そしてやはり天才作家・アキヒメは、執筆の速度自体も神がかっていた。
半月がした現在、アキヒメの手中にはずっしりとした重みの完成原稿が収められている。
ミリフィエール、ヨダカ、アキヒメの三人は、キリエと待ち合わせた国一の美しい巨木が公園へ向かう最中。
ヨダカやミリフィエールは、口々に熱っぽく告げる。
すごい……我々も読ませてもらったが、初めてこのジャンルに進出したとは思えないぞ……!?
わたくし、端々で泣いてしまいました……! あっぴぃはやっぱりすごいです!!
アキヒメははにかんだように笑うと、藤色をした封筒に入った原稿をじっと見つめつつ、苦笑いをして続けた。
ありがとう、ふたりとも。……だが、仮にこの物語がよい出来だとしても、告白の成功とはまた、別の話だからなぁ……
ミリフィエールはアキヒメの手を、自身の両手でふわりと包みこんだ。
あっぴぃ。以前わたくしが、ホシミカミ様に“『星』を探すように”とお言葉をいただいたこと、お話したことがありましたよね
――古来、星の位置によってひとびとは、己の行く道のりを測っていました。
だからわたくしは、ホシミカミ様はそれになぞらえて、わたくしにとっての『道標のような存在』を探せ、とおっしゃっているのだと思いました
ミリフィエールは、熱っぽい瞳で告げる。
この国での全ての出逢い、ヨダカ様のお言葉。
そしてなにより、執筆中、全ての要素を鑑みながら、自分だけの物語を紡ぎあげてゆくあっぴぃを見て思ったのです。
――その『星』は、自分の意志で選びとってもいい……選びとらなければいけないものなのだって。それはきっと、『恋の相手』。
あなたはあなただけの『星』を決めました。どうか、その『想い』が実ることを信じて……
アキヒメは、その言葉に目をわずかに潤ませた。
ああ。自分の幸せは、信じてやらないとな!
本当にありがとう、ふたりとも! ……行ってきます!!
既に樹の下へ着いていたキリエを認め、彼の元へ駆けてゆくアキヒメ。
ふたりの微笑ましい様子を遠くから眺め、ミリフィエールは隣のヨダカへぽつりと呟いた。
――偉そうなことを、言いました。
わたくしにはまだ、『覚悟』など持てないのに……
彼女の背中を押せたのは確かだ。今はそれで、いいと思うぞ
ああ、あっぴぃが来た。
――笑顔で迎えてやろうな、ミリフィエール
それは、初めて見るヨダカの笑顔。
しかし、その笑顔に滲むのは、どこまでも切ない痛みなのであった。
不安になり、ヨダカへ呼びかけようとしたミリフィエールを不意に、懐かしい気配が包みこむ。
同時に周りの景色が消え失せ、ミリフィエールとヨダカはまるで夜空に投げだされたかのような感覚に襲われた。
よくできましたって言いたいところだけど……半分正解で半分不正解かな、ミリフィ。
確かに『星』は自ずから選びとるもの。でもね――『運命』がそれを赦さないことも、確実にあるんだ
ミリフィエールを自らの『星』と決めたホシミカミが彼女を抱きすくめ、やはり切なげにその美しい顔を歪めていた。
やあ、久しぶりだね、ミリフィ。それに、……ユダも
(えっ。今、ホシミカミ様……ヨダカ様を『ユダ』って……?)
やめてくれ。恥ずかしい話だが、当時は「よ」が上手く発音できなかったのだ。……まったく、貴方がミリフィエールにセクシャル・ハラスメントしていたときは、いきなり小芝居を始めるから、合わせるのに苦労したぞ
ごめんって。まさか『ヨダカ・ウィルクランツ』が『きみ』だなんて思わないじゃない。知ってたらぼくだって――。まあ、ミリフィを撫でまわして堪能したのは、今も後悔してないけど
ふん、あのころはとても話上手なかただと思っていたが、今対峙したら単なる減らず口だな
勘違いしてくれるなよ、ホシミカミ。
これは貴方のためでも私のためでもない。すべてはミリフィエール……いや、『ミリフィおねえちゃん』のためということを――
(なにが起こっているのです? それに、『ミリフィおねえちゃん』って――)
彼女の中で、なにかざわざわとしたものが広がる。
『だって、けんのおけいこはきらいなの。――きずつくのも、きずつけるのもやだもん』
『おねえちゃん、おねえちゃん……ごめんなさいぃっ……!』
さあ、『扉』を開くときだよ、ミリフィ。……ヨダカ、きみの定めた『解呪のコトノハ』を
ミリフィエールは思わず身をすくめるが、ヨダカは意を決したようにミリフィエールを見据え、ある言葉を諳んじた。
――“ミリフィおねえちゃんに、幸多からんことを”
(ヨダカ様は、コトノハにそのような文言を――)
『解呪のコトノハ』は主に神とヒトが契約をする際に取り決める、その『呪い』を解く『鍵』となる言葉のことだ。
ヨダカは、『鍵』となるそれに、ミリフィエールの幸せを願う口上を定めた――。
彼の優しさにきゅうっと胸が締めつけられる心地だったが、刹那、姿勢を保ちきれなくなり、ぐらりとからだが揺らぐミリフィエール。隣にいたホシミカミが、その肩を当然のようにふわりと抱いた。
耳許で、ホシミカミの少し寂しげな声がする。
そこで、ミリフィエールの意識は途絶えた。