(一)

文字数 958文字

「私、帰るわ、少し飲み過ぎちゃったから……。でもあきらちゃんは、デザート食べっててね。ここのドルチェ美味しいのよ」
 耀子さんは徐に立ち上がり、そう私に言ってから会計を頼んだ。
「マスター、彼女の分のドルチェとエスプレッソ代も一緒にね」
 恐らく私にお金の心配が無用だと云うことを知らせる為だろう。私にも聞こえるようにそう言って支払いを済ませ、彼女は店から出て行った。

 藤沢君がここに来たのはその五分後、上気した表情で店の扉を音を立てて開き、彼は店内に走り込んできた。その時、私は丁度パンナコッタを食べ終わったところだった。
「クソババア、どこ行きやがった!」
 そう言って彼は店内を見回す。そして私を見つけて駆け寄って来た。
「日色さん、クソババア、どこ行った?」
 私には信じられなかった。いつもクールな彼が、私以上に下品な言葉を使うのを。そしてこんなに興奮した表情の彼を見たのも初めてだった。
「よ、耀子さんなら……、帰ったけど……」
「日色さん、無事だった? あいつに何もされなかった?」
「え? 私は何とも……、彼女に食事を御馳走になっていただけだけど……」
 藤沢君は少し考えてから、小さく舌打ちをした。
「クソ! あのババアに揶揄われただけか……。でも良かった」
 彼はそう言うと、二三回、深呼吸して、そのまま帰ろうとする。でも、ここは彼をこのまま返しちゃ駄目。私は自分の持っている一番の大声を出した。それでも、その声に気付いたのは藤沢君だけだった。
「待って! 少しだけ待って! 藤沢君がいくら私を嫌いになっても構わない。だけど、これだけは言わなくちゃいけないの。だから、ほんの少しだけ待って」
 彼は後ろを向いたままだったけど、帰らずそこに立ち止まってくれた。
「私は藤沢君にずっと憧れていたの。本当に、付き合いたいと思っていた。決して嘘じゃない。だから、文枝があなたとのデートをセッティングしてくれたのは、とても嬉しかった。本当に嬉しかった。でも男の人と付き合ったことなんて無かったから、藤沢君に嫌な思いさせちゃった……。私は、下品で、がさつな男女で、パンツ丸出し女だもの、藤沢君に好きなってくれなんて言えない。でも、文枝は嘘なんかついてない。それだけは信じて欲しい」
「パンツ丸出し女?」
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