一幕、尾崎麻衣と言う人物③
文字数 2,302文字
「よう、人間」
飄々としている黒猫へ、麻衣は無言でズカズカと詰め寄った。黒猫はそんな麻衣の心情など知らずに、後ろ足で自分の首元をカシカシと掻いている。そんな黒猫を麻衣はひょいっと持ち上げた。黒猫はされるがまま、ビローンと身体を伸ばしている。
「なんだ、人間。ようやく名乗る気になったか?」
黒猫はされるがままに麻衣の頭の中へと語りかけてくる。そんな麻衣の傍に香織が近付く。
「猫ちゃん、なんて?」
「名乗れ、だってさ」
「ふむ……」
無表情な香織にじっと見つめられた黒猫はその視線から逃れるように、少し身じろいだ。
「な、なんだ? 人間」
当然、普通の人間である香織には黒猫の言葉は分からない。香織はじとーっと黒猫を見つめてから、
「私は西村香織。そしてこの子が、尾崎麻衣。私はまいまいって呼んでるの……」
「ちょっとっ? 香織っ?」
香織の言動に驚いたのは麻衣だった。得体の知れない黒猫に名を明かしても良いものかと悩んでいた麻衣の思考は、無駄になってしまったのだ。
「香織と麻衣だな。把握した」
黒猫はふむ、と考え込んだ後に、しゅたっと麻衣の手から地面へと降り立った。それから二人に、
「どっちかに俺を、飼ってもいい権利を与える」
「はいぃ?」
驚いた声を上げたのは麻衣だった。香織はそんな麻衣を黙って見守っている。黒猫は続ける。
「そうだ。俺に名を付ける権利も与えよう」
「何を偉そうなことを勝手に、ぬけぬけと……!」
「猫ちゃん、なんて?」
麻衣の堪忍袋の緒が切れる直前、香織の冷静な声がした。麻衣はその声で冷静さを取り戻すことができた。それから麻衣は香織に向き直ると黒猫の言葉を伝えた。
「ここまで偉そうな猫は、初めてよ!」
今まで出会った猫は自由な言動こそすれ、行動はそれまで麻衣を振り回すことはなかった。だが今回の黒猫はあまりにも自由だ。自由すぎる。加えてもの凄く、偉そうである。
麻衣の鼻息が荒くなっていくのを知ってか知らずか、隣の香織はぽん、と手を打った。
「カケル……」
「は、い……?」
突如言葉を発した香織に麻衣は視線を向ける。ぽかんとしている麻衣の視線を受けて、香織は無表情のまま言った。
「この黒猫ちゃんの名前……。カケルくん。いい、名前……」
「ちょ、ちょっと、香織っ?」
狼狽を隠せない麻衣へ香織は続ける。
「ウチ団地だから、猫ちゃん、飼えないし。カケルくんの面倒はまいまい、頼んだ……」
「ちょっ! ウチだってお母さんたちがなんて言うか……。って、香織っ?」
香織は麻衣の言葉を最後まで聞くことなく、スタスタと歩いて行ってしまう。
「カケル、か。悪くないな。じゃあ麻衣、家に案内しろ」
「ちょっと、え? マジ?」
確かに香織の家は団地で、猫は飼えないだろう。
(だからって、ウチ……?)
呆然と立ち尽くす麻衣の足下では、カケルと名付けられた黒猫が顔を擦り付けていた。
「と、言う訳で、付いて来ちゃったんだけど……」
結局カケルと名付けられた黒猫の押しに負けた麻衣は、自宅でカケルの紹介をする羽目になっていた。弟の雄太と母は麻衣の胸の中にいる黒猫のカケルをじーっと見つめている。
「……、猫ちゃんね」
「猫、だね」
二人はそう言ったきり、しばらくじーっとカケルを見つめていたのだが、その後無言でハイタッチを交わした。それから母が笑顔で麻衣の胸に抱かれているカケルに手を伸ばすと、
「ようこそ! 尾崎家へ! 今日はカケルくんの歓迎パーティーね!」
そう言ってウキウキとした様子でキッチンへと向かう。雄太はと言うと、カケルの
ことをじーっと見つめているままだ。
「どうした? 雄太」
「……、噛まない?」
真顔で問うてくる弟に麻衣は、あはは、と笑って答える。
「雄太を噛んだりしたら、お姉ちゃんが追い出してあげるから、心配しないで!」
「何を勝手なことを……!」
異議を唱えたカケルの頭を無言でむにゅっと押しつけると、麻衣はカケルを雄太へと渡した。それから自室に向けて階段を上っていく。
(予想はしていたけれど、まさかこんなにすんなり受け入れられるなんて……)
自室に戻った麻衣は私服に着替えながらそんなことを思っていた。
麻衣の両親は無類の猫好きなのだ。今までは縁がなく、猫を飼いたくても飼えないでいたのだが、今回、猫の方からやって来たのだから迎え入れない理由もない。現在仕事で留守にしている父親も、きっと二つ返事で了承するだろう。
浮き足立つ両親の様子が分かっていたからこそ、麻衣はカケルを家に連れて帰ることをためらったのだ。しかしもう、予想通りとは言え家に迎え入れてしまったので、麻衣も腹をくくることにする。
「猫との生活かぁ~……」
別に麻衣自身も猫が嫌いなわけではない。むしろ好きな方だと自負している。しかし彼らはたびたび麻衣を振り回すのだ。
(まぁ、代わりに見返りも貰っているけども)
猫たちからの見返り。それは猫の集会への出席資格だ。人間では異例となる猫の集会への出席を、麻衣はたびたび許されたのだった。
小学生の頃に何度か出席した猫の集会では、猫たちはおのおの自分たちの縄張りで起きた出来事を、寝転がったり、日なたぼっこをしたりしている合間に報告し合う。
(本当、猫って無秩序というか、自由というか……)
そんな猫たちの本性を知ってからは自分から猫に関わることをやめていたのだが、これまた無類の猫好きである親友の香織の頼みと言うことで、今朝黒猫を助けることになった。それがまさか、こんな事態になるとは。
「麻衣ちゃーん! カケルくんのご飯、買ってきてくれるー?」
「はーい!」
ご機嫌な様子の母の声に、麻衣は呆れ気味に返事をするのだった。
飄々としている黒猫へ、麻衣は無言でズカズカと詰め寄った。黒猫はそんな麻衣の心情など知らずに、後ろ足で自分の首元をカシカシと掻いている。そんな黒猫を麻衣はひょいっと持ち上げた。黒猫はされるがまま、ビローンと身体を伸ばしている。
「なんだ、人間。ようやく名乗る気になったか?」
黒猫はされるがままに麻衣の頭の中へと語りかけてくる。そんな麻衣の傍に香織が近付く。
「猫ちゃん、なんて?」
「名乗れ、だってさ」
「ふむ……」
無表情な香織にじっと見つめられた黒猫はその視線から逃れるように、少し身じろいだ。
「な、なんだ? 人間」
当然、普通の人間である香織には黒猫の言葉は分からない。香織はじとーっと黒猫を見つめてから、
「私は西村香織。そしてこの子が、尾崎麻衣。私はまいまいって呼んでるの……」
「ちょっとっ? 香織っ?」
香織の言動に驚いたのは麻衣だった。得体の知れない黒猫に名を明かしても良いものかと悩んでいた麻衣の思考は、無駄になってしまったのだ。
「香織と麻衣だな。把握した」
黒猫はふむ、と考え込んだ後に、しゅたっと麻衣の手から地面へと降り立った。それから二人に、
「どっちかに俺を、飼ってもいい権利を与える」
「はいぃ?」
驚いた声を上げたのは麻衣だった。香織はそんな麻衣を黙って見守っている。黒猫は続ける。
「そうだ。俺に名を付ける権利も与えよう」
「何を偉そうなことを勝手に、ぬけぬけと……!」
「猫ちゃん、なんて?」
麻衣の堪忍袋の緒が切れる直前、香織の冷静な声がした。麻衣はその声で冷静さを取り戻すことができた。それから麻衣は香織に向き直ると黒猫の言葉を伝えた。
「ここまで偉そうな猫は、初めてよ!」
今まで出会った猫は自由な言動こそすれ、行動はそれまで麻衣を振り回すことはなかった。だが今回の黒猫はあまりにも自由だ。自由すぎる。加えてもの凄く、偉そうである。
麻衣の鼻息が荒くなっていくのを知ってか知らずか、隣の香織はぽん、と手を打った。
「カケル……」
「は、い……?」
突如言葉を発した香織に麻衣は視線を向ける。ぽかんとしている麻衣の視線を受けて、香織は無表情のまま言った。
「この黒猫ちゃんの名前……。カケルくん。いい、名前……」
「ちょ、ちょっと、香織っ?」
狼狽を隠せない麻衣へ香織は続ける。
「ウチ団地だから、猫ちゃん、飼えないし。カケルくんの面倒はまいまい、頼んだ……」
「ちょっ! ウチだってお母さんたちがなんて言うか……。って、香織っ?」
香織は麻衣の言葉を最後まで聞くことなく、スタスタと歩いて行ってしまう。
「カケル、か。悪くないな。じゃあ麻衣、家に案内しろ」
「ちょっと、え? マジ?」
確かに香織の家は団地で、猫は飼えないだろう。
(だからって、ウチ……?)
呆然と立ち尽くす麻衣の足下では、カケルと名付けられた黒猫が顔を擦り付けていた。
「と、言う訳で、付いて来ちゃったんだけど……」
結局カケルと名付けられた黒猫の押しに負けた麻衣は、自宅でカケルの紹介をする羽目になっていた。弟の雄太と母は麻衣の胸の中にいる黒猫のカケルをじーっと見つめている。
「……、猫ちゃんね」
「猫、だね」
二人はそう言ったきり、しばらくじーっとカケルを見つめていたのだが、その後無言でハイタッチを交わした。それから母が笑顔で麻衣の胸に抱かれているカケルに手を伸ばすと、
「ようこそ! 尾崎家へ! 今日はカケルくんの歓迎パーティーね!」
そう言ってウキウキとした様子でキッチンへと向かう。雄太はと言うと、カケルの
ことをじーっと見つめているままだ。
「どうした? 雄太」
「……、噛まない?」
真顔で問うてくる弟に麻衣は、あはは、と笑って答える。
「雄太を噛んだりしたら、お姉ちゃんが追い出してあげるから、心配しないで!」
「何を勝手なことを……!」
異議を唱えたカケルの頭を無言でむにゅっと押しつけると、麻衣はカケルを雄太へと渡した。それから自室に向けて階段を上っていく。
(予想はしていたけれど、まさかこんなにすんなり受け入れられるなんて……)
自室に戻った麻衣は私服に着替えながらそんなことを思っていた。
麻衣の両親は無類の猫好きなのだ。今までは縁がなく、猫を飼いたくても飼えないでいたのだが、今回、猫の方からやって来たのだから迎え入れない理由もない。現在仕事で留守にしている父親も、きっと二つ返事で了承するだろう。
浮き足立つ両親の様子が分かっていたからこそ、麻衣はカケルを家に連れて帰ることをためらったのだ。しかしもう、予想通りとは言え家に迎え入れてしまったので、麻衣も腹をくくることにする。
「猫との生活かぁ~……」
別に麻衣自身も猫が嫌いなわけではない。むしろ好きな方だと自負している。しかし彼らはたびたび麻衣を振り回すのだ。
(まぁ、代わりに見返りも貰っているけども)
猫たちからの見返り。それは猫の集会への出席資格だ。人間では異例となる猫の集会への出席を、麻衣はたびたび許されたのだった。
小学生の頃に何度か出席した猫の集会では、猫たちはおのおの自分たちの縄張りで起きた出来事を、寝転がったり、日なたぼっこをしたりしている合間に報告し合う。
(本当、猫って無秩序というか、自由というか……)
そんな猫たちの本性を知ってからは自分から猫に関わることをやめていたのだが、これまた無類の猫好きである親友の香織の頼みと言うことで、今朝黒猫を助けることになった。それがまさか、こんな事態になるとは。
「麻衣ちゃーん! カケルくんのご飯、買ってきてくれるー?」
「はーい!」
ご機嫌な様子の母の声に、麻衣は呆れ気味に返事をするのだった。