第15話 一九四五年四月二七日(フライシュタット強制収用所)

文字数 873文字

 あの男だけは、絶対に許せない。
 ブロニア・フェスマンはそう胸に誓って生きてきた。
 今日ようやくアメリカ軍がやって来て、フライシュタット強制収用所を解放してくれた。ただ残念ながら、所長と部下の髑髏部隊の兵士らはその少し前に逃げ去ってしまっていた。
 アメリカ軍の指揮官は、映画俳優のクラーク・ゲーブルに似た男前の中尉だった。彼は自分達が解放した囚人達の痩せ衰えた有り様にひどいショックを受け、自分の部隊にある全ての食料とレーションを囚人達に与えた。
 この強制収用所にかかわったナチ野郎は、一人残らず牢獄にぶち込んでやる。中尉はそう決心していた。しかし今は、医師と食料の調達が最優先事項だった。戦犯の追及は明日からだ。
 が、囚人のうちの一人が、どうしても話を聞いてほしいと言って承知しない。
 ブロニア・フェスマンは、戦争前には五五キロあった体重が三六キロにまで落ちていた。いつ死んでしまうかも知れないのだ、明日まで待ってなどいられない。その悲痛な思いがブロニアを駆り立てていた。
「隊長さま、お願いです、ナチの奴らを捕まえて死刑にして下さい!」
「もちろんそうするとも。約束するから、安心して休んでいなさい」
 クラーク・ゲーブル似の中尉は、ブロニアをまともに見ることができなかった。まだ若い娘なのだろうがミイラのように干からびて、性別すら定かにわからないほど痩せていた。
「私が一番捕まえてほしいナチは、姉を殺した奴です。その男は姉を情婦にして弄んだ上に、飽きるとあっさり殺してしまいました。ええ、私達囚人の目の前で、犬ころみたいに撃ち殺したんです。その事は、他の皆も証言してくれます」
「……酷いな。よし、間違いなく戦犯リストに載せて、必ず捕まえて吊るしてやろう。で、その糞ったれのナチ野郎の名前は?」
 ブロニアは深く息を吸い、そして吐き出すようにそのナチの名を告げた。
「ペーター・ドレシャーと言います」
 数年間の強制収用所生活は苛酷だった。その間にレーナだけでなく父も母も死に、フェスマン家の家族で解放の日まで生き延びられたのは、ブロニアただ一人だった。
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登場人物紹介

 ペーター・ドレシャー……ただ機械が好きなだけの、大人しく心優しい青年。興味があるのはナチスの政治的な主張ではなく、ナチスが作らせた戦車や装甲車。それで戦争が始まると、一兵卒として召集される前に戦車の整備をする技術将校を目指して士官学校に入学する。

 杉村史生……ペーターと同じく、機械が大好き。ベルリン工科大学に留学し、ペーターと親しくなる。第二次世界大戦が始まった為に帰国できなくなり、ベルリンで機械工学の勉強を続ける。そして大戦末期のロシア軍に包囲され陥落寸前のベルリンで、旧友ペーターと再会する。

 ヨーゼフ・ヴェーゲナー……ペーターの従兄でナチスの若きエリート。ナチス思想に心から染まっているわけではなく、第一に考えているのは己の出世。愛想は良いが心は冷たい。だが従弟のペーターのことは彼なりに大切に思っており、親衛隊に誘ったり、ペーターが窮地に陥ると救いの手を差し伸べたりする。しかしその為、ペーターはますます悪の道に堕ちて行くことになる。

 ケーテ・レンスキ……ポーランド国境に近いポメラニアに住む少女。略奪や暴行をしながら進撃するロシア軍の猛攻に追われ、撤退するミュンヘベルク師団と共にベルリンまで逃げる。その間、師団の看護婦の役目を務める。

 ユーリ・アレクサンドロヴィチ・スミルノフ……ロシア軍の大尉で正義感あふれる熱血漢。政治将校だが、ナチとドイツ軍は憎むが、ドイツの民間人は守ろうとする。

 ステパン・グレゴリオヴィチ・フョードロフ……ロシア軍の上級中尉。NKVD(後にKGBとなる国家保安人民委員部)の職員。

 花井孝三郎……表向きは駐独日本大使館の旅券課員だが、実は陸軍中野学校で教育された特務機関員。杉村史生に総統官邸に潜入しヒトラーの動向を探るよう命じる。

 ハンナ・ベルツ……ベルリンに住む少女。父親が反ナチ思想の持ち主で、「ナチスよりロシア軍の方がマシ」と教え込まれている。

 エルナ・ウルマン……ハンナの友達。父親がドイツ軍の将校である為、ロシア軍をとても恐れている。

 アントン・ブリュックラー……SS中尉で強制収容所の副所長。楽をして生きている要領の良い男。ドイツ軍の敗戦を見越し、収容したユダヤ人から略奪した金品を横領している。

 レーナ・フェスマン……強制収容所に収容されているユダヤ人の少女。頭の良い文学少女で、ふとしたことから知り合ったペーターと親しくなる。しかしそれは決して許されない恋だった。

 バウル・リッター……ベルリン郊外で退却しながら戦うドイツ第九軍の少年兵。故郷の東プロシアはロシア軍に占領され、絶望しながら西へと逃げている。

 マックス・シュペート……第九降下猟兵師団の伍長だが、本来は空軍の整備兵。兵力不足で東部戦線に駆り出された際に、ロシア兵の残虐さを目にした為、ロシア兵の捕虜になることを死ぬより恐れている。

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