第一話、港町
文字数 3,718文字
エドワード・ノールズは顔をしかめた。
写真の遺体は喉に何カ所か歯形があり、首が半分ほど、ちぎれたような写真もあった。写真機は最近警察の現場で導入されたもので、色がついていないという欠点はあるが、巻いたセルロイドに焼き付ける方式を使っているらしく、いくらでも複製がとれるようになり、資料を残しやすく継続的に吸血鬼の捜査ができるようになった。
イーサン・クロムウェルはテーブルの上の死体の写真を見ながら言った。
宿屋で警察から借りてきた資料をイーサンとエドワードの二人は見ていた。
イーサンは唇を舐めた。前歯が無かった。イーサンの口腔は、上下十二本の犬歯と前歯が無かった。三十年ほど前に抜き取られた。
エドワードは顔をしかめた。
「それに数も多い。普通の血筋なら月に一度ほど吸血行為をすれば事足りる。まだ成り立ての若い吸血鬼は、人であったときの感覚と、吸血鬼になった感覚の折り合いがついていない。人であったときの食欲、毎日のように食事を取るという風習が抜けずに、結果、過剰に吸血行為を行うこととなる。貪欲な上、へたくそなのだ」
若さという奴かな。イーサンは少し笑い、己の白い髪を撫でた。見た目で言えば、五十代後半から六十代前半、肌は白く、短く刈った髪型、灰色の目、首には銀色の首輪をしている。老人とはいえないが、それなりに老いてはいる。だが彼は間違いなく老人であった。齢九百歳以上、この国ができる前、それよりも前から彼は存在していた。
イーサン・クロムウェルは、九百年生きた元吸血鬼である。錬金術により、吸血鬼より人へと、生まれ変わった。裁判を受け、死刑判決を受けたものの、イーサンは、自身の様々な知識と財を使い、国と取引を行い、吸血鬼狩りに協力することを条件に、死刑の執行猶予を勝ち取った。この男は吸血鬼のことを最もよく知る猟犬なのだ。
人口五万人ほどの、港町ミルト、半年ほど前から喉を噛み裂かれた死体が見つかるようになった。
「吸血鬼になれば、一生追われることはわかっている、わかっていなければならない。にもかかわらず、一つところでのんびり過ごしているということは、よほどここに思い入れがあるのか、それが思いつかないぐらい頭が悪いのか、彼の行為を見るかぎり、たぶん頭が悪い方が正解だろうね」
イーサンは鼻で笑った。
エドワードはテーブルに身を乗り出した。
吸血鬼時代イーサンは魔法を極めたと、聞いている。
わかっているだけで十件の吸血行為を行っている。最初は路上の娼婦、やがては、窓を破り家の中に入り込み血を吸うようになった。金品も同時に盗んでいる。生きている目撃者はいない。誰かに気づかれれば気づいた人間を殺している。行き当たりばったりの犯行を繰り返しているように見える。話が広まり今では港町の窓には頑丈な鉄格子にニンニクがぶら下がっている。最近は海に遺体が浮いていたケースが増えていることから、遺体の発覚を恐れて血を吸った後の遺体を海に投げ入れているのでは無いかと推測出来る。
「それよりも、盗んだ品に注目すべきだ。盗んだものは、たばこ入れに懐中時計、どれも男性用のものだ。自分が女性であるということを隠すために男性用の装飾品を盗んだというのでなければ、吸血鬼の正体は十中八九男ということになるだろうね。盗んだのは、ただ単に欲しかったからじゃないのかな」
エドワードは感心した様子を見せた。根は素直なのだろう。
イーサンは一枚の写真を見せた。血にまみれた床の写真だ。
「ようやくまともな答えが返ってきたね。もう一歩考えてみよう。この五件目の写真と三件目の写真で靴跡が変わっている。大きくすり減ったベタ靴から上等な革靴へと靴跡が変わっている。つまるところ、三件目と五件目の間で彼は靴を変えていると言うことになる」
イーサンは頭をかいた。
ベットに寝転がった。
イーサンは残念そうにつぶやいた。
それから二日ほどかけて、靴を売っている商店をしらみつぶしに訪ね、現場に残っていた靴跡を見せ、夜に靴を買った怪しげな男がいなかったが聞いてみたが、それらに該当する人物はいなかった。
暗くなったので二人は宿に帰った。
履き心地の良い革靴があったので、エドワードは、思わず買ってしまった。なめし革が足になじんで歩きやすい。
イーサンは地図を広げ、今日尋ねた店に印をつけていた。
「だめだ。大人数で動けば必ず悟られる。一度逃げられたら、見つけるのはかなり難しくなる。吸血鬼は、その気になれば土の中でも眠ることが出来るんだ。今ならまだ自分が住んでいた場所に暮らしている可能性がある。我々が来たことを悟られてはならない」
イーサンは胸元を押さえた。
イーサンは胸元のポケットから何かを取り出した。赤く光った一枚のコインがあった。
下の階の方から物音がした。叫び声もした。
エドワードは立ち上がり耳を澄ませた。体の奥から寒気を感じた。
エドワードは杭撃ち銃を手に取った。
ここは宿屋の四階だ。
イーサンは窓を見た。窓の外は海。
イーサンは窓を開けた。風が入ってくる。
確か吸血鬼は海が苦手だと、エドワードは聞いたことがある。
「ふん、冗談を、そんな与太話を君は信じているのかね。誰でもそうだと思うが、衣服が汚れるのはいやだろう。その程度のことだよ。服を海水に浸してまで我々を追ってこない、それを期待しているのさ。あと吸血鬼の鼻も少しはごまかせるからね」
イーサンは、よいしょと、窓によじ登り、あっさり飛び降りた。海風の音がする。
ドアを破る音と叫び声が徐々に近づいてくる。
エドワードは覚悟を決め、窓枠に登った。吹き上がる風、うねるような夜の海。断崖亭、確かそんな名前の宿だったと思う。物が壊れる音が近づいてくる。エドワードは暗闇へ飛び降りた。
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