第4話

文字数 9,718文字

櫻井 琴音 
 
 二〇〇三年四月


「……ね、とね」
「……」
「琴音!」
「えっ?」琴音は体を硬直させ、声の方を向いた。
「何ぼーっとしてるの? もしかして緊張してる? それとも考えごと?」奈央はニヤニヤしながら訊いてきた。
「そ、そんなんじゃないよ。さ、行こう行こう」琴音は足早に先を急ぐ。
「誤魔化してるなぁ」奈央は茶化すように言って、先を行く琴音に駆け足でついて行った。二人は頬を撫でるような心地よい風が吹く中、目的地に向かっていた。
 琴音は二〇〇三年四月に筑波大学の看護学部に入学した。勉強は昔からそこそこできたため、浪人すること無く、ストレートで合格することが出来た。初めての登校日は心臓が口から出るんじゃなかと思うほど、緊張しっぱしだったが、高校からの親友である奥薗奈央も同じ学部に入学したため、不安よりも楽しみの方が大きかった。それだけ奈央は琴音にとってとにかく心強かった。
 初日は奈央が琴音の家に寄ってくれて、二人一緒に学校へ向かった。大学の正門を潜ると在校生と新入生がごった返し、お祭り騒ぎだった。至る所で新入生へ向けたサークルへの勧誘が行われている。みんなが浮き足立ち、行き交う人々の表情が緊張と喜びが入り混じったように見え、これが大学ってもんなのだと、琴音は得心していた。奈央はわくわくした面持ちでごった返す人々を眺めていた。
「琴音は何のサークルに入るのかもう決めてるの? まだブラスバンド続ける感じ?」奈央が訊いてきた。
「うーん。まだ決めかねてる。どんなサークルがあるのかもまだ全然知らないし。もしこれってところがなければ、また楽器と戯れようかなぁ。高校の時の先輩からも誘われてるしね」
 琴音は中学時代からブラスバンド部に所属していて、高校でも三年間続けてきた。高校時代の同じ部活の先輩で筑波大学二年の在校生から同大学のブラスバンド部に入学前から勧誘されていた。ただせっかく大学に入ったからには何か新しいことも始めてみたい気持ちもあって、先輩の勧誘を保留にしていた。
「奈央は陸上はもう良いんだっけ?」
「うん、もう完全燃焼済み。足も痛めちゃったしね。何かしらのサークルに入って良い男でも捕まえようかな」
「不純な動機だなぁ」
「何言ってるの、大学なんて彼氏作ってなんぼでしょ。琴音はもし良いなと思う人見つけたら私に伝えるんだよ。ちゃんとした男か私が見極めてあげる。琴音みたいに恋愛経験全然ない子は悪い男が狙ってきやすいんだから」
 高校の時から奈央はこうやって自分におせっかいを焼いてくれる。同い年ながら姉のような存在だった。事実琴音はこれまでに一度も彼氏が出来たことがなかった。正確に言えば、告白されてもそれにオッケーを出したことがなかった。好きと言う感情は何となく理解できているものの、それと思わしき感情を未だにはっきりと認識出来たことは一度もなかった。
「ちょっとそこの美人のお二人さん! うちの広告研究会少し見ていかない?」
 全く知らない大学の先輩と思しき男性が声をかけてきた。
 広告研究会──。真面目そうな響きだけど、普段に何をしているのだろう。
「きっとただの飲みサーよ」奈央が琴音にだけ聞こえるボリュームで囁いた。
「飲み会メインのサークルって結構あるって話よ。まぁ彼氏とか作りたいなら使い勝手の良い、サークルかもね。でも偏見なだけかもしれないし、どうせなら色んなサークルの話聞いてみようよ」
「是非見させてください先輩〜」奈央は満面の作り笑顔を作り、返答した。
「さぁ琴音も行こ。まだ講義まで時間あるし」
「う、うん」琴音は流されるが如く、奈央の後を付いて行った。
 
 入学から二週間が過ぎ、二人は結局何のサークルにも未だ所属していなかった。どちらも興味を惹かれるサークルが見つからなかったからだ。
 一方で、この頃から琴音は塾講師、奈央は駅前の居酒屋でアルバイトを始めた。自分の性格的にも飲食店等で働くより、勉強を教えることの方が性に合っていることはわかっていた。逆に奈央は美人で愛想も良いから、居酒屋ではお客さんから人気がすぐに集まるだろから適任だろうと思った。
 あの日の朝、二人で大学の教室にいる時、奈央が満面の笑みで琴音に話しかけてきた。
「ねぇ琴音! 一緒にサッカー部のマネージャーにならない?」
「え、サッカー部のマネージャー⁉︎」琴音は目を丸くし、思わず訊き返した。
「急にどうしたの?」
「昨日同い年で同じ大学の折原くんって人が私と同じ居酒屋でアルバイトを始めたの。話を聞いたら、うちの大学のサッカー部に入っているんだって。それで話の流れでうちのマネージャーでもどう? って誘ってもらったから、ちょっと見学に行ってみようかなって。琴音も一緒に行こうよ!」
 目をキラキラと輝かせながら嬉々喋る奈央に軽く圧倒されてしまい、琴音は少しの間言葉が出てこなかった。
 琴音はこれまでの人生でサッカーというスポーツに触れ合ったことは全然なかった。小さい頃、父が家で見るスポーツは決まって野球だったから、プロスポーツの観戦も野球以外はしたことがない。だが、奈央の話を聞いて不思議と興味が湧いた。こんなに嬉しそうに語る奈央を見るのは久しぶりだったから。
「わかった。一緒に行く」
「そうこなくっちゃ! さすが私のことちゃん」そういうと奈央は琴音の髪を手のひらでくしゃくしゃにした。
「ちょっとやめてよ〜」
「ごめんごめん」奈央は少し口元を緩ませて笑った。
 奈央は昨日知り合った折原へメールを送っていた。今日友達を連れて二人で見学に行く、そういう内容のようだった。ちゃっかりメールアドレスを既に聞き出しているあたりさすが奈央だと思った。
 今日はまだ見学だし、見に行って自分と合わなそうなら入部しなければ良いだけだ。琴音はこの時はまだサッカー部のマネージャーになるという決心はしておらず、軽い気持ちで考えていた。
 講義を終え、琴音と奈央はサッカー部が日々練習している大学構内のグラウンドに向かった。
 琴音は視界に映る圧倒的な光景に思わず息を呑んだ。グラウンドにはぱっと見るだけでも百人近くの部員がいるように思えた。筑波大学サッカー部は全国でも有数の強豪校で全国各地から腕に覚えのある選手達が集まる。しかし、琴音はサッカーに関して全くの無知であったため、自分の大学がこんなにもサッカーで有名であることをこの時まで全く知らなかった。
 奈央はあたりをキョロキョロ見回していた。おそらく大勢いる部員の中から昨日知り合った折原という男性を探しているものと思えた。
「あ、折原くん!」
 奈央の黄色い声があたりに響く。周りの部員が一人の男性に目をやった。
「奥薗さん、本当に来てくれたんだ」
 数ある視線が集まる先にいたその彼が声を出した。
「行くって約束したじゃない」奈央も嬉しそうに返答した。
「おいおい涼太、もういきなり彼女呼んだのか?」先輩部員の一人が折原の方に腕を回しにヤケ顔で言う。
「そんなんじゃないですよ、貴弘君。バイト先で知り合った女の子で昨日マネージャーを勧めたら、見学に来てくれたんです」
「マジか、でかした涼太! こんな美人二人がマネージャーをやってくれたら、チームの士気上がりまくりだな」貴弘という名の先輩が続けて言う。
「俺が誘ったのは奥薗さんだけです。もう一人は奥薗さんの友達……かな?」折原が琴音をチラッと見てこちらに向かって来た。なぜか鼓動が高まる。
 折原が琴音に近づいてきた時、彼はなぜかビクッと体を硬直させ、琴音を見て目を何度か瞬きさせていた。そして一呼吸置いてから話し始めた。
「あの……初めまして。折原涼太です、来てくれてありがとうございます。男ばかりでむさ苦しいけど、楽しいところだから入部してくれると嬉しい」折原は笑顔でそう言った。
「は、はい。櫻井琴音です。よろしく……」一拍置いて琴音が返事した。
 これが涼太との初めての会話だった。──とこの時は思っていた。本当はそうではなかったことは後にわかることとなる。
 涼太は前髪をたなびかせる爽やかな見た目に優しいそうな表情を纏った好青年だった。
 身長はそこまで大きくないのだろうが、すらっとした体型で、ぱっと見、そこそこ大きく見える。同じ大学一年生だから入部して間もないはずなのに、涼太は先輩達から、イジられていて、とても愛されているように思えた。
 その後、琴音と奈央は先輩マネージャーで三年生の大人っぽく落ち着きのある松本亜由美と二年生の愛嬌ある八重歯が特徴的で小柄な佐々木唯と挨拶を交わした。そして、ベンチでサッカー部の練習を見ながら、二人から普段マネージャーがどんなことをするのか、色々と話を聞かせてもらうことになった。
 まず聞いて驚いたのはマネージャーは現在ここにいる二人しかいないという。
 ここまで大所帯のサッカー部では考えられないほど少ない人数だそうだ。だからこそ二人は琴音と奈央を歓迎してくれた。
 やることいえば、水分の用意や練習器具の用意等の雑用から、試合の時には、選手たちのパス回数やデュエル数、シュート成功率等、様々な記録を取ったりもするという。 
 正直そこまで楽しそうと思える内容ではなかったが、琴音は内心マネージャーとして入部しようと思っていた。理由は涼太の存在だった。
 先ほど涼太と初めて会った時、他の男性には感じない何かふわふわと浮き足立つような不思議な感情を抱いた。その感情の正体は琴音には分からなかった。
 だが、涼太のことをもっと知りたいと思う自分は認識していた。当初どこかで会ったことがあるような、そんな思いが頭を過ったが、すぐに思い直した。きっとただの自分の思い過ごしで勘違いだろう、と琴音は自分の直感を一蹴した。そして、もう一つわかったことがあった。
 練習の間、奈央に話しかけてくる部員はたくさんおり、その度に奈央は愛想よく対応していたのだが、奈央が涼太と話す時の表情が違っていた。涼太と話をする奈央は明らか嬉しそうな屈託のない笑みを浮かべていた。
 その時、直感的に思ったのは、奈央は涼太が好きなんだろうな、ということだった。少しだけ胸がズキンと痛む思いをした気がするが、琴音はその感情を無視することにした。とにかく奈央の恋を応援しようと思った。
 大切な友人の恋が叶うことは嬉しいという気持ちは嘘じゃない。だから自分が感じているこのよく分からない感情の正体を知る必要はない、琴音はそう思うことにした。
 練習も中盤に差し掛かった時、後ろからドタドタと誰かが走ってくる音が聞こえた。
「すいませーん‼︎ 遅れましたぁ‼︎」その誰かが大声で叫んだ。
「遅いぞ友也! どこ行ってたんだ?」コーチが声をかける。
「スパイク忘れたんで家戻ってました。本当はもう休もうかと思ったんですから、ちゃんと戻ってきただけ褒めてくださいよ」
「何言ってんだ早くアップしろ。もうゲーム(紅白戦)始めるぞ」
 体躯が大きくて貫禄がある人が言う。この人の醸し出す雰囲気で、彼がチームの中心人物であることを窺わせる。あとで亜由美から教えてもらったが、この人がチームのキャプテンで永森という名前だと聞いた。
「はぁい」と彼は気の抜けた声を出す。
「相変わらずだなぁ、友也」涼太が琴音達がいるベンチのそばで呟いた。涼太は顔を綻ばせていた。彼はこういうミスの常習犯なのかもしれない。
「おう、涼太! ……え⁉︎」彼は目を剥いて琴音と奈央を交互に見た。そしてすぐに涼太の方へ振り向く。
「りょ、涼太……。この美人さん達、知り合い⁉︎」彼は露骨にあわあわし始める。
「こら友也。美人ならここにもいるでしょ?」唯が冗談めかして言う。
「いや、唯さん、亜由美さんが美人なのは百も承知なので、わざわざ言うなんて愚問じゃないですか」彼は視線を揺らしながら辿々しく言う。
「知り合いっていうか、そちらの奥薗さんは同じバイト先でさ、マネージャーに誘ったんだ。だから今日はそのための見学。もう一人の櫻井さんは奥薗さんのお友達。付き添いで来てくれたんだよ」
「まじか‼︎ お前……でかした‼︎」そう言うと彼は勇足でこちらに寄ってくる。
「俺、南野友也って言います! 涼太とは小学校の頃からの友達で大学まで引っ付いてきました。よろしく‼︎」
「よろしく! 奥薗奈央です」奈央は笑顔で答えた。
「櫻井琴音です。よ、よろしく」琴音も奈央の後に続く。
「奈央ちゃんと琴ちゃんか!」友也は愛嬌ある笑みを浮かべ手を出してきた。琴音と奈央は反射的に手を出して、堅く握手を交わした。
 南野友也は快活な笑顔で笑う、バカがつくほど晴々しい男だった。短髪刈り上げで高身長。ぱっと見厳つそうな風貌をしているが、屈託なく笑うその姿は怖さを全く感じさせない。
「よっしゃー今日はやったるよー‼︎」友也は意気揚々とグラウンドへ向かっていった。
「ったく、普段からそのやる気で望めよな」先輩の一人が軽口を叩く。
 しかし、悪意は感じない。友也もまた涼太と同じく先輩を含めた部員から愛されているように感じた。
「なんか楽しそうなところだね」奈央が琴音を覗き込んで言う。
「うん。そうだね」
 部員達が四色のビブスを着始めた。これからミニゲームが始まるようだ。琴音は自然と涼太を目で追っていた。奈央も同様のようだった。涼太は赤色のビブスを着ていた。よく見ると友也も赤色のビブスだった。
「あれってどういう基準で色分けしているんですか?」奈央が亜由美に訊いた。
「歴とした実力順だよ。うちは人数が多いから四軍まであるの。緑色が四軍、黄色が三軍、青色が二軍、そして赤色が一軍。うちのレギュラーチームだよ」
「え?」奈央が驚きのあまり声を漏らした。琴音も同じ気持ちで息を呑んだ。
 涼太と友也は同じ大学一年生だ。入学して間もない。それなのにこんな強豪校でいきなり一軍の座を掴んでいるなんて。
「あの二人すごいよ」唯が言った。二人とは涼太と友也のことだと瞬時にわかった。二人は唾を飲み込んで、グラウンドに目をやる。グラウンドには赤色と青色のビブスを着た部員が各自ポジションに付いている。一軍と二軍の試合のようだった。
 ピーっとミニゲームを開始するホイッスルの音が響いた。唯曰く、涼太はトップ下という中盤に位置するポジションで友也はフォワードという前線の点をとるポジションだという。ボールは涼太に集まっていく。素人目に見ても涼太がゲームを支配しているのが一目瞭然だった。
 センターサークルの外側で涼太はボールを受け取る。体格の良い先輩二人に囲まれるも巧みなボールタッチで華麗に抜き去る。琴音の目には何が起きたのか全く分からないほど一瞬の出来事だった。その時、涼太が無人の前線に強いパスを出した。ミスパスかと思ったその時、快速を飛ばす赤いビブスを着た選手がいた。友也だ。圧倒的なスピードで友也のパスに追いついた友也がそのまま右足を勢いよく振り下ろし、ボールはゴールネットを豪快に揺らした。
 あまりの展開に琴音は口を開けたまま呆気に取られてしまった。その後の試合運びは一方的で結果ニ十分のミニゲームで三対〇という結果だった。そのうち二点は友也の得点だった。
「涼太君と友也君は高校時代はとても有名な選手だったんだよ」亜由美が言う。
「そうなんですか?」奈央が返答する。
「弟があの二人と同い年でね。二人がいた高校と対戦したことがあるんだけど、コテンパンにされてた。涼太君に至っては、世代別の日本代表候補にも選ばれたことがあるの」
「そ、そんなすごい人なんだ」
 琴音はつい頭に浮かんでいた言葉が独りでに口を突いて出た。
 涼太のプレーがすごいのはもちろん素人目に見てもわかるが、よりわかりやすくすごいと思ったのは友也のプレーだった。あの圧倒的なスピードとパワーは目を見張るものがある。素人ながらプロからスカウトを受けてもなんら不思議ではないとすら思った。
「でもね」亜由美が続ける。
「涼太君は茨城県のサッカー界隈では結構な有名人だったんだけど、一年半近くサッカーの面舞台から姿をくらましていたことがあったの。涼太君に聞いても自分探しの旅ですわとか言ってはぐらかされるんだけど、一体何があったんだろうね」
「結構ミステリアスな人でもあるんですね」奈央は浮かれたように話す。あまり意に止めてないようだった。
 琴音は亜由美の話がとても引っかかっていた。涼太ほどの選手が高校生の半分の時間表舞台からいなくなるなんてことはそうそうない。何かのっぴきならない事情があったのではと意味もなく推察してしまう。
 ミニゲームを終えた涼太と友也が琴音と奈央の元に寄ってきた。
「琴ちゃん、奈央ちゃん見てた、俺のプレー⁇」
「うん! 見てたよ! 本当にすごかった!」奈央は素直に感嘆しているように見えた。
「本当にすごかった」琴音も言う。
「でしょ? まぁこいつのパスあり気なんだけどね」友也は涼太を指差して言った。
「お前の飛び出しが良かったんだよ」涼太が謙遜して言う。
「まぁそれも大いにある」
「肯定早いな! もう一ターン謙遜挟めよ。俺のパスが良かった!」
「結局お前も謙遜してねぇじゃねぇか」
 友也と涼太のやりとりで周囲は笑いで包まれた。二人のやりとりが微笑ましくて琴音も自然と笑みが溢れた。いつまでも見ていたい、そう思えた。
  
 練習後、琴音と奈央は亜由美と唯に入部の意志を伝えた。亜由美と唯はとても喜んでくれた。帰り際、涼太と友也がこちらに近寄ってくるのが見えた。
「二人ともうちの部の入ってくれてありがとう。めっちゃ嬉しい」涼太が頬を緩ませて言う。
「これからよろしく! なぁみんなでアドレス交換しない?」友也が携帯電話をジャージのポケット取り出した。
 四人は自分達の携帯電話を取り出し、メールアドレスの交換をした。その日はそれで二人とはお別れした。
 帰りの電車で奈央は早速涼太にメールをしているようだった。琴音が携帯をチラッと見ると友也からメールが来ていた。
『琴ちゃん、今日は来てくれてありがとう。明日からまたよろしく。あともし良かったら、今度暇な時にでも二人で映画でも見に行かない? もちろん最初から二人が嫌だったら、涼太や奈央ちゃんもいて良いからさ。どうかな?』
 早速の誘いで琴音は当惑した。まさか出会った初日にデートに誘われるなんて、よっぽどチャラついた男なのではと勘繰ってしまう。すると奈央が怪訝そうに眉をひそめた。
「どうしたの琴音、具合でも悪い?」
 琴音はビクッと体を震わせた。
「え、いや何でもないよ。今日楽しかったなぁと思って」意味もなく平静を装ってみる。
「ね! まさか涼太君があんなにすごい人だとは思わなかった。友也君もね。あとこれは女の勘って奴だけど、友也君さ、たぶん琴音のこと好きだよ?」
 琴音はドキっとする。
「え、まさか。なんでそう思ったの?」
「だって、明らかに琴音と話す時の友也君、顔が赤らんでテンション高かったもん。私や亜由美さん、唯さんと話している時とは違っていたよ」
 琴音は全く気づいていなかった。友也は誰に対しても笑顔でおちゃらけたように接しているように見えた。友也から来たメールがなければ、信じていなかったかもしれないが、今となればその言葉も腑に落ちてしまう。
 しかし、琴音は複雑な心境だった。誰かに好かれることは嫌なことではない。ましては誰からも好かれるような人気者の友也がもし自分のことを好いてくれているのが事実であれば、大抵の人ならばとても喜ばしいと感じることだろう。
 だが、琴音の脳裏には涼太の姿がどうしてもチラついてしまう。先ほど奈央の恋を応援すると誓ったばかりだというのに。自身の感情を理解しきれない自分に軽く苛立ちを覚えた。
「きっと近々デートにでも誘われるんじゃない? 友也君積極的なタイプに思えるから」
 奈央の言葉に琴音はまたもドキッとする。この子はどうしてこうも鋭いのだろうか。
 でもねー、と奈央が続ける。
「自分の気持ちに嘘はついちゃだめだよ。もちろんデートに一緒にいくことは良いと思うけど、自分の気持ちに嘘をついてまで誰かと交際をする必要はない。本当に好きだと思えてからでないと、むしろ相手を傷つけることになる」
 恋愛経験の乏しい琴音としては、奈央の言葉は胸に響く。流されやすい性格ではないが、変に場の空気を読んでしまうことは昔からよくあって、琴音にとっても悩みの種だった。
「って何を偉そうなこと言ってんだろうね」奈央は舌を出しておどけて見せた。
 女の自分としても、普段クールに見える奈央のたまに見せる可愛らしい仕草にドキッとしてしまう。世の男からしたらこんな美女を絶対に放って置けないだろう。絶対に自分には出来ない芸当だと思った。
「奈央、ありがとう。参考にするね」
「うん。でも琴音って見かけによらず結構頑固で、言っても聞かないことあるからなぁ。ちょっと心配」
「大丈夫だよ〜こと恋愛に関しては、奈央先生の言うことを全面的に信用します!」
「ちょっと、先生とかやめてよ〜。いじってるでしょ?」
「うん。少し」
「こら」
「あははは」
 奈央との会話は本当に楽しい。この子とならいつまでも喋っていられるという謎の自信が琴音にはあった。
 琴音はチラリと奈央の横顔を見た。すると彼女の顔は少しだけ神妙な面持ちになっていた。いつも愉快な彼女があまり見せない表情だ。
「私はさ、気付いているかもしれないけど、実は涼太君のこと少し気になってるんだ」 
 琴音は少し唇を噛んだ。おそらくとわかってはいたが、実際に本人から聞くとより実感が湧く。
「そ、そうなんだ、気付かなかったよ。でも二人とてもお似合い、美男美女って感じ。私、応援する。涼太君も奈央みたいな美人に好かれて他の部員のみんなから嫉妬されまくっちゃうんじゃないかな」
 唇が震える。ついつい早口になってしまう。大好きな親友の恋を心から応援したいのに、どうしてこんなにも胸が苦しいのだろう。
 琴音は奈央と駅のホームで分かれ、家路に着くと、友也に返事を送った。
『友也君、メールありがとう。こちらこそ明日からよろしくね。サッカーしている時の友也君すごくカッコ良かったよ。二人で映画良いよ。都合つく日教えてくれたら合わせるよ』
 サッカーをしている友也が格好良いと思ったのは嘘ではなかった。もちろん涼太も格好良いと思ったのだが。
 友也はチャラついた軽い男なのではという疑念は多少あったが、これから同じ部で一緒になるわけだし、頭ごなしに断ると後々気まずいかなと思い、誘いを承諾することにした。当初四人で映画も琴音は考えたが、奈央と涼太が楽しそうにデートする光景を見たいとは思えなかった。
 その後、お互いのバイトの都合もあってなかなか都合が合わず、結局一ヶ月後の日曜日に琴音は友也と土浦駅前で待ち合わせをして街中にある映画館に行った。
 普段ジャージ姿ばかり見ているので、チノパンにお洒落なシャツとジャケットを羽織った友也は不覚にも格好良いと思った。高身長のため、モデルのように見える。友也も琴音を見るや否や、開口一番に「琴ちゃんめっちゃ可愛い」と声を漏らした。
 映画は友也の案で『スターウォーズ』を観に行った。いきなり恋愛映画は気まずいと思っていたので、この配慮に琴音は安堵した。映画を観終わった後、二人は最寄りの喫茶店に入った。
 話が幼少期の話に広がり、友也は琴音に一つ質問をした。
「琴ちゃんって奈央ちゃんとめっちゃ仲良いけどさ、奈央ちゃんとはどこで知り合ったの?」
「奈央とは高校時代に知り合ったんだよ」琴音は即座に答えた。
「奈央はね、私の生きる世界を変えてくれた人で本当に感謝しっぱなしなんだ。一番大切で大好きな親友なの」 
 自分で言ってて気恥ずかしくなるような言葉だが、その言葉に何一つ嘘偽りはない。
「そんな人に出会えるなんて琴ちゃんは幸せ者だなぁ。琴ちゃんが良ければさ、当時のこともっと色々教えてよ」
 友也の要望に琴音はこくんと頷く。
 琴音は奈央と初めて会った二年前の情景を思い出していった。
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