第10話 リカルドと外出禁止令

文字数 3,176文字

 秋休みに入っても、国内情勢は落ち着かなかった。 

 内紛は確実に激化している。昨日は検問所が爆撃された、今日は銃撃戦で死亡者が出た、と、物騒なニュースが絶えない。

 あらゆる方向からの取り締まりも厳しい。たとえば――突然の王の命令により、携帯電話の使用が禁じられた。

 携帯電話の使用禁止は、マオイストのテロ活動防止策の一環である。仲間同士の連絡手段を絶たせる意図だ。プリペイド式の携帯電話のみが使用禁止対象だが、ネパール人の大半はプリペイド式を使う。日本では、後日に銀行口座から使用料金が引き落とされるポストぺイド式が主流だが、ネパールでは稀である。日本のように、誰もが銀行口座を開設している訳ではない。言い換えれば、ポストペイド式を口座を開設できるほど裕福な人は一握りだ。

 私はネパールで携帯電話を所持していないので、実質的な差し支えはない。ただ、このような締め付けが強くなると、重苦しさは感じる。

 王側の勢力は、国民の言動を細かくチェックしている。迂闊(うかつ)に王の批判をしないよう、皆が心懸ける。民間人のメールも監視対象で、電話も盗聴されている、との噂があった。

 時には1日に2回も外出禁止令が出た。

 外出禁止の時間帯の合間に、食糧品を買いに走る。パンの値段が4倍になった。完全に足元を見られている。商売だから、状況に応じた値段の変動は当然かもしれない。事情は呑み込めるが、互助精神が残る日本人の道徳観だと心が寒くなる。

 結局、パンは買わなかった。()きっ腹で《トモダチ・ゲストハウス》に転がり込む。宿泊客ではない私が遊びにきても、オーナーや従業員たちは温かく迎えてくれる。誰かが相手をしてくれるので、非常事態の心細さが紛れた。

《トモダチ》にいれば、喰いっぱぐれもない。オーナーの母が、手作りのカレーを振る舞ってくれた。いかにも母の手製といった感じの、マイルドな味付けの野菜カレー・ライスが出てきた。高価なパンを(かじ)るよりも、よほど心身が満たされる。
 
 食後は、チェスの対戦を楽しむ。

 従業員のゴヴィンダさんは、たびたびチェスの対戦に付き合ってくれる。チェスは、ゴヴィンダさんに初めから教えてもらった。私の師匠である。

 ゴヴィンダさんと私はWIN-WINの関係だ。私はチェスで遊べる。ゴヴィンダさんは、私の頼みだと口実にすれば、仕事をサボれた。

 私が駒を動かすたびに、ゴヴィンダさんは愉快そうに日本語で「スゴイ!」と叫ぶ。

 無意識だが、どうも私は「(すご)い」が口癖みたいだ。ゴヴィンダさんが私の駒を()るたびに、思わず日本語で「凄い」と声が()れる。口癖が、ゴヴィンダさんに伝染(うつ)った。「スゴイ!」と褒めておきながら、簡単に私の駒を(さら)っていく。

 実際に教わってみて、私のチェスの才能はゼロに近い、と気付いた。毎回、惨敗する。相手の出方の先、その先の先まで考えないと勝てない。「取り敢えず動いてみる、行動が命」の行き当たりばったりな人生を歩んできた私には不向きだ。

 そもそも先を読む能力に長けていたら、内紛中のネパールにやってこない。外出を禁じられて建物に閉じ(こも)る憂き目に遭う訳がないのだ。

 平穏な場所に避難したかった。

 篠田さんは秋休みにスンダリージャルを訪ねると言っていたが、私にも計画があった。瞑想センターでの合宿だ。

 せっかくの休みである。だらだらと過ごすよりも、達成感のありそうな何かをやってみたかった。日本から持ってきたガイドブックに、センターの小さな紹介記事が掲載されていた。興味を持ち、ネットカフェのコンピュータで更なる情報を求めた。

 カトマンドゥの北部、ブダニールカンタに《ヴィパッサナー瞑想センター》がある。

 ヴィパッサナー瞑想は、インド人のビジネスマン、S・N・ゴエンカが、ミヤンマーのサヤジ・ウ・バ・キンから学び、インドに広めた。かつてお釈迦様がインドで布教した瞑想法の忠実な再現を(うた)う。謳い文句が真実であれば、ミヤンマーからインドへの逆輸入だ。

 10日間のコースだが、実際には12日間が必要。初日はオリエンテーションで終わる。2日目から11日目までの10日間は、みっちりと瞑想に打ち込む。最終日には、リハビリを兼ねた軽い交流会がある。10日間も瞑想に打ち込んだあと、いきなり放り出されると、外界の刺激に耐えられない。最終日に参加者同士と軽くお喋りをして、外へ出るウォーミング・アップをする。

 秋休みに入る前に、通学路の途中にある瞑想センターの事務所で申込手続きを済ませてある。10日分の着替えや身の回りの品をバックパックに詰め、出発日を待った。

 瞑想道場へ出発する朝も、外出禁止令が発令された。早めにアパートを出て、外出が禁止になる時間までに集合場所へ向かわねばならない。事務所が集合場所に指定されており、センターまでのバスが出る予定になっていた。

 バックバックを背負い、部屋を出る。ナラヤンさんの部屋の前を通り掛かる。ナラヤンさんは床に胡坐(あぐら)を搔いて、新聞を読んでいた。

「しばらく留守にしますので、よろしくお願いします」
「気を付けて。素晴らしい体験ができるといいね。帰りを待ってるよ。また話を聴かせてほしい」
「初めての参加なので、ちょっと緊張します。12日後に帰りますので、ご家族にもよろしくお伝えください」

 玄関を出て、表通りを急ぎ足で歩く。

 ライフル銃を持った軍人たちが睨みを利かせている。戦車のキャタピラーが砂埃を撒き上げる。戦車の横を通るだけで、身の縮む思いだ。

 書店の前で、私の名前を呼ぶ声がする。声の主は、クラスメイトのメキシコ人、リカルドだった。
「道でばったり会うなんて、珍しいですね。休暇を楽しんでいますか?」
「君と会うのは、これが最後かもしれないよ。学校、やめることにしたから」と寂しそうに笑う。
 
 教室で苛々している様子とは、まるで違う。この力の抜けた温厚な感じが、きっと本来のリカルドだろう。

「なんで? せっかく頑張ってたのに」

 訊いてはみたものの、理由は明白だ。篠田さんに笑われながらの授業は、愉快ではない。仮に私がリカルドの立場でも、退学を検討する。

「授業についていけない。それに、クラスが嫌いだから」
「うん。クラスを気に入っていない感じには、気が付いていたけど」

 語学の習得には、慣れと根気が肝要だ。指導者や周囲の人間も長い目で見守る必要がある。初級コースなんだから、周りを気にせず堂々と出席すればいいのだ。これまで(つたな)い英語でリカルドに説得を続けてきたが、駄目だった。

 リカルドだって、途中退学は不本意だろう。メキシコからネパールに渡るには、並々ならぬ決意があったはずだ。リカルドがギブアップする前に、もっと私が助けてあげられことがあったかもしれない。そう思うと、申し訳ないような。

 私の顔を覗き込んだリカルドが、「君が落ち込む必要はない。もう、いいんだ。本当に」と逆に慰めてくれる。さり気なく手を差し出す。

 リカルドの手を両手で包み、握手に応じた。これまでに経験のない、表情のある握手だった。優しさと友愛が伝わる。



「学校を辞めて、今後はどうするの?」手を握ったまま尋ねる。
「しばらく観光でもして、メキシコに戻るよ。君は頑張って。健闘を祈る」
「ありがとう。1年間は粘る。コースの修了証を持って日本に帰るつもり」

 帰国後の身の振り方は、ノープランだが。その時は、その時だ。生きてさえいれば、なんとかなるだろう。

 リカルドは手を放し、私とは逆方向に歩き出した。途中で一度だけ振り返って、手を挙げてくれた。

 姿が見えなくなるまで見送った。二度と会えなくなると考えると、やはり寂しい。

 1人の軍人が、こちらへ向かってくる。ぐずぐずと留まっている私を怪しいと思ったかもしれない。急いで(きびす)を返し、集合場所への道を再び歩き出した。
 
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登場人物紹介

リカルド

クラスメイト

メキシコ人

40代半ば(当時)

神話やインドの文学に興味があり、『ラーマーヤナ』(インドの代表的な文学作品。ラーマ王子の英雄譚)を原文で読みたい

きっちりした性格

ダニエル

クラスメイト

イスラエル人

30代半ば(当時)

アメリカでカメラマンをしていた際、ヨーガを学び始める。精神世界・瞑想に興味ありいずれはサンスクリットでヨーガ・スートラ(ヨーガの経典)を読みたい

大の甘党。ディスコでの夜遊びがやめられない

篠田さん

クラスメイト

日本人

65歳(当時)

ヨーガ、瞑想の(自称)エキスパート。日本の某私立大学の英語講師を25年に亘り勤め上げた。サンスクリットを学んで教本を出版したい

本人曰く、動物をも感動させる歌声を有し、森で鹿を泣かせたことがあるらしい

ディーパ

教師

ネパール人

25歳(当時)

幼少の頃から英才教育を受け、サンスクリットをマスターした才女

3児の母でもある

宏美(私)

日本人

27代半ば(当時)

大学1年生の時にインド旅行で衝撃を受け、インドの虜に

基本的にボーっとしてる

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