶民の二人はなんらかの感想を述べることもできず、惚けて周囲を見回している。その間にジョルハイは、取り次ぎの召使に来意を告げてあれこれの指示を済ませた。

「さて、ここでしばらく待とう。座りたまえよ、お二人さん」
 廊下の壁際に設えられた長椅子に腰を下ろし、ジョルハイが手招きする。シェイダールはまだ上の空でそれに従ったが、座った途端に疲れがどっと出て、思わず長々と息を吐き出した。横でヴィルメも両手に顔を埋め、ぐったりしている。彼は気遣うまなざしを妻に向けてから、廊下の先を見やった。
 衛兵が二人、微動だにせず出入り口を守っている。厚い帳で仕切られたその向こうにいるのは、もしや。

「あの奥に王がいるのか? まさか、このままいきなり王の前に出るのか」
「そうだよ。ああ、ヴィルメは私と一緒にここで待つから、怖がらなくていい。王に目通りするのはシェイダール、君だけだ」

 さも当然とばかり応じられ、シェイダールはぎょっとなって生唾を飲んだ。心を落ち着かせる暇もなく、召使が水の(たらい)を運んできて膝をつき、みすぼらしい靴を脱がせて足を洗い始める。他人にしてもらうのは初めてで、シェイダールは緊張に身を竦ませたが、ジョルハイのにやにや笑いに気付くと無理やり平静を装った。お見通しだったが。

「まあまあ、そう警戒しなくても、新王候補は少々のことで咎められはしないよ。ちょっと顔を見せるだけだ」
「何もしなくていいのか?」
「むしろ何もするな、と言うところだね。求められない限り、動かずしゃべらず木偶(でく)のように……おや、意外と早かったな。ほら、お呼びだよ」

 帳の前に立っていた衛兵が一人、中から誰かの指示を受けたらしく、こちらへやって来た。召使が足を拭いて用意したサンダルを履かせ、仕上げの合図に軽く臑を叩く。それに押されたように、シェイダールはすっくと立ち上がった。
 衛兵が名を呼び、慇懃ながらも遠慮なく値踏みする目で見る。彼は唇を引き結び、振り返らずに「行ってくる」とだけ言い置いて、王の宮殿へ向かった。

 内側から召使が帳を上げる。シェイダールは衛兵の後からそれをくぐった。
「――!」
 一瞬、足を下ろすのをためらった。磨き上げられた黒曜石の床があまりにも美しく、周囲のものが映って底なしに見えたのだ。

 幸い、踏み出した足はしっかりと硬い石に落ち着いた。我知らずほっと息をつき、顔を上げる。最初に通ってきた豪壮な宮殿に比べたら、こぢんまりとして安らげる規模だ。床も壁も闇のような漆黒だが、多数の窓には青や紫の布が揺れている。衛兵が立ち止まって進路を譲り、手振りで前へ出ろと促した。その時初めて、王の姿が目に入った。

 ざわり。胸の奥で大樹の梢が揺れる。
 シェイダールはまじろぎもせず、食い入るように王を見つめた。奥の壇上、どっしりした椅子に毛皮を敷いて腰かける壮年の男。緩く渦を巻く黒髪が肩から胸元にまでかかっている。鳶色の瞳に捉えられた瞬間、音ならぬ音が鳴り渡った。
 衝撃のあまりシェイダールは堪えきれず膝をつく。魂の底に巨大な楔を打ち込まれ、二つに割られた気がした。目の前に次々と色が花開き、萎れ、裂け目に吸い込まれてゆく。

 静まり返った室内に、王の嘆息が響いた。深く暗い夜空の藍色が告げる。
「この者だ」
 ガツン、と荒々しく魂の裂け目が閉じた。シェイダールが顔を上げると、王もまた引き裂かれたかのような痛みをその面に浮かべ、こちらを見つめていた。
 短い沈黙の後、王はふっとほろ苦い笑みをこぼした。

「ついに現れたか。では、そなたが余を殺すのだな」
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