(二)

文字数 736文字

 男がハイ、と手渡して来たのは一枚のチラシだった。それは浴衣一日五百円という日舞サークルのチラシだ。チラシの右下には『北条大学』と明記されている。
 これは浴衣レンタルの控えにもなっていて、借りた時に所属とフルネームを書いた。それを落としたのだ。
 ようするに名前と大学を知ったのは金魚でも探偵のような調査でもないということだ。単なる落し物配達だったことに少しがっかりし、それを受け取ろうと手を伸ばした。

「すみません。有難うございます」
「おっと。あげないあげないあ~げない」
「え……」

 チラシを掴もうとした瞬間、ひょいっと男はそれを取り上げにやにやと笑った。

「欲しいかい? 欲しかろう? 欲しいに違いない!」
「いえ、別に。無ければ無いで」
「ほっほ~う!? じゃあ僕がこれを千枚コピーしてご町内に配り歩いてもいいと!」
「……すみません。返して下さい」
「いいよ。ただし僕に付いて来てくれたらね」

 男はにっこりと微笑んだ。
 秋葉は別に話をしたくないわけではなかった。何しろ生まれて初めて出会った金魚を理解する人間だ。怪しげな男ではあるが興味はある。
 しかしこんな脅され方をすると素直にうんと言い難い。余計な演出しないでくれよと思っていると、癖なのだろうか、男はするりと頬を撫でてきた。

「君の金魚鉢は僕の所にあるよ」
「金魚鉢?」
「そうさ。金魚を消す金魚鉢さあ。あれが欲しいんじゃないのかい?」
「金魚を……消す……?」

 ――何だそれは。

 触ることすらできないあの金魚を消すというのは秋葉の悲願だ。
 金魚になっていくあの夢を見ずに済むようになるかもしれない。

「来るだろう?」

 もはや拒否するという選択肢は無かった。
 まだ授業があるけれど、秋葉は隆志に代返を頼んで金魚屋の男に付いて行った。
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