第三巻 第四章 武家政権の成立

文字数 2,463文字

〇鎌倉、大蔵御所
頼朝(四十歳)が梶原景(かじわらかげ)時(とき)(四十六歳)から報告を受けている。
頼朝「義経の真似をして、勝手な任官を受ける者が相次いでおる。これでは示しがつかんな」
景時「義経どのは源氏の正嫡(後妻だが正妻の子)にございます」
頼朝「……どういう意味だ」
景時「院の宣旨があれば」

〇義経のイメージ
義経「我こそ源氏の正嫡なり!」

〇鎌倉、大蔵御所
景時「と旗揚げすることも可能だということです」
頼朝「それは……考えすぎだろう」
景時「それに義経どのは、奥州の藤原秀衡どのと深い縁がございます。西国で義経どのが立ち、奥州で秀衡どのが立てば、鎌倉は挟み撃ちにされます」
考え込む頼朝。

〇万福(まんぷく)寺の一室
義経(二十七歳)が大江(おおえの)広元(ひろもと)(頼朝の側近、三十八歳)と会見している。
N「頼朝に叱責された義経は弁明のため鎌倉に向かうが」
義経「兄上は我らを、鎌倉に入れぬとおおせか!」
広元「……拙者にはそなたを頼朝さまに会わせる権限はござらぬ」
義経「ならばせめて、兄上に手紙を届けてはいただけないでしょうか」
広元「……承知つかまつった」
手紙を書き始める義経。その瞳から涙がこぼれ、手紙に滴る。
N「この手紙は『腰越状』と呼ばれている」

〇鎌倉、大蔵御所(夜)
腰越状を読み、涙の滴った後に目を落とす頼朝。
頼朝(M)「許せよ……諸国支配を確かな物にし、奥州の藤原を討つために、お前の命が必要なのだ……!」
頼朝の涙もまた、腰越状に滴る。

〇平安京、義経邸(夜)
土佐坊昌俊率いる暗殺団と乱戦する義経主従。
N「頼朝から暗殺者を差し向けられるに至り、義経は後白河法皇から頼朝追討の宣旨を受け、挙兵した」

〇暴風雨に遭う義経の船団
N「しかし兵は集まらず、義経は西国で再起するため船出するが、船団は暴風雨に遭い、義経一行は散り散りになってしまう」

〇平安宮・院御所
北条時政(四十八歳)が後白河法皇(五十九歳)に謁見している。
時政「……義経に宣旨を与えたこと、鎌倉殿は非常にお怒りです」
後白河「あれは義経どのに脅迫されてやむなく……」
時政「院には、義経を逃がした疑いもかかってございます。そうでないとおっしゃるなら、証明していただきたい」
後白河「一体どうやって……」
時政「各国に守護・各国の荘園に地頭を置き、義経探索の一助といたします。ご許可を」
絶句する後白河。
N「かつて平氏は全国の国司の半分以上を独占したが、国司はあくまでも朝廷が任命するものであった。しかし、守護・地頭は、武家の棟梁(後の幕府)が任命権を持つのである」

〇全国の守護・地頭の配置図
N「この守護・地頭の設置をもって、鎌倉幕府が実質的に成立したとする見方もある」

〇山道を行く義経一行
義経は稚児姿、家臣たちは山伏姿。
N「義経一行は全国を逃げ回り、奥州平泉の藤原秀衡のもとにたどり着く」

〇燃える持仏堂(夜)
仁王立ちで戦う弁慶と、室内で自害する義経。
N「しかし秀衡が死ぬと、息子の泰衡(やすひら)たちは頼朝の要請に応じて義経を討った」

〇進軍する頼朝軍
N「頼朝はなおも『義経を匿っていた罪』で奥州に進軍。奥州藤原氏を滅ぼし、全国支配を完成させる」

〇平安宮、院庁の一室
頼朝(四十歳)が後白河(六十四歳)に謁見している。
N「建(けん)久(きゅう)元(一一九〇)年十一月九日、頼朝は後白河法皇と会見する」
後白河「そちを伊豆へ配流して以来になるな」
頼朝「院にはお変わりなく」
後白河「……皮肉か」
頼朝「いいえ、変わったのは時流にございます。京から動かずに陰謀を巡らして、世が変わる時代は終わったのです」
後白河「……左様か」
頼朝「朝廷に手を触れるつもりはございませぬ。百年後も、千年後も、今まで通りお過ごしください」
静かにうなずく後白河。
N「その二年後、後白河法皇は亡くなった」

〇正装の頼朝(四十六歳)
N「建久三(一一九二)年、頼朝は後鳥羽天皇によって征夷大将軍に任官された」

〇大蔵御所の一室
源頼家(頼朝の息子、十八歳)と、北条時政(六十二歳)・北条義時(時政の嫡男、三十七歳)・大江広元(五十二歳)・梶原景時(六十歳)ら十三人が会議している。
N「正治元(一一九九)年正月、頼朝が急死すると、息子の頼家が跡を継いだが、すぐに幕府は、有力御家人十三人の合議で運営されることになる」
会議の輪から疎外され、イライラを募らせる頼家。

〇建仁寺の一室
頼家(二十二歳)・北条政子(四十六歳)が栄西(六十二歳)と会話している。
栄西「鎌倉にお招きいただいた上、寺まで寄進していただき、感謝の念にたえませぬ」
政子「宋の最新の仏教をたずさえて帰国したそなたが、京で迫害を受けておると聞いては黙っておられませぬ」
頼家「天台・真言は朝廷と深く結びつきすぎておる。武士の都、鎌倉には、新たな仏教が必要なのだ」
深々と礼をする栄西。
N「坐禅によって悟りを開こうとする禅宗の一派・臨済(りんざい)宗は、この時期から鎌倉で発展する」

〇病床の頼家(二十二歳)
N「建仁三(一二〇三)年、頼家が病に倒れると」

〇正装の実朝(十二歳)と時政(六十六歳)
N「弟の実朝が十三歳で将軍位を継ぎ、時政が執権としてこれを支える体制になった」

〇争う御家人たち
N「幕府の実権を巡り、御家人たちは時に武力で争う」

〇隠居する時政(六十八歳)
N「武力や陰謀で鎌倉幕府の実権を握った北条時政だったが、元久二(一二〇五)年に息子の義時によって引退させられた」

〇院の武士たちに護送される法然(七十五歳)・親鸞(三十五歳)
N「浄土信仰から発展した専修念仏(ただひたすら念仏を唱えれば浄土に導かれるという信仰)を唱えた法然・親鸞師弟は、天台宗の本山と対立した結果、建永二(一二〇七)年、後鳥羽上皇により僧籍を剥奪され、流罪となる」
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