同じ人間だと思うな

文字数 4,142文字

 2.

 テスは教会堂の裏手へ回り、墓地と木立を駆け抜けて、村を囲む柵に手をかけた。よじ登り、内側へと身を投げ、着地した。
 言葉つかいを相手取るには、視界を遮る物が多くあるに越したことはない。
 村の通りは舗装もされておらず、赤土には深い轍の跡が残されていた。轍の跡に沿って、テスは村の奥へ走った。役場すらない、数十戸の漆喰の家が並ぶ小さな村だった。
 テスは身を隠せる場所を探した。頭にあるのは、赤い闘魚に姿を変えられた新生アースフィアの党員のことで、仮に七人全員が言葉つかいでないとしても、彼らの視界に入りたくなかった。
 ところで、どうして彼らは俺の居場所がわかったんだろうと、テスは走りながら考えた。この広い荒野で、何故?
 機関車の乗客から依頼を受けたのだろうとテスは考えた。テスが機関車に乗り、そこから荒野に取り残されたことを知っている誰か。あの後に停車した町で、あの追っ手たちに依頼したのだ。そして、そのような依頼をしそうな人物は一人しかいない。
 サイアの父親だ。
 どういうやり方でか、恐らくはテスが知らない言葉つかいの力の使い方をして、彼らはテスを追ってきた。もしかして彼らは、サイアの父親が言っていた警邏隊の一員で、悪い言葉つかいを狩る善い言葉つかいかもしれない。彼らは既にサイアの命がないことを知っているのかもしれない。テスは悪い言葉つかいだ。何といってもサイアの件に関しては、非はテスの側だけにある。小さな女の子を誘拐し、死に追いやったのだから。殺したのだ。
 テスは家々の間を抜け、公衆浴場に行き当たった。背後で地響きがし、テスは立ち止まった。後ろから大きな黒い影が被さってきた。
 人の頭の形をした影が、テスの体越しに公衆浴場の壁に差し、屋根へと伸び上がった。砂のにおいが立ちこめる。テスは後ろを振り向いた。
 巨人というものを、テスはこの世界で何度か目にしてきた。化生がとる姿にしろ、船上で出会った言葉つかいが操っていたものにしろ、人の形をしたものというのは想像しやすいのだろう。今テスの後ろにいるのもまた巨人で、それは鎧を纏っていた。重装歩兵だ。夕日を映してテスの目を刺す磨き上げられた兜は、頭から首までを守る円筒形で、喉を覆う鎖帷子の鈍い輝きが僅かに伺えた。テスは口を小さく開け、手を目の上にかざした。巨人は村を囲む柵の外にいた。二体、三体と、次々大地から沸き上がってくる。
 これほど大きければ、見つかってしまうわけだ。
 巨人は七体になった。それが大股で柵を跨ぎ越し、村に入ってきた。二階建て家屋の屋根の頂は、鎧を着込んだ巨人の膝と同じ高さにあった。巨人が歩く度に、震動がテスの足の裏に伝わる。巨人たちはテスを取り囲むように半円を描いて立ち、それぞれが前進を始めた。
 テスは二本の半月刀を抜いた。巨人の群れに対し、左足を踏み込んだ。腰を右へ捻り、左手の半月刀を右肩の上に、右手の半月刀を左の脇腹にやり、構える。構えをとるのは、半ば儀式のようなものだった。テスはすぐに構えを解き、巨人たちの群れへと駆けていった。
 巨人たちが一斉に、握りしめた星球つきのメイスを振り上げた。半円の包囲が縮まってくる。テスはその半円の中に飛び込んだ。
 メイスの凶暴な気配が頭上に迫り、テスはその気配に集中しながら走り続ける。
 真後ろの地面にメイスの星球が叩きつけられ、石つぶてがばらばらとテスの背を守るマントにぶつかった。土が水柱のように上がり、頭上から降り注ぐ。
 今度は、蛇行しながら走るテスのすぐ左横にメイスが振り下ろされた。続けて右前に。テスは高く跳び上がり、地面にのめりこむメイスの星球、その凶悪な棘の上でくるりと回転し、飛び越えた。着地しようとするテスの真上から、更にメイスが襲いかかる。
 着地の直後、後ろに転がり、かろうじて回避した。
 メイスの星球がテスの真横に建つ漆喰の家の屋根にのめり込み、破壊する。
 テスは、ネサルとの戦いの際に初めて試みたように、つむじ風の障壁を体の回りに張り巡らせた。土と砂、石埃、破壊された家の壁や梁、そして屋根を、テスを守る風が巻き上げていく。
 瓦礫混じりのつむじ風を、テスは正面にいる巨人にぶつけた。テスは走る。ただまっすぐ走る。そして、巨人たちの作る半円の包囲を突っ切った。
 跳び上がり、左足で民家の壁を蹴り、その右側に建つ家の屋根に飛び乗った。
 その家の陰に、二人の言葉つかいの姿を見つけた。
 飛び降りる。
 半月刀が、西日を受けて殺意のように輝いた。
 その光を顔に浴び、何事かと振り向いた言葉つかいは、途端に喉仏に半月刀の鋭い刃を受けた。仲間の短くくぐもった悲鳴を聞いたもう一人の言葉つかいも、慌てて振り向いてテスを見た。何が起きたか確かめる間もなく、その男も喉を裂かれた。
 つむじ風が起こる。テスを円形に取り囲み、血しぶきを、煙のように高く舞い上げていく。
 テスはつむじ風の真ん中に立ち、両腕を上げ、半月刀を交差させた。
 振り下ろす。
 刃についた血が払われ、地面に二本の血の直線が描かれた。つむじ風がやむ。テスの頭と肩に、血しぶきが落ちてきた。テスはまた走り出した。
「二体消えたぞ」
 残る五体の巨人が、影を引きずりながら歩いてくる。テスは言葉つかいの姿を探して、横長の平屋に飛び乗った。鎧がまぶしくて、目を閉じそうになる。振り上げられて下から上へと動くメイスの影が、一瞬だけテスを光から守った。
「何があった? どうして二体消えたんだ? 誰かやられたのか?」
 混乱して喚く声が、地響きを伴う巨人の足音の中から聞き取れた。
「気をつけろよ! どういう生贄の使い方をしたか知らねぇが、奴は一人で形喰いを破ったって話だぞ」
「知ってるよ。よりによって、小さい子をさらってな!」
 メイスの影が、今度は上から下へ素早く動いた。
 テスはくるりと跳び、地面に下りる。
 またしても、家が一軒背後で叩き潰され、内側に陥没するように壊れた。巨人たちはテスの前に回り込んで包囲しようとしなかった。それがどういうことか、テスは気付いていた。
 言葉つかいたちも、あの巨人たちを自分の近くで暴れさせたくないのだ。つまり、巨人が行かないところに彼らは隠れている
 前方の家の陰から、小太りの男がひょっこり姿を見せた。
「あいつ、今どこに……」
 テスは地を蹴った。
 跳び上がる。
 マントが、翼のようにばさりと音を立てた。
 男は放物線を描いて飛んでくるテスを見上げ、喉を無防備に晒し、口を開けて硬直した。愕然とした目に迎えられながら、テスは空中で腰を捻り、左手の半月刀を右肩の上にやった。そして、着地と同時に男の喉に半月刀の一閃を浴びせた。
 間近で悲鳴が聞こえ、後ろで誰かが慌てふためき走り去る。
「助けてくれ! シーカがやられちまった!」
 テスは声がよく聞こえるように、再び屋根の上に飛び乗った。
「何があった? シーカがどうしたって?」
「強い……」後方からだ。テスが先ほど走り抜けてきた方向から聞こえる。「あいつ、強いんだよ!」
「強い? 言葉つかいの協会の連中から入手した情報じゃ、まだひよっ子のはずだぜ」
 地面におり、叩き潰された家の後ろを走り抜け、その次に現れてくる家の庇へと跳び、二階の屋根の上へ。
「言葉つかいとしてはひよっ子かもしれねぇさ。だが物理武器を使いやがる」
「物理武器だと?」
「サルイとダスカがやられてる!」
 三人目の声。
 声は一箇所に集まりつつあった。
 テスは、着地しなくてもぎりぎり跳び移れそうな距離にある家へとくるりと跳んだ。
 四人目の声が続いた。
「一撃で……傷口がきれいだ……手慣れてる。どこでこんな技能を身につけやがった」
 その家の真横に立っていた巨人が、ゆっくり体の向きを変え、右手に持ったメイスを、左の二の腕の後ろにやり、構える。
「なあ、あのジュンハとかいう男に前払い金を返そうぜ。俺はもう……」
「馬鹿を言うな! 子供をさらって殺すような言葉つかいを野放しにしていいわけないだろう! それを黙認するようじゃ、協会の奴らと同類だ!」
「俺は奴の姿を見たんだ! まだ若かった。この残忍さと、この殺しの技量……これはきっと……」
 メイスがテスの後ろから、横薙ぎに振られた。
「……かなり幼い頃から、人を殺すように育てられたんだ! あいつは人間じゃねぇ!」
 可能な限り高く、真上に跳び上がる。
 メイスの星球がテスの体の下をかすめ、その針山のごとき棘の輝きが更にテスの目を焼き、乾かした。
 そして、飛び移った先の家の陰に、四人の姿を見つけた。
「おお、そうだ! 人間じゃねえ!」一番落ち着いているように見える男が、遮るように言い放つ。「人形だ! 機械だ! ケダモノだ! 同じ人間だと思うな! 全力で殺せ!」
 振り切られて停止したメイスの隣で、テスは大気の足場を作り、それを蹴り、飛ぶ。
 マントが広がった。
 男は叫んでいた。
「殺せ!!」
 その立ち姿を影で覆い、テスが頭上で半月刀を振りかざす。
 テスの着地と同時に、男は首筋から血を噴き出した。マントの裾で土を撫で、男たちの眼前に、鳥のように舞い下りた影、テスが立ち上がる。右の半月刀を左の脇腹に、左の半月刀を右の脇腹に、刃を前に向けてかざし、残すところ三人の男たちへと足を踏み出した。
 翼のように両腕を広げ、力を解き放つ。右手の半月刀の先端が、右前方に立つ男の喉を刺した。左手の半月刀の先端が、左前方に立つ男の首を掻いた。
 更に前へ。
 左足を踏み込み、体に回転を加えて、最後の一人の男の首を、恐ろしくよく切れる刃で撫でた。更にくるりと回転し、首筋から血を噴きながらくずおれる男の背後に回った。
 そこは家と家の間で、向こうには、一体だけ巨人が残っていた。
 巨人もテスを見つけたが、テスに向かって歩きだそうとしたところで夢のように消えた。
 後には七人の死骸と、テス、叩き潰された家々と、巨大すぎる足跡や、赤土にメイスの星球がのめりこんだ痕跡だけ残った。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み