(三)ふたり

文字数 6,804文字

※ごく一部ですが残酷、性的なシーンが含まれますので、御注意下さい。※

 場所は、新宿ネオン町三丁目のネオン街。日付けと時刻は八月五日から日付けが替わったばかりの八月六日午前一時であり、それは星砂二十一歳の誕生日であり、かつ星砂三年目の東京の始まりでもある。
 その星砂に「助けて……」と縋り付かれたストリートミュージシャンのやすお三十歳は、如何なる理由があろうとも絶対にこの娘を助けるぞと心に誓うのである。と言っても事情が分からなければ、助けようもない。
「一体どうしたんだ。しっかりしろ、きみ」
 問うやすおに、息も絶え絶えに答える星砂。
「悪い人たちに騙されて、逃げて来たんです」
「何っ、良し分かった」
 ますます暑いじゃない熱い正義感に燃えるやすお。場所柄若い娘が被害に遭うトラブルは日常茶飯事、お茶の子さいさいの慣れっこである。兎に角先ずは何処か安全な場所に匿い、療養させねば。生憎相棒のストリートダンサー着ぐるみマン四十三歳は、一足先に夢の丘公園に帰宅して既にぐーすかぴーと眠りの中。俺ひとりでやるっきゃねえべと気合いを入れ直すやすお。
「歩けるか」
 うんと頷き立ち上がる星砂。さて何処へ連れて行くべなどと迷うことなくやすおが端から思い浮かべた場所は唯一つ、じゃーん、田古の住む青葉荘である。だって、あそこっきゃねえべ。そりゃそうだ、何たってやすおの仲間うちで鍵付きかつ雨風凌ぐ強靭な屋根付きの住空間に暮らすは、田古ひとり。
 ギターをケースに収め肩に担ぐと、ふらふらと今にも倒れそうな星砂の肩を抱きながら、やすおは一路青葉荘目指し歩き出す。ネオン街を出てガードレール下をくぐりJR新宿駅西口方面に出て、ビル街、自らの住む夢の丘公園をも立ち寄らず通過して、更にせっせせっせと歩き続けると、遂に青葉荘の前。途中警戒し、追っ手などいないかと幾度となく振り返るも、その気配はなし。ふう、良かった。
 いざアパート一階の田古の部屋の前に立ち、ドアをどんどん叩こうとして深夜であることを思い出し、はっとして手を止める。その代わり試しにそっとドアノブを回してみる。すると案の定やっぱし、不用心にも施錠なし。ありゃりゃおっちゃん、まったく大都会新宿だってえのに危ねえよ、まったく。などとぼやきながら、星砂を伴い部屋の中に侵入するとドアを閉じ、パチッ、しっかと施錠するやすおであった。これでほっと一安心。
 中はまっ暗、すやすや眠る田古の寝息が聴こえるばかり。なぜか扇風機も回さず、蒸し風呂状態。星砂に囁くようにやすお。
「あっちいな、まったく。喉渇いてっだろ、水道の水しかねえけど、飲むか」
 頷く星砂、水道の蛇口を捻り、ごくごくごくっ。
「腹も減ってんだろ。すまねな、生憎何にもねえんだ、ここ」
 申し訳なさそなやすおに、かぶりを振る星砂。
「大丈夫です」
「そっか、じゃ今夜はおせえから、もうここで寝るべ。雑魚寝になっちまうけど、このまま朝を待つとしようぜ」
 やすおに促され、畳の上にしゃがんで体育座り、膝小僧抱える星砂である。
「俺起きてっから、安心して眠りな。大丈夫、俺がきみを守るから」
 力強いやすおの言葉に「はい」と頷く星砂。
「明日朝になったら、そこの田古のおっちゃんに頼んで、何か食いもん買ってもらおうぜ」
「たこ」
「ああ、田古のおっちゃんの部屋だから蛸部屋、なーんてな」
 やすおの下らない駄洒落に、星砂が少しだけ笑みを零す、どれ程振りの笑顔だろう。釣られて笑い出すやすお。
「ま、実際ちょっと変てこなおっさんだけど、すっげいい人だから。さ、もういいから寝な」
 うんと無言で頷く星砂。沈黙が蛸部屋に落ちる。
 夜が明ける。何事もなく朝を迎えた星砂とやすおはまだ畳の上で汗だくで熟睡中。田古四十六歳だけがひとり目を覚まし、何事かとじっとふたりを眺めている。ふたりとも暑かろうと気を遣い、扇風機を点ける。うんうんうーんと唸る扇風機の羽根の音に、ふっと目を覚ましたのは星砂。吃驚した飛び魚のように跳ね起きる。
 その時、星砂と目と目が合った田古の中にじわっと広がる胸騒ぎ。なんだかね、やっぱり、何なんだ、この切なさは。けれど恋心とは明らかに違うんだよ。そりゃそうさ、今更このぼくがこんな小娘に……。
 互いに言葉を発しそびれてしまい、言い訳がましく黙っているふたり。沈黙に耐えかね視線を逸らし、部屋全体を見渡す星砂。一言で言えばそこは殺風景、殆ど何もない空っぽの部屋。それは夢の丘公園の時代から田古の荷物が殆ど増えていないことを物語る。これじゃわたしの部屋と変わらない、アメ横警備保障と和太郎の寮、それから烏賊川に住まわされたマンションを思い出し、しみじみと親近感に浸る星砂。この人が、たこのおっちゃん。この人もいい人そうで良かった。服装もなんか地味っていうか、公園とかに住んでる人っぽいし。と星砂が思う程に田古の恰好もまた夢の丘公園時代と変わらないでいる。でも何て話し掛けていいか、言葉が見付からない。戸惑いつつ、ちらちらと田古を見る星砂。
 扇風機の風に紛れ、星砂の体臭が田古の鼻に届く。くんくん、くんくん、思わず嗅いでしまう。若い娘など訪れよう筈もないおんぼろアパートの部屋の中、心なし緊張してか田古の方もぎこちなさげ。しかしくんくん、くんくん、星砂の発するこの匂い、何処か懐かしくてならない。いや懐かしいどころでなく、この匂い、なんだかね、やっぱり、こりゃ夢国島の海の匂いなんだよ。でも何で。狐につままれた顔で、これまた星砂を見詰める田古である。
 こりゃ実際もしかして、いやまさか、でもなんだかね、なんだかね、やっぱり……。片時も忘れやしない、と言っても記憶喪失の間は忘れてたけど、昔その腕に抱き締めたる皺くちゃの我が娘の顔が、田古の脳裏に甦る。その面影がなぜかぴたーっと今目の前の見知らぬ娘と一致して。ああ、もしかして、この娘、星砂……なんだかね、やっぱり。でも確信などあろう筈もない。そりゃ当たり前、何たって星砂とは二歳の時生き別れて以来なんだから。
 ついつい田古が鋭い視線を向けるから、緊張に汗まみれ直立不動の星砂。しまった、恐がってるかも。やばいね、何か話し掛けなきゃ、田古の方も焦りまくり。そこへ待たせたねとばかり、遅ればせながら目を覚ますやすお。
「ふわーっ、ねっみいな、まじで。おっと、どうしたふたりとも、そんな深刻そうな顔しちゃって。じゃなかった、いけね、実はなおっちゃん……」
 これこれこういう訳なんざと、田古の耳に昨夜からの経緯をさらりさらさらっと説明するやすお。
「はあ、成る程ね、やすおさん。って言いたいところ、何だかね良く分からないけど、とりあえずぼくはバイト行くからさ。帰ってからまたゆっくり聴かせてもらうよ。部屋は好きに使ってくれていいからね」
 そう言い残すと飯代を渡し、ふたりを置いて青葉荘の部屋を後にする田古。この時、田古の「やすおさん」という言葉から、やすおの名前を知る星砂である。
 星砂をひとり部屋に残してゆくのは心配と、やすおは星砂を連れて食いものを買いに近くのコンビニへ。道すがら、星砂から烏賊川やらパンドラやらの話を聴く。
「そりゃひでえな、俺なんざぜってい許さねえ。人の大事な夢食いもんにしやがって。ったく、まんまキャッチセールスじゃんよ、気付けんだぞ今度から」
 はい、と無言で頷く星砂。
「しかし良く頑張ったな、半年も」
 いいえ、と星砂、今度はかぶりを振る、でも涙目。
 ところが突然ふたりの前に立ちはだかる、強面の男三人。実は烏賊川の手下共、パンドラから逃げ出した星砂を昨夜から捜し回っていたのである。
「きゃーーっ」と悲鳴を上げる星砂。
「どうした。おっ、もしかしてこいつ等か」
 やすおに向かって男のひとりが叫ぶ。おー、あんちゃん、その娘返してもらおうか。何だとてめえら、でも良く見付けたな。そりゃそうさ、これこそ我らパンドラ悪のネットワークの威力、何処へ逃げたって無駄なんだよ。なーる程ね、じゃ俺がまとめて相手してやるかって言いたいところ、ちと人数が多過ぎる。ここは一先ず逃げるが勝ちと、星砂の手を引っ張って猛スピードで逃げ出すやすお。しかし多勢に無勢、かつ連中走るのも速いと来ている。直ぐに追い付かれ、ふたりがやすおを叩きのめし、もうひとりが星砂をつかまえる。哀れ星砂は再びパンドラへ連れ戻され、こてんぱんにやられたやすおは血だらけになりながら、何とか夢の丘公園へと帰り着く。
 しかしこれで引き下がってらんないのが、ストリートミュージシャン魂の塊りみたいなやすお。夕暮れの夢の丘公園で、一日の戦いを終え続々と公園に帰還する戦士いや仲間たちに星砂のことを語り、どうしたもんかと一同にて頭を捻る。
 何だと、そりゃひでえ、ぜってえ許せねえな。おし、みんなで押し掛けようぜ。そうだ、そうだ、そうすっべ。それなら俺っちも一肌脱がせてもらおう。ぼくも、おいらも行く行く。あたいだって、わたしも連れてってよ。良しじゃ決まり、みんなで行くべ。おーーっ。そこへ田古も参上する、バイトから我が家青葉荘に戻ってみればもぬけの殻。胸騒ぎ、こりゃなんかあったに違いないってんで、飛んで来たという訳。
「そうだ、おっちゃん」とやすお。
「なんだかね、やっぱり」
「ありったけの金用意してくんねえか」
「金、なんだかね、やっぱり、よっし任してよ。直ぐに合流するから先に行ってて」
 生憎着ぐるみマンは風邪でぶっ倒れている為、無理すんなと欠席。
 総勢十名、夢の丘公園の同志はいざ渋谷道玄坂に巣食う悪の館パンドラ目指して大行進とござい。

 こちらはそのパンドラ、連れ戻された星砂の運命や如何に。激怒した烏賊川たちは、星砂を店の一室に監禁し、服を剥ぎ取りお仕置き。あんた、そんな勝手な真似すんやったら、今夜から本番の客相手してもらうで、ええな。いや、恐怖におののく星砂。バシーッ、バシーッとしなる鞭が、星砂の柔肌にミミズを這わせる。
 烏賊川の女房の命を受けたひとりの男が現れる。ええんですか、ほんまに。ええから、この小娘に思う存分男の体を教えたらんかい。は、それでは遠慮なく。男が自分のシャツをがばっと脱げば、そこには鍛え上げたる肉体美。AV男優の如く、傷心の星砂に容赦なく襲い掛かる。きゃーっ、止めて、嫌、舌噛んで死ぬわよ。死ねるもんなら死んでみ、嘲笑う烏賊川の女房。星砂必死の抵抗も空しく、男は好き勝手星砂を弄ぶ。星砂はぐっしょりと涙に濡れながら、本気で自分の舌を噛み切ろうとするけれど、その時はっと浮かぶ母美砂の面影は勿論のこと、なぜか今朝対面したばかりのたこのおっちゃんの顔までもが脳裏をよぎって、死ぬに死ねない思いに駆られ諦める。御免ね、星砂、もう死にたい……。そのまま気絶する星砂。
 その時、どどどどどーっとパンドラの正面入り口に押し寄せる、我らが夢の丘公園の面々。田古もしっかと顔を連ねている。なんだ、お前ら。烏賊川夫婦並びに店の若い衆と睨み合い。さっき連れてった女の子を返せ、とやすお。はあ、何言ってんだ、おめえ。しらばっくれる烏賊川。これじゃ埒明かねえと、実力で店内に乱入。見回すと壁に店の女の子のサンプル写真、その中にあるある星砂の顔写真。無理矢理撮られたのか、引きつった笑顔が不憫でならない。間違いねえ、ここだ、と確信を持つやすお。星砂の写真を指差し、だからこの子だってえの、とっとと返せ。
 しかし烏賊川はしかと。うー、くせーっと鼻を摘み、営業妨害だ、早く出てけ、警察呼ぶぞ。とは言っても烏賊川も後ろめたいから正直警察は呼びたくない。そこら辺を察知してやすお、おーっ上等じゃねえか、呼びたきゃ呼んでくれ、俺ら一向に構わねから、と啖呵を切る。その方が話早いんじゃねの、な、烏賊川さんよ。しかし我ら夢の丘公園軍団とて、決して警察を信用している訳ではない。相手は国家権力、いつなんどき公園から出てけと攻撃されるやも知れない。
 共に警察は敬遠したい夢の丘公園軍団とパンドラ側。しばし睨み合い、揉み合いが続き、来店客はどん引きでさっさと逃げてゆく。焦る烏賊川。やすおはどかっと床にあぐらをかいて、大見得を切る。なあ烏賊川さんよ、俺ら見ての通りの人間だ、いつ死んだって構わねえ。でもなあ、若い娘さんの大事な人生が目の前で台無しになんのだきゃ黙って見過ごす訳にはいかねえ性分なんよ。さあ、あの子を返すか、俺らをひとり残らずぶっ殺すか、どっちにすんだ、おい、おっさん。
 そうだ、そうだ、殺すんなら殺してみろと残りの夢の丘公園軍団も、威勢良くずらーっと床に座り込む。パンドラの若い衆が必死で殴る蹴るも石のように動かない、インドのガンジー宜しく無抵抗主義。やすおなど、額が切れて顔中血だらけ。流石の烏賊川もびびりまくり、声を震わせ、駄目なもんは駄目なんだよ。何でだ。あの娘は店に借金があんだよ。借金。そうだ、その返済が終わるまでは、この店で働いてもらわにゃなんねえんだよ、分かったか、このタコ共。
 借金とか返済とか言われちゃ引き下がるしかねえだろお前ら、と夢の丘公園軍団を甘く見る烏賊川。しかしここで待ってました大統領とばかりに、我らが田古の登場、じゃーん。なんだかね、やっぱり、なになに、田古共だって。人の悪口言うと鬼が笑うっていうよ。それはさて置き、その借金お幾らですか。はあ、幾らだと。丸で如何にも返済でもしようって口振りじゃんか、え、あんた。田古の全身を舐めるように見回しながら薄ら笑いの烏賊川。そりゃそうだ、田古の恰好ときたら黴と皺だらけのスヌーピーのTシャツ、薄汚れた黄土色のバミューダパンツに穴だらけの紺のスニーカー。どう見ても夢の丘公園軍団の一員としか思えない。
 聴いて驚けよ、百万、どうだ百万円だ。手も足も出ねえだろ、この貧乏たれが。しかしいささかも動じない田古。どっしりと構え、なんだかね、やっぱり、それを返したら彼女は自由になれるのかい。はあ、まだ言ってやがる。ああ勿論だ、返せるもんならな。武士に二言はないっていうよ、と念を押す田古。ああ、と頷く烏賊川。
 それでは、と田古がバミューダパンツの尻のポケットから取り出したるはケツの汗が滲んだ銀行の封筒。はい、これ、と烏賊川の目の前に差し出す。何だ、これ。でもどっしりと分厚い。まさか……。どうしたの、諭吉さんの枚数確かめないのかい。けっ、分かったよ。渋々封筒を受け取る烏賊川。確かに百万、でも玩具か偽札じゃねえだろうな。まさかと田古は余裕の苦笑い。
 烏賊川に案内させ、田古は星砂のいる個室へ。ドアを開けるとそこには、哀れにもまだ気絶し全裸のままマットの上に横たわる星砂の姿が。涙ぐみながら星砂に服を着せると、田古はよっこらしょと星砂をおんぶ。なんだかね、やっぱり、それでは確かに連れていきますよ。後は無言でパンドラを出てゆく田古。その背中に付いて、帰路に就く夢の丘公園軍団。
 途中、マンションから星砂の服やら荷物を詰め込んだスーツケースを運んで来たやすおと合流。戦いすんで日が暮れて、というかもう真夜中であり、星砂の二十一歳の誕生日、八月六日はこうして誰にも知られることなく過ぎてゆくのである。
 星砂をおぶった田古とスーツケースのやすお、ふたりを先頭に我がスイートホーム夢の丘公園へと無事帰還する戦士たち。公園に到着すると、お疲れ様でした、みんな揃って乾杯。今夜はおっちゃんの奢りだよ、だからみんな遠慮しないで飲んで食って唄ってくれーっと、ちょっとした真夏の夜の宴会である。
 でも田古とやすおはみんなの輪を早々に抜け出し、青葉荘へと急ぐ。
「重たいだろ、代わろうか」
 やすおの言葉にけれどかぶりを振ってにっこり、最後まで星砂をおんぶし通す田古。背中の星砂からはやっぱり、夢国島の海の匂いがする気がしてならない。
「なんだかね、やっぱり、今夜は有難う」
 なぜ田古が自分に礼を述べるのか、まだその訳を知らないやすおである。
 パンドラで気絶してから、まだ一度も意識を取り戻すことのない星砂。無事青葉荘に辿り着くと田古はそのまま星砂を横にする、田古愛用の布団の上に。目を瞑った星砂を見守りながら、
「なあ、おっちゃん。しばらくこの子、ここで面倒見てやってくんねえか」
 懇願するやすおに、ああ、分かってると黙って頷く田古。一応烏賊川とのけりは付いたとはいえ、相手が相手だけに油断は出来ない。そこでふたりは相談し、星砂がひとり切りにならないよう必ず誰かが付き添うことで意見が一致。その為田古はしばらくの間、日中のバイトをお休みすることに。
 結局星砂は一度たりとも目覚めることなく、一夜を過ごす。絶望からか、それともショック、疲労、悲しみ或いは恐怖からなのか、ただただ深い眠りを貪る星砂である。
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