第65話 初めてのキス

文字数 2,994文字

 金曜日の夕方。LINEでいつものように待ち合わせをして、今日も彼の車で帰ってきた。
 本当は、今日のデートはお休みのはずだったけど、彼が今日も来たいと言ったから。
 今日はお茶だけでいいというので、早速ソファに案内してお茶を出す。

 彼はソファの前に来ると直ぐに私を抱きしめた。突然でも、もう慣れてきたから素直に嬉しい。私も、彼の背中に手を添えて軽く抱きしめ返した。
 誰もいない私の部屋だから、会ったときの挨拶はこうした触れ合いがいい。恋人に会っているのだから、スキンシップは当然だもの。
 ひとしきり抱き締め合ってから、少し身体を離したとき、彼が私の目をじっと見詰めた。私も何気なくじっと見返して微笑んだ。

 彼が更に見詰めてくる。
「どうしたの? 何か付いてる?」
「ううん」
 彼はまた私を抱き寄せた。
「うふふ、変なの」
「……キスしたい」
 彼が私の耳元で囁くように言ったので、私はドキッとして息を飲んだ。

 そのまま、彼をぎゅっと抱きしめて、顔を彼の胸に(うず)めた。
 ……暫くして、私は身体を少しだけ離して彼を見詰め、目を(つむ)った。

 彼が、少しだけ屈んで私の顔に近付く気配がした。私はドキドキしてどうしたらいいのか分からなくて慌ててしまったけれども、もう彼の唇が私の唇に重なっていた。暖かくて柔らかい唇が私の身体全体を覆ってしまったかのように思えた。

 息ができない。身体の力も抜けてしまって、立っていられない。彼の背中に回した手で、ぎゅっとしがみ付いた。彼も、私をぎゅぅっと抱き締めてくれる。もう、私は身体を全部彼に任せて抱き締められているだけだった。

 何も考えていなかった。初めてのキスの味は、覚えていない。ただ、幸せだった。身体一杯に幸せが充満していた。これが恋なのね。

 いつもはソファに向かい合って座っていたのだけれど、今日は隣にくっついて座った。何だか、離れるのが寂しいような、残念なような、兎に角身体をくっつけていたかった。あぁ、これって、いつも結心さんがやってることだ。結心さんの気持ちが、また1つ分かった。私は結心さんの後を追いかけているのね。――手を握ったり、兎に角、彼に触っていたかった。

 間違いなく、私は彼を愛し始めている。もう、好きになるのを止められない。改めて、隣に座る彼を横からぎゅぅっと抱き締めた。そして、身体を少し離して彼の顔を少し見詰めながら、今度は私から彼にキスをした。それから、また彼に抱き付いて彼の胸に顔を埋めた。
「好きだよ。詩織さんのことを愛してる。詩織さんを全部欲しい」
「------」
 私は無言で抱き締めていた。私も彼に処女を捧げる覚悟はできている。
 でも、まだ早い。私が主導権を持たないと軽く見られてしまう。
「------ありがとう。私も貴方のこと好きになってしまったみたい。だから、そう言って貰えると嬉しいわ。でも、もう少し待ってね」
「------うん」
 彼の声が掠れていた。

 彼は、もっと力強く私を抱きしめて、またキスをした。
 今度は、彼の舌が生き物のように私の唇を押し開くようにしながら口の中に入ってきて、それから、私の舌に絡んできた。「んっ!」と慌てて声を出したものの言葉にならない。身体は強く抱き締められている。

 彼の舌が私の舌に絡んだりしながら、口の中をあちこちゆっくりと弄るように動き回る。最初は驚いてしまったが、くすぐったいような感覚がして身体がゾクゾクしてきた。何だか私の身体の中に彼が進入してきて私の中から刺激しているような感覚を覚え、頭が真っ白になってしまった。口の中から身体中に快感のような感覚が湧いてくる。緊張で硬くなっていた身体の力が抜けて、彼のなすままになっていた。

 動悸が激しくなり、息が苦しくなって思わず喘ぐような声が出てしまった。なんだろう? この感覚は。------セックスって、こんな感じなのだろうか?

 暫くすると、彼の右手が私の胸にそっと触れた。勿論、服の上からだしブラもあるから直接ではないけれど、それでも彼の手の温もりを感じていた。暖かく包まれるような気持ち良さに何も考えられずぼーっとしていたが、私の膨らみの先端に彼の指が触れた瞬間、身体中に訳の分からない感覚が走った。

「っ!! 待って! だめっ! それ以上はだめ!」
 私は、反射的に身体を離して、大きな声で彼に言った。
「ごめん! 止まらなくなってしまった」
 彼は、私の思わぬ反応に驚いて、硬直したような顔で謝った。
「------私は、急激に進むと怖いのよ」
「無意識に手を出してしまった。済まない。許可なく進まない約束だったのに。ごめん! 約束は守るよ」

 私は、彼から少し離れて呼吸を整えて、言った。
「これ以上は、待ってねって言ったのに」
「ごめん。謝ってばかりだなぁ。約束守るって言ったのに」
「正直に言うと、こんなに早くキスまで進むなんて考えてなかったの。でも、私も好きになったから、キスまではいい」
「ありがとう。本当は、僕もそれだけで満足してるし、それ以上に進む気持ちはなかった」
「さっきのキスの仕方は驚いてしまった。刺激が強すぎたわ。初めてのキスだったのに」
「そうだよね。初めてなんだから、ゆっくり進まないといけないのに、つい」
「抑えきれなかったの?」
「うん。僕は、だめだなぁ--------。詩織さんを大切にしたいと思っているのに、もっと反省しないといけない」

「あのね、嫌じゃないのよ。凄く嬉しいの。……でも、怖いの」
「うん、少しずつだよね?」
「うん。今日は、軽いキスくらいにしてね。刺激の強いキスは、またにしてね。少しずつ慣れていきたい」
「分かった。刺激が強くない程度のキスならいい?」
「うん」

 また、抱き締められて、それから軽いキスをした。そして、私の唇を彼の唇で挟んだりしながら、色々なキスをしてくれた。その内、彼の舌が口の中に入ってきたと思ったら直ぐに出て行って、今度は上唇や下唇を彼の唇がマッサージみたいに動き回る。そうしていると、また舌が中に入ってきたり、唇の裏側を(つつ)いたりする。そんな変化についていけなくなって訳が分からなくなってしまった。

 でも、今度は、さっきみたいに驚いたりはしなかった。だんだん、キスが心地よくなってきて、彼の舌が中に入ってきたときに私の舌を彼の舌に絡ませてみた。ああ、手を握るのと違って、身体の中で触れ合っている。気が付くと、ソファの上に、私は仰向けになって彼が上から覆い被さるようにして抱き締めながら、キスをしてくる。彼にしがみついて、もう私は夢中になってしまった。

 抱き締められるのと違って、キスをするというのは凄く刺激的なのだ。もう、セックスの一部だと言っていいのではないかとさえ思ってしまった。まだセックスを知らないから断言できないけれども、キスは間違いなく不倫の入り口を入ったところにある。そして、キスで興奮することを知ってしまった。私の身体が、疼いている。初めて、身体の中から何かが(うごめ)いているのだ。

「……ねぇ、これ軽いキスじゃなかったよ」
「だって、詩織さんが舌を絡ませてきたし。……胸には触らなかったよ」
「もう!……でも、キスには少し慣れてきたわ」
「ほんと? 良かった! 嬉しいよ」
「もう、後戻りできなくなりそう」
 そう言って、彼の胸に顔を(うず)めながら笑った。

 ――テーブルに置いたお茶が冷たくなっていた。


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登場人物紹介

矢野 詩織 《やの しおり》

大学准教授

近藤 克矩 《こんどう かつのり》

大学教授

天野 智敬 《あまの ともたか》

ソフトウェア会社社長

森山 結心 《もりやま ゆい》

パン屋さんの看板娘

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