紅茶一杯の対価 /1 hokoro am berlo/
文字数 2,769文字
ティーカップに紅茶が注がれる。香りを伴って湯気が立ちのぼった。
給仕を使うところを、セロ自らがクリオーネとシアリィに、淹れたばかりの茶を振る舞う。
聞くにセロが直接淹れたものだと言う。カッツェンは畏れ多く思った。そんなことは誰かにやらせればいいのにと聞いたら、彼女は「ボクから楽しみを奪わないで」と言う。
彼女にしてみれば一年はかかったという。
茶葉を摘み、日にさらし、湯を注いで淹れ、口に入ってはじめてそれは舌と鼻に味と香りが広がる。ブリオーダの紅茶は、どれひとつ取っても彼女の手が入っているという。
この紅茶は先ほど作ったものではない。セロが一年かけて作ったものなんだとカッツェンは知る。
口の中に含み、円卓に立つ椅子に腰をかけていた女王陛下二人が、紅茶を味わってくれていた。
「おいしいですわね」
「誠意は認めてやる」
二人は笑みを零した。シアリィにいたっては悔しそうな笑顔だけれど、このもてなしを握り潰すことは躊躇われる。
「さて、ここで呼び出したのは他でもない」
卓に肘をつけながら話を始めるセロ。テーブルマナーに欠けた軽率さが垣間見えるが、笑顔で見つめるその瞳には真剣さを帯びていた。その真剣な眼差しは誠実さに対するものか、政治をゲームとして見ながら絶対に勝つという遊び心に対してか。無論のことだが、遊び心に誠実になっているという考えも、ないがしろにできない。
「リネルとベニアカネ、キミたち互いに平和条約を結んでよ。ボクもキミたち二人に平和条約を結ぶ」
紅茶一杯で国が動くとは思ってもいないだろう。
けれど、紅茶の香りが創り出した雰囲気に呑み込まれないよう、クリオーネとシアリィは険しい顔で抵抗した。まるで自意識をしっかり保とうとしているかのように、よもや紅茶に酒など入れたのでは、と考えてもいないだろうに。
「お断りしますわ」
「私もかねがねそれについては反対してきている」
それを聞いてふふふ、と小さな笑い声を立てる。
「本当にキミたちって一筋縄ではいかないね」
両手の指を絡ませて、セロは語り口を軽くする。
「キミたちは知らない、カッツェンが言っても知ろうともしない、知ったところで信じようともしない。まるでカッツェンが神話や伝説のたぐいであるかのように」
円卓に相伴して座っているカッツェンに、三人の目線が向かう。
彼は恥ずかしがって、顔を下に向けた。
「わたくしは世迷い言を信じる質ではありませんわ。カッツェはただの不老病であるだけですわ」
「その通りだ。カッツェンの悪口を言うわけではない。だが暗闇星がこの地に落ちてくるなどという迷信は信じられない」
「ははは、こりゃやっぱりキミたちが手強いとカッツェンが踏んでいるのも頷けるね」
所詮、彼は作り話の一部でしかないと思われている。
「ボクはカッツェンを信じる」
その眼差しは真剣だった。誠実でも、ごっこ遊びでもなかった。信じる以前にそれが正しいと確信している目だった。
「子供ですわね」
「子供だ、よくブリオーダはお前をここまで信頼しているな」
「信頼なんていらないよ。ボクはみんなが楽しければそれでいいんだってだけだよ」
それが君主、女王陛下としての務めであるならば、果たして二人はその義務を果たしているだろうか。
国民の声を聞いてはいるがそれ以上のことに応えられていないクリオーネ。
自己保身とベニアカネの防衛に必死になっているシアリィ。
信頼がなくとも国民に笑顔があれば他には何もいらないと訴えるセロは、言っていることが全うだが。それでもカッツェンはセロのことが心配だ。
「カッツェンから聞いてるよね?」
左手と右手で指を差され、二人はむっとした顔になる。
「ボクらの祖先はかつて、青の魔道書、緑の魔道書、赤の魔道書を相続した」
シアリィが腕組みをし、クリオーネに目を向ける。視線を送られた彼女は我存ぜずと言う感じで首を振ったのを認めてからシアリィは、組んでいた腕をほどいて両手を挙げる。
「確かにそれはカッツェから聞いた覚えはありますわ、けれど残念ですがわたくしはそれがどこにあるのか存じませんわ」
「私もだ。だがセロ女王、それがもしあったところで、私たちに何をしろと言うのか?」
「ここまで話を進めてまだわからないの? キミたちはカッツェンの話を何ひとつ聞いてないんだね」
セロの言葉を聞いてクリオーネを眉を、シアリィは口を歪める。
「いざボクらに襲い来る暗闇星、それに対抗するにはボクらが持つ魔道書で立ち向かうしかないでしょ?」
天空を指差し、そして視線までも遥か空の果てまでセロは投げる。
「というわけで、ボクら三国はいまここで力を合わせるんだ。というわけで平和条約を取り付けて欲しいんだ」
「断る」
やはりシアリィが先を突いて即刻に断言した。
「わたくしもお断りしますわ。それにわたくしは……」
「自信がないんだね?」
心の奥にある壊れそうな理性を覗き見するよう、セロはクリオーネを見つめてくる。
「何をおっしゃって?」
「国民を説得する自信がないんだね? もっともだ、カッツェンの言ってることはおとぎ話に聞こえるし、冗談めいた言葉に耳を傾けるほど彼らも暇じゃないことはボクもわかってるよ」
シアリィにいたっては壊れそうな理性など見えはしない。なぜなら。
「そして、シアリィ女王陛下、キミに関して言うなら、もっとハードルが高いだろうね」
そこに作り上げたハリボデは相当な厚さがあるからだ。自分を作りすぎているのがセロにはお見通しのようで。
「ならば話は簡単だ。私たちは平和条約は結ばない」
「そっか」
シアリィが一番に席を立つ。
「納得してくれたか」
「うん。キミたちの心はわかった」
「では……」
「いいよ、平和条約なんか結ばなくても」
意外な言葉が飛んできた。それを聞いたカッツェンが一番驚いて、食卓の裏側にびくんと跳ねた膝をぶつけた。
「セロ、どうして……?」
「いいよ、平和条約なんか結ばなくても」
カッツェンが挟む口を視線で押さえながらセロは、絡めた両手を自分に眉間に当てる。
「ボクもそう簡単にキミたちが、うんと言うほど愚かではないことは知っている。そこについてはボクなりに尊敬の念は持っているんだよ?」
「何のつもりなんですの? セロ女王陛下」
「ただ、ボクもこの場所をセッティングするのにお金と時間はかかってる、それ相応の対価として平和条約を天秤にかけろなど言わない。けれど、キミたちは飲んでしまった。紅茶一杯を」
セロの狙いは、いったい何なのか?