ゆいごん
文字数 1,973文字
僕は今月から玉ねぎを食べている。
母さんがいった。
いつものショッピングモール。母さんは二階を見てまわるのが好きで、僕は一階の香ばしいにおいのなかにいるのが好きだった。今は母さんのターン。ブティックダンジョンでのアイテム探しに僕がつきあっているかたちだ。
僕は今日で十歳だけど塾ではもう中学の勉強をしている。勉強だけじゃない。少しは大人の世界のしくみも知っている。なにが汚くてなにが汚くないのか。見ためや古くさい考えでそれを判断――いや、決めつけている母さんは、僕からいわせてもらえばなにもわかっちゃいない大人だ。
そうやってまた理屈をこねて――表情から読み取れた心のなか。
ショッピングモールの床はばい菌だらけ。特にトイレを使ったあとの靴底なんて想像するのも嫌なぐらい汚いわ――母さんなりの根拠。
いって、僕はやり玉にあがっている、甘く香ばしい好物にかじりついた。
実力行使に打って出る母さん――子どもに対する大人の一番悪いくせ。僕の好物は床へと叩きつけられ、今川焼とは呼べないなにかになり果ててしまった。
冷気系の魔法呪文を唱える気分でいった。
短く吐き捨てた母さんは近くの店員さんに声をかけ、お店の床を汚してしまったことについて謝りはじめた。僕も脇に並んで同じことをする。店員さんは大丈夫ですよと笑顔で応えつつも、商品の洋服に餡や皮がついていないか、さりげなく確認をしていた。
今川焼としての運命をまっとうできなかった彼の亡きがらをティッシュペーパーでつかんだ。温もりの残るそれを床から剥がし、もらったポリエチレンの袋へと詰めていく――先月、長い箸で祖母の骨をつまみ、白い壺へ納めたときのように。
食べもの粗末にしたらあかんで。ねぎは体の毒消しや。食べ――カレーやシチューの玉ねぎを皿の端へよけておくと決まっていわれた言葉。もう聞くことはない。
顔がいっていた。親指についた餡を気づかれないように舐める。大好きだった祖母の骨も僕はそうやって食べた。
頬を張られた。
DVDデッキのポーズボタンを押したときのようなかたまり方をする母さん。
母さんはゆうべ、蛇口から直接水を飲むみたいにして父さんのおしっこを飲んでいた。
父さんは飲ませるのに、母さんは飲むのに夢中で、僕のことなんかちっとも目に入ってやしなかった。
店員さんの耳にも届く声で僕は聞く。
僕はポケットからふたつも前の型のiPhoneを取りだし、LINEのアイコンをタッチした。
右へ左へ体をねじる。妨害の手をかわしながらのフリック入力はなかなか大変だ。
年に一度のプレゼントをふいにされた僕の心は火炎系の最強魔法なみに燃えさかっている。
ポケットモンスターの『サン』と『ムーン』ふたつとも買ってあげる――最初よりよくなった誕生日プレゼント。僕はiPhoneをポケットへしまった。
だけど本当は知っている。十年前の今日、なにがどうなって僕がこの世界に生まれてきたのかを。そして母さんに教えてあげたい。汚いってのは僕が今使ったような手で得をすることなんだよって。
僕は来月も玉ねぎを食べる。