2. 火球

文字数 5,416文字



対馬(つしま)さまー、対馬さまー。」

小梅(こうめ)が、遠くで対馬(つしま)()んでいる。小梅(こうめ)が、この谷の門番(もんばん)をしているケンさんと一緒(いっしょ)()らすようになって、7年が()つ。ここ何年か、(あわ)てて対馬(つしま)()び出すのは、たいてい小梅(こうめ)役割(やくわり)になっていた。

対馬(つしま)さまったら、どこに()るのー。た・い・へ・ん・なんですよー。」

「ここですよ。小梅(こうめ)さん。」

対馬(つしま)はまだ、大きな「祈り岩」の上に居る。岩に到着(とうちゃく)するのが待てずに、小梅は、はあはあと(イキ)を切らして(さけ)んでいる。

「あのねー、火球(かきゅう)がねー、となり村に落ちたらしいのうー。はあはあ、対馬さまー。」

祈り岩の下から手を()ばして、小梅(こうめ)対馬(つしま)に早く()りてくれと(うなが)した。

「はいはい、小梅(こうめ)さん。火球(かきゅう)が、なあに?」

対馬ののんびりした返事に、小梅は拍子抜(ひょうしぬ)けして、(くび)()った。

「対馬さま、しっかり聞いてね。火球(かきゅう)がね、南の空から来て、となりのアノン村に落ちたんですって。落ちる直前(ちょくぜん)に二つに()かれたと言って、隕石(いんせき)(さが)して、この谷にも形相(ぎょうそう)()えた人間(にんげん)たちが、いーっぱい(のぼ)って来ているところらしいの。」

「まあ。人間たちは今、何人くらいで、何処(どこ)らへんなの ?」

門番(もんばん)のケンさんが、物見(もの)(すぎ)から、「(にじ)(たに)」を(のぼ)一本道(いっぽんみち)見張(みは)っている。

(はち)()がり坂の(あた)りで、200人くらいで、火球(かきゅう)のかけらを(さが)しているわ。」

「まあ、どうしましょう。」
対馬(つし)は顔を手で(おお)ってうつむいた。

火球(かきゅう)()ちたとはいえ、(オト)にも気づかなかったくらいだから、火球が()え残って隕石(いんせき)になったとしてもごく小さいはず。そこには何も問題(もんだい)はない。対馬(つしま)に大きなショックを(あた)えているのは、ここ数年(すうねん)、対馬の心に()みつくようになった、ひとつの(おそ)れが、とうとう現実のものとなった、ということだ。

(にじ)(たに)」の異界(いかい)は、人間階層(にんげんかいそう)とほんの0.25バレンタしか、ずれていない。それは、人間階層(にんげんかいそう)とほとんどの空間(くうかん)(かさ)なっているということなのだ。

空間(くうかん)(かさ)なった人間界に、何か異変(いへん)()こって、その空間が大きく(みだ)れれば、虹の谷の異界(いかい)影響(えいきょう)なしではいられない。だからこそ対馬(つしま)は、日々、人間界の平穏(へいおん)を、自分たちの世界のことと同じように、心を()めて祈ってきた。そして人間界にも、この虹の谷のような異界(いかい)影響(えいきょう)を受けて、(いの)るし、異界の波動(はどう)同調(どうちょう)したがるし、時には異界のものとも心を(つう)じさせようとする、そんな習慣(しゅうかん)(つづ)いているのである。

もし、対馬(つしま)がいる「虹の谷」に、火球(かきゅう)のかけらが()ちたのなら、隕石(いんせき)河童(かっぱ)たちから即刻(そっこく)宇宙(うちゅう)の友」として(むか)えられ、(まつ)られて、それぞれのやり方で宇宙に思いを()せるだけですむ。そのやり方が、惑星(わくせい)衝突(しょうとつ)などに恐怖(きょうふ)(およ)ばせない、威力(いりょく)ある珍入者(ちんにゅうしゃ)から、受け手の心を(まも)異界(いかい)のしきたりだ。

(となり)のアノン(むら)の人間界には、もう祈祷師(きとうし)祭祀(さいし)(つかさ)どる者もいなくなっている。人間は、日々忙(ひびいそが)しくなりすぎて、異界(いかい)のことなどすっかり忘れてしまったのだ。

そんなアノン村に、人間界特有(にんげんかいとくゆう)の、隕石(いんせき)をゲットして目立ちたい、だとか、名前を付けたいだとか、売ってお金にしたいだとかで、他所(よそ)からの人が()()せたら・・・。アノン村ばかりでなくこの谷にまで、隕石を(さが)してざわざわと()()まれたら・・・。空間が、ほとんど(かさ)なったこの「虹の谷」の、平穏(へいおん)繊細(せんさい)(ゆめ)のように美しい(いろど)りも、たちまち色褪(いろあ)せてしまうだろう。

・・・しかし、今、対馬(つしま)()ちのめしているのは、そこでもない。

()(せま)ったもうひとつの「一大事(いちだいじ)」への(おそ)れ。その「一大事」を、対馬(つしま)小梅(こうめ)共有(きょうゆう)していた。

「見えてしまうかも・・・。」

そう、()(せま)った「一大事(いちだいじ)」は、ここなのだ。今のままでは、(にじ)(たに)河童(かっぱ)たちの姿(すがた)が、人間たちに見えてしまうかも知れないのである。

もともと、「虹の谷」の異界(いかい)は、人間階層(にんげんかいそう)に対して、0.75バレンタのずれを()つように(つく)られていた。(つく)られていたのだ。それが今は、たった0.25バレンタ。人間階層(にんげんかいそう)と「虹の谷」の異界は、なぜか、今までになく近づいている。今でさえ、周波数認識領域(しゅうはすうにんしきりょういき)の広い人間であれば、河童たちの姿は()っすらと見えるだろう。ただ、この谷を(いろど)るたくさんの花々や、雪や、木々の()らめきが、それを(はば)んでいるだけなのだ。

小梅(こうめ)は、対馬の気持ちを良く理解していた。もともと活発(かっぱつ)な小梅には、この谷は退屈(たいくつ)すぎた。だから、他の異界から(おとず)れる者たちを一番先に(むか)えられる、門番(もんばん)のケンさんの所に入り(びた)っていたのである。物見(ものみ)(すぎ)から、人間たちの姿が()っすらと見えるようになったのに最初(さいしょ)に気づいたのも、小梅(こうめ)。それが三年前のこと。今日はもう、その仕草(しぐさ)までがわかるほど、人間たちは見えていた。

人間の方からも見えてしまう。それは、河童(かっぱ)たちには致命的(ちめいてき)だ。人間にとって、隕石(いんせき)と、とつぜん(あら)れた小さな河童(かっぱ)たち、どちらの方を、よりもの(めずら)しく思うかと、考えるだけでも背筋(せすじ)(こお)りつく。

対馬(つしま)さま、小梅(こうめ)にできることは何でもするから、言ってほしいわ。」

対馬(つしま)は、目をつぶったままでいた。

「私は、この日が来るのをずっと知っていたはず・・・そしてどうしたらいいかも知っていたはず・・・・」

目をつぶり、この谷に来るまでの記憶(きおく)を、一生懸命(いっしょうけんめい)たぐっているのだ。これまでにも何度も(こころ)みたが、どうしても思い出せないのだ。
 
対馬がこの「虹の谷」にやって来たのは、630年ほど前のこと。
この異界(いかい)(たに)では、(とし)()り方が人間界とは随分(ずいぶん)(ちが)う。谷での役割(やくわり)が決まると、その役割にふさわしい年齢(ねんれい)から、なかなか身体年齢(しんたいねんれい)が先に進まない。それでも対馬(つしま)は、この谷に来てから十歳ほどは(とし)を取っただろうか。それが、谷の者たちから、(たよ)られる役割(やくわり)になってきたという(あかし)なのだ。役割が変わった時に、役割にふさわしい年齢になって、そこでまた身体年齢(しんたいねんれい)は止まったようになり、歳月(さいげつ)だけが過ぎていくのだ。平穏(へいおん)な日々だから、本当にゆっくりだった。
 

630年前の薄曇(うすぐも)りの日、対馬(つしま)は、一面(いちめん)琵琶(びわ)背中(せなか)にのせて、この谷の一本道(いっぽんみち)(のぼ)って来た。その時の空の色だけは、(えぼ)えている気がする。

「もしかしたら、この日のために、自分はこの谷にやって来たのではないか ?」

対馬(つしま)は、何となくそんな気がしていた。しかし、漠然(ばくぜん)とした使命感(しめいかん)で、記憶(きおく)を何度も辿(たど)ろうとするのだが、うまく辿れない。人間階層(にんげんかいそう)と「虹の谷」、たとえ今は、0.25バレンタしかずれていないとしても、空間周波数(くうかんしゅうはすう)(ちが)うエリアに入ると、(のう)記録(きろく)されているはずの記憶(きおく)も、なかなか再生(さいせい)できないのだ。立ったまま、対馬(つしま)は、いつもより少し(ふか)瞑想(めいそう)に入って、やっとのことで、ひとつのシーンがもやもやっと、そしてだんだんと脳裏(のうり)(よみがえ)ってきた。

あの日、対馬はまだ人間界にいて、この谷の多くの村人に(かこ)まれていた。村人は対馬(つしま)必死(ひっし)に何事かを(うった)え、対馬はそれにテキパキと答えていたような気がする。そして、何かを伝えるように、対馬の指もとがクローズアップされて、いやにはっきり見えてきた。そうか・・・・。

「小梅さん、人間界にまで()りて行って、三の曲がり坂に結界(けっかい)()るわ。とりあえず結界でこの場をしのいで、後はゆっくり考えましょう。手伝(てつだ)ってちょうだい。」

小梅(こうめ)は、ここぞとばかりに力強(ちからづよく)うなづいた。

「そして、今、()こっていることを、まず、さくらさんに伝えて。」

「えーーーーーっ。」   

小梅(こうめ)の心配も無理(むり)はない。河童国では代々(だいだい)、女性のリーダーが「さくら」を名乗(なの)ることになってはいる。しかし、千二百年もの間、()(せま)った危機(きき)があったわけでもない谷なので、立派(りっぱ)なリーダーになることが運命付(うんめいづ)けられているとは言え、「さくら」はまだ少女の姿だ。おてんばで、子供たちのお姉さん、という役どころである。
昨日も、カラスが秋に()めておいた胡桃(くるみ)を、木の上から落として遊んで、戻ったカラスにつき落とされた。甲羅(こうら)尻尾(しっぽ)()れたと泣くから、小梅(こうめ)断片(カケラ)をつなげてあげたばかりだった。

対馬(つしま)さま、お願い、スーワさんも呼んでくださいね。」

なるほどスーワは、谷一番のもの知りなので、こちらは(たよ)りになりそうだ。
  
「わかったわ、小梅さん。いつかトト神仙人(かみせんにん)が、お土産(みやげ)()ってきてくれた水晶(すいしょう)を持って、三の()がり坂へ集合よ。」

了解(りょうかい)です ! ふたりに、対馬(つしま)さまが水晶(すいしょう)結界(けっかい)()準備(じゅんび)をしている、って言えばけいいのね ?」

対馬は、困った。とっさに口から出たのだ。「トト神仙人(かみせんにん)は、隣町(となりまち)三角山(さんかくやま)仙人(せんにん)で、小さな山の仙人ながら、この地域(ちいき)ではいちばん仙力(せんりょく)(つよ)いと評判(ひょうばん)だ。こんな時に、一番(たよ)りにしたいマナンタグラの「小富士仙人(こふじせんにん)」は、旅に出たまま帰らない。「長い旅になるから、何かあったら、トト神仙人(かみせんにん)(たよ)りなさい。」と言ったのを思い出したのだ。お土産(みやげ)にもらった水晶(すいしょう)は、「うちの山で()れた水晶だから、(こま)ったら(あけ)とくれ。みたいなノリだったので、実物(じつぶつ)は見てもいないのだ。ーーまずい、時間がない。

小梅(こうめ)さん、いいから行きなさい。結界(けっかい)()り方を、私はこれから思い出さなければならないの !」

「えーーーーーーーーっ !!!!!!!」

人間界(にんげんかい)のことは思い出せない。しかし、祈祷師(きとうし)としてこの谷に来たのだから、思い出せば結界(けっかい)()り方くらい知っているだろう。対馬(つしま)はより深い瞑想(めいそう)に入るために、(ふたたび)(いの)(いわ)に飛び乗っていった。

小梅(こうめ)さん、集合(しゅうごう)一時間後(いちじかんご)。もし私が(おく)れても、きっと()っていて下さいね。」

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登場人物紹介

虹の谷にやって来て630年。祈祷師の「対馬」ですの。いつも、あなたの幸せを祈っているわ ❤️

小梅よ。虹の谷の門番であるケンさんと結婚して、私も門番をやっているの。ワクワクドキドキ、お気に入りの仕事よ。

門番のケンだよー。虹の谷の異界から最近、人間界が見えるんだよ。どうなることやら・・・。顔だけで門番になったから、この仕事怖いんだよな。まあ、今は小梅が手伝ってくれるから良いけど。

さくらよー。虹の谷の女性リーダーは、代々「さくら」を名乗ることになっているの。将来は、虹の谷のリーダーになるんだけど、今は、まだ子供よ。

虹の谷一の物知りと言われているスーワだよ。多くの知識をフル活用して、この虹の谷の一大事を乗り越えていくんだ。楽しみにしててね!

サルタンだよー。河童たちに、何百年かぶりに、石碑の中から引っ張り出されたよ。人間時代は、仙人界に憧れていろいろ修行したんだけどね、本物の異界に住んでる河童たちと友達になるとは、思っても見なかったなあ。

ケトだよ。虹の谷は面白いよ。水浴びしたり、毎日、虫や鳥と遊んでる。スーワがパパで、ママはマンバ、お兄ちゃんはナトって言うんだ。ナトはすぐ、ひとりでどこか行っちゃうから、僕はいつもさくらちゃんと一緒にいるんだ。

平標山の仙人、たいらっぴょんじゃ。虹の谷には、小富士仙人という、えらい仙人がおるんだがの。旅に出たまま、ちっとも帰ってこんから、ワレが時々、虹の谷を見廻ることになってるんじゃが、子供たちが可愛くてなあ、けっこう楽しくやっておる。

小富士仙人。留守をたいらっぴょんに任せて、長いこと旅に出ていたんだが、やっと、物語の最後に間に合うように、帰ってこられたよ。

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