第15話 忘れていた歓び 田辺聖子、隆慶一郎

文字数 1,744文字

前回までに記事にした高井有一さん、佐藤泰志さん、深沢七郎さんのお作は自分の中の問題と密着しているのか、相応に負担を感じました。
こちらの三作を終えた後に収録されていたのが1986年、田辺聖子さん『薄情くじら』と隆慶一郎さん『慶安御前試合』だったのは幸運なことでした。

田辺さんは意外に思われる方も少なくないように感じますが、芥川賞受賞者。
でも、どのエッセイでしたか、気の利いたお菓子の詰め合わせのような作品を書きたいと、田辺さんが書いておられて、有言実行、粒ぞろいのお作を数々生み出したのは周知のとおりです。
一方で評伝などにも優れた仕事を残し、自分は田辺さんのお作は読めばおもしろいと大きい信頼を寄せています。

『薄情くじら』は壮年期に入り、老いの兆候かにわかに吝嗇の気が出始めた男性を、「捨てるところはない」と言われ戦後の貴重なたんぱく源であったくじらと絡めてコミカルに描きます。

ラスト、ハートウォーミングなドラマになるのかなと油断していたら、いえいえどうして、男の心の動きにビックリして、でも現実はそうだよなァと腑に落ちました。

なんだろう、田辺さんはひとのずるさや弱さもお書きになるけれども、作者自身がその上に立たず目線を等しくしており、ときどき弱さが強さへと変じる美しいお作もあって、読後は大抵気分よく眠れます。

自分は時代小説が苦手で、生涯に何本読んだでしょう……。
はなはだ心もとない読み手ですが、『花の慶次』を原作としたコミックが「少年ジャンプ」に連載されており、隆慶一郎さんのお作は他の時代小説よりハードルが低い気がしていました。

それで、筆名の「隆」は四角張って固太りの男性を連想し、「慶」の字は慶賀を連想させておめでたく華々しい感じで、なぜだか自分は、隆さんは和装の勝新太郎みたいな方と、勝手に想像しておりました。

でも本シリーズには作家自身の写真が載っており、隆さんは面長なお顔で長髪でメガネを使用、想像とまったく違う。けれども子どもみたいな笑顔を見せておられて、こんな屈託ない作家の笑顔の写真、他に見た覚えがないですねえ。

『慶安御前試合』は三代目将軍・徳川家光の世の話。
尾張柳生の指南役である兵助、後の柳生連也斎と江戸柳生の宗冬の御前試合が行われることになるのですが、実は家光の思惑は江戸柳生を根こそぎ潰すことにありました。

うかつなことに知らなかったのですが、家光は男色家で、江戸柳生出身の美男子・友矩と恋仲であったとか。家光は友矩に将来四万石を与える約束をし、それに激怒したのが友矩の父である宗矩。
幕府に仕え多くの裏仕事を請け負い36年かけて一万石の大名になったのに、寵童になった途端四倍、宗矩激怒、後に息子を斬殺させて、愛しい友矩を奪われた家光は、江戸柳生を潰す機会をうかがっていたのでした。
色恋の恨みは怖いですね。二丁目界隈でも聴いたことあるような笑

冗談はさておき、兵助は剣術の天才であり宗冬は凡人、江戸柳生の悲願を達成するには宗冬が勝たなければならず、土台それは無理な話で、故に兵助は暗殺の危機に遭います。

物語が動き始めたら一気呵成におもしろくなり、どんどんよくなる法華の太鼓、史実に詳しいことは当然ですが、隆さんはそこに自由奔放な想像力を駆使して、例えば兵助を狙う暗殺者の横地太郎兵衛は



と来たもんだからたまりません!
暗殺集団と兵助とその兄の闘い、兵助と太郎兵衛のタイマンとか、ワクワク血が踊り、何より隆さんご自身が、「うひゃー、これおもしれー!」ってノリノリで書いておられる感じがして、あまり味わうことのない歓びを堪能し、満足満腹です!

あ、でも、シンプルな剣術活劇ではなくて、濁世に生きる悲しみ、そこで必要とされる精神の清潔さなども描かれて、ほんと、おもしろかったなァ。

問題意識を踏まえて読むのではなく、物語世界に没頭。
自分が面白いことを書くのが原点と思い出させてくれて、両作家に多謝、であります。
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