第1話

文字数 12,760文字

 お酒は飲まない。タバコは吸わない。車もバイクも興味がない。競馬も麻雀もパチンコもしたことがない。つまらない男ですよ。
 こんな書き出しで始まる小説を読み始めた。これがつまらないのかどうか、中学生の私にはわからない。お酒はお神酒しか口にしたことがない。学校のトイレでタバコを吸っている生徒を見たことはあるが、吸いたいと思ったことはない。乗り物のエンジン音に興奮はしないし、毎週のように洗車をする人の気も知れない。バイクに二人乗りをして「えっ何?聞こえない」と言いたいとも思わない。人に叩かれながら走る馬を見て何が楽しいのか分からない。どんじゃらならしたことがある。パチンコはお店がうるさいという印象しかない。
 大人から見れば刺激のないつまらない男なのだろう。溺れない程度に嗜好品に手を出し、遊ぶ余裕のある、少しは悪いことをしてきた男の方が色気が漂う。その小説の語り手はきっとそう考えたに違いない。しかし、それでは私のお父さんはどうなるというのか。色気のない父親だと宣告されたようなものだし、父を選んだお母さんは男を見る目のない女ということになる。そんな二人から生まれた私はつまらない娘か。
 そんなはずはない。そんなはずがあっては困る。今私が練習しているストレート、チェンジアップ、カーブの三種の投球は決してつまらないことではない。「世の中結局色恋よ」などくだらない妄言を吐く連中がいるから、そのような自虐的な小説が書かれたのだろう。
 毎週土曜日、地元の少年野球チームの練習が終わる夕方頃、急勾配の坂道を駆け上がった小高い場所にある公園のグラウンドで、壁に向かってボールを投げている。
 野球の経験はない。部活は美術部だ。絵は得意ではなかったが、同じクラスの美術部の子に独特の感性があるとほめられ、部活見学に行ったときにも先輩方に同じように褒められたため調子に乗って入部した。それなりに楽しく毎日を過ごしている。三種の投球練習は完全なる趣味の範疇だ。野球をしたいのではない。ただただ、ストレート、チェンジアップの緩急に酔いしれ、時にカーブで虚を突くことによって、相手を手玉に取る願望を満たしたいだけなのだ。一時間程投げ込み、グラウンド整備をして帰る。雨でなければこんな週末を送る中学生の女子、つまらなくはないだろう。
 今は急勾配の坂道を自転車で駆け上がっているところだ。勾配が急な坂道を毎週のように自転車で上っているにもかかわらず、私の太腿はボンレスハムを彷彿とさせない。前腿に余分な力を掛けずにペダルを漕ぐ。我ながら均整の取れた見事な身体だ。三種の投球はこのバランスがあってこそなせる技なのだ。
 通行人の邪魔にならないように入り口付近の歩道の端に自転車を止め、ボールとグローブ、そして緑茶の入った水筒を持ってグラウンドに入る。
ボールとグローブは去年のクリスマスにサンタさんにお願いをして届けてもらった。美術部の女子中学生がいきなり親に向かって「三種の投球練習がしたいからボールとグローブを買ってくれ」と言い出したら、我が子に何かあったのだろうかと親は不安に駆られるだろう。余計な心配はかけたくない。サンタさんの存在にこれほど感謝したことはなかった。今春から私も高校生になる。サンタさんが来てくれるのもこれが最後だろう。最後の届け物にボールとグローブを選んだ。サンタさんが来なくなるのは名残惜しいが、このグローブは形見として大切に使いたい。
 グローブはフェルメールも目をみはる鮮やかなブルー色をしている。フェルメールについては、フェルメールブルーと称されるその青色が美しいと言われていることくらいしか知らない。作品も『真珠の耳飾りの少女』しか知らないが、名前を出すだけでいかにも博学に見える。よし、今この瞬間からこのグローブをフェルメーブと名付けることとしよう。次第にフェルメールに対して愛着が湧いて勉強するかもしれない。かもしれない。かもしれないことは大概かもしれないまま終わる。自ら足枷をはめて苦しむ必要はどこにもない。枕詞は外し、鮮やかなブルーのグローブで止めておく方が賢明だ。
 自転車をこいできたのだから準備運動は済んでいる。運動する前に準備運動を行うのは人間くらいだ。狩りの前にアキレス腱を伸ばすライオンがいたら、狙われていることに気がついて足首を回し始めるシマウマがいたら、連れて来て欲しい。そんなことをしていたら命が持たない。人間に準備運動が必要なのは、日常の生活が運動と乖離しているからだろう。たしかに、現代の日常生活において、刀で切りかかって来る人はいないし、160キロの剛速球に対処しなければならないこともない。しかし、ないと思っていることが起こるのが自然の条理だ。「緩急」と「虚をつく」、少し欲張り「ここしかない針の穴に糸を通す制球力」を身に付けることは、私なりの自然に反抗しない生きる力の涵養なのである。
 そうは言っても私も現代っ子だ。サバンナに生きる猛者ではない。軽めに投げる事から始める。十球ほど投げると汗を掻いてきた。運動をして汗をかくのは実に気持ちがいい。体内の毒素が体外に排出されていく感じがたまらない。シャツがベトベトするのは少々気持ち悪いが、風邪を恐れて着替えることはしない。風邪にも効用がある。中学生にして野口晴哉を読む少女、これでもまだつまらないと罵るか。
広いグラウンドに、壁に向かってボールを投げる汗をかいた少女、射し込む夕陽。映えるのは夕陽のオレンジか、それともグローブの青か。フェルメールならどう描く。とどめておくと言っておきながら早速名前を引っ張り出す。人間の意志とはそんなものだ。
 「明日からやる」と言う人はやらないし、「今すぐやれ」と言う人も窮屈そうで幸せには見えない。やると決めても、やらないと決めても、長続きはしない。続いたとしても、ふとした時に素の自分が登場して変われない現実に愕然とする。さらに、その素の自分が「ああはなりたくない」と思っていた人と同じであると思い知らされた時、怒りとも悲しみともとれる感情に、あるいは無力感に苛まれる。意識をして自分を変えない方がいい。心が赴くままに身を任せ、変化を厭わず楽しむ。それで十分だ。続けようとしなくても、振り返ってなんとなく続いていることが案外自分に合っていることなのかもしれない。と、どこかで聞いたことをさも自分が経験したかのように語る。
 故に私はあまり投球フォームやボールの握り方にはこだわらない。いや、この表現では語弊がある。より良い球を投げるためには投球フォームやボールの握り方が変わっていくことを厭わずに受け入れる。足を上げずに投げることや、第三関節のみで握って投げることもあるかもしれない。ただ、「方」に固執するあまり、緩急も制球力も落ち、虚もつけなくなっては元も子もない。ましてや怪我をすれば投げることすらできなくなる。だから、こういう風に身体を使おうとはあまり考えない。良いものを目指してただ投げる。この「ただ」が難しい。しかし難しいがために止められない。私は三種の投球中毒なのだ。身も心も擦り減るわけではない。お金もなくならない。人間関係が壊れもしない。
 中学生、しかも女子だと言って侮るなかれ。ストレートは140キロを優に超える。計測したことはないので根拠はないが、目測がデジタルな数値に劣るという根拠もない。幼いころから山の中を走り回り、時に虫を捕り、川で泳ぎ、時に魚を捕まえて遊んできた。自然の中で育ち、独特の絵を描く感性があれば、誰に教えらずとも力の発揮の仕方が身に付くのである。
チェンジアップは110キロ台。これだけで30キロの緩急をつけることができる。壁もびっくり、ボールが壁に到達する前にバンという音が鳴り響くくらいだ。この時ばかりはさすがにどんな中毒も中毒であることに変わりはないと学んだ。やめどきも自分で見つけて行かなければならない。誰かの助言を素直に受け入れられるのなら中毒なんて存在しない。ならば、中毒を経験しやめどきを自覚できれば人は素直になれるのか。やめられないから中毒なのである。「これ以上は危ない」を見極め、それに従えるかどうか、これにかかっているのだろう。
 140キロのストレートと110キロのチェンジアップが織りなす緩急、そこに90キロ台の芸術的放物線を描くカーブを放り込む。その美しさに見惚れてバットを振ることを忘れる。これでもう空想上の打者はきりきり舞いだ。
初めは三種の投球をしたいだけだったのだが、次第に欲が深くなってきた。ただ投げるだけでは飽き足らず、打者を相手に三振の山を築きたくなってきた。制球力の向上は自己能力を知る指標になるし、打者がいなくても確認ができる。しかし、相手なしでは緩急の使いようもなく、虚を突くこともできない。自分が三種の投球を確かに運用できているかどうかが判然としない。つもりで自己満足しているだけかもしれない。つもりで乗り切れるほど自然の条理は甘くない。私に向けられた「独特」は「上手」のオブラートかもしれない。上手と思ったのなら素直に上手と言えばいいのに、認めたくないのか、独特と言ってくる。
 そろそろ本格的に投げ込んで行く。目測で壁から18.44メートルの距離に立つ。23センチの靴で丁寧にその距離を測っていた時期が懐かしい。左右のつま先とかかとを交互に合わせて歩いていたときに、散歩をしていたおばさんに声を掛けられ、今何歩目なのかが分からなくなって以来歩行計測は止めた。「あーもう」という小さなイライラはなるべく避けたい。小さいからと舐めていてはいけない。絵のセンスが見る見るうちに落ちていった。熊を描いたのに兎だと言われる始末だ。遠ざけられる苦難は遠ざけたい。そもそもマウンドに立ちたいわけではない。距離は大体でいいのだ。
 ストレートとチェンジアップを交互に投げる。この二つは握り方が違うだけで同じ腕の振りで投げることができる。同じ振りの腕から投げられるボールが30キロの落差を持っていれば、打者が戸惑うのも無理はない。真っ直ぐの速い球が来ると思ったら、落ちながらゆっくり向かって来る。ゆっくり来ると思ったら速い球が来る。どちらかと考えていると、さらに遅い球が曲がりながらやって来る。何を信じたらいいのやら、世知辛い18.44メートルだ。
 ストレートの伸びとキレは日々増している。鬼門だったシュート回転も改善してきた。「投げ込みたい箇所を目でずっと見続けると頭が前に突き出すため、体の開きが速くなり、腕が外側に逃げて行く。よってボールにシュート回転がかかる。そこで、目を逸らして肩甲骨から見ることで、体の開きを抑え、腕も縦に振れ、ボールに縦回転がかかり真っ直ぐ飛んでいく」という桑田さんの解説を聞くことで改善することができた。ユーチューブは本当にありがたい。
 「方」にはこだわらないと言ったが、良くなるための意見は積極的に取り入れる。やってみて嫌だと思えば即中断。これが可能なのは、私の身体には余計な癖が身についていないので、真似しようと思ったことがすぐに真似できる身体の状態にあるからだ。
どれだけ名の知れた人の提唱したトレーニングでも、科学が「然り」と断定した知識であっても、手放しで飛び付くようなことはしない。豊かな身体性を失ってまで手に入れたい力も知識もない。
 今日初めて投げるカーブがすっぽ抜けた。落ちることなく高さを保ったまま飛んで行ったボールは壁に跳ね返され、グラウンドの入り口の方へと転がって行った。道路に出て、坂道を転がっては追いかけるのが大変だ。少し小走りでボールを取りに行く。ボールが道路に出た。こうなれば急ぐ方が危ない。慌てずゆっくり拾いに行けばいい。消えてなくなるわけではない。
 道路に出て坂道を見下ろす。ハザードランプが点滅している白い軽トラックが一台止まっている。運転席のドアが開いたままになっている。中に人はいない。しばらくすると、ボールを手に持ったおじさんが坂道の下の方から歩いて上がってきた。
「これ、お譲ちゃんのかい?」とおじさんが聞く。
「うん」
生まれてこのかた「お譲ちゃん」など呼ばれたことはないが、悪い気はしない。
「わざわざ取ってくれたの?ありがとう」
「『ありがとう』なんて言うもんじゃない」とおじさんは返す。
「でも取ってくれたから」
「このまま転がって行っちゃあ危ないからね」
「ありがとうなんて言うもんじゃない」なんて耳にしたのは初めてだ。世の中不思議な人がいるものだ。
「お譲ちゃん、野球やるのかい?」と手に持ったボールに目をやりながら聞く。
「野球はやらないよ」
「じゃあこれは?」
「三種の投球練習をしてるだけ」
「三種の投球練習?」
おじさんはボールを見つめたまま初めて缶切りの道具を手にした子どものようにとまどっている。
「ストレートとチェンジアップ、それからカーブを投げるだけ」
「よく分からないけど、これは珍しい女の子だ。何のために?」
「何のためって、生きる力をつけるため」
「それで生きる力が付くのかい?」
「付くかどうかは長く生きてみないとわからない」
「そりゃそうだ」と言っておじさんは笑う。
「楽しいかい?」
「楽しくなかったらやんないよ」
「それもそうだ」とまた笑う。
「おじさん、取ってもらっておいて言うのも何なんだけど、車邪魔になっちゃうよ」
「そうだった」と少し慌てた様子で、おじさんはボールを持ったまま白い軽トラックに乗り込んで発車させた。私の横を通る時、運転席の窓越しに私は「ボール」とおじさんに声を掛けた。それでおじさんは自分がボールを持ったままであることに気が付いた。後続車がいたため、おじさんは「まわしてくる」と言ってそのまま車を走らせた。数十秒後、転回して戻って来てグラウンドの横に車を付けた。律義に車から降りてボールを渡してくれた。
「礼を言います」
「そう言うことじゃないんだけど、まあいいか。お譲ちゃん、一人でやってるの?」
「うん、一人」
「一人で十分な練習ができるかい?」
「最近はちょっと物足らないかな」
「おじさんが相手しようか」
「おじさん、野球の経験は?」
「ないよ」
「じゃあ無理だよ」
「お譲ちゃんも野球をやってる訳ではないんだろ。だったらおじさんにでもできるさ」そう言うおじさんの表情は妙に自信があふれている。
「私は140キロ投げるよ。捕れる?」
「構えたところに投げてくれれば捕れるさ」内容に比例しない優しい口調で、棘は感じられない。
「140キロには驚かないの?」
「お譲ちゃんを見ればわかるさ。それくらい驚くに足らないよ」
もう何年も同じ時を過ごした相棒みたく、私に全幅の信頼を置いている様子だ。
「おじさん、何者なの?」
「軽トラックを運転しているただのおじさんだよ」
おじさんと練習をすることにした。何者かは分からないが、悪い人ではなさそうだ。グラウンドに入る時、おじさんは深々と頭を下げてから入った。おじさんはきっと、神社の鳥居をくぐるとき、一礼をして端っこを通るに違いない。水筒の緑茶を飲みながらそんなことを思った。
「ところでおじさんグローブは持ってるの?」
「そういえばないな」
「じゃあこれ私の貸してあげる」
私はおじさんに鮮やかなブルーのグローブを手渡した。
「これはきれいな青だね」と感心している。
「そうでしょ。フェルメールも羨ましがるよね」
「なんだい、その…フェル何とかって。ベルマークの友達か何かかい」
「おじさん、何にも知らないんだね」
私の言葉を受けてもおじさんは平然としている。
「フェルメール。画家」
「そのフェルメールって言う人の絵は青色がきれいなのかい?」
「そう言われてる」
「『言われてる』って、お譲ちゃんもあんまり知らないんじゃない」
「作品を一つ知ってるだけ」
「それじゃあお互いフェルメールについて勉強して発表してみようか」
「気が向いたらね」
「気が向くかい?」
「向かないかもね」
「じゃあやめておこう」
本当に不思議な人だ。だったら初めから勉強しようなんて口にしなければいいと思うのだが、私がフェルメールを持ちだしたことも同じようなものか。ただおじさんの場合は、私が「そうしよう」と言えば本当に勉強しそうな雰囲気を醸し出しているからなお不思議だ。
「思いっきり投げていいよ」壁の前に腰を下ろし、グローブを構えるとおじさんはそう言った。
「いきなりは危ないよ。準備運動もしてないじゃん」
「いらないさ。世の中サバンナみたいなもんだから、日常生活が準備運動みたいなもんさ」
「おじさん、私たち会うの今日が初めてだよね?」
「もちろんさっき会ったばかりさ」
「幽霊じゃないよね?」
「記憶が確かならまだ死んだことはないよ」
「記憶は確かなんだよね?」
「いいからさっさと投げなさい」
博学ぶると霊に取り憑かれると聞いたことはない。おじさんが霊だとも思わない。霊だとしても悪霊ではなさそうだ。しかし万が一という言葉がある。迂闊な見切り発車で知ったかぶりをするは止すことにしよう。
「いくよ」
渾身のストレートを投げ込んだ。私は私の投げる球がグローブに納まる音を始めて聞いた。それは明らかに壁に当たる時とは違った。跳ね返る音ではなく、収まる音。二人がいるからこそ奏でられる音。気持ちが良かった。
「いいボールだ。本当に140キロは出てるよ」とボールを私に投げ返しながら言う。
「根拠は?」
「木の下の禿げ爺」
周りを見渡しても頭の禿げた爺さんは木の下にはいない。グラウンド内には私たちの二人しかいないし、外周を散歩している人もいない。止まっている車も白い軽トラックだけ。
「どこにいるの?その爺は」
「教科書の中」
「教科書?」
「習わなかった?は・じ・きって」
「は・じ・き?」
「そう」
「まあいいや。それでわかるの?」
「大体ね。気が向いたら調べてみなさい」
「気が向いたらね。目測じゃないの?」
「目測でもおおよそ見当がつくけど、一応確認のため。今のおじさんのはじきだって目測みたいなもんさ」
風邪の効用に目を向ける中学生だ、舐めてもらっては困る。『木の下の禿げ爺』ではピンとこなかったが、『はじき』が何を指しているのかぐらい私だって理解できる。野球経験のないおじさんがほんの数分で18.44メートルという私とおじさんとの距離、それから、たった一球で私の手から離れたボールがおじさんが構えるグローブに到達するまでの時間をはじき出したことに戸惑いを隠せずにとぼけるしかなかったのだ。
「次はチェンジアップ投げるね」
「チェンジアップって何?」
「ゆっくりなストレート」
「ん?今投げたのがストレートなんでしょ?なのにゆっくり?どういうこと?」
「いいから構えて。そこに投げるから」
制球力は磨いてきた。投げ込む先が壁でも人でも、ある一点に向かって投げることには変わりない。おじさんが構えたところにチェンジアップを投げた。
「これは驚いた。ゆっくりだけど少し落ちるんだな。今度のは110キロ台くらいかな」
おじさんは正確な分析をしている。
「投げる前にもっと詳しく教えてくれないと」
「なにが?」
「さっきと同じ腕の振りだったからてっきり速い真っ直ぐの球が飛んでくると思ったよ。それがゆっくりだったから」
どうやらおじさんは本当に野球の知識に疎いようだ。
「それが売りなんだけど」
「そうなの?」と独り言のように呟き、きょとんとしている。
「同じ腕の振りから速さの異なる球を投げる。その緩急を上手く使って打者を困らせるのが狙いなんだけど」
「どうしてそんな意地悪をするのさ?」とおじさんはいたって真剣に聞いてきた。
「意地悪も何も投手と打者ってそういう関係性だから」
「世知辛いね」と言うおじさんの声は少し低かった。
「世知辛いね。でもやめられない。一種の中毒なの」
「人間狡猾だからね。打者がいるんじゃ仕方がない。でも同じ腕の振りは止した方がいい」
「売りが無くなっちゃうよ」
「それでも止した方がいい」
おじさんの表情が引き締まった。
「どうして」
「異なる性質の球を投げようとしているのだから、異なる腕の振りをして当然だよ。違うことを同じにしようとするからどこかに皺寄せが来るのさ」
「私は怪我することなく投げてるよ」
「身体に変な癖がついてないからね」
「おじさん、よく分かってるじゃん」
「相手は怪我するかもしれない。ちょっとおじさんにも投げさせて」
おじさんは立ち上がり、私がいる場所まで歩いて来て、グローブを私に渡した。私はおじさんがいた場所まで歩き腰を下ろした。グローブを構える。
「じゃあ速いの投げるよ」
おじさんはストレートを投げた。他人が構えるグローブにボールを投げたのは初めてだったが、私が構えるグローブに他人がボールを投げ込んできたのも初めてだ。人が投げるボールを捕る感覚を知った。直接ボールに触れるのはグローブなのに、手の平で受け止める感触がある。ボールはストライクゾーンど真ん中に飛んできた。私がグローブを動かす必要は一切なかった。
「どう?」
「見事だよ」
何度投げても寸分の狂いもなくど真ん中に飛んでくる。
「おじさん、何度やっても真ん中に投げるのはすごいんだけど、それじゃあ打たれちゃうよ」
「打つ人が打ちやすいボールを投げることができてるってことだろ。いいじゃないか」
「何言ってんの?」
「おじさんは投げたい場所に投げたい速さのボールを投げる。打つ人は打ちたい場所に打ちたいボールを飛ばす。お互いが満たしたい欲求をお互いが満たし合う」
「一気に世知甘くなったね」
「打ちやすいところに投げられれば、打たれたくない時は、それをやめればいいだけ」
「優しいのか性質が悪いのか分からないんだけど」
「優しくはないさ。結局打たれないようにするんだから」今度は少し、本当に少しだけ悲しい声だった。
「だったらおじさんは不必要甘だね」
「お譲ちゃんなら分かるだろ。相手の構え方を見れば、どこにどんな球を投げたら打たれないかが」
「それはお安い御用だよ」
「お譲ちゃんは変な癖がないから同じ腕の振りでも怪我なく投げることができる。でも癖がない人の方が圧倒的に少ない。真ん中に速い球を待っているところに、低い所にゆっくりの球が来る。慌ててそれに合わせるとやっぱり身体にガタがくる」
「それで怪我して私のせいだって」
「お譲ちゃんは何も悪くないさ。ただ、癖がないからこそ癖が見える。手玉に取らなくたってそれを利用して良い方向に導いてあげることもできるだろ。よほど生産的だと思わないかい」
「生産的かもしれないけど、激甘だよ。甘過ぎて虫歯になる。虫歯になれば怪我したも同然だよ」
「そうか…そう言われてみたらそうだな」一瞬考え込んで続けた。「でもそうなる境界線も教えられるんじゃない」
「境界線を教えることはできるかもしれない。でも人によって線は違うし、跨ぐかどうかまでは私が担当することじゃない。私にできるのは、『癖がある』『線がある』ってきっかけを与えることくらい。あとは『ここまで来い』って言わないと強くなれない」
「ちょっと待って。『ここまで来い』『そこに行きたい』って言うのは分かる。おじさんも言ってみたい。カッコいいし。でもそれは強弱を測る度量衡なのかい」
「サバンナでは誰も助けてくれないんだよ。淘汰されずに生き残った者が強い」
「それは違うよ。生き残るだけで素晴らしい。強いかどうかは余計な装飾じゃないか。お譲ちゃんも生きる力をつけるために投球練習をしているんだろ。その力を分け合ってみんなで生き残った方が幸せだと思うけど」
「たしかに、私は誰かの上に立ちたいわけではないし、自分の強さを証明したいわけでもない。気を確かに保てる何かが必要なだけ。おじさん、ちょっとチェンジアップ投げてみて」
私に促されるままにおじさんはチェンジアップを投げた。相変わらず野球未経験者とは思えない見事な投球だ。
「おじさんもストレートの時と同じ腕の振りをしてたよ」私は見たままを伝えた。
「あれっほんとに?」そう言って頭を掻いた。
「でたらめ言ったって仕方ないでしょ。チェンジアップの存在すら知らなかったおじさんがそれを投げるには、とりあえず誰かの真似から入るしかない。誰かって直前に投げた私しかいないでしょ。良くも悪くも最初に目にする何かの影響って大きいから、そういうものなんだって思っちゃう。おじさんは無鉄砲に何でもかんでもそういうものだって受け入れる人じゃなそうだから、どう投げるか気になった。そしたら私と同じ投げ方をした。少なからず私の投げ方をおじさんの身体は拒否しなかった。どこかでおじさんも悟られずに裏をかいて打ち取ることを望んでいるんだよ。負けたくないってね」
「これは一本取られた」。そう言っておじさんは笑っている。そして一人楽しそうに素振りをし始めた。私に向かって投げたそうにしているが、空が少しずつ暗くなってきている。暗い中での投球は単純に危険だ。
「おじさん、もう終わろう。暗くなる前にグランド整備しないと」
楽しそうに素振りをしていたが、二つ返事で了承した。おじさんは軽トラックで整備棒を引っ張って整備をしようと言った。手でやればすぐに終わると言ったが、グラウンド全体をやると言うので私も了解した。グラウンドに車を乗り入れているのを見たことはないが、綺麗にするためなのだから罪には当たらないだろう。荷物をまとめて軽トラックへと向かった。
 助手席のドアに手を掛けようとした時、おじさんが私に言った。
「お譲ちゃん、運転してみるかい」
「免許ないよ。いきなり出来るもんなの」
「やってみればわかるさ」
「捕まんない?」
「捕まったらそんときさ」
「今日はやめとく。もっと明るい時が良い」
私は助手席に乗り込み緑茶を一杯飲んだ。おじさんも運転席に座りエンジンを掛け車を動かし始めた。シートベルトを装着せずに動く車の助手席に乗ったのは初めてだ。自分の手も足も動かさずに土がきれいになって行くのを見るのも初めてだ。楽ではあるがこれはこれで考えものだ。
「おじさん、今日はありがとね」
「だから『ありがとう』なんていうもんじゃない」
フロントミラーで整備を確認しながら答えた。
「感謝の気持ちを伝えてるんだよ」
「感謝は気持ちじゃないのさ」
「一緒に練習できてうれしかったんだよ」
「その言葉だけで十分だよ」
優しい口調でそう言うとギアを二速に上げた。
「何で言っちゃ駄目なの」
「『ありがとう』なんて言われたら、少なくともおじさんはお譲ちゃんにとって必要な存在なんだって思ってしまうだろ」
おじさんは私に視線を合わせずにそう言った。
「それは自意識過剰だよ。何かを受け取ったら返礼するのが礼儀でしょ」私はおじさんの方を向いて言った。
「だから気持ちじゃないだろ。本当にありがとうって思ったときに『ありがとう』って言えばいいのさ」今度は目視で後ろを振り返ってたしかめた。
「なるほどね。でも今日は本当にいい練習ができたよ」
「それだと必要な存在になってしまう」
「必要とされることを拒否するってどんな神経してるの」
「性格がひねくれてるだけさ」
「治した方がいいよ」助手席の窓の外を見ながら言った。
「治しちゃだめさ。ねじれにも効用がある」
「どんな効用があるの」
「それはねじれが解けたときに分かる」
「失ってから初めて気が付く、みたいなこと?」
「まあそんな感じだね」
「自然に解けるのを待ってるっていうの?」
「解けてもどっちに転ぶかわからないけどね」「だったら解く前に分からないとだめじゃん」
「そうだね。離れられなくなるのさ、必要とされると。必要としてくれる人がいるのは本当にありがたいことさ。ここに居場所があると安心する。でもそう思うほどに離れられなくなる」運転席側のサイドミラーに目を移して言った。「覚悟がないんだろうね、解けた先の自分に対する」吐息が漏れるように呟いた。
「だから感謝を遠ざけて関係性を狭めるって。『自分がいなきゃだめ』なんて自意識過剰だって。離れたかったら離れたらいい。私はこれからもおじさんが私のためにここに来るなんて思っていないし、もう会うことがなくたって今日会ったという出来事が消えてなくなるわけじゃない。自分を鎖でつないでたらそれこそ誰かを導けないでしょ。『ありがとう』まで言わないってさみしいよ」もう一度おじさんの方に向き直って言った。
「さみしくても構わない」はっきりとしかし力なく発せられた。
「おじさん、お酒は?」
「お酒はって?」
「飲む?」
「年に数回」
「たばこは?」
「副流煙だけ」
「車は?興味ある?」
「御覧の通り軽トラックさ」
「競馬は?」
「賭け事はしない」
「麻雀は?」
「ルールすら知らない」
「パチンコは?」
「機会に焦らされるのは御免だ」
「つまらない」意図せずに口からこぼれていた。
「ああつまらない。でも生きていけるのさ」
おじさんのこの「生きていける」は大地に強く根を張る植物のそれではなくて、音楽が大好きでバンドを組みたいのに家系が医者だからと自ら医大進学へと突き進んでいく学生のそれとしか受けとれなかった。
「何を頼りに生きてるの?」
「さみしさで心を青く染めてるのさ」
「何言ってるかわからない」
「分からない方がいい」
「『ここまで来い』ってか」
「跨ぐ必要のない線だよ」
「跨いだらどうなるの」
「色恋について考え始めるのさ」
「もしかしておじさん作家?」私はまじめに聞いた。
「作家かぁ…」一息ついて言った。
「作家じゃない、サンタみたいなもんさ」
「なにそれ」私はまた助手席の窓の外に目をやった。
「作家みたいに文才があれば少しは心を温められただろうね。せめてもで赤い服をまとったサンタ」
「サンタならそれこそ純粋なありがとうが届いているんじゃない」私は前を見た。
「お譲ちゃんみたいなね」
「だったら受け取ってよ」
「あのストレートで十分伝わったよ」
「なんて言ってた?」
「なにも言ってなかった」
おじさんの顔は投げる前のそれに戻った。
「なにそれ」
「ただ投げられる球ほど恐ろしい球種はないと思うよ。『打ってみろ』って言う念がないから打ち返しようがない。最上の魔球だよ」
「緩急は無駄な努力なの?」おじさんの方を向いた。
「そんなことはない。ただ生きられないのが人間だからね。勝手に念を作り出す」力がこもっていた。
「人間事情に詳しいサンタだ」
「お譲ちゃん、本当に中学生かい」
「私、自分が『中学生』なんて一言も言ってないけど」
整備が終わった。おじさんは「これまた一本取られた」と笑っている。私は助手席から降りて、整備棒を片づけに行った。その間おじさんも車から降りてグラウンドに一礼をしていた。「ありがとうなんて言うもんじゃない」と言う人が礼で始まり礼で終わろうとしている。不思議を通り越して謎だ。
 おじさんは私のストレートは最上の魔球だと言った。と同時に、緩急は無駄ではないとも言った。無駄ではないが、最上なのはストレート。『結局最後はストレート、投球も告白も』とでも言いたいのか。色恋とはそういうことなのか。冷たい風が私の頬をかすめた。私は何を寒いことを考えているのかと我に返った。雑念だ。
 整備棒を片づけ、荷物を回収するため車に戻る。助手席の座席に置いていた荷物を取り出し、ドアを閉める。おじさんは運転席の窓を開けて「それじゃあ」と言った。右側のウインカーを点滅させ、車を走らせた。五回点滅するとオレンジ色の明かりは消えた。ただ生きられないさみしいサンタ。
白い軽トラックは角を曲がりその姿は見えなくなった。角を曲がり見えなくなった。角を曲がり…あっ、カーブ投げるの忘れてた
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